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五章 ソルディング領
38話 出張依頼
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ジーンの屋敷が貴族の子供の秘密の集い場と化して、二カ月が過ぎた。
その頃になると、パレットも休日の朝から子供の声に起こされることに慣れてきた。
だがたまに、大人を連れていない子供が混じることがある。
こんな時のその子供の扱いは、子供たちの間で話をつけているようだ。
そのような場合は、アニタはなにも口を挟まず、子供たちの結論を待っているらしい。
「ひょっとしたら、派閥の違う貴族の子供なのかもな」
ジーンがアニタからこの話を聞いてそう予想していたが、おおよそ外れてはいないだろうとパレットも思う。
アニタが言うには、子供たちが考えた決まり事で、「この家の中では貴族ではない」のだそうだ。
幼い彼らなりに、どうすればみんなで仲良くできるのか考えているのだろう。
そのようにして過ごしていたある日、パレットは職場で、室長に声を掛けられた。
「パレット、コルニウス様がお呼びだ」
「コルニウス様、ですか?」
知らない名前を聞かされて、パレットは困惑する。
「おや、君は会ったことがなかったのか」
室長の方でも、パレットがコルニウスなる人物を知らないと思わなかったようで、軽く驚いていた。
「アレイヤード・コルニウス様は騎士団の副団長殿で、実質騎士団を取り仕切っておられる方だ」
室長にそう説明されて、パレットにも相手が誰なのかようやく理解できた。
――ああ、ジーンの上司!
だがすぐに新たな疑問に突き当たる。
その騎士団の副団長様が、パレットになんの用事があるというのだろうか。
パレットは首を捻りながら、アレイヤードが待つとされる部屋に向かった。
「失礼します、パレット・ドーヴァンスですが。
お呼びと伺いました」
パレットが名乗ると、入室の合図があったのでドアを開ける。
室内に入って正面に座っている中年の男が、恐らくアレイヤード・コルニウスであろう。
細身ながらも引き締まった体つきが、服の上からも見て取れた。
なるほど騎士の伝統を守る家というのも頷ける、全身から威圧感の漂う男である。
そしてその傍らに、ジーンの姿があった。
今日は王子様に付いている日ではないらしい。
ジーンはパレットが現れたのを見ても、特に驚く様子はない。
パレットがアレイヤードの机の前に立つと、ジーンもパレットの隣に並んだ。
「始めましてだな、女性文官殿。
私が騎士団副団長のアレイヤード・コルニウスだ」
「あ、はい。
よろしくお願いします」
相手に名乗られ、パレットは慌ててお辞儀をする。
アレイヤードの正面に立つと、より威圧感が増す気がする。
パレットは緊張のせいか、口の中が渇いて仕方がない。
アレイヤードはパレットを観察するような視線を向けながら、口を開いた。
「君に頼みたいことがある」
早速本題に入ったアレイヤードに、パレットは背筋を伸ばす。
――騎士団を実質的に動かしている人が、一介の文官になんの頼みかしら?
疑問に思いつつも息をのむパレットに、アレイヤードが告げた。
「そこのジーンと二人で、ソルディング領へ行ってもらいたい」
パレットは言われたことに驚いて、隣に立つジーンをちらりと見た。
「ソルディング領、ですか……」
戸惑うパレットに、アレイヤードは続ける。
「君とジーンに、ソルディング領の現状を庶民の視線で見てきてもらいたいのだよ」
「……はぁ」
パレットは思考が追い付かず、生返事を返す。
――庶民の視線で、ねぇ?
一体なにが目的で、そのようなことをしなくてはならないのだろうか。
疑問顔のパレットに、アレイヤードが視線の圧力を少々和らげた。
「あまり大仰に受け取らないで欲しいのだがね。
君もジーンも、実によく働いてくれていると聞いている。
なのでこれはいわば、長期休暇の一環なのだよ」
「休暇……ですか」
パレットは戸惑う。
休暇という言葉は魅力的だが、その行き先がよろしくない。
というのも、ソルディング領は観光に適した領地ではない。
国内でも、どちらかと言えば地味な部類に入る領地なのだ。
――どうしてソルディング領?
口にできない不満を、パレットは脳内で呟いていたが。
「詳しい資料はこちらに纏めてある。
読んだ後は処分してくれ」
アレイヤードはそう言って、机の上に紙の束を置く。
その紙束と、己の正面で笑みを浮かべているアレイヤードを見比べて、パレットは眉間にぎゅっと皺を寄せる。
――これって、危ない仕事とかじゃなでしょうね?
