雑多な短編

八紘一宇

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In the Book Room

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大学生というのは金もなく、かと言って忙しいわけでもなく、私は学生寮の近くの図書館へ毎日のように通っていた。

退屈を持て余した貧乏学生にとって図書館というのはこれ以上ない暇を潰せる場所だったのだ。

私の寮の近くの図書館は歴史が古く、何重にも積み重なっている書庫の奥の奥まで行けば明治頃の版の本や、十部も発行されてないような同人の本が眠っているというのが寮の学生たちの間でもっぱらの噂だった。


ある夏の日、私はその真実を突き止めるべく1日かけてその書庫を探検しようと決意した。

夏の図書館と言えば寒くなるほどクーラーが効いているものだが、その書庫の奥地では外と同じ程、下手をするとそれ以上の熱気に包まれていた。

最初は私も蜃気楼が見えそうなほどの暑さを前に撤退を考えたが、何も無い大学生の夏に彩りを与えてくれるのはやはり苦しみ超えた果てにある何かなのだと信じ、足を踏み入れた。

書庫は一般の本を借りられる図書館とは別の棟にあるのだが、図書館のフロアと所々渡り廊下で繋がっている。というか図書館自体と見合うほどの規模で存在してるのだ。そして書庫は図書館自体の階層とは別に独自の階層で成り立っていた。

最初に書庫に入り、階段をのぼりついたフロアには1.75階と書かれていた。
私は早くもこの本の海にのまれてしまうことを考えていた。

朝から書庫に入り、1番最初のフロアから次第に上がっていき、昼過ぎには3.89階に到達していた。

どうやらこのフロアの表示は図書館自体の階層から見てどれほどの高さに位置してるかで定まっているようだ。
表示の汚れ具合から何十年か前に酔狂な先駆者が仔細に高さを記録したのだと思われる。
似たようなことを考えたのが私だけでは無いという事実に私は僅かに心が引き締まった。

書庫はそもそも貴重であったり古かったりする本が揃っているため窓がないのだ。よって私は手元の腕時計以外で時間を知る術は無い。

夕方の4時をすぎた頃、私はついに書庫から出る術を失った。

この書庫の構造で何よりも複雑なのは、階層が何十にもなっている点だ。

メインとなる、フロア表記がある階段とは別に小さな階段や特定の階にしか繋がらないような階段が無数にあり、またそのメインとなる階段では到れないフロアも階と階の間に存在したりするのだから、一度迷ってしまうともう取り返しがつかない。

最初のうちはメインの階段の場所が分かりやすかったから良かったものの、階層を重ねるにつれ、本棚や階段の複雑化が進みもはや違法建築の領域に至っているために、いかに階段の場所を把握していてもそこへの行き方が分からなくなってしまったのだ。

