フリークス・ブルース

はいか

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月の獣を探せ

18 勝利の在処

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 このままどれほど戦えば終わるのか――

 精神は消耗品だ。贅沢に使っていては、文字通りに魂を摩耗していく。だから人間はその心を守るために様々な工夫を凝らして生きているのだ。強いストレスを受けるほどに人間は強くなるのではない、強いストレスがその人間をを根本的に再構成していくのだ。
 より長く、より安寧に生きながらえるために。時にその方法が自死という破滅の道だとしても、人はそれほどまでに精神の死を嫌う生命であるのだ。

―――

 殺した。とてもたくさん殺した。

 十体?
 百体?
 或いはその先の桁に昇ったか?

 罪の意識がある。命を奪った感触だ。奔流に流されるように戦っている最中には気が付かなかった。
 必死に。一心不乱に。無我夢中に。
 会いたくない人から逃げるように。
 聞きたくない言葉から耳を逸らすように。
 殺生に伴う業から目を背けた。

 
 嗚呼。何故、平気なつもりでいたんだ。
 命のやりとりが行われる死線の中なら、心も強くなれるって言うのか?
 わかってるはずだろ。
 心は二度と戻らない。損耗品。継ぎ接ぎで出来た決まりの悪い人間最大の欠陥品。

――――


「いつまで狸寝入りしてるつもりですか」

 突風が体を包む。なるほど、摩天楼というからには高層ビルを思わせる建造物なのではと勘繰ったが、実際にそうだったらしい。それも空間が意味不明に数珠つなぎになっているこの世界では真実なのかの判断も付かない。
 摩訶不思議なゲートを潜り、マッドサイエンティスな研究棟で大立ち回り。悪行を嗜める痛快無比なヒーローであればさぞかし気分が良い旅になっただろう。明らかな悪だと断ずるだけの精神性があれば、いくら命を奪おうと、こうして感傷に気を揉む必要がないのだから。

 悪魔がこちらを見ていつも通りのしかめっ面を浮かべる。こいつは、この男は、一体何を目的にしているのか。そんなことはもう彼には気にならなかった。

「処世術と言えば聞こえは良いか。…具体的にヴァンプールと戦う手段を持たない私では、死んだふりが精々だ。……よもや、正面戦闘でヴァンプールを打倒するとは。予想など出来るはずもないが、そのお陰で命拾いをした。礼を言う、コルデロ」
「多分戦いの中、何回か踏みましたよね?」
「ふん。三百回は踏まれたとも。お陰で骨が随分と折れてしまった」

 崩れ落ちる回廊。眼下に穿たれた大風穴。操作の叶った撃墜の力。人間ではとても成し得ない離れ業にして、周囲のを一点に圧縮し、それを下方に向けて途轍もないエネルギーで叩き墜とす機構。一度発動してしまえばあとは一瞬だった。ここだ、と念じた所に敵が勝手に集まってきて、それをさらに上層の意識、言うなれば無我の感覚で次点の撃墜行為に及んだまでのこと。そこにセノフォンテ自身の高度な意識はなく、トリガーだけを用意してあとは勝手に勝利したような心地だった。
 第一、あのまま物量戦で勝負を続行していては後何秒間持ちこたえられていたの保証もないほど絶望的な展望だった。鬼気に満たされて殺しに没頭している間は絶望すらも忘れることが出来たが、そも勝ち目など最初からなかった戦いではあった。唯一、例外として勝利を掴むに至った条件は恵能の存在であったが、この力の仕組みを正確に掌握できていない以上はこの勝利も運が良かったと帰結するより他にない。

 瓦解していく回廊。高度が高いためか、撃墜の風穴によって与えられた損傷がこのビルに大きく揺らぎを与え、絶え間なく不穏な破壊音と破裂音、断裂音がこだましてくる。体感的にこの建造物の寿命がもう長くはないということがわかり、一刻も早くこの場からどうにか立ち退かねば命はないだろう。

