「深淵のサラ」 〜極限の潜水パフォーマンスに挑む金髪の美姫。独占欲に溺れるCEOと、立ちはだかる女帝たち〜

Mina_Underwater

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第4章 人魚の弔鐘

4-4.カイ・安藤という男

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カイ・安藤は、ケアンズ市街を一望するホワイトキャット本社ビル、最上階のCEO執務室で、冷え切った琥珀色のウィスキーを転がしながら、モニターに映し出される島の海図を凝視していた。

安藤は、戦後の混乱期に密輸で財を成した一族の末弟として生まれた。
贅の限りを尽くした幼少期から彼が学んだ唯一の真理は、「力なき美は、奪われるのを待つだけの果実である」ということだった。

彼の人生は常に奪うことと、奪われぬための虚飾で塗り固められた。
だからこそ、彼は白石や黒崎といった、自分より2つ年下の「新興の才気」が、心底反吐が出るほど憎かった。

安藤にとって、ホワイトキャットの次期社長の座は、努力して手に入れる「目標」などではなかった。
それは、自らの輝かしい学歴、積み上げた年次、経験、そして高貴な血筋によってあらかじめ約束された、揺るぎない**「指定席」**であるはずだった。

「外様(とざま)」の自分がこの会社を正道へ導いてやる -- 。
そんな傲慢な自負は、創業者である白石という男の存在によって、無惨にも打ち砕かれた。
白石は、安藤より2つも年下だ。

ロジックも、伝統も、経営学のセオリーすらも踏みにじり、野獣のような「直感」だけで荒波を突き進む。安藤が緻密に組み上げた事業計画をあざ笑うかのように、白石の放つデタラメな一手が次々と莫大な利益を叩き出す。

社内の視線は、いつしか安藤という「秀才」を通り越し、白石という「怪物」に陶酔していった。
背後から音もなく忍び寄られ、首を獲られたのではない。
最初から、安藤が座るはずだった玉座に、泥まみれの足で居座られていたのだ。

だが、安藤の心をより深く、より暗く抉り続けていたのは、他社の人間である黒崎という存在だった。
黒崎は、安藤が必死に守ろうとしている「組織の序列」や「世間の評価」という物差しを、鼻で笑って捨て去るような男だった。

直接的な出世争いの相手ではない。
だからこそ、余計に腹が立つ。

黒崎の奔放な生き様、縛られない魂、そして白石と通じ合うかのような不敵な笑み。
それらすべてが、規律と血筋の檻に囚われた安藤の劣等感を、絶え間なく、そして容赦なく逆なでした。

「白石は俺から居場所を奪い、黒崎は俺の誇りを嘲笑う――」

安藤の拳は、白く震えていた。
この屈辱を、ただの「敗北」で終わらせるつもりは毛頭ない。
2人の影が色濃くなるほど、安藤の胸中にはどす黒い怨嗟の炎が、静かに、しかし確実に燃え広がっていった。

安藤は、自身の鏡に映る冴えない容姿を自覚していた。
金と権力で女を囲うことはできても、そこに真実の情熱はない。
一方の黒崎は、常に洗練された美女を傍らに侍らせ、飽きればまた別の、それもさらに魅力的な女へと乗り換えていく。

そんな男が、今は実業界を引退し、誰もが目を奪われる超絶美人のサラと、南国の離島で情欲に溺れるラブラブな生活を謳歌している。

「……ふざけやがって。どいつもこいつも」

暗い執務室で、安藤の低い声が漏れた。
彼にとって、白石や黒崎が手に入れているものは、すべて自分が享受すべきだったはずの報酬に見えた。

だが、安藤は知っている。2023年2月に発生した、公には「不運な海難事故」として処理された、前社長・白石の最期の真実を。


白石が殺害された翌日。
豪華クルーザーがと共に白石が失踪、連絡がつかなくなった。

――昨日、白石の豪華クルーザーには、1人の女が招かれていた。
都会のパーティー会場では洗練されたドレスで男たちを跪かせていたその女 ― サラは、船上という密室で、狂おしいほど美しい「死神」へと変貌した。

