どうせ私を悪者にしたいんでしょ?

恋守あい

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15話

「……地獄。ここは、甘い香りのする地獄だわ」

アンテラは、王宮の自室にある豪華な長椅子に横たわり、遠い目をして呟いた。
王子の宣言通り、この部屋は「聖域」という名の密室と化した。
扉の外には近衛騎士が立ち、中には世界で最も顔が良い「溺愛マシーン」こと、ゼノン殿下が常駐している。

「アンテラ、次はどのフルーツを食べる? この瑞々しいマスカットか、それとも真っ赤な完熟の苺か。……マスカットは皮を剥く手間があるから、私が剥いてやろう。苺はそのまま食べられるが、練乳をかけるか迷うところだな」

ゼノンは、アンテラの口元にフォークを差し出しながら、至極真面目な顔で尋ねた。

「……殿下。自分で食べられますわ。というか、今は何も食べたくありません。……ただ、重力に従って、そのまま溶けて消えてしまいたいだけなんです」

「いけないな、アンテラ。君が溶けてしまったら、私は誰を愛せばいい。……ほら、選べ。マスカットか、苺か。君が決められないなら、両方を交互に口に運んでやろう」

(……出たわ。究極の二択。……マスカットは美味しいけれど、噛むと果汁が飛び散りそう。苺は甘いけれど、種が歯に挟まったら取るのが面倒……。……ああ、どうしましょう。どっちを選べば、殿下が満足して早く執務に戻ってくれるのかしら)

アンテラは、差し出された二つの果実を交互に見つめて、脳内で壮絶なシミュレーションを開始した。
しかし、彼女の「優柔不断」は、果実一つ選ぶのにも膨大な時間を要求する。

五分後。

「アンテラ……。そんなに真剣に悩むほど、私の愛を吟味してくれているのだな?」

「……いえ。単に、噛む回数が少ない方はどちらかしらと考えていただけです」

「ふっ、君のそういう無欲なところも好きだ。……よし、決められないなら私の口から……」

「……えっ!?」

ゼノンが危険な動きを見せた。
このままでは、別の意味で面倒な事態になる。
アンテラは慌てて体を起こそうとした。

ところが。

「あ」

本日一回目の、ドジである。
急いで起き上がろうとしたアンテラの膝が、ゼノンが持っていたフルーツ皿の端を跳ね上げた。

ガシャン!

空中に舞ったマスカットと苺たちが、王子の高価な絹のシャツに見事な模様を描いて着地する。
さらに、皿に残っていた練乳が、ゼノンの膝の上に、まるでお手本のような白い染みを作った。

「…………あっ」

アンテラは、固まった。
王子の服を汚すのは、これで何度目だろうか。
不敬罪という言葉が、彼女の頭の中で「おやすみなさい」という文字と一緒に踊り始める。

「……殿下、その。……芸術的ですね? 白いキャンバスに、緑と赤のアクセント。……拭きます、今すぐ拭きますわ!」

アンテラは、慌てて手近にあった布を掴んで、ゼノンの膝の上をゴシゴシと擦った。
しかし、その布は彼女自身の薄手のネグリジェの裾だった。

「……アンテラ」

ゼノンの声が、今まで聞いたことがないほど掠れていた。
顔を上げると、至近距離に王子の熱っぽい瞳がある。
彼の顔は、なぜか耳の付け根まで赤く染まっていた。

「……その、拭き方は……。……私を、誘惑しているのか?」

「……はい?」

アンテラは、自分の手の動きを見た。
王子の膝の上、練乳がついた部分を、自分の服の裾で必死に擦っている。
客観的に見れば、それは極めて扇情的な光景だったかもしれない。

「違います! 私はただ、染みを最小限に抑えようと……!」

「わかっている。……君は、言葉では『面倒だ』と言いながら、体はこんなにも情熱的に私を求めているのだな。……拭くのはもういい。……染みなど、愛の証だ」

ゼノンはアンテラの手首を掴み、そのまま長椅子の上に彼女を優しく押し倒した。

「……殿下、近いです。……あと、重いです。……私、今からお昼寝をする予定で……」

「一緒に寝よう。……一週間、外には出さないと言っただろう? 君が望むなら、このまま……」

(……だめだわ。この人、私のドジを全部『情事への誘い』に変換してる……!)

アンテラは、絶望的な気分で天井を見上げた。
本来なら、ここで「嫌です」とはっきり断るべきなのだろう。
しかし、それを説明し、王子の重すぎる情熱を説得し、納得させるまでにかかる時間と労力を計算した瞬間、彼女の脳は白旗を上げた。

「……もう、いいですわ。……お好きなようにしてください。……ただし、静かに寝かせてくださいね……」

「……アンテラ。なんて……なんて従順で、愛おしい女なんだ……!」

ゼノンは感動のあまり、アンテラの首筋に顔を埋めた。
アンテラは、その温もりを感じながら、ぼんやりと思った。

(……ああ。こうして私は、悪役令嬢から王妃への階段を、一段飛ばしで転げ落ちていくのね。……転がるのって、歩くよりは楽だけど……着地点が王宮の奥底なのは、ちょっと計算外だったわ……)

密室の「聖域」は、アンテラの予想を遥かに超えた熱量で、彼女の平穏を焼き尽くしていくのであった。
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