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「……ああ、もう嫌。本当にお外に出るのが怖いですわ」
私は公爵家のテラスで、色とりどりのマカロンを前にしてぐったりと横たわっていました。
あのアッシュ様による「教育(という名の熱烈な抱擁)」から一夜明け。
私の身体には、まだ彼の体温が残っているような気がして、思い出すだけで顔から火柱が上がりそうです。
(ダメよ、クロエル! これ以上アッシュ様に流されては、私の『悪女』としてのアイデンティティが消滅してしまうわ!)
私は自分を奮い立たせるために、冷たいハーブティーを一口飲みました。
そこへ、執事のセバスさんが、どこか困ったような、それでいて嬉しそうな顔でやってきました。
「クロエルお嬢様、マリエル様がお見えです。今日こそは、きちんとお話をしたいと……」
「マリエル様が……。ええ、いいわ。通してちょうだい」
私は扇を広げ、キリリと眉を吊り上げました。
(今度こそ! 今度こそ彼女を冷たく突き放して、私は彼女の『慈悲深い親友』ではなく、『計算高い元婚約者』に戻るのよ!)
現れたマリエル様は、先日よりもさらに瞳を潤ませ、今にも消えてしまいそうなほど儚げな様子で私の前に立ちました。
「……クロエル様。あの、昨日は本当に、ありがとうございました」
「あら、マリエル様。またいらしたの? しつこい女性は殿下に嫌われますわよ。私はただ、自分の邪魔になった婚約者の座をあなたに押し付けただけ。感謝される筋合いなんてございませんわ」
(よしっ! 完璧な悪女の台詞だわ! さあ、私を軽蔑なさい!)
――ググッ。
喉の奥に、沸騰したハチミツのような「真実」がせり上がってきました。
チョーカーの紫色の宝石が、私の邪悪な決意を嘲笑うように、サンサンと輝き始めます。
「……感謝される筋合いなんてございませんわ! ……なんて、本当は、あなたが笑っている顔を見るだけで、私の心の汚れが全部洗い流されるような気がして、最高に幸せなんですの! ああ、マリエル様、あなたのその真っ直ぐな瞳に見つめられると、私、自分の命を投げ打ってでもあなたを幸せにしたいという衝動が抑えられませんのよ!!」
「クロエル様……!!」
マリエル様が、ポロポロと真珠のような涙をこぼしながら、私の膝元に縋り付きました。
「やっぱり、やっぱりお優しいのですね……! 私のために、あんなに酷い泥を被って……。私、あなたを一人でそんな目に遭わせていたなんて、自分が情けなくて……っ!」
「違いますわ! 私は……っ」
(私は、ただの自己満足でやっただけですのよ! あなたの同情なんて、反吐が出ますわ!)
――ググッ。
「……私は、……ただの自己満足でやっただけですのよ! ……なんて、本当は、あなたの役に立てることが誇らしくてたまらなかったんですの! あなたが殿下と手を取り合っている姿を想像するだけで、私、三日三晩お祝いのダンスを踊り明かしたい気分でしたわ! ああ、私の親友が世界で一番幸せなんだと思うと、胸がいっぱいで……っ!!」
私は自分の口を両手で押さえました。
ですが、言葉は指の隙間から漏れ出し、マリエル様の心をさらに激しく揺さぶります。
「クロエル様……。私、決めました。これから一生、あなたに尽くします! あなたがアッシュ様にどれだけ虐げられても、私が……っ!」
「いや、虐げられてなんていませんわ。あの方は……っ」
(あの方は、私を逃がさないように閉じ込めているだけの、執着心の塊なんですのよ!)
「……あの方は、……私を一分一秒でも離したくないと、全身全霊で愛してくださる、この世で一番情熱的な殿方なんですの! 私、あの方に甘やかされるたびに、自分がとろとろのジャムにされてしまうんじゃないかって、不安になるほど愛されているんですのよ……!!」
「………………え?」
マリエル様の涙が止まり、ポカンとした顔で私を見上げました。
(あああああ! また! また公爵様のノロケ話を親友に暴露してしまいましたわ!!)
「……あ、あの、クロエル様? もしかして、アッシュ様とは、その……とても仲がよろしいのですか?」
「仲がいいなんて……っ! 私はあの方のことを……っ」
(私はあの方のことを、……顔がいいだけの冷血漢だと思っていますわ!)