サラは白石の首に細い腕を回し、耳元で甘く愛を囁きながら、躊躇なく夜の海へと飛び込んだ。
白石は驚愕し、藻掻いただろう。

しかし、一度水中に沈めばそこはサラの聖域だ。
彼女は白石の細身の身体を、人魚のような力強い脚技で締め上げ、水深20メートルの深淵へと強引に引きずり込んだ。

酸素を求める白石の絶望的な泡が、サラの冷徹な瞳の前で弾ける。
彼女は逃れようとする彼の肉体を「抱擁」という名の鎖で縛り付け、その肺が完全に海水で満たされるまで、決して腕を解かなかった。

白石の、死にゆく者の苦悶と絶望を目の当たりにしながら、サラは恍惚とした表情で、その命の灯が消えるのを待ったのだ。

白石の骸(むくろ)を深海の砂紋に捨て去った後、海面には別の影が現れた。
黒崎だ。
彼は音もなくクルーザーに乗り込むと、サラが残したウィッグなどの証拠を鮮やかな手際で回収した。

仕上げに、彼は船底のドレンプラグ(排水栓)を力任せに回し、白石の虚栄の象徴であるクルーザーを、主が沈む暗い海底へと葬り去った――


社長不在のまま、その日の仕事を終えたカイ・安藤は、ホワイトキャット副社長室でひとり、冷え切った琥珀色のウィスキーを転がしながら、モニターを凝視していた。

そこには、今朝、失踪中の白石のクルーザーを海底で発見した、という警察からの連絡を受け、午後に、白石の部下数名が、ひそかに海に沈んだクルーザーから回収した、広角の超高感度カメラの映像が映し出されている。

安藤が仕掛けた広角カメラは、ある「真実」を捉えていた。
安藤が再生ボタンを押すと、画面に「08:32:59」というタイムカウンターが浮かぶ。

夜の闇に乗じて、黒髪の女と白石の2つの影が乗船してきて、やがて女はウィッグを取り、長い髪を晒す。
その後、2人は海へと消えた。しばらくした後、髪の長いビキニの女が、10分後にはスキューバの男が甲板から這い上がり、証拠回収から船を沈めるまでの一連の動作が映し出されていた。

だが、水中マスクで顔の半分を覆われているせいもあり、それが誰なのかまでは判別できなかった。

「おそらく、サラと黒崎の仕業に間違いないんだろうが、これでは……、揺さぶることできるが、決定的な証拠とは言えないか……」

安藤が忌々しげにシークバーを高速で滑らせたとき、画面が劇的な変化を見せた。
夜中こそ顔の判別はできなかったが、モニターに映し出された景色は、夜が明けるにつれてどんどん明るくなり、やがて青白い光が差し込むきれいな海底の映像になった。

やがて、はるか上空の海面から何かが近づいてくる。一筋の光の矢のように突き進んでくる影。水中マスクを付け、金髪に近い栗色の髪をたゆませたその女は、トレードマークであるアメリカ国旗を上下にセパレートした極小のビキニを纏い、素潜りでフィンも付けず、素足で力強く水を蹴って降下してくる。


その面積の狭い布地は、鍛え上げられたしなやかな肢体を露わにし、深海の中でもその星条旗の模様だけが異様に鮮やかに浮き上がっている。

女は船内に入ると、白石が設置していたカメラを手際よく取り外す。そして、人魚のような滑らかな身のこなしで海面へと消えていった。

「……いまのは、たしか白石の秘書……エリザベス……」

安藤は思わず身を乗り出した。
部下の報告によれば、沈没地点は水深33メートル。
ビキニ1枚で酸素ボンベなしで潜り、フィンも持たず、これほど自在に深海を動き回る女がこの世にいるのか。

安藤は即座にデスクのPCを叩き、社員データベースにアクセスする。白石の秘書、エリザベス。その経歴を追った指が、ある行で止まった。
『元アーティスティックスイミング・アメリカ代表』

