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16話
「……朝ね。また、太陽が私の安眠を妨害しに来たわ」
アンテラは、最高級の羽毛布団に顔を埋めながら、恨みがましく窓の外を睨んだ。
隣には、すでに身支度を整え、一点の曇りもない笑顔を浮かべたゼノンが座っている。
「おはよう、アンテラ。昨夜はよく眠れたか? 君の寝顔があまりに愛らしくて、私は一睡もできなかったよ」
「……殿下。それは不眠症という病気ですわ。今すぐお医者様に診てもらってください。そして、私の部屋から退場してください」
「ふっ、朝から軽快な冗談だな。さあ、朝食の時間だ。今日は君のために、他国から取り寄せた『幻の青いジャム』を用意したぞ」
(……青いジャム? なんだか毒々しいわね。……あ。毒々しい?)
アンテラの脳内に、名案が閃いた。
このまま王子の溺愛に流されていれば、私は確実に「過労(精神的)」で死ぬ。
今の私に必要なのは、殿下に「この女、性格が悪すぎる!」と愛想を尽かされることだ。
(よし。ここでワガママな悪役令嬢を演じて、このジャムを床に叩きつけてやるわ! 『こんな色の悪いもの、食べられませんわ!』って叫ぶのよ。そうすれば、殿下も流石に怒るはず!)
アンテラは、震える手でトーストと青いジャムの小瓶を手に取った。
さあ、世紀のワガママタイムの始まりだ。
「……殿下。何ですか、このジャムは。色が不気味ですわ。私、こういう趣味の悪いものは受け付けませんの」
「ほう? 口に合わないか?」
「ええ、そうですわ! こんなもの、こうして……こうして……!」
アンテラは、ジャムの瓶を床に投げ捨てようとした。
しかし、ここで彼女の「優柔不断」が顔を出す。
(……待って。床に投げたら、後で掃除するマリアが大変よね。……あ、でも絨毯にシミができたら、張り替えなきゃいけないから、職人さんが王宮に出入りすることになって、私の昼寝が邪魔されるかも……。……それなら、殿下の靴の上に落とすべき? いや、でも殿下はきっと『君がつけた汚れなら宝物だ』とか言い出すに決まってるわ……。ああ、どこに投げれば一番効果的に『嫌われる』のかしら!)
アンテラは瓶を振り上げたまま、十秒、二十秒と静止した。
「……アンテラ? どうした、腕が固まっているぞ」
「……う、うるさいですわ! いま、投擲角度を計算しているところですの!」
「投擲角度……? ……そうか、君は私に『あーん』をしてくれようとしているのか! だが、照れくさくて手が止まってしまったんだな?」
「……はい?」
ゼノンは、期待に満ちた瞳で口を僅かに開けた。
アンテラは絶望した。なぜそうなる。
(ええい、もういいわ! とにかく、このジャムを無茶苦茶にしてやる!)
ヤケになったアンテラは、力任せに瓶をテーブルに叩きつけようとした。
ところが。
「あ」
本日一回目の、ドジである。
勢いよく腕を振り下ろした瞬間、指が瓶の蓋に引っかかった。
瓶はアンテラの手を離れ、変な回転をしながら空中に舞い上がった。
「きゃあああ!」
そして、重力に従って落下した先は——ゼノンの皿の上でも、床でもなく。
アンテラ自身の、真っ白なネグリジェの胸元だった。
ボトッ、パカッ。
「…………え?」
蓋が外れ、鮮やかな青いジャムが、アンテラの胸元に大きな円を描いて広がった。
まるで、青い大きな目玉が彼女を睨んでいるような、シュールな光景だ。
「…………あ。……お気に入りの、パジャマが……」
アンテラは、あまりのショックに呆然と立ち尽くした。
嫌がらせをするはずが、自分への嫌がらせになってしまった。
「アンテラ!!」
ゼノンが椅子を蹴って立ち上がり、彼女のもとへ駆け寄った。
「大丈夫か! 怪我はないか! ……ああ、なんということだ。君は、自分の体を犠牲にしてまで、私に何かを伝えようとしたのか……!」
「……いえ。単に、手が滑っただけです。……あと、これ、冷たいです……」
「わかっている、言わなくていい! ……君は、このジャムが私の口に合うかどうか不安で、まずは自分の肌で『毒性がないか』を確認してくれたんだな!? あるいは……この青い色が、私の瞳の色に似ているからと、肌身離さず身につけようとしたのか……!」
(……毒性確認!? ジャムで!? 瞳の色!? ……この王子の想像力、作家になれるレベルだわ……)
アンテラは反論する気力もなく、青い染みを眺めていた。
「アンテラ。君のその献身、そして私への歪なまでの愛情……。私は、今この瞬間、再び君に恋をしたよ」
ゼノンは、あろうことかジャムで汚れたアンテラの胸元に、顔を近づけた。
「……ちょ、殿下!? 何をして……!」
「拭ってあげよう。……舌でな」
「変態ぃぃぃ!! やめてください! マリア! マリアを呼んでぇぇ!!」
アンテラの悲鳴が、早朝の王宮に響き渡った。
結局、アンテラは新しい着替えを用意される間、ゼノンの「愛の拭き取り作業(※実際にはタオルで執拗にゴシゴシされただけだが、距離が近すぎて精神が削られた)」に耐える羽目になった。
「……ねぇ、マリア。私、もう悪役令嬢を辞めたいわ。……でも、辞めるのにも手続きが……うう、もういいわ。寝させて。青い夢を見させて……」
アンテラは、完全に魂が抜けた顔でベッドに沈んだ。
彼女の「嫌われ作戦」は、王子の「ポジティブ・フィルター」という難攻不落の城壁を前に、またしても無惨に散ったのである。
アンテラは、最高級の羽毛布団に顔を埋めながら、恨みがましく窓の外を睨んだ。
隣には、すでに身支度を整え、一点の曇りもない笑顔を浮かべたゼノンが座っている。
「おはよう、アンテラ。昨夜はよく眠れたか? 君の寝顔があまりに愛らしくて、私は一睡もできなかったよ」
「……殿下。それは不眠症という病気ですわ。今すぐお医者様に診てもらってください。そして、私の部屋から退場してください」
「ふっ、朝から軽快な冗談だな。さあ、朝食の時間だ。今日は君のために、他国から取り寄せた『幻の青いジャム』を用意したぞ」
(……青いジャム? なんだか毒々しいわね。……あ。毒々しい?)
