白椿

ドルドレオン

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終わり

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翌朝、女ははやくに目を覚ました。
 窓を開けると、夜のあいだにまた雪が降ったらしい。中庭の苔も、飛び石も、きれいに覆われていた。
 白椿は、もうなかった。

 昨夜、湯で出会った女の姿も、すでにどこにも見えなかった。
 帳場で尋ねても、「お一人でお越しのお客様は、あなた様だけでございます」と女将は首を傾げていた。

 あの声も、あの眼差しも、夢だったのか──
 けれど確かに、彼女は自分の過去を知っていた。母の声に重なるような響きで、白椿のことを言った。

 女は、宿の外に出た。
 雪の中を、ただ音もなく歩いた。杉の木立を越え、山をすこし下りたところに、小さな寺がある。
 昔、母と訪れた場所だった。まだ女が七つのとき、一度だけ一緒に来た記憶がある。

 本堂の前には、ひと抱えほどの椿の木がある。
 そしてそこに、たった一輪、白椿が咲いていた。誰にも見られることなく、ひっそりと。

 女は、雪を踏んでその前に立った。
 冷たい風が、髪を撫でる。目を閉じると、母の声がするようだった。

 ──「人は忘れることで、生きていくものなのよ。でも、忘れられないものがあるのも、幸せなの」

 その言葉が、なぜか胸にふわりと落ちた。
 あの湯で出会った女は、母の記憶がこの世にもう一度現れたものだったのかもしれない。
 あるいは、自分自身のなかにある、母への未練が、あの女の姿を借りて現れたのかもしれない。

 どちらでもよかった。
 椿は咲いて、そして落ちる。音もなく、誰に告げることもなく。

 女は、白椿にそっと頭を下げた。
 そのとき、頬を一筋、涙がこぼれた。
 もう涙を隠す必要はなかった。誰もいない山の静けさが、その涙をやさしく包んでくれた。

 ふと見上げると、空が少しだけ明るくなっていた。
 雲の切れ間から、淡い日差しが差し込み、椿の花びらに触れた。
 白が、ほんのわずかに透けて、薄紅のように見えた。

(了)
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