午後四時の図書館

ドルドレオン

文字の大きさ
2 / 2

しおりを挟む
金曜日の午後四時。
相変わらず、僕は図書館の四階、窓際の席に座っている。黒いノートを広げ、ミルク入りの缶コーヒーをひとくちすする。

貨物列車は今日は来なかった。代わりに、線路の向こう側の空に、大きな風船のような雲が浮かんでいた。それは少しだけ、誰かの横顔に似ていた。誰の顔だったか、思い出せない。多分、思い出す必要もないのだろう。

便箋はもう二週間現れていない。それでも、僕は毎週金曜日にここにいる。便箋のためというより、自分の中のどこかが、そうした方がいいと告げている。

その日の午後、三人分ほど離れた席に女の人が座った。黒いセーターに、ジーンズ。髪は肩にかかるくらいで、耳にはヘッドフォン。年齢は僕と同じくらいか、少し若いかもしれない。

彼女はカバンから文庫本を取り出し、しばらくページをめくっていたが、ふとした瞬間、僕の方を見た。

その目は、どこか既視感があった。はっきりとではない。まるで夢の中で一度すれ違っただけのような感覚。

僕は目をそらし、またノートを開いた。そこには、見覚えのない行がひとつ、鉛筆で書かれていた。

「猫は君を気に入ってるよ。彼は気まぐれだから、それは珍しいことなんだ。」

僕は少し息をのんだ。文字は、あの便箋と同じ筆跡だった。でも、僕はこのノートを誰にも渡していない。図書館に置き忘れたこともない。そもそも、ページを閉じるたびに、僕は輪ゴムでしっかり留めている。

それなのに、なぜ──。

ふと顔を上げると、彼女はいなかった。席は空っぽで、そこには黒いヘアピンがひとつだけ、ぽつんと置かれていた。

僕は立ち上がり、彼女がいた席まで行って、そのヘアピンを手に取った。冷たくもなく、温かくもなかった。ただ、まるでそれが「ここにいた」という唯一の証拠であるかのように、静かにそこにあった。

その夜、僕は久しぶりに夢を見た。

夢の中で、僕はまたあの階段を降りていた。今度は猫が僕の後ろをついてきた。
猫は銀色の体をしていて、尾の先だけが黒かった。

階段の下には小さな扉があり、その前に、黒いセーターの彼女が立っていた。彼女は僕を見ると、微笑んだ。

「間に合ってよかった」と、彼女は言った。「この物語はまだ途中だから。」

「物語?」

彼女は扉の鍵を開けながらうなずいた。

「世界には、物語にならなかったまま、忘れ去られた言葉がたくさんあるの。私たちはそれを拾い集めて、もう一度語り直してるの。あなたのノートも、その一部よ。」

扉の向こうは、図書館ではなかった。深く、やわらかく、どこか懐かしい匂いがする、見たこともない場所だった。

目が覚めたとき、僕のノートには新しい一文が書き加えられていた。

「続けて。まだ終わってないから。」

そして、そのページの端には、小さな銀色の猫のシールが貼られていた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

あなたの愛はいりません

oro
恋愛
「私がそなたを愛することは無いだろう。」 初夜当日。 陛下にそう告げられた王妃、セリーヌには他に想い人がいた。

婚約破棄したら食べられました(物理)

かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。 婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。 そんな日々が日常と化していたある日 リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる グロは無し

婚約破棄短編集

由香
恋愛
更新週3投稿の午前10時。(火・木・土) 12/23 一時更新停止 「異世界×貴族×婚約破棄×傍観者」 をテーマにした短編集です。 それぞれ一話完結。

魔女の祝福

あきづきみなと
恋愛
王子は婚約式に臨んで高揚していた。 長く婚約を結んでいた、鼻持ちならない公爵令嬢を婚約破棄で追い出して迎えた、可憐で愛らしい新しい婚約者を披露する、その喜びに満ち、輝ける将来を確信して。 予約投稿で5/12完結します

女王は若き美貌の夫に離婚を申し出る

小西あまね
恋愛
「喜べ!やっと離婚できそうだぞ!」「……は?」 政略結婚して9年目、32歳の女王陛下は22歳の王配陛下に笑顔で告げた。 9年前の約束を叶えるために……。 豪胆果断だがどこか天然な女王と、彼女を敬愛してやまない美貌の若き王配のすれ違い離婚騒動。 「月と雪と温泉と ~幼馴染みの天然王子と最強魔術師~」の王子の姉の話ですが、独立した話で、作風も違います。 本作は小説家になろうにも投稿しています。

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

処理中です...