――ググッ。
「……私はあの方のことを、……顔がいい上に性格も最高で、私のすべてを肯定してくれる、運命の王子様だと思っていますわ! ああ、もう、あの方の銀髪が視界に入るだけで、私の心臓は爆発寸前なんですの。昨夜の口づけも、あんなに熱くて……っ、あんなに……っ!!」
「……昨夜の口づけが、なんだって?」
低く、耳に心地よい、けれどどこか楽しげな声が響きました。
振り返ると、いつの間にいたのか、アッシュ様が腕を組んでガゼボの入り口に立っていました。
(ひ、ひぃいいいいい!!)
「ア、アッシュ様……! いつからそこに!?」
「『運命の王子様』あたりからだ。……ふん、マリエル嬢。君も、彼女の『真実』が聞けて満足しただろうか?」
アッシュ様が歩み寄り、私の肩を当然のように抱き寄せました。
その手のひらの熱が、ドレス越しに伝わってきて、私はまたしても本音の暴走を予感しました。
「……アッシュ公爵。……クロエル様を、本当にお幸せにしてくださっているのですね?」
マリエル様が、どこか安心したような、それでいて少しだけ呆れたような顔で問いかけました。
「……当たり前だ。彼女のこの『お喋りな唇』を満足させるのは、私の役目だからな。……さて、マリエル嬢。そろそろ私の婚約者との時間は終わりだ。……これからは、私との『私的な時間』なのだ」
「ま、待ってください、アッシュ様! まだお話が……っ!」
「話なら、寝室でゆっくり聞いてやろう。……君の、その甘い本音をな」
アッシュ様が私の耳元で囁くと、私はもう、言葉にならない吐息を漏らすことしかできませんでした。
(あああああ! 私の悪女計画は、親友の前で完全に『溺愛自慢』へと書き換えられてしまいましたわーーー!!)
マリエル様は「お幸せに……」と、清々しい笑顔で去っていきました。
後に残されたのは、顔を真っ赤にした私と、そんな私を逃がさないとばかりに強く抱きしめる公爵様だけ。
私の「嘘」の盾は、愛という名の真実によって、またしても跡形もなく溶かされてしまったのでした。
私は公爵家のテラスで、色とりどりのマカロンを前にしてぐったりと横たわっていました。
あのアッシュ様による「教育(という名の熱烈な抱擁)」から一夜明け。
私の身体には、まだ彼の体温が残っているような気がして、思い出すだけで顔から火柱が上がりそうです。
(ダメよ、クロエル! これ以上アッシュ様に流されては、私の『悪女』としてのアイデンティティが消滅してしまうわ!)
私は自分を奮い立たせるために、冷たいハーブティーを一口飲みました。
そこへ、執事のセバスさんが、どこか困ったような、それでいて嬉しそうな顔でやってきました。
「クロエルお嬢様、マリエル様がお見えです。今日こそは、きちんとお話をしたいと……」
「マリエル様が……。ええ、いいわ。通してちょうだい」
私は扇を広げ、キリリと眉を吊り上げました。
(今度こそ! 今度こそ彼女を冷たく突き放して、私は彼女の『慈悲深い親友』ではなく、『計算高い元婚約者』に戻るのよ!)
現れたマリエル様は、先日よりもさらに瞳を潤ませ、今にも消えてしまいそうなほど儚げな様子で私の前に立ちました。
「……クロエル様。あの、昨日は本当に、ありがとうございました」
「あら、マリエル様。またいらしたの? しつこい女性は殿下に嫌われますわよ。私はただ、自分の邪魔になった婚約者の座をあなたに押し付けただけ。感謝される筋合いなんてございませんわ」
(よしっ! 完璧な悪女の台詞だわ! さあ、私を軽蔑なさい!)
