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煌びやかなシャンデリアが輝く、エストニア王国の王宮大広場。
今宵は第一王子カイルと、その婚約者である公爵令嬢レティシアの婚約を祝うはずの記念夜会だった。
しかし、会場を包んでいるのは祝いの空気ではない。
針を刺すような、ひりついた静寂。
その中心で、カイル王子は青筋を立てて、何度も入り口の扉を睨みつけていた。
「……遅い。遅すぎる。レティシアは何をしている!」
カイルの隣で寄り添うのは、庇護欲をそそる儚げな美少女、男爵令嬢のエレナだ。
彼女は困ったように眉を下げつつ、その瞳の奥には隠しきれない優越感を湛えている。
「カイル様、落ち着いてください。レティシア様にも、きっと何かご事情が……」
「事情だと? 私が呼び出したのだぞ! 今日この場で、彼女の数々の悪行を糾弾し、婚約破棄を言い渡すと決めているというのに、肝心の主役が来ないとはどういうことだ!」
カイルの怒声が広間に響き渡る。
集まった貴族たちは顔を見合わせ、ひそひそと囁き合った。
予定されていた「断罪」の開始時刻から、すでに三十分が経過している。
あまりの待ち時間の長さに、周囲の緊張感も少しずつダレ始めていた。
その時、重厚な扉がようやくゆっくりと開かれた。
「あら、皆様。まだお集まりだったのですね」
現れたのは、淡いブルーのドレスを身に纏った公爵令嬢、レティシア・ヴァン・ベルク。
彼女は焦る様子もなく、優雅に、しかしどこか緩慢な足取りでカイルの前へと歩み寄った。
「遅いぞ、レティシア! 私をどれだけ待たせるつもりだ!」
カイルの怒鳴り声に、レティシアは小首を傾げた。
その手には、何故か小さなナプキンが握られている。
「申し訳ありません、カイル殿下。中庭の特設ブースで、本日限定の『幻の白いモンブラン』が配布されておりましたので。行列に並んでおりましたら、つい」
「……行列だと?」
「はい。一人一個限定でしたので、三十分ほど。でも、並んだ甲斐がありました。とても美味しゅうございましたよ」
レティシアの口角には、ほんのりと白い生クリームがついている。
カイルは言葉を失い、エレナは信じられないものを見る目で彼女を凝視した。
「貴様……この状況がわかっているのか? 私は今から、お前の罪を読み上げるのだぞ!」
「ええ、存じております。婚約破棄の件ですよね。どうぞ、お気になさらず続けてください」
レティシアは懐から別のナプキンを取り出すと、丁寧に口元を拭った。
その動作があまりに堂々としていたため、カイルは出鼻を挫かれた格好になった。
「……コホン。では、読み上げる! レティシア・ヴァン・ベルク! お前は嫉妬に狂い、私の愛するエレナに対し、教科書を隠す、階段から突き落とすなどの卑劣な嫌がらせを行ったな!」
カイルがここぞとばかりに糾弾の声を張り上げる。
それに対し、レティシアは「ふむ」と深く頷いた。
「教科書……。そういえば、エレナ様。先日図書室のテラスに忘れていらっしゃいましたわね。雨が降りそうでしたので、私が受付に預けておきましたけれど」
「えっ? あ、あれは……捨てられたのだと……」
エレナがたじろぐ。
レティシアはさらに続けた。
「階段から突き落とす、というのも……。ああ、あの日ですね。エレナ様が私の目の前で派手に転びそうになられたので、支えようとしたのですが……。私の腕力が足りず、一緒に転んでしまった時のことでしょうか?」
「く、苦しい言い逃れを!」
カイルが拳を机に叩きつける。
だが、周囲の貴族たちの視線が少しずつ変わり始めた。
レティシアの語り口があまりに淡々としており、嘘をついているようには見えないからだ。
