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第7章 緋色の龍宮(深絆)
7-7.南太平洋の聖域、碧き深淵への飛翔(前)
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2025年12月31日。
南太平洋の昼前の太陽は、一切の容赦なく黄金の光を降り注ぎ、海面を無数の砕け散ったダイヤモンドのように煌めかせていた。
サラと黒崎の愛の巣を包む空気は、熟れた果実のような甘い幸福と、生命を育む潮騒の香りに満ちている。
ビーチの目鼻先、桟橋から30メートルほど離れた洋上には、この日のために黒崎が街の建設会社に無理を言って貸し出させた巨大な台船クレーンが、場違いな鉄の牙のように屹立していた。
クレーンの操縦席には、無口な巨漢フランクが座り、計器を見つめる瞳には静かな緊張が走っている。
彼が慎重にレバーを引くと、重厚な油圧の唸りとともにアームが天に向かって反り上がり、その先端は海抜31メートルの高みにまで達した。
その先端には、蒼い紐ビキニを纏ったリウ・ヤンが、ちょこんと腰掛けていた。
彼女の眼下には、黒崎が自らの財力と執念で地形を削り、さらに深く掘り進めて造り上げた「聖域」が広がっている。
かつて20メートルだったその水深は、今や30メートルの紺碧の深淵へと姿を変え、その底には純白の大理石で設えた海底ベッドが沈んでいる。
ヤンの脳裏に、今から3年以上前、ケアンズ郊外に1年間だけオープンしていた劇場「NUCLEUS」、そこでの「バーティカル・ドロップ」の映像が蘇る。
(サラさんはあの時、30メートルの高さから一切の躊躇なく、頭からダイブした。それも、飛沫ひとつ上げない完璧な入水で……)
通常、10メートルを超える高飛び込みでは、衝撃から脳や眼球を守るために足からの入水が鉄則とされる。頭からの入水は、一歩間違えれば首の骨を折り、即死するか全身不随になる狂気の沙汰だ。だが、ヤンの決意は揺るがなかった。
(サラさん……。あなたの美貌や潜水技術では到底敵わないけれど、せめて高さだけは。そして、あなたと同じ「頭からのダイブ」で、あなたを超えたい!)
ヤンは立ち上がると、迷いなくビキニの紐を解いた。蒼い布が南太平洋の風にさらわれ、ひらひらと蝶のように舞い落ちる。陽光を浴びて輝く、一点の曇りもない全裸の肢体。彼女は、桟橋で見守る恋人、ライアンに力強く頷いた。
「行くわ……!」
彼女は虚空へと身を投げた。時速80キロを超える自由落下。空中で鮮やかなトリプル・クイントプル・サマーソルトを描き、重力に抗うようにしなやかな筋肉が躍動する。
ドォォォォン!
爆鳴と共に水面が裂け、ヤンは完璧な「ノースプラッシュ」で深淵へと吸い込まれた。
「えっ……あの子、頭からいったわ! 大丈夫かしら!?」
桟橋で見ていたリーファが、顔を蒼白にして叫んだ。
「31メートルよ!? 足からでも危ないのに、頭からなんて……!」
一同に戦慄が走る。1分、2分……。水面にはわずかな気泡すら浮いてこない。
「ヤン! ヤーン!」
リーファやエリザベスが海に駆け寄り、名前を叫ぶ。黒崎も
「フランク、すぐに救助の準備を!」
と怒鳴り声を上げた。
しかし、恋人のライアンだけは、桟橋の手すりに腰掛けたまま、退屈そうに爪をいじっていた。
(……また始まった。あいつの悪い癖だ)
ライアンは知っていた。ヤンが海底でどれほど自由か。そして、彼女がいかに「人を驚かせること」に喜びを感じる悪戯っ子であるかを。
海底30メートル。ヤンは黒崎が設えた大理石のベッドの横で、砂を巻き上げてダンスを踊っていた。
心拍数は毎分30回まで落ち、肺は水圧で小さく圧縮されているが、彼女の意識は冴え渡っている。
(ふふ、今頃みんな、真っ青になってるかな)
彼女はさらに1分、海底の静寂を独り占めにしてから、力強く大理石を蹴った。
バシャァァァッ!!
