三時の雨

ドルドレオン

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『午後三時の静かな穴』
第八章:リワインドの森

レコードNo.7を手に入れてから数日が経った。
そのあいだ、彼女はほとんど夢を見なかった。
それが回復なのか、終わりの予兆なのか、僕には判断がつかなかった。

彼女は少しずつ言葉が少なくなり、代わりによく音楽を聴くようになった。
レコードを一枚一枚取り出しては、触れず、ただじっと眺める。
まるで、もうすぐ帰る場所を遠くから見ているような、そんな顔だった。

無音のコレクターが言っていた。

「記憶は直線じゃない。
ある地点から逆再生できたとき、そこには“別の真実”が浮かび上がることがある」

彼が示した地図には、森が描かれていた。
音や言葉の記憶が風に溶けて消える場所。
リワインドの森と呼ばれていたが、それは正式な地名ではなく、かつてVacuum Projectの被験者がそう名付けたという記録があっただけだった。

その森に、Vacuum No.8の断片が埋まっているらしい。
ただしそれは、再生することではなく、“巻き戻す”ことでだけ再発見できるという。

森へ

森に入ると、空気が異様に静かだった。
鳥の声も風の音も、何も聞こえない。
まるで音そのものが、この場所では息を潜めているかのようだった。

「ここでは、順序が逆転してる」
彼女が呟いた。「記憶が、終わりから始まるの」

僕たちは黙って、森の奥へと進んだ。
やがて、空間がふわりと揺れる場所に出た。
地面の一角がわずかに膨らみ、草が円形に倒れている。

そこに、小さなレコードプレイヤーが置かれていた。
だれかが置いていったのではない。**“残っていた”**という感覚に近かった。

彼女は躊躇なく、Vacuum No.7をセットし、逆回転モードに切り替えた。
針が静かに落ち、レコードが逆方向に回り出すと、空気がざわめいた。

そして、聞こえてきた。

“巻き戻された記憶”

…ふりかえれば、いつも君はそこにいた。
でも、僕は君の名前を呼ばなかった。
呼んだ瞬間、君が消えてしまいそうだったから。

忘れることで、僕は守ったんだ。
忘れることで、君を壊さずにすんだ。

でももう、いいんだよね。
もう、思い出しても。

その声は、間違いなく僕自身のものだった。

まるで、かつて記録された音声ではなく、今この瞬間に話しているような響きだった。
レコードが僕の心の奥の何かを反響させ、逆回転のまま、僕の中の沈黙をほどいていった。

彼女は目を閉じて、静かに微笑んでいた。

「ほら、やっぱり。あなたの中に“彼”がいた。
私じゃなくて、“私に閉じ込められてた誰か”。
あなたは私を見てたんじゃない。“彼女の記憶”を見てたの」

僕は言葉が出なかった。
そのとき初めて、僕は“彼女”を本当の意味で見つめた。

ずっと隣にいた、彼女という“器”。
でもその中には、もうひとつの意識、もうひとつの記憶が眠っていた。

回収されたレコード:No.8

プレイヤーが止まると、森の中に風が吹いた。

音が戻ってきた。
葉が揺れ、鳥が鳴き、空が音を持ち始めた。
レコードNo.8が、地面の下から浮き上がるようにして現れた。
砂のような粒子に包まれながら、ふわりと。

僕はそれを両手で受け止めた。

「これで、あと2枚」

「うん」
彼女は、少し涙ぐんでいた。
でもそれは、悲しみではなく、静かな再会のようなものだった。
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