「俺が負けると思っていたのなら……グランさん、あんたは一体どうやって生き延びるつもりだったんだ?」
「言うまでもなく、死ぬか生きるかの二択だ。奴が私の狸寝入りに気が付けば殺しにかかってきただろうしな。何故だか、何者かが我々を対象として抹殺を企てていることも判明した。殺すように仰せつかったというのなら、ヴァンプールを傀儡とするレベルの行為のヴァンプールが関与している可能性もあった。逃げることに注力しようにも逃げ場がなかったからな、博打の要素として君が奴に対しての勝算を始めてから感じ取れていれば、方向性も違ってきたかもしれない」
「要するに、ほぼ全部が不確定要素だってわけですね」
「ああ。私の行動指針は一貫しているからな。たとえ君が死のうが己の目的を果たすつもりだった」
「結果、俺の反感を買ってここで殺されるとは思わなかったんですか?」
 
 グランは鼻を鳴らして見せた。強がりも含めた情けない音だった。
「フン、我々が袂を分かつより早くこの建物が崩れ落ちるだろうよ」
 その言葉の通り、崩落を始めたビルは瞬く間に彼らから足場を奪っていった。それこそ、ヴァンプールの究極技ともいえる増殖爆発による圧殺に対抗するのに等しい無力さだ。重力という力に引っ張られながら、眼前と眼下に広がる第一圏の街並みを見納める。
 遥か彼方の空には星が浮かんでいる。恒星か、惑星か。初めてこの空を眺めた時とはまるで比べ物にならない程の美しく煌々と照り輝く夜空がそこにはあった。重力に攫われた下降に反比例するように、心はその夜空に囚われていくようだった。

 堕ちていく。ここは奈落ではない。終わりのある墜落。いずれ激突するのが地面だろうと床だろうと、痛みを感じる間もなく体躯を破損して死に至るだろう。

「…………」
 
 どこか妙な安心感があった。これから死ぬことが目に見えているというのに。
 思い返してみれば、その体が遥かな高度から落下していくのは初めてではない。この世界に足を踏み入れる前、理由もわからず、ただひたすらに過剰な火力を前に撃墜されて瓦解しゆくその舟。思えば、その時から何か得体のしれない引力が付きまとっていたのかもしれない。それをグランは運命というのだろう。
 
 だが、セノフォンテはその運命という言葉にこの上もない不快感を覚えてならなかった。


――――――
――――――
――――――


 瞑っていた目を開けた時、騒音が風となって頬と髪を揺らした。
 濡烏色の頭髪も、男に似合わない程の透明感ある色白な肌も、琥珀を写したような鮮やかな瞳の色も、全てが血の凝り固まった黒に染まってしまっていた。来ていた服も、爪先までもが粘り気のある血に纏わりつかれており、何をするよりもまず先に血の匂いが鼻を刺してならなかった。
 数えきれないまでの同一個体を屠り散らした代償。同じ存在を殺し尽くすという行為の重み。
 魂の形までも想起してしまうような圧倒的な反復感による死のクオリティ。もはや触れることも必要とせずにあの仮面のサムライの造形を解してしまっている。意識の裡には常に仮面のサムライが佇んでおり、もはやこの世にいないと体感的に理解してるその存在を自分の中に写してしまっているようだった。

 心の奥に棲みついたそのヴァンプールも仮面の奥からセノフォンテと同じ景色を眺めていた。
 先程まで自分が落遂していた大型ビルが杜撰な破壊工事のように崩れ去っていった。その轟音と振動はおそらく一キロメートル離れていると思われるその位置からでもありありと感じ取れた。疾走感のある破壊の痕跡が町に降り注ぐ中、大型ビルに棲みついていたと思われる多くの合成獣がゴミのように放り出される姿も目に留まった。


「大はしゃぎしてさぞ気持ち良くなってる所悪ぃがジャンキー。ここで打ち止めだ」
 
 声には聞き覚えがあった。そこ今自分がどういう状況に置かれているかを察する。
 見晴らしの良い高台。草臥れた遊具が設置されている静かな公園に彼らはいた。
 まずは言葉の主であるバーソロミュー・ガラデックス。セノフォンテより少し年若い彼は傍らに瀕死のアミヤナを足蹴にしながら、悠々と葉巻を咥えていた。その傍にはグランの姿もあり、彼の手には何か拘束具のようなものが取り付けられていた。
 そして自分の手元を確認してみれば、セノフォンテにも同じような拘束具が取り付けられていた。落ち着いたガラデックスの態度とは裏腹に、やはり事態は何ら好転していないことが察せられる。

