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第三部 お腐れ令嬢

Episode47.なんじゃこの女は!?

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(結局、昨日は何もせずにあやつは帰ったな)

 新しくやってきたロサミリスという伯爵令嬢は、人形を浮遊させてリリアナの興味を引いたそのあと、「日を改めさせていただきますわ」と宣言して部屋から立ち去った。

(改める? あやつは一体何を言っておるのじゃ)

 恐る恐る布団から顔を出して、辺りを確認した。
 窓の外には明るみがかった空が広がっていて、まだ陽が昇っていない時間帯だと悟らせる。勤勉な侍女であれば陽が昇る前に活動を始めるものだけれど、今のリリアナの専属侍女は遅い。そもそもリリアナが専属侍女を拒絶しているため、遅くても何ら咎められる理由はないのだけれど──

(おかしい。扉の前に誰かいるぞ)

 こんな朝早い時間に、主人の朝の支度を待つために誰かが扉の前に立っている。

(…………え。うそじゃろ)

魔法の才能に富み、他者の感情を機敏に感じ取れるリリアナは、たとえ目隠しされていたとしても、数メートル先に誰がいて、どんな感情を抱いているのか判断が可能だ。一度認識した相手の魔力の色、波形は絶対に忘れないため、扉の前に立っているのが昨日やってきた黒髪の伯爵令嬢だという事が分かった。

専属侍女ベルベリーナだってこんな時間に来ないぞ!!)

 リリアナは私室の扉を大慌てで開け放った。

「おい! 何をしているのじゃ」
「おはようございます。リリアナ様」

 優雅に一礼したロサミリスは、昨日とうってかわって、まるで皇宮付きの侍女のような恰好をしていた。伯爵家の、それも未来の公爵夫人となるような令嬢が着用するものではない。

「皇宮の朝は冷えますのね。リリアナ様がいつ起きていらっしゃるか分からなかったので、一時間ほど前からここで立って待っておりました。──こんなことなら腹巻きでも巻いてくればよかったですわ」
「い、一時間っ!?!?」
「はい。なにか問題でもございますか?」
「問題おおありじゃ! 凍え死にたいのか!?」
「まあ、わたくしを気遣ってくださるのですね! 昨日のリリアナ様のご様子だと『貴様が凍え死んだところでわらわは気にせん!』とでも言うかと思いましたのに」
「なっ!?」

 朗らかに笑うロサミリスに、リリアナはあんぐりと口を開けた。確かに拒絶したのは事実であるし、誰とも口をきかないと心に決めていたけれど、それとこれとは訳が違う。

「と、と、とにかく部屋に入れ!」
「お気遣い感謝いたしますわ」

 一礼したロサミリスを招き、部屋のなかへ。
 ただ、どうすればいいか分からず、リリアナは視線を左右にさ迷わせた。

「リリアナ様の普段の起床時間は?」
「こんな早い時間に起きるわけなかろう…………おぬしのせいで目が覚めた」
「では、『目が覚めたからもう一度寝よう』などとは思わず、扉の前で立つわたくしの体を心配して、わざわざ身を起こしてくださったのですね。お優しいのですね、リリアナ様」
「ポジティブ思考過ぎじゃないかおぬし!?」
「辛い事がありすぎると人は強くなるものですよ?」
「なんかすっごい重みを感じるぞ」
「まあそんな些末な事は置いておきまして、リリアナ様はまだ眠いでしょう? 目が覚めたのなら寝かしつけてさしあげますわ」
「よい。そんなお子ちゃまな年齢じゃない」
「そうですか。ではベッドの傍で見守っておりますので、リリアナ様はどうぞそちらへ」

 本当に何故だろう。
 ロサミリスと喋ると絶対にペースを奪われる。なのに嫌な感じは全くないのが不思議だ。

(いや、騙されない。わらわの周りは敵だらけ……)

 ベッドに入ると、ロサミリスは布団をかけてくれた。
 一瞬だけ嬉しさを感じてしまって、「違う違う」とリリアナはかぶりを振る。

「おやすみなさいませ」

 あの時だって、期待して裏切られたのだから。


 ◇


 数時間後、目が覚めるとベットの傍にロサミリスがいなかった。
 ほらやっぱりな、と、リリアナは己に言い聞かせる。

(期待すれば裏切られる。期待するだけ無駄なんじゃ……)

 例えばもし、あの高潔そうな黒髪令嬢がこのあと部屋に戻ってきて、少しでも媚びへつらうような顔をしてきたら。
 ニコニコ笑顔で「今日から私たちはお友だちよ」と言ってきたあの令嬢達と同じ、リリアナを一人の女の子ではなく、都合のいい皇女として見てきたら。
 そしたら今度こそ、リリアナの心は木っ端みじんに砕けるだろう。
 リリアナはそうならないために、自己保身の一環としてロサミリスに嫌がらせをすることにした。

(これ以上期待したくない。じゃから、わらわがあやつを信頼しきる前に……いっそこっちから……)

 リリアナは自室の机の引き出しを開けた。
 そこには、昨日に入手したばかりの「生きた虫」たちがいる。お友だち候補などと言われて召し上げられた貴族令嬢を、この手段を使って追い返したことも何度もある。

 女性はみんな苦手なのだ。
 お高く止まっている貴族令嬢なら、なおさら虫が苦手だろう。

 リリアナはさっそく机の上に蠢く虫たちを置き、ハンカチで丁寧に包んだ。

(ふっ。これであやつも逃げ帰るに違いない!)