クレーンの近くで、白い影が爆発するように水面を割った。濡れた髪を豪快にかき上げ、ヤンが満面の笑みを浮かべる。
「たっだいまー! 最高の眺めだったわ!」
「ちょっと、いい加減にしなさいっ!」
リーファの怒鳴り声が響き、安堵した一同から爆笑が沸き起こった。
救助のために海へ泳ぎ出していたリーたちがヤンを取り囲み、手荒い祝福の水を浴びせる。ライアンもようやく海へ飛び込み、彼女の腰を抱き寄せて耳元で囁いた。
「心臓に悪いお転婆娘だな」
「ちょっと、ヤン! あんなの見せられたら、黙って見てられないわよ!」
女王リーが、濡れた艶やかな髪をかき上げながら叫んだ。
その瞳は、挑戦者の光を宿している。彼女に呼応するように、リーファとエリザベスも、クレーンが鎮座する台船へと力強く泳ぎ出した。
台船のふちに辿り着いた彼女たちは、操縦席のフランクを見上げ、口々に己の「限界」を宣言した。
「フランク、私を運んで! 18メートルよ! あの高さから、この青に溶けてみせるわ!」
リーが堂々と指を突き立てる。
「じゃあ、私は15メートルかな。ヤンみたいに頭からは無理だけど、最高の放物線を描いてみせる!」
リーファが快活に笑い、梯子に手をかける。
「私は控えめに12メートルで。でも、入水の美しさなら負けないわよ」
エリザベスもまた、茶目っ気たっぷりにウインクを投げた。
無口なフランクは、一つ頷くとレバーを操った。重厚な油圧の音が響き、アームが小刻みに高さを変えていく。
1人、また1人と、彼女たちは一切の衣を脱ぎ捨て、神話の女神のような全裸の肢体を南太平洋の風に晒した。
リーが18メートルの高空から、燃えるような紅い大輪の花のごとく舞い降りる。
リーファが15メートルから、しなやかな豹のように宙を駆ける。
エリザベスが12メートルから、一筋の銀光となって海へ吸い込まれる。
そのたびに、紺碧の海面には真っ白な花火のような飛沫が上がり、桟橋からは割れんばかりの拍手と歓声が送られた。
「……よし、俺もやるぞ!」
最後の1人が浮上したのを見届け、黒崎が意を決したように立ち上がった。
「えっ、エドワード!?高所恐怖症なのに」
サリーと名付けられた生後7ヶ月の女の赤ちゃんを抱いたサラが驚きに目を見開く中、黒崎はすでに桟橋を駆け出し、海へと飛び込んで台船へ向かっていた。
彼は必死の形相で梯子を登り、フランクの操縦席の横で息を切らして叫んだ。
「フランク! 10メートルだ! それ以上はダメだ!」
フランクは口角をわずかに上げ、アームを「10メートル」の高さで止めた。
いかに10メートルとはいえ、ビルの3階以上の高さだ。先端に立った黒崎は、先ほどまでの威勢はどこへやら、膝をガクガクと震わせている。
「行くぞ……。男、エドワード・黒崎、いざ!」
自分を鼓舞する叫びと共に、彼は虚空へ身を投げた。
しかし、空中で恐怖に負けて手足をバタつかせたのが災いした。華麗なダイブとは程遠い、完全に制御を失った姿勢。
「あっ、危ない!」
誰かが叫ぶのと同時に、彼は無様なカエルのような格好で、水面に対して完全に「腹」から激突した。
バッッッシャァァァァァン!!