「アミヤナさんの転移の力ですね」
「ご名答だ。事の主犯たちが勝手に瓦礫に押しつぶされて死んじまったら面子が潰れちまうからな。このオカマも一枚かんでるらしいじゃねぇか。さ、生憎と持て成しは出来ねぇが、少しは静かに離れる場は整えてやったぜ」

(バーソロミュー・ガラデックス。……エリゼさんと同等か、それ以上の実力者だと見えるべきだよな…)

 そこでグランが嗜めるようにセノフォンテに言葉を投げかける。
「変な気を起こすなよコルデロ。さっきヴァンプールに勝てたのは恵能による特殊条件が勝因の九割だ。あの仮面のサムライは恐らくカテゴリー換算しても3が精々だ。ガラデックスは普段からカテゴリー5を相手取る最強格の人間。そも君の完全上位互換の《撃墜》の力の恵能者だ。勝てる道理もなければ、そも比べるというスタートラインにすら立てないような存在だ」

「……………」

「ま、そこの狸も言ってる通り俺とお前らは比較対象にならない。それに俺はお前らを殺しにきたわけじゃねぇんだし、殺し合う理由なんかねぇだろ?」
「ええ。まぁ。そうなんでしょうね」

 両者の間に不穏な空気が流れる。グランに言われるまでもなく、セノフォンテにしてみればガラデックスに敵う力量があると思えるだけの驕りはなかった。一撃与えられれば万々歳。少なくともあの雷霆のような攻撃が使用可能である限りは近づくだけで灰にされる可能性もないとは言い切れない。


 ガラデックスは一度大きくアミヤナの体を蹴りつけて瀕死のアミヤナを足元に転がし、羽織っているジャケットの奥から何かを取り出してセノフォンテに投げつけた。うまく受け取ったセノフォンテはそれが板状のチョコレートだとわかり、少し見据えてからガラデックスに向き直る。

「まぁ、食えや。疲れてんだろ」
「ええ。まぁ」
「これからすんのは大事な話だ。……ハァ。ったく。なんでこんなことになっちまったんだが」


――――

「……ジャンキー。…いや、セノフォンテ・コルデロ。俺はな、本当ならお前を《イーネ》の一員として俺の部下にするつもりでいた。いや、多少の無理を通してでもそうする気でいた。俺がお前の存在保証のためにいろいろとせせこましく働いている間、この糞ったれな世界の仕組みを少しでも学ばせてやるつもりでこのオカマを遣わしたのも俺だ。だが、目を離せばお前たちは奇妙な徒党を組んでイーネのスポンサーにちょっかい出した上、残念ながらその大切な研究棟を含めた大型ビルを見事倒壊させて見せた」

「……………」

「俺はイーネの正式な構成員じゃねぇ。だからこそ、排他的思考の根強い奴らの中でお前の身の保証を得るのは至難の業だった。だが、俺がもう一歩でうまく話をまとめてやろうとした所でお前は妙な因果に身を投じた。マキナ・ヴェッラはイーネがヴァンプールよりも嫌う勢力であり、それと徒党を組んだ時点で俺の努力は意味がなくなったわけだ。……この世界の事を何もしならないお前がどういう選択をしていくのか、興味深くはあったぜ。だが、無知蒙昧はすぐに死ぬっていう世界共通の不文律をお前は乗り越えた。弱肉強食の世界で生存を掴み取り、外界から来た人間の中ではを達成した」

「…………」

「俺から見てもイカレた成績だぜ。これまでどんなに早くても外界人がヴァンプールに勝つなんてのは恵能者でも十年選手でもない限りは不可能な大偉業だ。特例として別格だったアーカスも死んじまったわけだし、お前がイーネに加入できればエリゼと肩を並べて歩ける奴がまた出来るんじゃねぇかと思って勝手に喜んじまってた……バカみたいだろ?当たり前だよな。お前は意思を持った一匹の生き物。自我を持つ限りは俺の思い通りになんてなりやしねぇんだわ」