 リリアナはにやにやしながらベッドに潜り込んだ。
 数分と経たぬうちに扉が開かれて、ロサミリスが入って来た。

(おっ!)

 部屋に戻ってきてくれて、ちょっぴり嬉しさを抱きつつ、罠にかかるのを今か今かと待つ。
 ロサミリスはすぐ机の上に置かれたハンカチに気付いたが、皇女の私物に勝手に触ろうとはしない。

(ぬ……あやつは触らんのか)

 仕方なくハンカチを取ってくれとロサミリスに命じる。わざとらしすぎて、何だか恥ずかしくなってきた。

「ハンカチ…………開いてみてもよろしいですか?」
「ああ」

(くくっ。叫ぶぞ、叫ぶぞっ! 澄まし切ったあの顔が驚愕に満ちるその様を、特等席から拝んでやろう……!!)

 もぞもぞと移動して顔が見える位置へ。
 ちょうどロサミリスがハンカチを開いているところだった。

「なんと可愛らしいダンゴ虫さん!」
「え」

(え?)

 ────いま、彼女はなんと言った?

(だ、ダンゴ虫さん…………?)

「素晴らしいですわリリアナ様。これはもしかしてプレゼントでしょうか。ありがとうございます。ダンゴ虫さんのプレゼントは刺激的かつ前衛的と思いますが、それよりもリリアナ様の笑顔などがよいですわね」
「嫌がらせが全然通じてない、じゃと……ッ!?」
「嫌がらせ……? もしかして、ダンゴ虫さんをプレゼントすれば悲鳴をあげて逃げると思われたのですか? わたくしに嫌がらせをしたいのなら、獅子でも連れて来て襲わせるくらいはしていただかないと」
「嫌がらせの範疇を超えてるじゃろそれ!?」

 盛大にツッコんでしまう。
 ロサミリスは再び虫たちをハンカチで包むと、部屋の外へ持っていってしまった。
 何をするのだろうと、思わずリリアナは外を見つめる。

「中庭へお帰り。ここはおまえたちが棲む場所ではないのよ」

(帰した!?!?)

 再び部屋に戻って来たロサミリスは、いつどこで用意したのか、紅茶道具一式が机に並べられていた。何だかいい匂いがするなと思ったら、焼き立てのクッキーまである。

「クッキーはニーナわたくしの侍女が、紅茶はわたくしが淹れました。茶葉はラティアーノ領内で取引されているブランドもの、渋みが少なくフルーティな味わいのものを選びました」
「でもこれ……いつ焼いたんじゃ!?」
「昨晩です。我がラティアーノ家と取引のある喫茶店で厨房をお借りし、一昨日の内から準備をさせました。毒見役ならわたくしが行いますので、ご心配なさりませんよう。──ああ、念のため申しておきますがこれも実施することは、事前に陛下に通達済みですわ」

 あまりの手際の良さに、リリアナはしばらく放心していた。

「毒見の時間は何分ほどがよろしいですか?」
「…………」
「リリアナ様?」
「……いや、よい。おぬしを信じる」
「それはよかったですわ。出来れば、作りたてを召し上がっていただきたかったので」

 毒見せずに食べようと思ったのは、罪悪感を覚えたからだ。
 彼女を追い出すために嫌がらせをしても、全然効いてなくて。
 それどころか、もてなそうとする心まである。

「熱々ですから、気を付けてくださいませ」

 紅茶を飲むマナーなんて知らなくて、ふーふーと紅茶に息を吹きかけたのに、ロサミリスは柔らかな眼差しを向けてくる。

 いつだったか、母が淹れてくれたお茶の事を思い出した。
 母は甘いものがとにかく好きで、紅茶に角砂糖を何個も入れるような甘党だった。

 母を真似して、リリアナも紅茶を飲むときは砂糖を多く入れる。飲み過ぎると体に毒だからと飲むのを止められ、頬を膨らませて拗ねた事もあった。

(全然、味が違うのに……………)

 ロサミリスの『色』は、母ヨルニカと同じ色。
 優しく温かく、芯の強い色だ。
 だからだろうか。
 紅茶を飲んで、亡くなった母のことを思い出したのは。

「あったかくて美味しいでしょう? お腹が空いていたら、クッキーも召し上がってくださいませ」
「…………うん」

 小さな体に今まで押し留められてきた感情が、あふれ出したかのように。
 リリアナの頬には、一筋の涙が流れていた。



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