煙草と雨音

ドルドレオン

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電話を切ったあと、僕はしばらくじっと椅子に座っていた。窓の外ではまだ雨が降っていて、街灯の灯りが濡れたアスファルトの上にじんわりと滲んでいた。

煙草の火がいつの間にか消えていた。口の中には苦い味だけが残っていた。

行くべきなのかどうかは、正直わからなかった。ただ、彼女の声が今の自分の生活のどこにも属していないということだけは確かだった。まるで時間の裂け目から、ぽとりと落ちてきたような声だった。

それから、僕は立ち上がり、スーツケースを引っ張り出した。中には古いセーターと、まだ使っていないノートが一冊入っていた。旅に出るたび、僕はなにかを書くつもりでノートを持っていくけれど、結局ページはいつも白紙のままだ。

翌朝、まだ薄暗いうちに電車に乗った。車窓から見える風景は、どこまでも濡れていた。畑も、道路も、通り過ぎる町も、ぜんぶ水を吸い込んで、しんと沈んでいるように見えた。

新潟に着いたのは午後の三時すぎだった。駅前のロータリーに立ち尽くしながら、僕はポケットから煙草を取り出した。だけど火はつけなかった。あまりに風が冷たくて、なんだかもう少し肺を空っぽにしておきたい気分だった。

彼女が言っていた旅館の名前を、スマートフォンのメモに残していた。ローマ字で書かれたそれは、まるでどこかの古びたジャズ喫茶の名前のようだった。
僕は小さな路線バスに乗って、海沿いの町へ向かった。

バスの窓から、ちらりと海が見えた。灰色の空と溶け合うようにして、低く波打っていた。

旅館に着いたとき、雨はもうほとんど止んでいた。玄関の横にある松の木が、潮風に揺れていた。木の根元には、誰かが拾ってきた貝殻が無造作に並べられていた。

僕がガラスの自動ドアを押すと、静かなチャイムが鳴った。

カウンターの奥から、彼女が現れた。

少し髪が伸びていた。細い金属のイヤリングが、彼女の頬の近くでかすかに光った。何か言おうとしたけれど、うまく言葉が見つからなかった。

「来たんだ」と、彼女は言った。

僕は頷いた。長い電車の揺れと、遠くに響く波の音が、まだ身体の奥でぐらぐらしていた。

「コーヒー、淹れようか。まだ好き?」

「たぶん。覚えてないけど」

彼女は微笑んで、カウンターの奥に消えた。残された僕は、旅館のロビーにひとり立ち尽くしていた。窓の向こうに広がる海は、もうすっかり秋の色をしていた。
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