一際大きな、しかし締まりのない音が響き渡り、大量の水飛沫が上がった。
数秒後、真っ赤に腫れ上がった腹をさすりながら、黒崎が「ゲホッ、ゲホッ!」とむせ返りながら水面に浮いてきた。
「アハハハ! エドワード、何それ! カエルの干物みたいだったわよ!」
「10メートルでその負傷、最高にダサいわ!」
海の上でも、桟橋でも、一同は腹を抱えて大爆笑した。その幸福な笑い声は、南太平洋のどこまでも続く青い空へと吸い込まれていった。
赤くなった腹をさすりながら、情けなく這い上がってきた黒崎に、サラが笑いながら、そして心底愛おしそうに駆け寄り、深いキスを贈った。
南太平洋の昼前の太陽は、一切の容赦なく黄金の光を降り注ぎ、海面を無数の砕け散ったダイヤモンドのように煌めかせていた。
サラと黒崎の愛の巣を包む空気は、熟れた果実のような甘い幸福と、生命を育む潮騒の香りに満ちている。
ビーチの目鼻先、桟橋から30メートルほど離れた洋上には、この日のために黒崎が街の建設会社に無理を言って貸し出させた巨大な台船クレーンが、場違いな鉄の牙のように屹立していた。
クレーンの操縦席には、無口な巨漢フランクが座り、計器を見つめる瞳には静かな緊張が走っている。
彼が慎重にレバーを引くと、重厚な油圧の唸りとともにアームが天に向かって反り上がり、その先端は海抜31メートルの高みにまで達した。
その先端には、蒼い紐ビキニを纏ったリウ・ヤンが、ちょこんと腰掛けていた。
彼女の眼下には、黒崎が自らの財力と執念で地形を削り、さらに深く掘り進めて造り上げた「聖域」が広がっている。
かつて20メートルだったその水深は、今や30メートルの紺碧の深淵へと姿を変え、その底には純白の大理石で設えた海底ベッドが沈んでいる。
ヤンの脳裏に、今から3年以上前、ケアンズ郊外に1年間だけオープンしていた劇場「NUCLEUS」、そこでの「バーティカル・ドロップ」の映像が蘇る。
(サラさんはあの時、30メートルの高さから一切の躊躇なく、頭からダイブした。それも、飛沫ひとつ上げない完璧な入水で……)
通常、10メートルを超える高飛び込みでは、衝撃から脳や眼球を守るために足からの入水が鉄則とされる。頭からの入水は、一歩間違えれば首の骨を折り、即死するか全身不随になる狂気の沙汰だ。だが、ヤンの決意は揺るがなかった。
(サラさん……。あなたの美貌や潜水技術では到底敵わないけれど、せめて高さだけは。そして、あなたと同じ「頭からのダイブ」で、あなたを超えたい!)
ヤンは立ち上がると、迷いなくビキニの紐を解いた。蒼い布が南太平洋の風にさらわれ、ひらひらと蝶のように舞い落ちる。陽光を浴びて輝く、一点の曇りもない全裸の肢体。彼女は、桟橋で見守る恋人、ライアンに力強く頷いた。
「行くわ……!」
彼女は虚空へと身を投げた。時速80キロを超える自由落下。空中で鮮やかなトリプル・クイントプル・サマーソルトを描き、重力に抗うようにしなやかな筋肉が躍動する。
ドォォォォン!
爆鳴と共に水面が裂け、ヤンは完璧な「ノースプラッシュ」で深淵へと吸い込まれた。
「えっ……あの子、頭からいったわ! 大丈夫かしら!?」
桟橋で見ていたリーファが、顔を蒼白にして叫んだ。
「31メートルよ!? 足からでも危ないのに、頭からなんて……!」
一同に戦慄が走る。1分、2分……。水面にはわずかな気泡すら浮いてこない。
「ヤン! ヤーン!」
リーファやエリザベスが海に駆け寄り、名前を叫ぶ。黒崎も
「フランク、すぐに救助の準備を!」
と怒鳴り声を上げた。
しかし、恋人のライアンだけは、桟橋の手すりに腰掛けたまま、退屈そうに爪をいじっていた。
(……また始まった。あいつの悪い癖だ)
ライアンは知っていた。ヤンが海底でどれほど自由か。そして、彼女がいかに「人を驚かせること」に喜びを感じる悪戯っ子であるかを。
海底30メートル。ヤンは黒崎が設えた大理石のベッドの横で、砂を巻き上げてダンスを踊っていた。
心拍数は毎分30回まで落ち、肺は水圧で小さく圧縮されているが、彼女の意識は冴え渡っている。
(ふふ、今頃みんな、真っ青になってるかな)
彼女はさらに1分、海底の静寂を独り占めにしてから、力強く大理石を蹴った。
バシャァァァッ!!
