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一章 月の花
1話 王都の騎士様
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パレット・ドーヴァンスは港町アカレアにある領主館で、文官をしている二十一歳の乙女だ。
茶色い髪を肩で切り揃え、大きな丸眼鏡の奥にある茶色の瞳は無気力にくすんで見える。
領内の財務を預かる部署で、パレットは計算事務の仕事をしていた。
部署にいる他の文官は全て男で、女はパレット一人である。
そんな中パレットは化粧をするでもなく、オシャレをするでもなく、地味な文官のお仕着せを着て黙々と作業をしていた。
周囲からは「地味女」と揶揄されていることも、当人とっくに知っている。
――地味で結構よ
パレットが地味にしていたところで、誰かが困るわけでもない。
家族も恋人もいない独り身だ。
化粧品や服飾などに散財しないだけ、貯金が貯まって仕方がない。
パレットは周囲を一切視界に入れずに、目の前に積まれた書類をひたすらに計算し続けた。
そしてようやく昼の休憩に入る頃、パレットは上司に呼ばれた。
「パレット、領主様がお呼びだ」
小太りの上司の言ったことが、パレットは一瞬理解できなかった。
「はぁ?」
パレットは領主様なんて、数えるほどしか顔を見たこともない。
そんな人がパレットを呼んでいるという。
一体何用だろうか。
――こういう場合って、たいていろくな用事じゃないのよね
「すぐに行ってくれ」
急かす上司に、パレットは嫌な顔を隠しもしない。
「それって本当に私を呼んでいるのでしょうか」
「呼んでいるから言っているのだろう。
いいからとっとと行け!」
上司に怒鳴られ、パレットは渋々行くことにした。
「可愛気のない女め」
パレットは上司がボソッと呟いたのが聞こえた。
この小太り上司に可愛いなどと思ってもらわなくても結構だ。
パレットは領主館に勤めることになった時に入ったきりである、領主の執務室のドアをノックした。
「ドーヴァンスですが、お呼びと伺いました」
「入りなさい」
中から応答があったので、パレットはドアを開けた。
執務室にいたのは、痩せ気味な色白の領主様と、腰に剣を下げた立派な身なりの男だった。
プラチナブロンドの髪を短く切り揃え、肌は少し日に焼けている。
秀麗な面立ちをしていて、緑の瞳がパレットを見ている。
――王都の、騎士様?
男が身に着けている腰の剣と胸当てにある紋章に、パレットは男の身の上を思いついた。
「トラスト殿、このドーヴァンスが道案内をいたします」
「女性ではないですか。
荒事になるやもしれないのに、危ないですよ」
眉をひそめる男に、領主が笑いかける。
「大丈夫ですよ、なあドーヴァンス」
領主様が親しげに呼びかけてくるが、生憎数回顔をみたことのあるだけで、会話も交わしたことのない間柄なのだが。
それに話の内容もわからないパレットに、大丈夫だと断言されても困る。
――一体なんの話よ?
しかししがない会計事務のパレットに、会話に割ってはいることなど出来るはずもない。
せっかくの安定した仕事を、不興を買って失うわけにはいかないのだ。
「このドーヴァンスは王都からこの街まで旅をしてきた女ですので、足手まといにはなりますまい」
領主様がパレットの履歴書にある経歴を述べる。
旅と言っても乗合馬車に乗ってここまで来ただけである。
たいそうな大冒険をしたような言い方をされてはたまらない。
しかしここでもパレットは黙る。
「いいな?ドーヴァンス」
「……仕事ですから」
命令されれば頷くだけだ。
どんな仕事か説明がなくても。
急ぎの仕事だというので、パレットは身支度をするように命令された。
しかし大事なことがわかっていないので、身支度と言ってもなにをどうすればいいのだろうか。
にこにこ笑顔の領主様から追い立てるように執務室を出され、パレットは一緒に出てきた男を見上げた。
「あの、質問してもよろしいでしょうか?」
「なんでしょうか」
パレットの問いかけに、男はやわらかく微笑んでみせる。
その微笑のまばゆさにパレットは目を眇め、己のこめかみがひくりと引きつるのを感じた。
――これは、自分がどう見えているのか知っている顔だわ
そうでなければ、あからさまに嫌々である地味女に、振りまく愛想があるわけがない。
パレットが一番嫌いな人種だ。
不機嫌顔が漏れないように、パレットは無表情を作った。
「結局私は、どこでなにをするのですか。
なんの身支度が必要でしょうか」
「え、何も知らないのかい?」
驚く男に、パレットは冷静に答える。
「上司も先ほどの領主様も、何も説明してはいただけませんでしたから」
勤めて無表情のパレットに、男はため息をついた。
「それで君は、了承したの?」
