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第三部 お腐れ令嬢
Episode72.家族
しおりを挟む儀式当日の昼──
中々呪いの事を家族に打ち明ける事が出来なかったけれど、一大決心したロサミリスは、家族で一番を見ていると言っても過言ではないサヌーンに、まず話す事にした。
なんでもっと早く相談しなかったんだと言われるかもしれない。
びくびくしながら反応を待っていたロサミリスだったけれど、サヌーンは優しげな微笑を浮かべていた。
「うん、ようやく言ってくれたね」
「ようやく?」
「あぁでも、呪いを持ってることはロサに言われるまで分からなかったさ。分かっていたのは、ロサが何かに悩んで行動しようとしていたこと。それくらいは俺でも分かる。自分から悩みを打ち明けてくれない限りは、聞かないでおこうと思ったんだよ。ロサには婚約者もいるしね」
頭二つ分高い兄の顔を、ロサミリスは目を点にして見上げる。
年頃の令嬢が見たら卒倒してしまいそうな、蕩けるような優しい表情だった。
「い、いつからですか?」
「最初から」
「最初というと……?」
「ロサが俺に魔法武術を習いたいって言った頃から」
──最初過ぎるのでは。
(わたくしってそんな分かりやすい人間だったのかしら…………家族に迷惑かけないで頑張ろうと思ってたのに、言わなかったことで余計に心配されてたってこと?)
何だか今まで必死に隠そうとしていたことが猛烈に恥ずかしくなってしまい、穴があったら入りたい気持ちになった。
「俺はロサのお兄様だからね。ロサがロサなりの考えで家族に言わなかったのも、理解できる。そりゃ相談してくれた方が嬉しかったけど、家族に言う事で騒ぎが大きくなった可能性もある。俺はともかく、親父はああ見えて小心者だから娘がそんな状態って知ったらパニックになるんじゃないかな」
体格もよくどっしりしているロサミリスの父ロードステアは、武人の典型と言われるほどに寡黙で堅物。
その見た目から家庭の事は見ていなさそうと言われるけれど、父はああ見えて家族の写真をロケットペンダントに入れて持ち歩いているほど、家族に情の深い人物だ。
父ならば、自分が持ちうる全ての人脈を使って何とかしようと行動してくれるだろうけれど、それが仇になる可能性もある。例えテオドラを発見出来たとしても、ロサミリスに出会うまでずっと「死にたい」と連呼していたテオドラが「無骨な父ロードステア」に協力してくれたかというと、おそらくノーだ。
「ほら、次に行くところがあるだろう?」
「え、どうして分かったのですか」
「悩み事は親より先に兄妹に聞くって相場が決まっているからね」
サヌーンに頭を撫でられる。
嬉しいような、未だに子ども扱いされて怒りたいような、変な気分になった。
「今なら二人とも揃ってるよ」
サヌーンにお礼を言ってから、ロサミリスは両親をラウンジに集めた。
そして事の顛末を話す。
触れたものや人を腐らせる呪いのこと、呪いを解くための儀式を今日行うこと。
母リーシェンはとても静かに、父ロードステアは床を一点に見つめて話を聞いていた。
「あなたが一人、何かに悩んでいるのは気付いていました」
ぽつりとそう言ったのは、長い黒髪をハーフアップで纏めた母リーシェン。
瞳を細めて、ロサミリスのほうに手を伸ばす。
「今まで一人で、よく頑張ってきましたね」
ロサミリスが感じたのは、リーシェンの温もりだった。
自分が抱きしめられているのだと分かり、ハッとする。手袋を嵌めているとはいえ、もうこの手は危険な、人や物を腐敗させるものなのだ。
「お母様……ダメです……」
声が震える。
手が、母の体に当たらないようにするので精いっぱいだった。
離れようとするロサミリスの体を、リーシェンが強く抱きしめる。幼子をあやすように優しく手が動いた。
「いいえ、放しません。恐怖で震える娘を、どこの母親が放っておけると言うのでしょう」
慈しみに満ちたリーシェンの声に、ロサミリスは涙が出そうになっていた。
前世の記憶が、蘇った。
前世の婚約者から婚約破棄を言い渡され、家族から冷たくあしらわれる様になった。家格が落ちたと嘆く父に、何もかもおまえのせいだとヒステリックに叫ぶ母。歳の離れた兄には「無能な妹」だと唾を吐きかけられ、なんとか家の役に立ちたいと思って社交界の場に出席した。
ただそのときにはもう、手は呪いに侵されていた。
どうしたらいいのか分からず、誰にも相談できず、殿方とダンスも踊れない。もう縁談に失敗できない重圧と呪いの恐怖とで板挟みになって、心がぐちゃぐちゃだった。
