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【外伝】Episode-α 氷華の女王 第5章 沈黙のチェス
5-1.死者からの暗号と、ケアンズの恩義
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再び、アール島サラ邸。
実は黒崎の元に、5日前にメールが届いていた。
------
ケアンズで「ブラックドッグ」を率い、世界経済を裏から操った黒崎が、引退後も守り続けている極秘のアドレス。
そこに、場違いな投資勧誘のメールが舞い込んだ。
差出人名は**「エレーナ・カミンスキー」**。
黒崎には、その名に心当たりなど微塵もなかった。
From: elena.kaminsky@rosneft.ru
To: e.kurosaki_private@blackdog.com
Subject: ロスネフチ社より共同プロジェクトに関するご提案
拝啓、エドワード・黒崎様。
突然のメールにて失礼いたします。
私はロシア・ロスネフチ社の戦略投資部門に所属しております、エレーナ・カミンスキーと申します。
弊社では現在、ニューカレドニア近海における新たな海底資源探査および、それに伴うフィンテック決済システムの構築を計画しており……。
黒崎は無機質な文面を素っ気なくスクロールした。
引退した身に届く、よくある詐欺か、あるいは単なる誤送信だろう。
「追伸」として添えられた一枚の画像にも、最初は目を留めなかった。
大理石のデスクの上に置かれた、質素な**「青いマグカップ」**の写真。
独特のくすんだ藍色。
持ち手の付け根に小さな欠けが見えるが、黒崎はそれを「趣味の悪いロシアの執務室の備品」としか認識せず、デバイスを閉じた。
翌日、かつての右腕ヘンリー・西谷から緊急の連絡が入る。
スピーカー越しに届く彼の声は、いつになく緊張に満ちていた。
ヘンリーは19歳のとき、オーストラリア政府のデータベースを閲覧した罪で逮捕され、服役した過去を持つ。
当時、周囲の猛反対を押し切り、
「彼ほどの才能を埋もれさせる手はない。責任は俺が持つ」
と断言して迎え入れたのが、他ならぬ黒崎だった。
その恩義を片時も忘れたことのないヘンリーは、黒崎が引退した後も彼を人生の師と仰ぎ、現在はアール島中心街の病院を拠点としたシステム会社を経営しながら、影となって黒崎を支え続けている。
「黒崎さん、例のロシアの件ですが……妙なことになりました」
ヘンリーは、病院の事務室の奥深くから、震える声で報告を続ける。
「その『エレーナ・カミンスキー』という女ですが……実在しません。本物は2年前にサンクトペテルブルクで病死しています。当局の記録も、僕が直接潜って確認しました。つまり、今、黒崎さんに接触してきているのは、死者の名前を被った偽物です」
ヘンリーの言葉が、黒崎の思考を10年前のオレゴンの霧雨へと鮮烈に引き戻した。
家賃400ドルの、隙間風が鳴くアパート。
当時、隣にいたのは「エレーナ」などではない。
暖房代わりに寄り添い、凍える指先を温めるために、一つのカップを共有して飲んだ熱いココア。
あのマグカップの欠けは、寝ぼけた黒崎が彼女の誕生日の朝に、うっかり落として作ったものだ。
「コナミ・シバナヴァ……」
あれから女子フリーダイビングで世界のトップに君臨したコナミ。
「本当にお前なのか?目的はなんだ?」
黒崎は確信していた。
あのマグカップは、ロシアの組織が彼女から奪ったものか、あるいは彼女自身が放った、自分にしか解けない「SOS」のサインなのだ。
「ヘンリー、予定通り彼女を島に呼ぼう。エレーナ・カミンスキーとして、最高のもてなしで迎えてやるんだ」
黒崎はキッチンへ立ち、棚の奥に仕舞い込んでいた特別な小瓶を取り出した。
そこには、10年前、彼女が愛した「隠し味」のシナモンと海塩が入っている。
「彼女が俺の知っているあの女なら、この味の意味に気づかないはずがない」
黒崎はゆっくりと、復讐と再会が混ざり合ったような複雑な手つきで、シナモンを挽き始めた。
香ばしく、どこか切ない香りが、静かな邸宅を満たしていった。
------
そして、黒の裾をなびかせたエレーナ・カミンスキーが部屋を後にしてから、わずか数分後のことだった。
寝室の部屋のドアが音もなく開き、ヘンリー・西谷が姿を現した。
