午後のカフェ

ドルドレオン

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「午後のカフェで」⑤

自分の部屋に戻ったのは、午後五時を過ぎた頃だった。
蝉の声はもう鳴り止み、空の色はオレンジから青にかけて滑らかにグラデーションしていた。季節の継ぎ目のような空だった。

僕は無言のまま、本棚の下の引き出しを開けた。昔、何か大切だった気がするものたちを放り込んだ、小さな墓場のような場所。

一番奥に、埃をかぶったデモテープのケースがあった。白地に青いインクで書かれた、「demo '07」という文字。
もう何年も前の自分が、その時の全部を込めたものだ。

テープをプレイヤーに差し込んで再生ボタンを押す。雑音混じりのイントロ。ぎこちないギター。少し不安げな自分の声。
聴きながら、僕は妙に冷静だった。

下手だな、と思った。でも、どこかに確かに熱があった。何もかも不完全で、拙くて、でも、まっすぐだった。
そして、聴き進めていくうちに、ふと気づいた。

B面の最後、記憶にない一曲が入っていた。

女性の声だった。

静かに語りかけるような、澄んだ声。言葉は聞き取れない。ただ、旋律だけが夜の底に沈んでいく。

それはまさしく、あのカフェで聴いたクララ・シモンズの声と同じだった。

でも、そんなはずはない。僕はそのレコードのことなど、知らなかった。
なのに、その声は確かに、テープの中に録音されていた。
僕自身の手で、いつか録ったはずの、声。

その時、電話が鳴った。

受話器を取ると、ノイズ混じりの無音が続いたあと、ひとことだけ言葉が流れた。

「次は、演ってみせて。」

それだけだった。

僕はしばらく何も言えなかった。が、次の瞬間、まるで手が勝手に動くように、押入れから古いギターケースを引っ張り出していた。

ギターの弦は錆びていたが、音はまだ鳴った。

**

夜が更けていく中、僕は久しぶりにコードを掻き鳴らした。
心の奥にあった冷たい場所が、少しずつあたたまっていくようだった。

そして僕は、夢のかけらをもう一度集め始めた。

彼女がいたのか、いなかったのか。
それはどうでもいいことだった。

重要なのは、あの午後、誰かが僕をもう一度こちら側に引き戻してくれたということだった。

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