「カイル殿下、お話の途中ですが失礼いたします。もうすぐメインディッシュのローストビーフが運ばれてくる時間ではないでしょうか? 断罪はお食事の後でも構いませんか?」
「ふざけるな! 今すぐここで結論を出す! 貴様のような悪女とは今日限りで婚約破棄だ! 慰謝料として、公爵家の領地の一部を割譲してもらう!」
「……そうですか。それは残念です」
レティシアは少しだけ悲しそうな顔をした。
カイルはそれを見て「ようやく後悔したか」と鼻を鳴らす。
しかし、彼女の次の言葉は予想外のものだった。
「ここの専属シェフが作るガレットを、もう食べられないのが心残りです。婚約破棄については承知いたしましたので、サインだけして帰ってもよろしいでしょうか?」
「貴様という女は……!」
カイルが怒りのあまり言葉を詰まらせた、その時だった。
会場の壁際に控えていた、黒い軍服を纏う一団が動き出した。
その中心にいたのは、夜の闇を溶かしたような漆黒の髪を持つ男。
隣国の若き皇帝、アラル・デ・グランギニョールである。
「面白い。実に見事なマイペースぶりだ」
低く、心地よく響く声。
アラルはカイルとレティシアの間に割って入ると、レティシアの手を躊躇なく取った。
「な、隣国の皇帝陛下!? 何を……!」
「カイル王子。君は今、彼女を捨てると言ったな。であれば、その権利を私が買い取らせてもらおう」
アラルはレティシアの瞳をじっと見つめ、不器用ながらも真剣な眼差しを向けた。
「レティシア嬢。我が国には、君がまだ食べたことのない絶品スイーツが腐るほどある。……私の妻になり、それを一生楽しむ気はないか?」
「……。どなたかは存じませんが、それはおかわり自由でしょうか?」
「ああ、望むなら毎日でも」
「では、謹んでお受けいたします」
こうして、歴史に残るはずだった「断罪の夜会」は、前代未聞の「スイーツ婚約」へと塗り替えられたのである。
呆然と立ち尽くすカイルとエレナを置き去りにして、物語は意外な方向へと動き出した。
今宵は第一王子カイルと、その婚約者である公爵令嬢レティシアの婚約を祝うはずの記念夜会だった。
しかし、会場を包んでいるのは祝いの空気ではない。
針を刺すような、ひりついた静寂。
その中心で、カイル王子は青筋を立てて、何度も入り口の扉を睨みつけていた。
「……遅い。遅すぎる。レティシアは何をしている!」
カイルの隣で寄り添うのは、庇護欲をそそる儚げな美少女、男爵令嬢のエレナだ。
彼女は困ったように眉を下げつつ、その瞳の奥には隠しきれない優越感を湛えている。
「カイル様、落ち着いてください。レティシア様にも、きっと何かご事情が……」
「事情だと? 私が呼び出したのだぞ! 今日この場で、彼女の数々の悪行を糾弾し、婚約破棄を言い渡すと決めているというのに、肝心の主役が来ないとはどういうことだ!」
カイルの怒声が広間に響き渡る。
集まった貴族たちは顔を見合わせ、ひそひそと囁き合った。
予定されていた「断罪」の開始時刻から、すでに三十分が経過している。
あまりの待ち時間の長さに、周囲の緊張感も少しずつダレ始めていた。
その時、重厚な扉がようやくゆっくりと開かれた。
「あら、皆様。まだお集まりだったのですね」
現れたのは、淡いブルーのドレスを身に纏った公爵令嬢、レティシア・ヴァン・ベルク。
彼女は焦る様子もなく、優雅に、しかしどこか緩慢な足取りでカイルの前へと歩み寄った。
「遅いぞ、レティシア! 私をどれだけ待たせるつもりだ!」
カイルの怒鳴り声に、レティシアは小首を傾げた。
その手には、何故か小さなナプキンが握られている。
「申し訳ありません、カイル殿下。中庭の特設ブースで、本日限定の『幻の白いモンブラン』が配布されておりましたので。行列に並んでおりましたら、つい」
「……行列だと?」