アンテラの脳内に、名案が閃いた。
このまま王子の溺愛に流されていれば、私は確実に「過労(精神的)」で死ぬ。
今の私に必要なのは、殿下に「この女、性格が悪すぎる!」と愛想を尽かされることだ。
(よし。ここでワガママな悪役令嬢を演じて、このジャムを床に叩きつけてやるわ! 『こんな色の悪いもの、食べられませんわ!』って叫ぶのよ。そうすれば、殿下も流石に怒るはず!)
アンテラは、震える手でトーストと青いジャムの小瓶を手に取った。
さあ、世紀のワガママタイムの始まりだ。
「……殿下。何ですか、このジャムは。色が不気味ですわ。私、こういう趣味の悪いものは受け付けませんの」
「ほう? 口に合わないか?」
「ええ、そうですわ! こんなもの、こうして……こうして……!」
アンテラは、ジャムの瓶を床に投げ捨てようとした。
しかし、ここで彼女の「優柔不断」が顔を出す。
(……待って。床に投げたら、後で掃除するマリアが大変よね。……あ、でも絨毯にシミができたら、張り替えなきゃいけないから、職人さんが王宮に出入りすることになって、私の昼寝が邪魔されるかも……。……それなら、殿下の靴の上に落とすべき? いや、でも殿下はきっと『君がつけた汚れなら宝物だ』とか言い出すに決まってるわ……。ああ、どこに投げれば一番効果的に『嫌われる』のかしら!)
アンテラは瓶を振り上げたまま、十秒、二十秒と静止した。
「……アンテラ? どうした、腕が固まっているぞ」
「……う、うるさいですわ! いま、投擲角度を計算しているところですの!」
「投擲角度……? ……そうか、君は私に『あーん』をしてくれようとしているのか! だが、照れくさくて手が止まってしまったんだな?」
「……はい?」
ゼノンは、期待に満ちた瞳で口を僅かに開けた。
アンテラは絶望した。なぜそうなる。
(ええい、もういいわ! とにかく、このジャムを無茶苦茶にしてやる!)
ヤケになったアンテラは、力任せに瓶をテーブルに叩きつけようとした。
ところが。
「あ」
本日一回目の、ドジである。
勢いよく腕を振り下ろした瞬間、指が瓶の蓋に引っかかった。
瓶はアンテラの手を離れ、変な回転をしながら空中に舞い上がった。
「きゃあああ!」
そして、重力に従って落下した先は——ゼノンの皿の上でも、床でもなく。
アンテラ自身の、真っ白なネグリジェの胸元だった。
ボトッ、パカッ。
「…………え?」
蓋が外れ、鮮やかな青いジャムが、アンテラの胸元に大きな円を描いて広がった。
まるで、青い大きな目玉が彼女を睨んでいるような、シュールな光景だ。
「…………あ。……お気に入りの、パジャマが……」
アンテラは、あまりのショックに呆然と立ち尽くした。
嫌がらせをするはずが、自分への嫌がらせになってしまった。
「アンテラ!!」
ゼノンが椅子を蹴って立ち上がり、彼女のもとへ駆け寄った。
「大丈夫か! 怪我はないか! ……ああ、なんということだ。君は、自分の体を犠牲にしてまで、私に何かを伝えようとしたのか……!」
「……いえ。単に、手が滑っただけです。……あと、これ、冷たいです……」
「わかっている、言わなくていい! ……君は、このジャムが私の口に合うかどうか不安で、まずは自分の肌で『毒性がないか』を確認してくれたんだな!? あるいは……この青い色が、私の瞳の色に似ているからと、肌身離さず身につけようとしたのか……!」
(……毒性確認!? ジャムで!? 瞳の色!? ……この王子の想像力、作家になれるレベルだわ……)
アンテラは反論する気力もなく、青い染みを眺めていた。
「アンテラ。君のその献身、そして私への歪なまでの愛情……。私は、今この瞬間、再び君に恋をしたよ」
ゼノンは、あろうことかジャムで汚れたアンテラの胸元に、顔を近づけた。
「……ちょ、殿下!? 何をして……!」
「拭ってあげよう。……舌でな」
「変態ぃぃぃ!! やめてください! マリア! マリアを呼んでぇぇ!!」
アンテラの悲鳴が、早朝の王宮に響き渡った。
結局、アンテラは新しい着替えを用意される間、ゼノンの「愛の拭き取り作業(※実際にはタオルで執拗にゴシゴシされただけだが、距離が近すぎて精神が削られた)」に耐える羽目になった。
「……ねぇ、マリア。私、もう悪役令嬢を辞めたいわ。……でも、辞めるのにも手続きが……うう、もういいわ。寝させて。青い夢を見させて……」
アンテラは、完全に魂が抜けた顔でベッドに沈んだ。
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