「で、どうすると?」

「お前を殺す気はない。大王の出現が迫っている今、ヴァンプールを殺せる存在はなんであれ重宝して然るべきだ。だが、イーネは建前にしろ、利害にしろ、お前を生かしておく道理はない。アブーが何も言ってこない以上は仕事が早いだろうな。戦闘活動で町を破壊しても御咎めなしって奴はイーネでも数少ない。エリゼやフーシならいざ知らず、お前みたいなジャンキーが私利私欲で財団の本拠地を更地にするようじゃあイーネじゃなくともお前を殺したがるだろうな。言うならば第一圏全員が敵に回っても本来おかしくないレベルの大暴れをしちまったわけだ」

「俺は殺しにかかってきたヴァンプールを返り討ちにしただけです。結局、アレは何なんです?俺があそこで素直に殺されていれば良かったわけです?」

「さぁな。少なくとも、最終圏の連中が口を挟んできてるのは間違いねぇ。ここに来る前に異様な数のマキナ・ヴェッラが第一圏に侵入する様子も確認された。……どれも高位ヴァンプールに匹敵する糞共だ、アレと対決するためにイーネがあるわけじゃねぇが、アレが暴れたときにとめられる奴はイーネにしかいない。ジャンキー、お前が素敵な陰謀に加担しているのならやめておきな。世界の仕組みもわかってねぇのに、いらん騒動に首を突っ込むのはどうあっても悪手でしかねぇんだよ」

「……勝手に殺しにかかってくる連中がたくさんいるってことはわかりました。で?」
「言ったろうが、俺はお前を殺さない」
「だから?」

「選ばせてやるよ。この先、お前は無限の苦難に晒される。いっそ死んだ方が楽だ。運が悪いことに無知のままお前は英雄にも悪魔にもなれる切符を手にしちまった。災難だ。最悪だ。物語としては最高の悲劇だ」

「……………」

「俺はお前を殺さない。だが、そこの狸はいずれ確実に殺すつもりだ。薄々気が付いちゃいると思うが、それの目的はこの世界に迎合されない。というより、人類そのものにおける巨悪に等しい存在だ。表面上は澄ました紳士ぶったペテン師。だが、お前が生き残りたいのであれば最終的にその狸を利用するしかない」

「………………ッ」

 セノフォンテは噛みしめた板チョコを砕き割る。

「役に立たないのはアンタも同じだな。結局、なんの役にも立たねぇ話しかできないのかよ」
「当たり前だ。俺はお前らの敵だ。この世界を守るのが俺の使命だ」
「くだらない。どうでもいい。殺すとか、殺さないとか知るかよ。もううんざりだ!!!!」

「死にたいのなら勝手にすればいい。だがよ、ジャンキー。言い方が悪いのなら言い直してやるぜ。俺はチャンスと猶予を与えてやるっつってんだ。いいか?戻れないなら進むんだよ。自分で自分を守るんだ。どれだけ苦しくても戦いな。お前は強いんだ。その先に安寧はある。安息もある。お前はまだ死ぬな」

「……………ハァ?」

「口下手だからよ。結局タイムオーバーみてぇだ。ま、数日経ったら殺し合おうぜ。それまでに覚悟を決めておくんだな。このオカマは餞別として預けとく」



―――――

 宙に出現する無数の口。間髪経たずに展開される異常な殺気と熱気。宙を焦がす雷霆が周囲に散漫し、空間を捻じ曲げるエネルギーと共に突如として口火が斬られた熾烈な戦闘。
 何者かの襲撃。ガラデックスの力の展開。煌々たるエネルギーのぶつかり合い。


 何が起きているのかなどわからなかった。何をすればいいのかなど、わかるはずもなかった。

 気が付けば拘束具は外れていて、グランが傍らに歩み寄って肩に手を添えてくる。
 
「私は進むぞ。君も来い」

 猛烈な閃光。激しい爆音。
 何かと戦っている最中、最期に見たガラデックスの貌は笑っていた。

 頑張れよ――――

 訴えかけるような視線はそれだけを汲み取った。
 その体が暗黒に飲まれ、さらなる転移を果たすその瞬間まで、セノフォンテは一言も発しはしなかった。





 
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