不機嫌な乙女と王都の騎士

黒辺あゆみ

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一章 月の花

7話 夜明け前

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あれから、魔獣はどうやらパレットたちを追いかけてはこないようだった。
 魔獣から無事に逃げおおせたところで、ジーンはようやく足を止めた。
ジーンは泉へ向かう途中、帰りに休憩する場所の目星をつけていたらしい。
抜け目ない男だ。
パレットは揺れから解放されて、地面に崩れ落ちるように倒れ込んだ。

「ここまで来れば、大した獣は出ない」
「あの、魔獣は……?」

息も絶え絶えなパレットだが、確認しておかねばならないことだ。
まるで死にそうな様子のパレットを、ジーンがちらりと見た。

「あの泉が最も月の魔力が満ちる場所なんだろう。
だから今夜はあそこから動かないさ」

一応、魔獣が追って来ない根拠はあるらしい。
これを聞いてようやくパレットは安堵のため息を吐いた。
 パレットを放ったままジーンは獣除けの香を焚き、小さな火をおこす。
パレットとしても一言文句を言いたい気持ちはある。
しかし泳いで疲れた上に、ジーンの肩に担がれて運ばれたせいで、少々具合を悪くしていた。
怒鳴りつける元気などあるはずもない。
 それでもジーンがおこした火が燃え出すと、パレットはその温かさにひかれるように、ズリズリと這うようにそちらに近づいた。

 ――ああ、あったかい

 パレットが火のぬくもりに癒されていると。

「ほらよ」

ジーンが自らの上着をパレットに投げかける。
パレットはそれをつかんだものの、ジーンがなにをしたいのかわからず首を傾げる。

「あんた、全身ずぶぬれだろう。
服は脱いで木の枝にでもかけておけ。
少しはマシになる。
その間それでも着てろ」

確かに、全身濡れそぼって冷たいし、ブーツは水が入ってビチャビチャと音がする。
森の中で一泊の野宿だったので、身軽にする意味もあって着替えなど持ってきてはいない。
このままだと確実に風邪をひくだろう。
脱いで絞って火のそばに当てておくだけでも、マシになるに違いない。

 ――でも私、こいつの前で裸になるの?

 服を脱ぐということは、すなわちそういうことだ。
パレットは羞恥で顔を赤くしていると。

「そんな貧相な身体、頼まれたって見ねぇよ」

ジーンはそう言って鼻で笑った。

 ――この男、デリカシーがない!

 パレットは腹を立てた勢いで立ち上がると、少し離れた木の陰に入る。
濡れた服のせいでだんだんと体が冷えてきているのは本当だ。
なので遠慮なく着替えることにした。
ああまで言ったのだから、覗きはしないだろう、たぶん。

「獣除けの香から離れるなよ」

とジーンから注意がとんできた。
 ぐっしょりと濡れて思い服をなんとか脱いでしまうと、パレットは素っ裸だ。
下着も当然濡れているが、これは固く絞っておくだけにした。

 ――森の中で全裸って、まるで私が変質者みたいじゃないの

 パレットはそう思うと恥ずかしくて、少々のためらいがあったもののジーンの上着を羽織った。
ジーンとの身長差も相まって、上着はパレットの膝上までを隠してくれた。
とりあえず全裸から脱却したパレットが脱いだ服を固く絞ると、ずいぶんたくさんの水が出た。
 パレットが絞った衣服を抱えて火のそばまで戻ると、ジーンがお湯を沸かしていた。

「服を貸せ、火の上にかけといてやる」

この申し出もありがたく受けた。
ジーンの上着で一応身体を隠せてはいるものの、服を枝にかけようとして背伸びなどしようものなら、際どいところが見えてしまうのだ。
その作業が終わると、ジーンは木製のカップに茶葉を入れてお湯を注ぐ。

「ほらよ、飲め」

そしてカップをパレットに渡した。
乱暴な入れ方だが、一応温かい飲み物を用意してくれたジーンに、パレットは頭を下げてカップを受け取る。

 ――ああ、生き返る……!

 温かい飲み物を口にしたことで、パレットは身体の芯が温まる気がした。
パレットがお茶を飲んでいる間に、ジーンが服を枝にかけてくれた。
 ジーンの上着に身を包み、膝をぎゅっと抱きしめるように座るパレットに、ジーンが話しかけた。

「あんた、案外根性あるな」
「……はい?」

唐突に言われたので、パレットはなんの話かわからない。

「正直、腰を抜かすか逃げるかと思った」

火を見つめたままそう話すジーンに、パレットは魔獣が出たときのことかと考えた。

「当初は冒険者や傭兵を雇うことも考えたが、奴らは噂好きだ。
騎士が月の花の蜜を欲していたという噂を流されて、変に勘繰られても困る」

危険がわかっていて、戦える人材を雇えなかったのにも理由があったようだ。
パレットが静かに話を聞いているので、ジーンも言葉をつづけた。

「それで表向きの理由を作って、ここの領主に人を出してもらうことにしたんだ。
国王からの命令書を見せれば、領主は深く追及はできない。
兵士を一人貸してくれればいいと頼んだというのに。
文官の、しかも女をつけやがってあの野郎」

ジーンは話していて怒りを思い出したのか、手元にある小石を拾って火の中に投げる。
火がバチンと音をたてて小さくはぜた。
ジーンもどうやら、パレットに無茶を言っているという自覚はあったらしい。

 ――帰ったら絶対、たっぷりと特別手当をはずんでもらおう

 この苦労が全て領主様がパレットを選んだせいだとわかった以上、泣き寝入りは嫌だ。
パレットが決意を固めていると、ジーンはため息をついた。

「けどあんたは月の花の蜜を、ちゃんと採ってきた。
すぐ近くに魔獣がいるなんて怖かっただろうに」

パレットは目を瞬かせてジーンを見た。
思い返すと、初めてジーンにいたわってもらった気がする。

「仕事ですから」

それがなにやらくすぐったくて、パレットはそっけなく返したのだった。
 お茶を飲んで気分が落ち着いたパレットは、気になることを聞いてみた。

「最後に光ったあれは、なんだったんですか?」

パレットの質問に、ジーンは微妙に嫌そうな顔をした。

「あれは、城の魔法士が旅の餞別にくれたものだ。
試作品の魔法具らしくてな、使い捨てて構わないと言われた」
「魔法具……!」

魔法具は魔法士が作る魔法を込めた道具のことだ。
魔法士の数が少ないこの国で、魔法具はとても貴重で高価なものだ。
その上あれは攻撃用の魔法具に思えた。
それを使い捨てるなど、下手すると庶民の一生分の稼ぎが、あそこで使い捨てられたことになる。
 顔を引きつらせるパレットに、ジーンが大きく息を吐いた。

「ロクな装備も持たされていない、哀れな騎士への恵みの品だそうだ」

ジーンの棘のある口調に、その魔法士と仲が良くないのかもしれない、とパレットは予想する。

「でも、あの魔法具のおかげで、こうして逃げられたんですし」
「ふん、ちっとは感謝しなくもないな」

ジーンが不満げに鼻をならした。
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