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「……陛下。確認ですが、これはあくまで『仮初め』の婚約披露ですよね?」
私は鏡の中に映る自分を見つめながら、背後に立つ男に問いかけました。
そこにいたのは、最高級の魔糸で織られた、夜空を切り取ったような深い紺色のドレスを纏った私。そして、その腰を「私の所有物だ」と言わんばかりの力強さで抱き寄せている、軍服姿のゼクス陛下です。
「ああ。君が私の隣にいても不自然ではないという、公的な証明だ」
「にしては、用意された指輪のダイヤが私の拳くらいのサイズがあるのですが。これ、殴られたら即死する凶器ではありませんか?」
「君を守るためのアーティファクトだと言っただろう。私の魔力を込めてある。もし不埒な輩が近づいたら、そのダイヤから氷の槍が飛び出す仕様だ」
「機能が過剰ですわ! 社交界で殺人事件を起こす気ですか!」
私は溜息を吐きながら、重すぎる左手を持ち上げました。
今日、帝国の王宮では大規模な晩餐会が開かれます。そこで、隣国から「亡命」してきた私が、陛下の婚約者として正式に紹介されるのです。
「エルトス。君はただ、私の隣で微笑んでいればいい。嫌な奴がいたら目配せしろ。私が即座に辺境へ飛ばす」
「陛下、私は仕事をしに来たのです。独裁者の愛玩動物(ペット)になるつもりはありませんわ」
私は彼の腕をすり抜け、扇を優雅に広げました。
「ご覧なさい。このドレスも、この宝石も、すべては帝国の威信を示すための舞台装置。私がどれだけ『価値のある女』であるかを、この国の貴族たちに知らしめて差し上げますわ」
その不敵な笑みに、ゼクス陛下は一瞬呆気に取られた後、心底愉しそうに目を細めました。
「……ふ。やはり君を選んで正解だった。その傲岸不遜さこそ、帝国の皇后に相応しい」
会場の扉が開いた瞬間、数千の視線が私たちに突き刺さりました。
「……あれが、噂の?」
「ラングレー王国の悪役令嬢だろう? なぜ陛下があんな女を……」
ひそひそと交わされる毒のある囁き。
私はそれらを心地よいBGMのように聞き流しながら、背筋を伸ばして大理石の床を鳴らしました。
「皆様、今宵はお集まりいただき感謝する。……紹介しよう。私の婚約者、エルトス・リン・ローランドだ」
陛下の冷徹な声が会場を支配します。
その直後、一人の恰幅の良い伯爵が、試すような視線で私に近づいてきました。
「これはこれは、美しい。ですが陛下、噂によればこの令嬢は、母国を追放されたとか。帝国の妃には、もっと相応しい血筋と……何より、清廉な方がおられるのでは?」
「あら、清廉、ですか」
私は陛下が口を開くより早く、一歩前へ出ました。
「伯爵。あなたが仰る『清廉』とは、去年の冬に帝都の穀物相場を裏で操り、三割もの不当利益を得た行為も含まれますの? 私の手元の資料(メモ)によれば、あなたの個人口座にはかなりの額の『清廉な』金が眠っているようですが」
「なっ……!? な、何を……」
「おっと、失礼。お名前を拝見した瞬間に、つい数字が頭に浮かんでしまいまして。……陛下、この方は帝国の経済を『活性化』させるために、多額の寄付を検討されているそうですよ?」
私の微笑みに、伯爵は顔を真っ青にして後退りしました。
会場に、しんと静まり返った沈黙が流れます。
「……エルトス。君、あの短時間でいつの間に伯爵の汚職を調べたんだ?」
隣で陛下が、少し引いたような声で耳打ちしてきました。
「昨夜、お夜食を待っている間に書庫の記録を少し。……陛下、私を甘く見ないでくださいませ。私は数字の暴力で人を黙らせるのが特技なんです」
「……。恐ろしい女だ。……ますます離したくなくなった」
陛下は私の腰を引き寄せ、会場の全員に聞こえるような大声で宣言しました。
「聞いた通りだ。彼女は私の知恵袋であり、盾であり、そして心臓だ。……彼女を侮ることは、私への宣戦布告と見なす」
……陛下、愛が重いのは知っていましたが、社交界デビュー初日で「敵対者は即宣戦布告」はハードルを上げすぎではありませんか?