紳士にダンスに誘われた際に、上手く断ることが出来ず、手を重ねてしまった。相手の手袋は一瞬で溶け、手も強い酸でもかけられたかのように爛れている。優しく穏やかだった紳士の顔は途端に恐怖で青ざめ、悲鳴を上げて彼は逃げていった。
夜会で暇を持て余していた貴族令嬢たちがその様子を見ていて、ここぞとばかりに責め立てた。
『それはいったい何の魔法かしら』
『気味が悪い』
『そういえばあなた、シリウス様の元婚約者の方よね』
いいネタを掴んだと彼女たちは笑う。人目のつかない場所に連れ出され、着用していた装飾品を全て奪われた。泣きそうになりながら返してくださいと言えば、彼女たちは『くれるんでしょう? 伯爵家はお金持ちですものね』とクスクス笑う。挙句の果てドレスを脱がされそうになって、恐怖心からその場を逃げ出した。
『これからお腐れ令嬢と呼んであげる』
『次はもっといい装飾品を持ってきてね』
『待ってるわよ、お腐れ令嬢さん』
家に帰っても居場所はない。
夜会に行っても居場所はない。
手には恐ろしい呪いが宿っている。
たった一人だけいた大親友に、勇気を持ってこのことを打ち明けた。
彼女は位の低い貴族だったけれど、とても優しくていい子だった。お腐れ令嬢と呼んでくる意地悪な子たちに本気で怒ってくれて、これからどうしようかと一緒に考えてくれる。そばかすまじりの顔に綺麗な金髪がチャームポイントで、彼女といるときだけは心が安らいだ。
だから、なのだろうか。
秘密を打ち明けてしまったから、それとも彼女といると安心して呪いの恐ろしさを忘れてしまったからだろうか。
呪いを宿した手がいつのまにか彼女の手に触れていて、大親友は一瞬で死んでしまった。
ロサミリスという生を受けた今世では、婚約者のジークを始めとして周りの人が驚くほど優しかったこともあり、辛いと思ったことは一度もなかった。
温かな母リーシェンの体温に包まれながら、けれどもロサミリスはそのとき、腑に落ちた。
ああ、今までずっと一人で辛かったのだと。
何よりも母が、『お腐れ令嬢』として生きた前世も含めて、六度分の人生すべて一人で頑張って生き抜いたことを、辛かったねと言ってくれた。
押し殺してきた感情を。
誰よりも先に母が受け止めたくれた事実が、ロサミリスにとって嬉しくて。
「泣いているのですか、ロサ」
「涙……ではありません。目にゴミが入っただけですわ」
「強情。あなたはそうやって、婚約者にもそんな態度を取っているのでしょうね」
優しく頭を撫でてくれる母。
ロサミリスは強引に目に浮かんだ水を腕で擦った。
「ジーク様に迷惑はかけられません」
「女は度胸と愛嬌よ。ロサ、あなたは肩ひじを張らない関係が大事だと他人に勧めておきながら、自分は例外だと言い張るの?」
「だって……」
確かにそんなことを、ビアンカお義姉様に言ったことがあるわ、とロサミリスは思った。
「そうやってすぐ自分の事を顧みないのは、悪い癖ね。もっとジーク君に甘えてきなさい。いつもは凛々しい恋人が、不意に見せる甘えん坊な部分に殿方は弱いのよ。堅物父を攻略した母からの貴重なアドバイスだからね」
「お父様が?」
元武人らしく厳めしい顔立ちで、白髪をきっちりオールバックで固めている父に、そんな惚気話があったとは思わなかった。
「母との約束よ。せめてジーク君には甘えてきなさい」
むにっ、と頬を両手で押される。
相変わらず気迫の強さで、押し負けてしまった。
「は、はい……」
「よろしい」
リーシェンが父ロードステアの顔を見る。
父はわざとらしく咳ばらいをした。
「あぁ…………その、なんだ。俺もリーシェンも、ロサから秘密を打ち明けてほしかったのは事実だが、ロサにもロサなりの考えがあるのだろう。おまえもこの家から巣立ち、ロンディニア公爵家に嫁ぐ身だから……」
「もうあなた! しっかりなさって!!」
「いでっ!」
ごにょごにょと歯切れの悪い態度に、リーシェンがロードステアの背中を思いきり叩いた。もう一度咳ばらいして、ロードステアが背筋を伸ばす。頬が少し赤くなっていた。
「……もっと私達を頼っていいのだぞ。公爵夫人となった後でも、ロサは私たちの大切な娘だ」
「お父様……」
「もう違うでしょ。頼るのはわたし達じゃなくてジーク君のほうですよ」
「ふんっ。まだまだあの男は青二才だ。娘を任せるにはまだ早い」
「もうっ、これだから親バカは……」
呆れたリーシェンが、ふふっと笑う。
「ロサ。あなたの呪いは、あなたとジーク君の二人で乗り越えられると信じています。でも何かあった時、困った時、不安な時は、ぜひ私たちを頼ってちょうだいね? ロサは何歳になっても、私たちの大切な娘なのよ」
母の微笑みに、とてつもない勇気をもらった。
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