実は黒崎の元に、5日前にメールが届いていた。
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ケアンズで「ブラックドッグ」を率い、世界経済を裏から操った黒崎が、引退後も守り続けている極秘のアドレス。
そこに、場違いな投資勧誘のメールが舞い込んだ。
差出人名は**「エレーナ・カミンスキー」**。
黒崎には、その名に心当たりなど微塵もなかった。
From: elena.kaminsky@rosneft.ru
To: e.kurosaki_private@blackdog.com
Subject: ロスネフチ社より共同プロジェクトに関するご提案
拝啓、エドワード・黒崎様。
突然のメールにて失礼いたします。
私はロシア・ロスネフチ社の戦略投資部門に所属しております、エレーナ・カミンスキーと申します。
弊社では現在、ニューカレドニア近海における新たな海底資源探査および、それに伴うフィンテック決済システムの構築を計画しており……。
黒崎は無機質な文面を素っ気なくスクロールした。
引退した身に届く、よくある詐欺か、あるいは単なる誤送信だろう。
「追伸」として添えられた一枚の画像にも、最初は目を留めなかった。
大理石のデスクの上に置かれた、質素な**「青いマグカップ」**の写真。
独特のくすんだ藍色。
持ち手の付け根に小さな欠けが見えるが、黒崎はそれを「趣味の悪いロシアの執務室の備品」としか認識せず、デバイスを閉じた。
翌日、かつての右腕ヘンリー・西谷から緊急の連絡が入る。
スピーカー越しに届く彼の声は、いつになく緊張に満ちていた。
ヘンリーは19歳のとき、オーストラリア政府のデータベースを閲覧した罪で逮捕され、服役した過去を持つ。
当時、周囲の猛反対を押し切り、
「彼ほどの才能を埋もれさせる手はない。責任は俺が持つ」
と断言して迎え入れたのが、他ならぬ黒崎だった。
その恩義を片時も忘れたことのないヘンリーは、黒崎が引退した後も彼を人生の師と仰ぎ、現在はアール島中心街の病院を拠点としたシステム会社を経営しながら、影となって黒崎を支え続けている。
「黒崎さん、例のロシアの件ですが……妙なことになりました」
ヘンリーは、病院の事務室の奥深くから、震える声で報告を続ける。
「その『エレーナ・カミンスキー』という女ですが……実在しません。本物は2年前にサンクトペテルブルクで病死しています。当局の記録も、僕が直接潜って確認しました。つまり、今、黒崎さんに接触してきているのは、死者の名前を被った偽物です」
ヘンリーの言葉が、黒崎の思考を10年前のオレゴンの霧雨へと鮮烈に引き戻した。
家賃400ドルの、隙間風が鳴くアパート。
当時、隣にいたのは「エレーナ」などではない。
暖房代わりに寄り添い、凍える指先を温めるために、一つのカップを共有して飲んだ熱いココア。
あのマグカップの欠けは、寝ぼけた黒崎が彼女の誕生日の朝に、うっかり落として作ったものだ。
「コナミ・シバナヴァ……」
あれから女子フリーダイビングで世界のトップに君臨したコナミ。
「本当にお前なのか?目的はなんだ?」
黒崎は確信していた。
あのマグカップは、ロシアの組織が彼女から奪ったものか、あるいは彼女自身が放った、自分にしか解けない「SOS」のサインなのだ。
「ヘンリー、予定通り彼女を島に呼ぼう。エレーナ・カミンスキーとして、最高のもてなしで迎えてやるんだ」
黒崎はキッチンへ立ち、棚の奥に仕舞い込んでいた特別な小瓶を取り出した。
そこには、10年前、彼女が愛した「隠し味」のシナモンと海塩が入っている。
「彼女が俺の知っているあの女なら、この味の意味に気づかないはずがない」
黒崎はゆっくりと、復讐と再会が混ざり合ったような複雑な手つきで、シナモンを挽き始めた。
香ばしく、どこか切ない香りが、静かな邸宅を満たしていった。
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そして、黒の裾をなびかせたエレーナ・カミンスキーが部屋を後にしてから、わずか数分後のことだった。
寝室の部屋のドアが音もなく開き、ヘンリー・西谷が姿を現した。
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