クレーンの近くで、白い影が爆発するように水面を割った。濡れた髪を豪快にかき上げ、ヤンが満面の笑みを浮かべる。
「たっだいまー! 最高の眺めだったわ!」
「ちょっと、いい加減にしなさいっ!」
リーファの怒鳴り声が響き、安堵した一同から爆笑が沸き起こった。
救助のために海へ泳ぎ出していたリーたちがヤンを取り囲み、手荒い祝福の水を浴びせる。ライアンもようやく海へ飛び込み、彼女の腰を抱き寄せて耳元で囁いた。
「心臓に悪いお転婆娘だな」
「ちょっと、ヤン! あんなの見せられたら、黙って見てられないわよ!」
女王リーが、濡れた艶やかな髪をかき上げながら叫んだ。
その瞳は、挑戦者の光を宿している。彼女に呼応するように、リーファとエリザベスも、クレーンが鎮座する台船へと力強く泳ぎ出した。
台船のふちに辿り着いた彼女たちは、操縦席のフランクを見上げ、口々に己の「限界」を宣言した。
「フランク、私を運んで! 18メートルよ! あの高さから、この青に溶けてみせるわ!」
リーが堂々と指を突き立てる。
「じゃあ、私は15メートルかな。ヤンみたいに頭からは無理だけど、最高の放物線を描いてみせる!」
リーファが快活に笑い、梯子に手をかける。
「私は控えめに12メートルで。でも、入水の美しさなら負けないわよ」
エリザベスもまた、茶目っ気たっぷりにウインクを投げた。
無口なフランクは、一つ頷くとレバーを操った。重厚な油圧の音が響き、アームが小刻みに高さを変えていく。
1人、また1人と、彼女たちは一切の衣を脱ぎ捨て、神話の女神のような全裸の肢体を南太平洋の風に晒した。
リーが18メートルの高空から、燃えるような紅い大輪の花のごとく舞い降りる。
リーファが15メートルから、しなやかな豹のように宙を駆ける。
エリザベスが12メートルから、一筋の銀光となって海へ吸い込まれる。
そのたびに、紺碧の海面には真っ白な花火のような飛沫が上がり、桟橋からは割れんばかりの拍手と歓声が送られた。
「……よし、俺もやるぞ!」
最後の1人が浮上したのを見届け、黒崎が意を決したように立ち上がった。
「えっ、エドワード!?高所恐怖症なのに」
サリーと名付けられた生後7ヶ月の女の赤ちゃんを抱いたサラが驚きに目を見開く中、黒崎はすでに桟橋を駆け出し、海へと飛び込んで台船へ向かっていた。
彼は必死の形相で梯子を登り、フランクの操縦席の横で息を切らして叫んだ。
「フランク! 10メートルだ! それ以上はダメだ!」
フランクは口角をわずかに上げ、アームを「10メートル」の高さで止めた。
いかに10メートルとはいえ、ビルの3階以上の高さだ。先端に立った黒崎は、先ほどまでの威勢はどこへやら、膝をガクガクと震わせている。
「行くぞ……。男、エドワード・黒崎、いざ!」
自分を鼓舞する叫びと共に、彼は虚空へ身を投げた。
しかし、空中で恐怖に負けて手足をバタつかせたのが災いした。華麗なダイブとは程遠い、完全に制御を失った姿勢。
「あっ、危ない!」
誰かが叫ぶのと同時に、彼は無様なカエルのような格好で、水面に対して完全に「腹」から激突した。
バッッッシャァァァァァン!!
一際大きな、しかし締まりのない音が響き渡り、大量の水飛沫が上がった。
数秒後、真っ赤に腫れ上がった腹をさすりながら、黒崎が「ゲホッ、ゲホッ!」とむせ返りながら水面に浮いてきた。
「アハハハ! エドワード、何それ! カエルの干物みたいだったわよ!」
「10メートルでその負傷、最高にダサいわ!」
海の上でも、桟橋でも、一同は腹を抱えて大爆笑した。その幸福な笑い声は、南太平洋のどこまでも続く青い空へと吸い込まれていった。
赤くなった腹をさすりながら、情けなく這い上がってきた黒崎に、サラが笑いながら、そして心底愛おしそうに駆け寄り、深いキスを贈った。
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