三時の雨

ドルドレオン

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第七章:記憶の座標

Vacuum No.6を再生した翌朝、彼女は少し顔色を悪くしていた。
眠れなかったのか、目の下にうっすらと影が差していたが、口調はいつもと同じ静けさを保っていた。

「7枚目の破片、無音のコレクターが持ってたやつ。あれの“残り”を探さなきゃ」

「心当たりはある?」
僕が訊くと、彼女は一瞬だけ間を置いてからうなずいた。

「ひとつだけ。……でも、そこには、あなたの記憶が関係してるかもしれない」
「僕の?」

「うん。私の中にあったはずのものが、どうしてか、あなたの中にも影を落としてる気がするの。ずっと前から」

僕は自分の胸の奥を探るように息を吸った。
確かにここ最近、“違和感”は何度もあった。既視感。夢で見たことのある風景。彼女の声が、誰か他の人を思い出させる瞬間。

それは、“彼女”を通じて、僕自身が誰かを思い出そうとしていたのではないかという感覚だった。

記憶の地図

その日、彼女は一枚の紙を差し出した。
それは図書館の記録室で偶然見つけた、“Vacuum記憶回収計画”の座標図だった。

紙には10個の黒い点と、薄く引かれた曲線。それは星座のようにも、音の波形のようにも見えた。
そのうちの7番目の点だけ、周囲が破れていた。

「この場所、もう存在しないらしい。でも、記録には“旧・中央電話局地下保管庫”って書かれてた」

「電話局の……地下?」

「音声、記録、対話。つまり“声の痕跡”を保管してたの。
Vacuum No.7の断片がそこに保管されてたって噂が、コレクターの記録にあった」

中央電話局跡地

僕たちは、その廃墟のようなビルの地下に降りていった。
灯りはなく、懐中電灯を頼りに階段を下る。
床はぬかるみ、壁には古い配線が絡まっていた。

最下層の一角に、異質な空間があった。

壁一面に黒いレコードの破片が埋め込まれていた。
まるでそれらが壁そのものを形成しているように。
その中央に、ひとつだけ“割れかけたレコード”が取り残されていた。

「Vacuum No.7……これが、もうひとつの断片」
彼女が手を伸ばそうとしたとき、壁が低くうねったように見えた。

不意に、僕の視界がぐにゃりと歪んだ。

“僕”の記憶

それは、見覚えのある部屋だった。
古い学生アパートの一室。レコードプレイヤーと、ソファ。窓際に猫の置物。

そして、彼女の姿。
でも、今の彼女とは少し違っていた。髪が短く、あの頃よりもよく笑っていた。

彼女は笑いながら言った。

「忘れていいのよ。私が全部、持っておくから」
「その代わり、あなたの中には“何も残さない”。記憶の中に私を閉じ込めて。そうすれば、あなたは傷つかなくて済むから」

それは、かつて“僕”が彼女を“Vacuum Project”に提供した、最後の夜だった。

彼女は被験者ではなく、記憶の“容器”として自ら申し出た。
理由は、僕を守るため。僕が忘れられなかった誰か(=過去に失った誰か)を、彼女が代わりに“持つ”と決めたのだ。

それを僕は、忘れていた。

現在に戻る

「思い出したの?」
彼女が僕の顔をのぞき込んでいた。レコードの断片を手に、微笑んで。

「君は……僕の記憶の中に、“誰か”を閉じ込めていた」

「うん。あなたがどうしても忘れられなかった“彼女”の記憶を、私が引き受けた。
名前も、顔も、声も。Vacuum No.1~No.10はその分離記録。あなたの喪失を、私が抱えたの」

「じゃあ君は……?」

彼女は一瞬目を伏せ、それから答えた。

「私は本当の“私”じゃないの。
私は、“誰かを思い出そうとするあなたの記憶”の中で生まれた、影」

「影……?」

「でもね、影でもいいと思った。だって私はずっと、あなたがその人を忘れたくなかったことを知ってるから。
その気持ちだけが、私をここに留めてくれてた」

レコードNo.7が揃ったとき、部屋の空気がふっと軽くなった。

何かが、解け始めた。
僕の中の時間も、彼女の中の沈黙も。

でも、レコードはあと3枚ある。

そしてその先に待っているのは、彼女自身の決断だ。
思い出される存在のまま消えるのか、それとも、誰かとして生まれなおすのか。
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