こうして、私の「仮初め」の婚約者生活は、帝国中の貴族を恐怖のどん底に叩き落とすという、鮮烈な幕開けを飾ったのでした。
一方で、遠いラングレー王国では、カイル殿下が「なぜか帳簿の数字が合わないんだ……! エルトスなら一瞬で直してくれたのに!」と頭を抱え始めている頃でしょう。
ざまぁ見なさい。数字は嘘をつきませんけれど、私はもう、あなたの味方ではありませんもの。
私は鏡の中に映る自分を見つめながら、背後に立つ男に問いかけました。
そこにいたのは、最高級の魔糸で織られた、夜空を切り取ったような深い紺色のドレスを纏った私。そして、その腰を「私の所有物だ」と言わんばかりの力強さで抱き寄せている、軍服姿のゼクス陛下です。
「ああ。君が私の隣にいても不自然ではないという、公的な証明だ」
「にしては、用意された指輪のダイヤが私の拳くらいのサイズがあるのですが。これ、殴られたら即死する凶器ではありませんか?」
「君を守るためのアーティファクトだと言っただろう。私の魔力を込めてある。もし不埒な輩が近づいたら、そのダイヤから氷の槍が飛び出す仕様だ」
「機能が過剰ですわ! 社交界で殺人事件を起こす気ですか!」
私は溜息を吐きながら、重すぎる左手を持ち上げました。
今日、帝国の王宮では大規模な晩餐会が開かれます。そこで、隣国から「亡命」してきた私が、陛下の婚約者として正式に紹介されるのです。
「エルトス。君はただ、私の隣で微笑んでいればいい。嫌な奴がいたら目配せしろ。私が即座に辺境へ飛ばす」
「陛下、私は仕事をしに来たのです。独裁者の愛玩動物(ペット)になるつもりはありませんわ」
私は彼の腕をすり抜け、扇を優雅に広げました。
「ご覧なさい。このドレスも、この宝石も、すべては帝国の威信を示すための舞台装置。私がどれだけ『価値のある女』であるかを、この国の貴族たちに知らしめて差し上げますわ」
その不敵な笑みに、ゼクス陛下は一瞬呆気に取られた後、心底愉しそうに目を細めました。
「……ふ。やはり君を選んで正解だった。その傲岸不遜さこそ、帝国の皇后に相応しい」
会場の扉が開いた瞬間、数千の視線が私たちに突き刺さりました。
「……あれが、噂の?」
「ラングレー王国の悪役令嬢だろう? なぜ陛下があんな女を……」
ひそひそと交わされる毒のある囁き。
私はそれらを心地よいBGMのように聞き流しながら、背筋を伸ばして大理石の床を鳴らしました。
「皆様、今宵はお集まりいただき感謝する。……紹介しよう。私の婚約者、エルトス・リン・ローランドだ」
陛下の冷徹な声が会場を支配します。
その直後、一人の恰幅の良い伯爵が、試すような視線で私に近づいてきました。
「これはこれは、美しい。ですが陛下、噂によればこの令嬢は、母国を追放されたとか。帝国の妃には、もっと相応しい血筋と……何より、清廉な方がおられるのでは?」
「あら、清廉、ですか」
私は陛下が口を開くより早く、一歩前へ出ました。
「伯爵。あなたが仰る『清廉』とは、去年の冬に帝都の穀物相場を裏で操り、三割もの不当利益を得た行為も含まれますの? 私の手元の資料(メモ)によれば、あなたの個人口座にはかなりの額の『清廉な』金が眠っているようですが」
「なっ……!? な、何を……」
「おっと、失礼。お名前を拝見した瞬間に、つい数字が頭に浮かんでしまいまして。……陛下、この方は帝国の経済を『活性化』させるために、多額の寄付を検討されているそうですよ?」
私の微笑みに、伯爵は顔を真っ青にして後退りしました。
会場に、しんと静まり返った沈黙が流れます。
「……エルトス。君、あの短時間でいつの間に伯爵の汚職を調べたんだ?」
隣で陛下が、少し引いたような声で耳打ちしてきました。
「昨夜、お夜食を待っている間に書庫の記録を少し。……陛下、私を甘く見ないでくださいませ。私は数字の暴力で人を黙らせるのが特技なんです」
「……。恐ろしい女だ。……ますます離したくなくなった」
陛下は私の腰を引き寄せ、会場の全員に聞こえるような大声で宣言しました。
「聞いた通りだ。彼女は私の知恵袋であり、盾であり、そして心臓だ。……彼女を侮ることは、私への宣戦布告と見なす」
……陛下、愛が重いのは知っていましたが、社交界デビュー初日で「敵対者は即宣戦布告」はハードルを上げすぎではありませんか?
こうして、私の「仮初め」の婚約者生活は、帝国中の貴族を恐怖のどん底に叩き落とすという、鮮烈な幕開けを飾ったのでした。
一方で、遠いラングレー王国では、カイル殿下が「なぜか帳簿の数字が合わないんだ……! エルトスなら一瞬で直してくれたのに!」と頭を抱え始めている頃でしょう。
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