アンフェア

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過去のこと

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  夜は柊二と一緒に、九条さんが頼んでいてくれた
  超豪華な松花堂弁当を食べた。

  ごちそうさまでした、と食事を終えた私に
  自ら煎茶を淹れてくれ、柊二は缶ビールを飲み
  ながら話しを切り出した。


「――で、お前の実家の事とか、話して大丈夫か?」


  この柊二のマンションへ初めて来た途中の車の
  中では、曖昧にはぐらかしてしまったけど、
  こんなにも親身になって私を心配してくれるこの
  男には全てありのままを打ち明けなければいけない
  と、思った。

  柊二曰く、私の事は秘書の八木さんに調べさせ
  大方分かったが、まだ、肝心な所が不明なまま
  だと言う。
  それは ――
 

「お前、俺の見たとこ、そんなワルにゃ見えんかったが
 一体何して、イースト・エンドみたいな少年院に
 放り込まれたんだ」

「……傷害致死」

「それは八木の報告書で俺も読んだ。俺が知りたいのは
 本当の理由だ」

「……」


  さっきは”全てありのままを打ち明けなければ”
  と決心もしたけど、イザその時が来たら、
  本当の事を彼が知れば、絶対嫌われる、もっと
  悪くすれば捨てられちゃうかも知れない!
  と考えたら、急に怖くなった。


「まだ俺の事、信用出来ねぇか」


  私は慌てて首を左右に振った。
  その拍子に堪えていた涙が目尻から零れた。


「ったく、んとに泣き虫だな……」


  なんて、呆れたように呟き、私の頬に流れた雫を
  優しく拭ってくれる。


「……一番最初、養父になってくれた人と」


  一生思い出したくない事だった。
  でも、柊二には隠しておけないと思った。


「……人と?」

「義理の兄に、小学校3年の時……犯され、ました」


  驚きだろう。
  カッと目を見開いた柊二。
  私は涙をこらえながら話しを続けた。


「もちろん私は養母に助けを求めたわ。でも、養母は
 私が2人を唆(そそのか)したんだろうって。
 この泥棒猫! 売女って……養父も義兄も養母に
 バレたと分かっても、関係は止めてくれなくて……
 義兄が連れてきた友達だっていう男達にまで無理矢理
 ヤられて、それで……その中の1人を突き飛ばしたら
 打ちどころが悪かったらしくて、死んじゃったの」

「じゃ完璧な正当防衛じゃないか」

「でも養父は裁判所の偉い人にも顔が利くお役人
 だったから、義兄とその友達の証言だけが裁判でも
 採用されて、15才になる満期まで少年院から出る
 事は出来なかった……」


  初めて自分が本気で好きになった人へ、
  自分の汚点を打ち明けるのはとても辛かった。
  けど、全て話した後は、それまでずっと胸の奥底に
  淀んでいた何かが格段に軽くなっている事に
  気づいた。


「辛かったな。無理に聞いて悪かった」


  柊二がまた涙を拭いてくれる。


「じゃあ、家には未練はないのか? 
 養父母には?」

「全くないわ。それどころか、やっと解放されたと
 ホッとしてるの」

「それじゃ何故あの日、俺の元から姿を消した?」

「柊二だって知ってるでしょ? 出所後・48時間
 以内の再出頭義務」

「あの時、全ての事情を話してくれてたら、んなもん
 俺がどうとも出来た」


  マジしんどかったなと私の髪の毛を優しく撫でて
  くれる柊二。

  嬉しかった。もう怖がらなくていい。
  もう、何処へも逃げなくていいんだ。


「ハハ ―― 涙、止まらねぇな」


  と涙を拭ってくれる。


「何か飲むか? そしたら少しは落ち着くだろ」


  うんと頷き、「何か温かい物を」って私が言うと。
  柊二が作ってくれたのは、蜂蜜の甘みほんのり
  優しいホットミルク。
  何か、柊二とホットミルクって組み合わせが
  ミスマッチで笑えた。


「ん? どした?」

「ううん、なんでもない」


  カップを両手で包み込むよう持って、
  ふぅふぅ冷ましながら飲む。
 
  ―― さてと、ソレ全部飲んだら先に休んで
  いいぞ。
  と、立ち上がり。


「俺は風呂に入ってくる」


  上着を脱ぐ ―― そしてネクタイを抜き、
  カフスを外してシャツを一気に脱いだ。
  思わず、あっ、と声が出る。


「おぉ――刺青みるの初めてか」


  うん、と頷いた。


「……怖いか?」


  フルフルと頭を振り、
  もっと見せて欲しいと言った。
  後ろを向いて背中を見せてくれた。
  焔を背負った厳めしい顔の不動明王が
  どどんと鎮座している。

  本物の不動明王像は少年院の”何たらかんたら
  更生プログラム”とかで、千葉の成田山新勝寺へ
  社会科見学に行った時に見た事がある。

  あの本物も、何って言うか……本物ならではの
  迫力に圧倒されっ放しだったけど。

  柊二の墨は一部端っこの方の色が薄れ、
  その近くの辺りが火傷をしたような疵になっていた
  ので、その疑問を柊二にぶつけた。


「ふふふ……ったく、お前って奴は……」

「ん? 私、何か変な事いった?」  

「いいや ―― で、俺の墨はどうだ?」

「すごい。艶めかしいってか、色っぽい……」


  驚いたように柊二が振り返る。


「お前……そう思うのか?」

「うん、艶があって、セクシーだと思う」


  そうか、と柊二がじっと私を見る。


「あ、やっぱ私、変なこと言った?」

 
  不思議に思いもう1度聞いた。


「いや、コレを彫った彫り師に言われたんだ、
 この墨の色香と艶を理解する女を娶れってな」

「め、娶れって ―― そ、そんな……。はは、
 なら、相応しい人に早く出会えるといいね」


  軽く笑い目を逸らした。

  じっと見ていた柊二は、スラックスも脱ぎ
  バスルームへと消えた。

  柊二は普通の人。
  私みたいな汚れきった人間じゃない。
  だから好きになってはダメ、絶対にダメなんだと
  自分に強く言い聞かせた。
  自然に溢れてくる涙を何度も拭った。
  柊二のような優しくて力強い人間に守られたら
  どんなにか幸せだろうと考えてしまう。
  でも私は誰にも愛される資格はない。
  人として扱われる資格のない人間なのだ。
  だから、柊二の事は……。
  
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