――ググッ。
喉の奥に、沸騰したハチミツのような「真実」がせり上がってきました。
チョーカーの紫色の宝石が、私の邪悪な決意を嘲笑うように、サンサンと輝き始めます。
「……感謝される筋合いなんてございませんわ! ……なんて、本当は、あなたが笑っている顔を見るだけで、私の心の汚れが全部洗い流されるような気がして、最高に幸せなんですの! ああ、マリエル様、あなたのその真っ直ぐな瞳に見つめられると、私、自分の命を投げ打ってでもあなたを幸せにしたいという衝動が抑えられませんのよ!!」
「クロエル様……!!」
マリエル様が、ポロポロと真珠のような涙をこぼしながら、私の膝元に縋り付きました。
「やっぱり、やっぱりお優しいのですね……! 私のために、あんなに酷い泥を被って……。私、あなたを一人でそんな目に遭わせていたなんて、自分が情けなくて……っ!」
「違いますわ! 私は……っ」
(私は、ただの自己満足でやっただけですのよ! あなたの同情なんて、反吐が出ますわ!)
――ググッ。
「……私は、……ただの自己満足でやっただけですのよ! ……なんて、本当は、あなたの役に立てることが誇らしくてたまらなかったんですの! あなたが殿下と手を取り合っている姿を想像するだけで、私、三日三晩お祝いのダンスを踊り明かしたい気分でしたわ! ああ、私の親友が世界で一番幸せなんだと思うと、胸がいっぱいで……っ!!」
私は自分の口を両手で押さえました。
ですが、言葉は指の隙間から漏れ出し、マリエル様の心をさらに激しく揺さぶります。
「クロエル様……。私、決めました。これから一生、あなたに尽くします! あなたがアッシュ様にどれだけ虐げられても、私が……っ!」
「いや、虐げられてなんていませんわ。あの方は……っ」
(あの方は、私を逃がさないように閉じ込めているだけの、執着心の塊なんですのよ!)
「……あの方は、……私を一分一秒でも離したくないと、全身全霊で愛してくださる、この世で一番情熱的な殿方なんですの! 私、あの方に甘やかされるたびに、自分がとろとろのジャムにされてしまうんじゃないかって、不安になるほど愛されているんですのよ……!!」
「………………え?」
マリエル様の涙が止まり、ポカンとした顔で私を見上げました。
(あああああ! また! また公爵様のノロケ話を親友に暴露してしまいましたわ!!)
「……あ、あの、クロエル様? もしかして、アッシュ様とは、その……とても仲がよろしいのですか?」
「仲がいいなんて……っ! 私はあの方のことを……っ」
(私はあの方のことを、……顔がいいだけの冷血漢だと思っていますわ!)
――ググッ。
「……私はあの方のことを、……顔がいい上に性格も最高で、私のすべてを肯定してくれる、運命の王子様だと思っていますわ! ああ、もう、あの方の銀髪が視界に入るだけで、私の心臓は爆発寸前なんですの。昨夜の口づけも、あんなに熱くて……っ、あんなに……っ!!」
「……昨夜の口づけが、なんだって?」
低く、耳に心地よい、けれどどこか楽しげな声が響きました。
振り返ると、いつの間にいたのか、アッシュ様が腕を組んでガゼボの入り口に立っていました。
(ひ、ひぃいいいいい!!)
「ア、アッシュ様……! いつからそこに!?」
「『運命の王子様』あたりからだ。……ふん、マリエル嬢。君も、彼女の『真実』が聞けて満足しただろうか?」
アッシュ様が歩み寄り、私の肩を当然のように抱き寄せました。
その手のひらの熱が、ドレス越しに伝わってきて、私はまたしても本音の暴走を予感しました。
「……アッシュ公爵。……クロエル様を、本当にお幸せにしてくださっているのですね?」
マリエル様が、どこか安心したような、それでいて少しだけ呆れたような顔で問いかけました。
「……当たり前だ。彼女のこの『お喋りな唇』を満足させるのは、私の役目だからな。……さて、マリエル嬢。そろそろ私の婚約者との時間は終わりだ。……これからは、私との『私的な時間』なのだ」
「ま、待ってください、アッシュ様! まだお話が……っ!」
「話なら、寝室でゆっくり聞いてやろう。……君の、その甘い本音をな」
アッシュ様が私の耳元で囁くと、私はもう、言葉にならない吐息を漏らすことしかできませんでした。
(あああああ! 私の悪女計画は、親友の前で完全に『溺愛自慢』へと書き換えられてしまいましたわーーー!!)
マリエル様は「お幸せに……」と、清々しい笑顔で去っていきました。
後に残されたのは、顔を真っ赤にした私と、そんな私を逃がさないとばかりに強く抱きしめる公爵様だけ。
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