「はい。一人一個限定でしたので、三十分ほど。でも、並んだ甲斐がありました。とても美味しゅうございましたよ」
レティシアの口角には、ほんのりと白い生クリームがついている。
カイルは言葉を失い、エレナは信じられないものを見る目で彼女を凝視した。
「貴様……この状況がわかっているのか? 私は今から、お前の罪を読み上げるのだぞ!」
「ええ、存じております。婚約破棄の件ですよね。どうぞ、お気になさらず続けてください」
レティシアは懐から別のナプキンを取り出すと、丁寧に口元を拭った。
その動作があまりに堂々としていたため、カイルは出鼻を挫かれた格好になった。
「……コホン。では、読み上げる! レティシア・ヴァン・ベルク! お前は嫉妬に狂い、私の愛するエレナに対し、教科書を隠す、階段から突き落とすなどの卑劣な嫌がらせを行ったな!」
カイルがここぞとばかりに糾弾の声を張り上げる。
それに対し、レティシアは「ふむ」と深く頷いた。
「教科書……。そういえば、エレナ様。先日図書室のテラスに忘れていらっしゃいましたわね。雨が降りそうでしたので、私が受付に預けておきましたけれど」
「えっ? あ、あれは……捨てられたのだと……」
エレナがたじろぐ。
レティシアはさらに続けた。
「階段から突き落とす、というのも……。ああ、あの日ですね。エレナ様が私の目の前で派手に転びそうになられたので、支えようとしたのですが……。私の腕力が足りず、一緒に転んでしまった時のことでしょうか?」
「く、苦しい言い逃れを!」
カイルが拳を机に叩きつける。
だが、周囲の貴族たちの視線が少しずつ変わり始めた。
レティシアの語り口があまりに淡々としており、嘘をついているようには見えないからだ。
「カイル殿下、お話の途中ですが失礼いたします。もうすぐメインディッシュのローストビーフが運ばれてくる時間ではないでしょうか? 断罪はお食事の後でも構いませんか?」
「ふざけるな! 今すぐここで結論を出す! 貴様のような悪女とは今日限りで婚約破棄だ! 慰謝料として、公爵家の領地の一部を割譲してもらう!」
「……そうですか。それは残念です」
レティシアは少しだけ悲しそうな顔をした。
カイルはそれを見て「ようやく後悔したか」と鼻を鳴らす。
しかし、彼女の次の言葉は予想外のものだった。
「ここの専属シェフが作るガレットを、もう食べられないのが心残りです。婚約破棄については承知いたしましたので、サインだけして帰ってもよろしいでしょうか?」
「貴様という女は……!」
カイルが怒りのあまり言葉を詰まらせた、その時だった。
会場の壁際に控えていた、黒い軍服を纏う一団が動き出した。
その中心にいたのは、夜の闇を溶かしたような漆黒の髪を持つ男。
隣国の若き皇帝、アラル・デ・グランギニョールである。
「面白い。実に見事なマイペースぶりだ」
低く、心地よく響く声。
アラルはカイルとレティシアの間に割って入ると、レティシアの手を躊躇なく取った。
「な、隣国の皇帝陛下!? 何を……!」
「カイル王子。君は今、彼女を捨てると言ったな。であれば、その権利を私が買い取らせてもらおう」
アラルはレティシアの瞳をじっと見つめ、不器用ながらも真剣な眼差しを向けた。
「レティシア嬢。我が国には、君がまだ食べたことのない絶品スイーツが腐るほどある。……私の妻になり、それを一生楽しむ気はないか?」
「……。どなたかは存じませんが、それはおかわり自由でしょうか?」
「ああ、望むなら毎日でも」
「では、謹んでお受けいたします」
こうして、歴史に残るはずだった「断罪の夜会」は、前代未聞の「スイーツ婚約」へと塗り替えられたのである。
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