「……なるほど、……そういうことだったのか」

安藤の口元が、歪な三日月を描く。
素人の泳ぎではないと思っていたが、これほどの「駒」が身近に転がっていたとは。
受話器を掴む。

「すぐに、社長秘書のエリザベスを呼んでこい。」


翌晩、副社長室に連れてこられたエリザベスに、

「なあ、お前が回収したカメラには何が映っていたんだ?」

安藤が単刀直入に聞く。

「カメラ?なんのことよ?要件はそれだけ?帰るわ」

エリザベスが帰ろうとすると、

「まあ、これを見てからにしなさい」

エリザベスは、海底での自分の姿を突きつけられ、言葉を失った。

「え……?なにこれ……」

それは明白な証拠隠滅行為であり、警察に渡れば即座に逮捕される重罪だ。

「カメラはもうひとつあったってことね」

ゆっくりと答えるエリザベス。

「で?お前が回収したカメラには何が映っていたんだ?」
「はー……、残念ながら証拠になるようなものは何も。これはホントよ。カメラの位置も悪いし」
「ふふふ、わかった。まあ、それは信じよう。ところで、なあ、警察にサラや黒崎を突き出して、それですべて終わりにするなど、あまりにつまらんと思わないか?」

何も答えないエリザベス。
安藤はウィスキーを一口含み、彼女の耳元で囁いた。

「この映像は、黒崎を恐喝する材料にはなるが、私の望みはもっと深いところにある。あのサラという女を溺死させ、彼女が神でも人魚でもない、ただの肉塊であることを世間に知らしめることだ」

エリザベスの瞳に、暗い炎が灯った。彼女はかつて白石のデスクで、サラが水深200メートルの深淵で踠く狂気の記録を見て以来、自らのプライドをズタズタにされていたのだ。

「白石社長を殺したサラと黒崎に、復讐しようではないか。お前にしかできない、水中の技を使ってな」

安藤は、素潜りでカメラを回収した彼女の姿を思い出しながら、冷酷な計画を思いつく。
それは、アーティスティックスイミングで培われた強靭な肺活量と、水中の精密な動きができるエリザベスにしか成し得ない、残酷な暗殺劇だった。

「エリザベス、お前のその脚技で、あの女の肺が海水で満たされるまで、深海という地獄に縫い付けてやれ」

安藤の低い笑い声が、冷え切った部屋に響く。


そして、現在、2024年2月。

あれなら1年経った。
白石の突然の失踪で、会社の株価は暴落。

遺体は見つからないが、死亡と認定されたことで、安藤は無事社長に就任した。

そこから、必死に会社を立て直し、軌道に乗せるまでに1年かかったのだ。

ある夜、安藤が、CEO執務室で1人になると、安藤は改めてサラの映像を見る。

「あいつは、人間ではない。あれは呪いだ」

安藤はモニターに映るサラの潜水データを指でなぞった。4分、5分……常識を逸脱した無呼吸の記録。それは生物学的な異常であり、同時に、安藤が決して手に入れることのできない「絶対的な自由」と「純粋な快楽」の象徴だった。

自分は札束で人を操り、重力に縛られ、崩れていく容姿と加齢に怯えながら生きている。それなのに、あの女は、そして彼女に魅了された黒崎は、生と死の境界線を玩具のように扱い、深海という地獄で神に等しい悦楽を貪っている。

自分を追い抜いていった男たちの「誇り」と、その源泉である「サラ」という存在。それを粉々に打ち砕かなければ、安藤の渇きが癒えることはない。

「手に入らないのであれば、その美しさごと、肺を潰してやるのが礼儀というものだ」

安藤の口元が醜く歪む。
彼はサラをただ殺したいのではない。
彼女が最も愛し、最も誇りとしている「呼吸を止めて水と一体化する」という行為そのものを、絶望の絶頂へと変え、彼女が崇拝する深海という神に裏切られる瞬間を見届けたいのだ。

大切なのはタイミングだ。
彼がエリザベスを送り込んだのは、そのためだ。

嫉妬に狂った女の情念こそが、サラの完璧な精神を乱す最良の毒になると確信していた。
「カイ・安藤」という男にとって、この殺戮はビジネスではない。老いゆく捕食者が、決して手に入れられなかった「真珠」を泥にまみれさせ、粉砕するための、血塗られた儀式であった。
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