7年目の本気

NADIA 川上

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第2章 東京編

レッスン

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 『ジゼル』の本格的稽古が始まるまで薫は九条が
 所属するWDC(ワールド・ダンス・カンパニー)の
 レッスンへ特別参加している。
 
 『ジゼル』は長期充電期間と称して
 久しくステージから遠ざかっていたWDCの
 看板スター・九条勇人が主演するとなって、
 話題性はもとより、同時期に開幕する演劇の中で
 ダントツの集客率が予想されていた。

 そんなスター団員と一緒のレッスンは同じ団員と
 いえども、気分が高揚し誰でもかなりの
 ハイテンションになる

 それが、集客率のカギを握る主役なら尚の事だ。   

 いつにも増して緊張感の漂うレッスン室で行われる
 バーレッスンに、道路の渋滞でほんのひと足
 出遅れてしまった薫に、きつ~い視線と
 たっぷりの嫌味を容赦なくぶつけて来たのは ――。
   
 
「ほ~う……初日から堂々の重役登板とはいい根性
 してんな、さすが女王様だ」


 九条勇人だった。
 

「イ、イェ、それほどでも……」

「オレが新入りの頃は誰よりも先に来てまず、
 稽古場の掃除から始めたもんだがなぁ」


 ”だから何だってのよ”という意を込めた視線で、
 負けん気が強い薫は勇人を見返す。


「あ~っ?? 何か文句でもあるんか?」


「とんでもない」


 (ポスター撮りの時とはえらい違いだわ……
  感じわるっ)


「勇人、文句は後にしろ」


 と、このバレエ団の主席振付師も務める宗方に
 言われて。 
 勇人はしばらくどうにも気に喰わないといったような
 表情でいたが薫の元から離れ。
 自分もバーの定位置に着いて、深呼吸をした後、
 つま先を揃えて前へ向け・ぴったりと左右の足を
 くっ付け、俗に言う6番ポジションで立つ ――
 頭頂・耳たぶ・肩・股関節(腰)・お皿の内側・
 くるぶしの前側が一直線になっている状態。
 
 (例えて言うなら ”おへそを中心に頭の上と
  床下で小人が綱引きをしている”イメージ)
  
 
 はためにはごく普通に立っているだけに見えるが、
 なかなかどうして……このポーズで美しく立つのは
 けっこう難しいのだ。
 
 
 ピアノの音に合わせ ――
 
 しなやかな身体は足を上げても腕を伸ばしても美しいが、
 全員の動きが揃っているからこそ、それはより一層
 引き立てられる。

 流れる音楽よりも大きな声で、
 鋭く宗方の声が飛ばされた。


「そこ、後ろ首! 呼吸は止めない! お腹!」


 言われる言葉は何年踊り続けても
 習い始めたばかりの小さな子供と変わらない。

 それは踊り手に学習能力がないのではなく、
 基礎こそ”より完璧に”と問われるからだ。

 バーに掛けた足に向け胸を倒し、
 腹の底から息を吐き出した。 
 
 
 ひと通り1番から5番ポジションまでの動きを
 済ませると身体が冷えないうちにセンターレッスンへ
 移行する。 

  

 
 ランチを挟んで午後のレッスン。
 
 
「薫もっとよく音を聞いて」


 額に汗を光らせる薫に手を差し伸べ、
 勇人はその腰を抱く。

 ピルエットを支えてやれば、
 ようやく互いのバランスがしっかりと合うように
 なったなと実感した。

 男性と女性では舞台に上がる回数に圧倒的な差
 がある。

 ひとつの演目の中で女性の出演者が大半を
 占めるものの、それでも男性ダンサーの人数自体が
 少ない。

 女性はプロであっても所属するバレエ団の公演に加えて
 年数回他でも踊るか踊らないかという程度だが、
 男性は公演から発表会まで様々な舞台に出演し
 月数回舞台に立つ事も珍しくはなかった。

 加えて薫の場合、家庭の事情からテレビドラマで
 業界デビューした為、自分の名前で集客出来るように
 なるまで舞台からは離れていた。
 
 今回の演目にしても勇人は主役から端役まで
 数え切れないほど演じてきたが、
 薫は主役【ジゼル】を踊るのは初めてだという。

 安定した踊りを見せる勇人に対し薫はまだ曲に合わせ
 ステップを追っているばかりの印象だ。
 元々センスの良い人なので回数を重ねて踊れば
 ぎこちなさは消えるだろうが。


「薫、焦らないでしかっりとステップを踏み込んでから
 ピルエットに向かいなさい」


 見せ場でもあるリフトをし、
 舞台の袖と見立てたレッスン室の隅へと足を向ける。

 宗方が曲を止めたのと勇人が薫を降ろしたのは
 同時であった。


「はい、今日はここまで。ずいぶん形になってきたが、
 薫はもうちょっと2人で踊ってるって事を意識する
 ように。2人共お疲れ様、次回来週もよろしく」


 荒い息を吐きながら、
 勇人が薫と共にレべランスで礼をする。
 

 こんな具合で薫のレッスンは順調に進んでいったが。
 

 
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