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【外伝】Episode-α 氷華の女王 第3章 ヌメアの夜
3-1.硝子の残像
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数時間後。
ニューカレドニアの首都、ヌメア。
南太平洋の夜は、都会の喧騒さえも濃密な闇で塗りつぶしていく。
港を見下ろす最高級ホテルの一室、窓外には停泊する豪華客船の灯が星屑のように散らばっていた。
室内の明かりを点けぬまま、エレーナ・カミンスキー――否、コナミ・シバナヴァは、身に纏っていた黒のワンピースを脱ぎ捨てた。
鏡の前で、彼女は自分の頭部に手をかける。
指先が艶やかな黒髪の根元を探り、ゆっくりと、剥皮するようにその重みを持ち上げた。
鏡の中に現れたのは、あのオレゴンの雨の中で黒崎が見つけ、共に慈しんだ本来の金髪のボブヘアーだった。
黒髪のウィッグを放り投げ、彼女はさらに黒のランジェリーも、自分を「ロシアのエリート」に仕立て上げていたすべての武装を解いた。
一糸纏わぬ全裸のまま、彼女はシャワールームへと足を踏み入れる。
熱いシャワーの飛沫が、研ぎ澄まされた彼女の四肢を叩く。
首筋から背筋へ、そして引き締まった大腿部へと流れる湯の熱が、凍てついていた彼女の心を僅かに溶かした。
脳裏を掠めるのは、先ほどの黒崎との別れ際の一幕だ。
『明日は、黄色いビキニがよく似合う快晴になるはずだ。君のような人には、きっとそれが一番似合うと思う』
エレーナの胸の中で、冷徹な理性を焼き切るほどの熱い悦びが爆発した。
(誘ってくれた……。彼はまだ、あの色を覚えていてくれたんだ)
スーツケースの底に忍ばせてきた、あの鮮やかなイエローの極小紐ビキニ。
それを見せる機会を、彼は自ら作ってくれた。
あの瞬間、確かにエレーナ・カミンスキーとしての計算は消えていた。
『いいんですか? じゃあ、黄色いビキニで参加せていただきますわ、ミスター・黒崎』
任務を忘れた「コナミ」の弾んだ声が、喉の奥から溢れ出してしまったのだ。
結果的にそれが、黒崎の懐へ深く潜り込むための最高の演技になったとしても、彼女自身の胸には、苦い後悔が刺さっている。
今日の黒崎の、あの優しい瞳。
(何があったか知らないが、もう嘘をつかなくていい)
言葉にはならずとも、その眼差しはそう語りかけていた。
元々、嫌いで別れたわけではなかった。
10年前、オレゴン。
MBAを取得し、空港の喧騒の中で抱き合ったあの日。
互いの住むロシアとオーストラリアへ戻っても、必ず未来で合流しようと誓い合った。
あの温もりも、流した涙も、間違いなく本物だったのだ。
「……忘れて。あれは、死んだ男よ」
蛇口を乱暴に締め、コナミは濡れた髪をかき上げた。
浴室の鏡に映る自分を見つめる。そこにいるのは、恋を語る女学生ではなく、祖国から「毒」を託された冷徹な工作員だった。
ニューカレドニアの首都、ヌメア。
南太平洋の夜は、都会の喧騒さえも濃密な闇で塗りつぶしていく。
港を見下ろす最高級ホテルの一室、窓外には停泊する豪華客船の灯が星屑のように散らばっていた。
室内の明かりを点けぬまま、エレーナ・カミンスキー――否、コナミ・シバナヴァは、身に纏っていた黒のワンピースを脱ぎ捨てた。
鏡の前で、彼女は自分の頭部に手をかける。
指先が艶やかな黒髪の根元を探り、ゆっくりと、剥皮するようにその重みを持ち上げた。
鏡の中に現れたのは、あのオレゴンの雨の中で黒崎が見つけ、共に慈しんだ本来の金髪のボブヘアーだった。
黒髪のウィッグを放り投げ、彼女はさらに黒のランジェリーも、自分を「ロシアのエリート」に仕立て上げていたすべての武装を解いた。
一糸纏わぬ全裸のまま、彼女はシャワールームへと足を踏み入れる。
熱いシャワーの飛沫が、研ぎ澄まされた彼女の四肢を叩く。
首筋から背筋へ、そして引き締まった大腿部へと流れる湯の熱が、凍てついていた彼女の心を僅かに溶かした。
脳裏を掠めるのは、先ほどの黒崎との別れ際の一幕だ。
『明日は、黄色いビキニがよく似合う快晴になるはずだ。君のような人には、きっとそれが一番似合うと思う』
エレーナの胸の中で、冷徹な理性を焼き切るほどの熱い悦びが爆発した。
(誘ってくれた……。彼はまだ、あの色を覚えていてくれたんだ)
スーツケースの底に忍ばせてきた、あの鮮やかなイエローの極小紐ビキニ。
それを見せる機会を、彼は自ら作ってくれた。
あの瞬間、確かにエレーナ・カミンスキーとしての計算は消えていた。
『いいんですか? じゃあ、黄色いビキニで参加せていただきますわ、ミスター・黒崎』
任務を忘れた「コナミ」の弾んだ声が、喉の奥から溢れ出してしまったのだ。
結果的にそれが、黒崎の懐へ深く潜り込むための最高の演技になったとしても、彼女自身の胸には、苦い後悔が刺さっている。
今日の黒崎の、あの優しい瞳。
(何があったか知らないが、もう嘘をつかなくていい)
言葉にはならずとも、その眼差しはそう語りかけていた。
元々、嫌いで別れたわけではなかった。
10年前、オレゴン。
MBAを取得し、空港の喧騒の中で抱き合ったあの日。
互いの住むロシアとオーストラリアへ戻っても、必ず未来で合流しようと誓い合った。
あの温もりも、流した涙も、間違いなく本物だったのだ。
「……忘れて。あれは、死んだ男よ」
蛇口を乱暴に締め、コナミは濡れた髪をかき上げた。
浴室の鏡に映る自分を見つめる。そこにいるのは、恋を語る女学生ではなく、祖国から「毒」を託された冷徹な工作員だった。
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