「ただの文官に拒否権はありません。
クビは嫌ですから」
これでもし、犯罪をしろという内容の命令だったならば、パレットはここにいてはヤバイと思って逃げるだけだ。
「とりあえず、場所を移動しようか」
身支度のために、パレットの仕事は本日終了らしい。
なのでパレットは男と一緒に領主館を出て、近くの喫茶店に入った。
「いらっしゃいませ!」
店員の女の子が、三割り増し輝いている笑顔で応対した。
彼女の視界に入っているのは、男だけであろう。
それも仕方ない。
王都の騎士様となれば庶民の憧れである。
その上この男は容姿が優れている。
彼女の気合が入るのも頷けるというものだ。
「コーヒーをくれるかな」
「私も同じく」
注文をしてようやく、彼女に視界にパレットが入ったようだ。
ものすごい目で睨まれたが、パレットにどうしようもない。
店員が店の奥に下がったことで、男は改めてパレットを見た。
「自己紹介がまだだったね。
私はジーン・トラスト、王都で騎士をしている」
やはり王都の騎士だったらしい。
パレットは頷くだけで、ジーンという男に先を促す。
それにジーンは少し驚くようなそぶりを見せて、話を続けた。
「ここには探し物で来たんだ。
その道案内の人間を、領主殿にお願いしたんだけどねぇ」
ジーンが苦笑する。
――私の生まれも育ちも、ここじゃないんですが
パレットは領主様に物申したくなった。
探し物の道案内役に、よそ者を抜擢してはダメだろうに。
文句はあるが、領主様の思惑もわかってしまった。
――接待役に抜擢されたのか
港町アカレアは王都から離れており、王都の騎士がアカレアまで来ることなんて滅多にない。
王都の視察団がやって来るときの護衛で見かけるくらいだ。
なので領主様は騎士様の印象をよくしようと思ったのだろう。
騎士様に女をあてがっておけば間違いないと考えたのだろうか。
パレットだって、一応は女なのだから。
領主様の小物ぶりに、パレットは呆れてしまう。
それでもパレットの雇い主だ。
その思惑はどうあれ、仕事は真っ当しなければならない。
「それで、探し物とは?」
様々な罵倒の言葉を無表情に隠して、パレットは質問した。
「その前に、君の名前は?」
そういえば名乗っていなかった。
「失礼、パレット・ドーヴァンスです」
「そう、よろしくパレット」
ジーンににっこり微笑まれ、いきなり名前で呼ばれた。
なんなのだこの男、馴れ馴れしい。
「トラスト様の探し物とは……」
「ジーンで呼んで欲しいな」
パレットの無表情に一瞬ヒビが入る。
「では、ジーン様」
「様はいらない」
――ああもう、面倒くさい男!
パレットは深呼吸をして、仕切りなおした。
コイツ絶対に、女たらしに違いない。
茶色い髪を肩で切り揃え、大きな丸眼鏡の奥にある茶色の瞳は無気力にくすんで見える。
領内の財務を預かる部署で、パレットは計算事務の仕事をしていた。
部署にいる他の文官は全て男で、女はパレット一人である。
そんな中パレットは化粧をするでもなく、オシャレをするでもなく、地味な文官のお仕着せを着て黙々と作業をしていた。
周囲からは「地味女」と揶揄されていることも、当人とっくに知っている。
――地味で結構よ
パレットが地味にしていたところで、誰かが困るわけでもない。
家族も恋人もいない独り身だ。
化粧品や服飾などに散財しないだけ、貯金が貯まって仕方がない。
パレットは周囲を一切視界に入れずに、目の前に積まれた書類をひたすらに計算し続けた。
そしてようやく昼の休憩に入る頃、パレットは上司に呼ばれた。
「パレット、領主様がお呼びだ」
小太りの上司の言ったことが、パレットは一瞬理解できなかった。
「はぁ?」
パレットは領主様なんて、数えるほどしか顔を見たこともない。
そんな人がパレットを呼んでいるという。
一体何用だろうか。
――こういう場合って、たいていろくな用事じゃないのよね
「すぐに行ってくれ」
急かす上司に、パレットは嫌な顔を隠しもしない。
「それって本当に私を呼んでいるのでしょうか」
「呼んでいるから言っているのだろう。
いいからとっとと行け!」
上司に怒鳴られ、パレットは渋々行くことにした。
「可愛気のない女め」
パレットは上司がボソッと呟いたのが聞こえた。
この小太り上司に可愛いなどと思ってもらわなくても結構だ。
パレットは領主館に勤めることになった時に入ったきりである、領主の執務室のドアをノックした。
「ドーヴァンスですが、お呼びと伺いました」
「入りなさい」
中から応答があったので、パレットはドアを開けた。
執務室にいたのは、痩せ気味な色白の領主様と、腰に剣を下げた立派な身なりの男だった。
プラチナブロンドの髪を短く切り揃え、肌は少し日に焼けている。
秀麗な面立ちをしていて、緑の瞳がパレットを見ている。
――王都の、騎士様?