そんな不安に襲われたパレットに、アレイヤードがさらに追い打ちをかけた。
「ああ、旅先で羽を伸ばせるよう、身分証はこちらで別に用意する。
二人は国境の街から仕入れを終えて戻る、商人夫婦ということになっている」
「はぁ!? 夫婦っ!?」
パレットは思わず驚きを口にしてしまう。
その剣幕に、アレイヤードが少し仰け反る。
パレットの隣から、ジーンが咳払いをしてわき腹を肘で突いてきた。
「なにか、問題でも?」
「問題って、問題は、いえ、ない……です」
パレットはしどろもどろながら、かろうじてそう答えた。
最近の自分には、なにか「夫婦」の呪いがかかっているのだろうか。
やたらとこの言葉が襲い掛かるのだが。
***
「ジーン、お前はパレット嬢に嫌われているのかな?」
パレットが退室した後、アレイヤードがそんなことを言ってきた。
「何故でしょうか?」
ジーンが笑顔で問い返すと、アレイヤードは困ったような顔をする。
「何故って、あんなに壮絶に嫌そうな顔をされてはなぁ、ちょっと気の毒というか」
誰に対して気の毒なのか、アレイヤードは敢えてぼかした。
確かにパレットは、話の途中までは不満そうにしながらも素直に聞いていた。
しかし「夫婦という設定で」とアレイヤードが口にしたとたんに、最高に嫌そうな態度を見せた。
パレットという女性は、良くも悪くも、非常に割り切った考え方をする人物だ。
度重なる不運がそうさせたのだろうが、たいていのことは「仕方がない」と諦めてしまう癖がある。
不満を全て飲み込んで、眉間に深く皺を寄せた顔で頷くのだ。
それが最近、パレットはおかしな場面で感情を露わにする。
――なんかあいつ最近、妙にぐるぐる考えてるんだよな。
あれはいつからだったか。
そう、王子殿下が魔獣の子を追い回すようになってからだ。
屋敷での食事時に、思い詰めた顔をしてジーンと戯れる魔獣の子を見つめていることがある。
「ジーン、女性に対して誠実にしていないと、後で痛い目を見るよ」
「失礼なことを言わないでください、私は誠実です。
それに誤解があるようですが、パレットとは男女の関係ではありません」
ジーンはしかめ面をして、アレイヤードに反論する。
最近よくこの議論をしている気がする。
実はジーンは今朝方、母親からも問い詰められた。
『ジーン、パレットさんにおかしなことをしていないでしょうね?』
母親にも信用されていない。
自分は誓って潔白だというのに、みんなしてひどい話だ。
笑顔の裏で恨み言を連ねるジーンに、アレイヤードが告げた。
「それはともかく。
よろしく頼むぞ、ジーン」
「……はぁ、仕事とあらば」
ジーンは不承不承頭を下げた。
その頃になると、パレットも休日の朝から子供の声に起こされることに慣れてきた。
だがたまに、大人を連れていない子供が混じることがある。
こんな時のその子供の扱いは、子供たちの間で話をつけているようだ。
そのような場合は、アニタはなにも口を挟まず、子供たちの結論を待っているらしい。
「ひょっとしたら、派閥の違う貴族の子供なのかもな」
ジーンがアニタからこの話を聞いてそう予想していたが、おおよそ外れてはいないだろうとパレットも思う。
アニタが言うには、子供たちが考えた決まり事で、「この家の中では貴族ではない」のだそうだ。
幼い彼らなりに、どうすればみんなで仲良くできるのか考えているのだろう。
そのようにして過ごしていたある日、パレットは職場で、室長に声を掛けられた。
「パレット、コルニウス様がお呼びだ」
「コルニウス様、ですか?」
知らない名前を聞かされて、パレットは困惑する。
「おや、君は会ったことがなかったのか」
室長の方でも、パレットがコルニウスなる人物を知らないと思わなかったようで、軽く驚いていた。
「アレイヤード・コルニウス様は騎士団の副団長殿で、実質騎士団を取り仕切っておられる方だ」
室長にそう説明されて、パレットにも相手が誰なのかようやく理解できた。
――ああ、ジーンの上司!
だがすぐに新たな疑問に突き当たる。
その騎士団の副団長様が、パレットになんの用事があるというのだろうか。
パレットは首を捻りながら、アレイヤードが待つとされる部屋に向かった。
「失礼します、パレット・ドーヴァンスですが。
お呼びと伺いました」
パレットが名乗ると、入室の合図があったのでドアを開ける。
室内に入って正面に座っている中年の男が、恐らくアレイヤード・コルニウスであろう。
細身ながらも引き締まった体つきが、服の上からも見て取れた。
なるほど騎士の伝統を守る家というのも頷ける、全身から威圧感の漂う男である。
そしてその傍らに、ジーンの姿があった。
今日は王子様に付いている日ではないらしい。
ジーンはパレットが現れたのを見ても、特に驚く様子はない。
パレットがアレイヤードの机の前に立つと、ジーンもパレットの隣に並んだ。
「始めましてだな、女性文官殿。
私が騎士団副団長のアレイヤード・コルニウスだ」
「あ、はい。
よろしくお願いします」
相手に名乗られ、パレットは慌ててお辞儀をする。
アレイヤードの正面に立つと、より威圧感が増す気がする。
パレットは緊張のせいか、口の中が渇いて仕方がない。
アレイヤードはパレットを観察するような視線を向けながら、口を開いた。
「君に頼みたいことがある」
早速本題に入ったアレイヤードに、パレットは背筋を伸ばす。
――騎士団を実質的に動かしている人が、一介の文官になんの頼みかしら?
