白椿

ドルドレオン

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『白椿(しらつばき)』

 雪は音もなく降っていた。
 伊豆の山あいにあるその小さな温泉宿には、三組の客しかいなかった。女はひとりで来ていた。帳場の女将が、「ごゆっくりなさってください」と言って彼女の荷を預かったとき、女の顔に浮かんだ微笑みは、どこか水面に咲く椿の花のように、触れれば消えてしまいそうな淡さだった。

 部屋の障子を開け放つと、雪の降る中庭に白椿が一輪、咲いていた。寒さに耐えるように、葉の間から顔をのぞかせている。女はその椿に目をとめたまま、しばらく動かなかった。

 「昔、この宿に来たことがあるような気がするわ」

 声に出すと、その響きが室内にやさしく跳ね返ってきた。まるで誰かが、記憶の底から「ええ、そうですね」と応えてくれたかのように。

 夜になって湯に浸かると、湯気の向こうに、もうひとり女がいた。
 細く白い腕に、細工のような黒髪。ふと目が合ったが、相手は何も言わずに湯の中に視線を落とした。女もまた、それ以上言葉を交わすことなく、しんしんと雪の降る音に耳を澄ませていた。

 翌朝、中庭の椿は落ちていた。真っ白な雪の上に、静かに、凛として。
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