男が身に着けている腰の剣と胸当てにある紋章に、パレットは男の身の上を思いついた。
「トラスト殿、このドーヴァンスが道案内をいたします」
「女性ではないですか。
荒事になるやもしれないのに、危ないですよ」
眉をひそめる男に、領主が笑いかける。
「大丈夫ですよ、なあドーヴァンス」
領主様が親しげに呼びかけてくるが、生憎数回顔をみたことのあるだけで、会話も交わしたことのない間柄なのだが。
それに話の内容もわからないパレットに、大丈夫だと断言されても困る。
――一体なんの話よ?
しかししがない会計事務のパレットに、会話に割ってはいることなど出来るはずもない。
せっかくの安定した仕事を、不興を買って失うわけにはいかないのだ。
「このドーヴァンスは王都からこの街まで旅をしてきた女ですので、足手まといにはなりますまい」
領主様がパレットの履歴書にある経歴を述べる。
旅と言っても乗合馬車に乗ってここまで来ただけである。
たいそうな大冒険をしたような言い方をされてはたまらない。
しかしここでもパレットは黙る。
「いいな?ドーヴァンス」
「……仕事ですから」
命令されれば頷くだけだ。
どんな仕事か説明がなくても。
急ぎの仕事だというので、パレットは身支度をするように命令された。
しかし大事なことがわかっていないので、身支度と言ってもなにをどうすればいいのだろうか。
にこにこ笑顔の領主様から追い立てるように執務室を出され、パレットは一緒に出てきた男を見上げた。
「あの、質問してもよろしいでしょうか?」
「なんでしょうか」
パレットの問いかけに、男はやわらかく微笑んでみせる。
その微笑のまばゆさにパレットは目を眇め、己のこめかみがひくりと引きつるのを感じた。
――これは、自分がどう見えているのか知っている顔だわ
そうでなければ、あからさまに嫌々である地味女に、振りまく愛想があるわけがない。
パレットが一番嫌いな人種だ。
不機嫌顔が漏れないように、パレットは無表情を作った。
「結局私は、どこでなにをするのですか。
なんの身支度が必要でしょうか」
「え、何も知らないのかい?」
驚く男に、パレットは冷静に答える。
「上司も先ほどの領主様も、何も説明してはいただけませんでしたから」
勤めて無表情のパレットに、男はため息をついた。
「それで君は、了承したの?」
「ただの文官に拒否権はありません。
クビは嫌ですから」
これでもし、犯罪をしろという内容の命令だったならば、パレットはここにいてはヤバイと思って逃げるだけだ。
「とりあえず、場所を移動しようか」
身支度のために、パレットの仕事は本日終了らしい。
なのでパレットは男と一緒に領主館を出て、近くの喫茶店に入った。
「いらっしゃいませ!」
店員の女の子が、三割り増し輝いている笑顔で応対した。
彼女の視界に入っているのは、男だけであろう。
それも仕方ない。
王都の騎士様となれば庶民の憧れである。
その上この男は容姿が優れている。
彼女の気合が入るのも頷けるというものだ。
「コーヒーをくれるかな」
「私も同じく」
注文をしてようやく、彼女に視界にパレットが入ったようだ。
ものすごい目で睨まれたが、パレットにどうしようもない。
店員が店の奥に下がったことで、男は改めてパレットを見た。
「自己紹介がまだだったね。
私はジーン・トラスト、王都で騎士をしている」
やはり王都の騎士だったらしい。
パレットは頷くだけで、ジーンという男に先を促す。
それにジーンは少し驚くようなそぶりを見せて、話を続けた。
「ここには探し物で来たんだ。
その道案内の人間を、領主殿にお願いしたんだけどねぇ」
ジーンが苦笑する。
――私の生まれも育ちも、ここじゃないんですが
パレットは領主様に物申したくなった。
探し物の道案内役に、よそ者を抜擢してはダメだろうに。
文句はあるが、領主様の思惑もわかってしまった。
――接待役に抜擢されたのか
港町アカレアは王都から離れており、王都の騎士がアカレアまで来ることなんて滅多にない。
王都の視察団がやって来るときの護衛で見かけるくらいだ。
なので領主様は騎士様の印象をよくしようと思ったのだろう。
騎士様に女をあてがっておけば間違いないと考えたのだろうか。
パレットだって、一応は女なのだから。
領主様の小物ぶりに、パレットは呆れてしまう。
それでもパレットの雇い主だ。
その思惑はどうあれ、仕事は真っ当しなければならない。
「それで、探し物とは?」
様々な罵倒の言葉を無表情に隠して、パレットは質問した。
「その前に、君の名前は?」
そういえば名乗っていなかった。
「失礼、パレット・ドーヴァンスです」
「そう、よろしくパレット」
ジーンににっこり微笑まれ、いきなり名前で呼ばれた。
なんなのだこの男、馴れ馴れしい。
「トラスト様の探し物とは……」
「ジーンで呼んで欲しいな」
パレットの無表情に一瞬ヒビが入る。
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