レコード

ドルドレオン

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午後三時のレコード」

僕がその古いレコード店に入ったのは、八月の終わり、ちょうど午後三時を少し過ぎたころだった。外はひどく蒸し暑くて、セミが最後の力を振り絞るように鳴いていた。まるで誰かが僕の耳元で金属のフォークを擦り合わせているみたいな音だった。

レコード店は地下にあって、階段を降りるたびに、時間が少しずつ後ろ向きに巻き戻されていくような感覚があった。音の質が変わっていくんだ。外の空気は重く、濃く、濁っているのに、地下の空気は乾いていて、どこか透明だった。

店内には誰もいなかった。カウンターの奥には、小さなスピーカーから流れるビル・エヴァンスのピアノだけが静かに漂っていた。たぶん《Waltz for Debby》だと思う。僕はそのアルバムを昔、彼女と一緒に聴いたことがあった。

彼女──理央(りお)は、五年前の春に突然いなくなった。何の前触れもなく、メッセージも残さず、ただ朝起きたら、彼女のサンダルと歯ブラシだけがきれいに消えていた。まるで最初から存在しなかったかのように。

「探さないでください、なんて書き置きはなかったの?」

あるとき、そう友人に聞かれたことがある。
「なかったよ」と僕は答えた。「でも、探すなって言われた気はした。」

僕はジャズのレコードを一枚、手に取って裏返した。見覚えのあるジャケットだった。紺色の空に、ひとつだけ星が光っている。妙に胸が締めつけられた。なぜか理由はわからない。

「それ、いいアルバムですよ」と、突然声がした。

僕は驚いて振り返った。そこに彼女が立っていた。理央だった。

「……君、」

声がうまく出なかった。理央は以前より少し痩せていたけれど、確かに彼女だった。髪は短くなり、眼鏡をかけていた。でも、あの時と同じ、どこか遠くを見ているような目をしていた。

「久しぶりね」と彼女は言った。「覚えてる?」

「もちろんだ」と僕は言った。「君がいなくなってから、ビル・エヴァンスは聴いてなかった。」

理央は微笑んだ。「でも、今日聴いたじゃない。」

僕はうなずいた。「そうだね、今日が、久しぶりだった。」

僕たちはレコードの横にある椅子に座り、黙って一曲分、ピアノの音に耳を傾けた。話すべきことはいくらでもあった。でもどれも言葉にすると、ひどく貧相なものになってしまいそうだった。

「ねえ」と彼女が言った。「もし、あのとき私が手紙を残していたら、読んだ?」

「読んだよ」と僕は言った。「たとえ白紙でも。」

彼女はそれを聞いて、小さく笑った。まるで、今その答えを聞くために、五年の時を旅してきたみたいに。

レコードが終わり、針が静かにスピンバックした。その音が、部屋の空気を少しだけ震わせた。

理央は立ち上がり、言った。「じゃあね。また、どこかで。」

「また午後三時に?」

「そうね、午後三時がいいわ。」

彼女が店を出て階段を上がると、空気の温度が一気に上がったような気がした。僕はまだ、レコードを手に持っていた。買うつもりなんてなかったのに、気づけばレジに並んでいた。

レジには誰もいなかった。けれど、いつの間にかレコードには、値札が貼ってあった。

¥3,000 - 午後3時の記憶
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