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「レティシア、今日は顔色が一段と良いな。昨夜の寝心地はどうだった?」
アラルが銀のティーポットを傾けながら、熱い視線を送ってくる。
帝国の執務室は、レティシアが持ち込んだ焼き菓子の甘い香りと、アラルの淹れた最高級の茶葉の香りで満たされていた。
「はい。枕が羽毛というより、雲のようで。危うく昼まで眠ってしまうところでしたわ」
「そうか。ならばその枕を、あと百個ほど追加で発注しておこう」
「いえ、首が埋まってしまいますので結構です。……それよりアラル様、今日は少しお願いがありまして」
レティシアがカップを置くと、アラルは即座に居住まいを正した。
まるで戦場での重要報告を待つ将軍のような、凄まじい真剣味だ。
「何だ? 宝石か? 領地か? それとも、あの無能王子の首を詰めた箱か?」
「物騒な選択肢を混ぜないでください。……街の、小さなお菓子屋さんに行ってみたいのです」
「……街の、菓子屋?」
アラルは意外そうに目をしばたたかせた。
彼にとって、欲しいものは権力で城に呼び寄せるのが常識だったからだ。
「ええ。昨日のタルトに使われていた琥珀糖、あれは街の職人さんが作っているものだと伺いました。是非、そのお店の焼きたてを食べてみたくて」
「なるほど。……おい、騎士団長を呼べ! 第一から第三騎士団までを緊急召集だ! 帝都の目抜き通りをすべて封鎖し、不審者を一掃しろ!」
「お待ちください! 私はただ、普通にお買い物がしたいだけです!」
レティシアが慌てて制止すると、アラルは「普通……?」と不思議そうに首を傾げた。
「普通というのは、軍隊を出して安全を確保することではないのか?」
「それは普通ではなく、制圧と申します。……アラル様、私と一緒に、こっそりと歩いてはいただけませんか?」
「君と二人で……? デート、ということか?」
アラルの顔が、みるみるうちに耳まで赤く染まっていく。
「戦場の死神」と呼ばれた男が、十代の少年のように動揺している姿は、側近たちも初めて見る光景だった。
結局、厳重な影の護衛を数十人潜ませるという条件で、二人は平民の装いに身を包んで街へと繰り出した。
「わあ……! アラル様、見てください。あのクッキー、お花の形をしていますわ!」
「……ああ、綺麗だな(君の方がな)」
アラルは後半の言葉を飲み込みつつ、慣れない人混みの中でレティシアがはぐれないよう、その腰をしっかりと抱き寄せた。
エストニア王国では、カイル王子がレティシアと一緒に歩くことなど一度もなかった。
彼は常に前を歩き、彼女が遅れると「鈍間な女だ」と吐き捨てていたのだ。
「アラル様、そんなに密着していると、歩きにくいのですが……」
「我慢してくれ。君に万一のことがあったら、私はこの街を灰にしてしまうかもしれない」
「さらっと恐ろしいことをおっしゃいますね」
レティシアは呆れつつも、その腕の温かさに、不思議と嫌な気はしなかった。
一方、エストニア王国の王宮では。
カイル王子が、スカスカになった金庫を前に震えていた。
「どういうことだ……。なぜ今月の予算が、もう残っていないんだ!」
「ですから殿下。レティシア様がいらっしゃった頃は、彼女が私財を投じて補填したり、各ギルドとの交渉で支払いを先延ばしにしたりしていたのです」
「私財だと!? 公爵令嬢が、なぜそこまで……」
「『婚約者として、殿下に恥をかかせるわけにはいかないから』と。……ですが、今の殿下はただの『恩を仇で返した男』として、どのギルドからも相手にされておりませんよ」
執事の言葉は、もはや刃となってカイルのプライドを切り刻んでいた。
レティシアという盾を失った王国は、今、音を立てて崩れ始めていた。
アラルが銀のティーポットを傾けながら、熱い視線を送ってくる。
帝国の執務室は、レティシアが持ち込んだ焼き菓子の甘い香りと、アラルの淹れた最高級の茶葉の香りで満たされていた。
「はい。枕が羽毛というより、雲のようで。危うく昼まで眠ってしまうところでしたわ」
「そうか。ならばその枕を、あと百個ほど追加で発注しておこう」
「いえ、首が埋まってしまいますので結構です。……それよりアラル様、今日は少しお願いがありまして」
レティシアがカップを置くと、アラルは即座に居住まいを正した。
まるで戦場での重要報告を待つ将軍のような、凄まじい真剣味だ。
「何だ? 宝石か? 領地か? それとも、あの無能王子の首を詰めた箱か?」
「物騒な選択肢を混ぜないでください。……街の、小さなお菓子屋さんに行ってみたいのです」
「……街の、菓子屋?」
アラルは意外そうに目をしばたたかせた。
彼にとって、欲しいものは権力で城に呼び寄せるのが常識だったからだ。
「ええ。昨日のタルトに使われていた琥珀糖、あれは街の職人さんが作っているものだと伺いました。是非、そのお店の焼きたてを食べてみたくて」
「なるほど。……おい、騎士団長を呼べ! 第一から第三騎士団までを緊急召集だ! 帝都の目抜き通りをすべて封鎖し、不審者を一掃しろ!」
「お待ちください! 私はただ、普通にお買い物がしたいだけです!」
レティシアが慌てて制止すると、アラルは「普通……?」と不思議そうに首を傾げた。
「普通というのは、軍隊を出して安全を確保することではないのか?」
「それは普通ではなく、制圧と申します。……アラル様、私と一緒に、こっそりと歩いてはいただけませんか?」
「君と二人で……? デート、ということか?」
アラルの顔が、みるみるうちに耳まで赤く染まっていく。
「戦場の死神」と呼ばれた男が、十代の少年のように動揺している姿は、側近たちも初めて見る光景だった。
結局、厳重な影の護衛を数十人潜ませるという条件で、二人は平民の装いに身を包んで街へと繰り出した。
「わあ……! アラル様、見てください。あのクッキー、お花の形をしていますわ!」
「……ああ、綺麗だな(君の方がな)」
アラルは後半の言葉を飲み込みつつ、慣れない人混みの中でレティシアがはぐれないよう、その腰をしっかりと抱き寄せた。
エストニア王国では、カイル王子がレティシアと一緒に歩くことなど一度もなかった。
彼は常に前を歩き、彼女が遅れると「鈍間な女だ」と吐き捨てていたのだ。
「アラル様、そんなに密着していると、歩きにくいのですが……」
「我慢してくれ。君に万一のことがあったら、私はこの街を灰にしてしまうかもしれない」
「さらっと恐ろしいことをおっしゃいますね」
レティシアは呆れつつも、その腕の温かさに、不思議と嫌な気はしなかった。
一方、エストニア王国の王宮では。
カイル王子が、スカスカになった金庫を前に震えていた。
「どういうことだ……。なぜ今月の予算が、もう残っていないんだ!」
「ですから殿下。レティシア様がいらっしゃった頃は、彼女が私財を投じて補填したり、各ギルドとの交渉で支払いを先延ばしにしたりしていたのです」
「私財だと!? 公爵令嬢が、なぜそこまで……」
「『婚約者として、殿下に恥をかかせるわけにはいかないから』と。……ですが、今の殿下はただの『恩を仇で返した男』として、どのギルドからも相手にされておりませんよ」
執事の言葉は、もはや刃となってカイルのプライドを切り刻んでいた。
レティシアという盾を失った王国は、今、音を立てて崩れ始めていた。
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