150 / 155
【外伝】Episode-α 氷華の女王 第7章 最期の孤独
7-7.コナミの選択
しおりを挟む
水深120メートル。
そこは、生物という概念が物理法則によって粉砕される絶対領域だ。
潜水艦が潜行を開始してから10分。
サラの肺は、もはや本来の機能を失い、強靭な肋骨の檻の中でかろうじて圧壊を免れているに過ぎない。
皮膚という皮膚、毛細血管の至る所から、内圧に抗いきれない鮮血が滲み出し、彼女を深海のヴェールで包み込んでいく。
サラは即座に、意識を喪失し人形のように漂う黒崎を左腕で抱き寄せた。
広背筋と大円筋を限界まで収縮させ、水圧で鉄の棒のようになった彼の肉体を固定する。
浮上を開始しようとした、その刹那だった。
サラの視界の端で、物理法則を無視したような異様な光景が展開された。
自由になったはずのコナミが、自らの意思で、解かれたばかりのロープを再び腰に巻き付けていたのだ。
それも、以前よりはるかに無慈悲な、逃亡を許さぬ死の結び目で。
いつの間にか、彼女の身を包んでいた黄色いビキニは剥ぎ取られ、激流のなかに消えていた。
全裸となったコナミの肢体は、極限の水圧にさらされながらも、大理石の彫像のように滑らかで、そして冷徹なまでに美しかった。
極寒の海中にあってなお、彼女の脊柱起立筋は優雅な弧を描き、死を受け入れた者の静謐さを湛えている。
気泡の嵐に遮られ、声は届かない。 だが、サラには見えた。コナミの蒼白な唇が、絶望を愛撫するように動くのを。
(私には、帰る場所なんて……最初からなかったのよ)
SVR(ロシア対外情報庁)を裏切った者に、赦しの朝は訪れない。
浮上の先に待つのは、血の匂いを嗅ぎつけた掃除屋たちの冷たい銃口か、あるいは死よりも過酷な永劫の逃亡劇。
コナミは、自らの魂を縛り上げるようにロープを締め上げた。
彼女の大腿四頭筋が一度だけ強く脈動し、巨大な潜水艦の推進力が作り出す負圧に、その身を預ける。
(早く行きなさい)
そう告げるかのように、コナミは微笑んだ。
彼女の肺に残された最後の一欠片の酸素が、銀色の真珠となって溢れ出す。
かつての彼女を彩っていた黄色いビキニが、まるで抜け殻のように、暗黒の深淵へとゆっくりと、ゆらゆらと溶けていった。
サラの網膜に焼き付いたのは、光の届かぬ場所で自ら「影」になることを選んだ、一人のスパイの、凄絶なまでに美しい最期だった。
そこは、生物という概念が物理法則によって粉砕される絶対領域だ。
潜水艦が潜行を開始してから10分。
サラの肺は、もはや本来の機能を失い、強靭な肋骨の檻の中でかろうじて圧壊を免れているに過ぎない。
皮膚という皮膚、毛細血管の至る所から、内圧に抗いきれない鮮血が滲み出し、彼女を深海のヴェールで包み込んでいく。
サラは即座に、意識を喪失し人形のように漂う黒崎を左腕で抱き寄せた。
広背筋と大円筋を限界まで収縮させ、水圧で鉄の棒のようになった彼の肉体を固定する。
浮上を開始しようとした、その刹那だった。
サラの視界の端で、物理法則を無視したような異様な光景が展開された。
自由になったはずのコナミが、自らの意思で、解かれたばかりのロープを再び腰に巻き付けていたのだ。
それも、以前よりはるかに無慈悲な、逃亡を許さぬ死の結び目で。
いつの間にか、彼女の身を包んでいた黄色いビキニは剥ぎ取られ、激流のなかに消えていた。
全裸となったコナミの肢体は、極限の水圧にさらされながらも、大理石の彫像のように滑らかで、そして冷徹なまでに美しかった。
極寒の海中にあってなお、彼女の脊柱起立筋は優雅な弧を描き、死を受け入れた者の静謐さを湛えている。
気泡の嵐に遮られ、声は届かない。 だが、サラには見えた。コナミの蒼白な唇が、絶望を愛撫するように動くのを。
(私には、帰る場所なんて……最初からなかったのよ)
SVR(ロシア対外情報庁)を裏切った者に、赦しの朝は訪れない。
浮上の先に待つのは、血の匂いを嗅ぎつけた掃除屋たちの冷たい銃口か、あるいは死よりも過酷な永劫の逃亡劇。
コナミは、自らの魂を縛り上げるようにロープを締め上げた。
彼女の大腿四頭筋が一度だけ強く脈動し、巨大な潜水艦の推進力が作り出す負圧に、その身を預ける。
(早く行きなさい)
そう告げるかのように、コナミは微笑んだ。
彼女の肺に残された最後の一欠片の酸素が、銀色の真珠となって溢れ出す。
かつての彼女を彩っていた黄色いビキニが、まるで抜け殻のように、暗黒の深淵へとゆっくりと、ゆらゆらと溶けていった。
サラの網膜に焼き付いたのは、光の届かぬ場所で自ら「影」になることを選んだ、一人のスパイの、凄絶なまでに美しい最期だった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる