三時の雨

ドルドレオン

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沈黙のレコードが部屋に流れたその日から、彼女は毎日午後三時に僕の部屋にやってくるようになった。
僕は彼女の名前を訊かなかったし、彼女も名乗らなかった。まるで、名前というものがこの関係にとって邪魔な情報であるかのように。

「まずは、レコード店に行こう」
ある日、彼女はそう言って立ち上がった。まるで何かを思い出したように。

その午後、僕たちは駅前の古びたレコード屋を訪ねた。店主は白髪混じりの長髪で、口数が少なかった。店内にはジャズとクラシックとよくわからない民族音楽が混ざったような音が、埃っぽい空気に漂っていた。

彼女が持っていた白いレコードジャケットを見せると、店主の眉がかすかに動いた。

「これは、“Vacuum Series”のひとつだな」
「Vacuum Series?」
「70年代後半に、一部の前衛音楽家が極限の“静寂”を記録しようとしたプロジェクトだ。記録といっても、実際は音じゃない。記憶とか、空間の気配とか、そういうものを記録しようとしていたらしい。10枚しかプレスされなかったと言われているが……君たちが持っているのは、そのうちの一枚だ」

「記憶を……記録するって可能なんですか?」と僕は訊いた。
「理屈じゃないんだよ。記憶は空気に宿る。ある種の場所には、それを受け取る“穴”みたいなものがあるんだ。音じゃない、波でもない。ただの沈黙。でもその沈黙に触れたとき、人は自分の中のどこかを思い出す」

店主はレコードをジャケットに戻しながら、ゆっくりと頭を振った。
「だけど気をつけた方がいい。このシリーズには“戻れなくなる”話もある。思い出すことと、そこに留まることは違うんだ」

店を出たあと、僕たちは駅前のカフェに入った。
彼女はホットミルクを注文し、スプーンでゆっくりかき混ぜながら言った。

「たぶん、“穴”はこの街のどこかにある。物理的な場所じゃなくて、“感覚”として。でもそれを見つけるには、このレコードだけじゃ足りない」
「他の9枚を探すのか?」
「うん。そのためには、もっと“古い記憶”が必要。私のじゃない、誰か別の記憶が」

彼女は窓の外を見つめていた。
そこには、何の変哲もない午後の街があった。信号待ちをする人たち、鳩、工事中の歩道、遠くを走るバス。

でも僕には、それが仮の風景のように思えた。まるで、誰かが思い出そうとして組み立てた“記憶の模型”のような。

「じゃあ、次はどこへ行こうか?」と僕は言った。

彼女は一度だけ僕の方を見て、小さく笑った。

「図書館。古い地図を探すの」
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