疑問に思いつつも息をのむパレットに、アレイヤードが告げた。
「そこのジーンと二人で、ソルディング領へ行ってもらいたい」
パレットは言われたことに驚いて、隣に立つジーンをちらりと見た。
「ソルディング領、ですか……」
戸惑うパレットに、アレイヤードは続ける。
「君とジーンに、ソルディング領の現状を庶民の視線で見てきてもらいたいのだよ」
「……はぁ」
パレットは思考が追い付かず、生返事を返す。
――庶民の視線で、ねぇ?
一体なにが目的で、そのようなことをしなくてはならないのだろうか。
疑問顔のパレットに、アレイヤードが視線の圧力を少々和らげた。
「あまり大仰に受け取らないで欲しいのだがね。
君もジーンも、実によく働いてくれていると聞いている。
なのでこれはいわば、長期休暇の一環なのだよ」
「休暇……ですか」
パレットは戸惑う。
休暇という言葉は魅力的だが、その行き先がよろしくない。
というのも、ソルディング領は観光に適した領地ではない。
国内でも、どちらかと言えば地味な部類に入る領地なのだ。
――どうしてソルディング領?
口にできない不満を、パレットは脳内で呟いていたが。
「詳しい資料はこちらに纏めてある。
読んだ後は処分してくれ」
アレイヤードはそう言って、机の上に紙の束を置く。
その紙束と、己の正面で笑みを浮かべているアレイヤードを見比べて、パレットは眉間にぎゅっと皺を寄せる。
――これって、危ない仕事とかじゃなでしょうね?
そんな不安に襲われたパレットに、アレイヤードがさらに追い打ちをかけた。
「ああ、旅先で羽を伸ばせるよう、身分証はこちらで別に用意する。
二人は国境の街から仕入れを終えて戻る、商人夫婦ということになっている」
「はぁ!? 夫婦っ!?」
パレットは思わず驚きを口にしてしまう。
その剣幕に、アレイヤードが少し仰け反る。
パレットの隣から、ジーンが咳払いをしてわき腹を肘で突いてきた。
「なにか、問題でも?」
「問題って、問題は、いえ、ない……です」
パレットはしどろもどろながら、かろうじてそう答えた。
最近の自分には、なにか「夫婦」の呪いがかかっているのだろうか。
やたらとこの言葉が襲い掛かるのだが。
***
「ジーン、お前はパレット嬢に嫌われているのかな?」
パレットが退室した後、アレイヤードがそんなことを言ってきた。
「何故でしょうか?」
ジーンが笑顔で問い返すと、アレイヤードは困ったような顔をする。
「何故って、あんなに壮絶に嫌そうな顔をされてはなぁ、ちょっと気の毒というか」
誰に対して気の毒なのか、アレイヤードは敢えてぼかした。
確かにパレットは、話の途中までは不満そうにしながらも素直に聞いていた。
しかし「夫婦という設定で」とアレイヤードが口にしたとたんに、最高に嫌そうな態度を見せた。
パレットという女性は、良くも悪くも、非常に割り切った考え方をする人物だ。
度重なる不運がそうさせたのだろうが、たいていのことは「仕方がない」と諦めてしまう癖がある。
不満を全て飲み込んで、眉間に深く皺を寄せた顔で頷くのだ。
それが最近、パレットはおかしな場面で感情を露わにする。
――なんかあいつ最近、妙にぐるぐる考えてるんだよな。
あれはいつからだったか。
そう、王子殿下が魔獣の子を追い回すようになってからだ。
屋敷での食事時に、思い詰めた顔をしてジーンと戯れる魔獣の子を見つめていることがある。
「ジーン、女性に対して誠実にしていないと、後で痛い目を見るよ」
「失礼なことを言わないでください、私は誠実です。
それに誤解があるようですが、パレットとは男女の関係ではありません」
ジーンはしかめ面をして、アレイヤードに反論する。
最近よくこの議論をしている気がする。
実はジーンは今朝方、母親からも問い詰められた。
『ジーン、パレットさんにおかしなことをしていないでしょうね?』
母親にも信用されていない。
自分は誓って潔白だというのに、みんなしてひどい話だ。
笑顔の裏で恨み言を連ねるジーンに、アレイヤードが告げた。
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