床に情けなく座り込み、天井を眺めていた私はきっと、途方に暮れると言うにふさわしい表情をしていただろう。

救いを求めるべく当たりを見渡すもそこには無数に積み重なるカビた紙の束しかないのだ。

その時、私の目の前に1冊の本が落ちてきた。果たしてどの棚から落ちてきたのかと周囲の棚を見るも、それらしい空白はない。

何か示唆的なものを感じた私はその本を手に取り読もうと思った。

かなり古い本であるようで、タイトルや著者名、出版社名は掠れているのか削り取られているのか不明だが、判別することは出来なかった。

中身は写真や文字がふんだんに盛り込まれたもので、小説と言うよりかは何かしらの論説文のようなものに思えた。

写真に目が行くがとりあえずはと文字の海へと私は飛び行った。

とするとその中身は私にとって想像だにしないものであった。

その本が主に論じているのは、日本が戦争に勝った未来であった。

日中戦争及び太平洋戦争にて、現実とは真逆の展開が繰り広げられ、日本軍が米英中に勝利した歴史とその後の世界について記されていたのだ。

これはなるほど何かしらの処置が施されてタイトル等が剥がされたのだろうと私は思った。

こんな内容の本がそのままで済むわけがない。
 
しかしそれはそれとしてその内容はとても興味深かった。
戦後、勝利した日本がどのように領土を分割し統治したかについて仔細にかつ現実的なレベルで書かれていた。

私としてはこの手の本を読む事の背徳感よりも好奇心の方が勝ってしまい、ページをめくる手は留まる所を知らなかった。

気づけば私は時間も忘れて夢中で読み切ってしまった。
危険な本ではあるが、なかなか本気で挑戦的な内容に取り組んでいると感心していたのだ。

一体どこの出版社かと、改めて本の末尾をめくるとめくったところからヒラヒラと1枚の紙切れが床に落ちた。

本と比べると小さな、手のひらに収まらない程度の横長の紙切れは紙幣であるように思えた。

埃と煤にまみれた古い紙切れを私は軽くなぞって何が書かれているのか確かめた。

やはりそれは紙幣であった。四隅に数字が記されており、手に収まらない程度の紙切れだ。

けれども問題は中央に描かれている人物だ。

それは、私が知る限り最も紙幣の肖像に相応しくない人物だったのだ。


赤く汚れたアドルフ・ヒトラーの肖像はその鋭い双眸と蓄えた髭で私に確かな緊張をもたらした。

肖像の右下には彼のものと思われるサインが記されていた。

私はドイツ語には疎かったが、それがアドルフ・ヒトラー本人のものでその名が記されていることはなんとはなしに理解出来た。

私は戦慄した。

こんなものがこの世にあって良いのだろうか、いやあったとしてこんなものを作る人間を許して良いのだろうか。

近年の人間が作った悪ふざけの類だとしても、あまりにも手が込んでいるしこの汚れ具合から鑑みてもかなり古いものだ。

紙幣のディティールもよく作り込まれている。
まるで本当に国が発行した紙幣かのようだ。

良く考えればこんな本の間に挟まっていることすら恐ろしい。

この本の中身もやたら現実的な内容であった。記されている歴史の方向性さえ除けば。


以上の情報から、私の中にひとつの推論が湧き出た。
これは真実を記した本ではないかと。
もちろん真実と言っても私が知っているものではなく、私の知らない世界について記された本ではないかと。

1度そう考えてしまうと、もう戻ることは出来ない。私はその考えに取りつかれてしまったのだ。

改めてこの本を最初から読む。
私の知っている日本であって、私の知らない日本の歴史が事細かに記されているのだ。

私はもう恐怖に耐えかねてその本を投げ出してそこから逃げてしまった。

本の森の中を、息付く間もなく足を回転させる。
気づけば私は書庫の入口にいた。

今日起きた出来事は、まるで狐に化かされたとも言えるようなことであったと改めて恐怖を覚える。

私は再び走り出し、学生寮まで止まることは無かった。

その日は食事も手に付かずぐったりと布団で眠りについた。


その後も、私にはそのアイデアが呪いのように絡みついた。

図書館を避けるようになっても、日々そのIFの歴史について考える機会が増えたのだ。

もしも日本が本当に戦争勝ったのなら、私の生活はどのように変化するのだろうか。
日常はどのような形で戦勝国日本を形成するのだろうか。

そんなことを考え続けていた最中、
私は日常の中に異変が起きていることに気づいたのだ。

学生寮の私の部屋にはトイレがなく、廊下の先に共用の洋式トイレがあるのだが、その日私がトイレの個室を開いたところ全て和式になっていたのだ。

最初は間違って女子トイレにでも入ったのかと思ったが、女子トイレだけ和式ということもありえないことであり、何度確かめてもかつて洋式だったトイレが和式に変わっているという事実は揺るぎなかった。

私はそのまま用を足し、何事も無かったかのように自室に戻ったが、内心戸惑いは隠せていなかった。

一体どういうことだろうか、私の気づかないうちにトイレが和式にする工事でもしていたのだろうか、それにしてもそんな話は知らないし今更和式トイレに変更するメリットも理解できない。

その日はそれで諦めてこんなことはなかったものとして過ごそうと決意した。

きっと夏の暑さにやられて私はおかしくなってしまったのだと思い込むことにしたのだ。

しかしこれはほんの前触れに過ぎなかった。
少しずつ、けれども確かに私が生きている世界は変化して行った。

次に確認した異変は、街中の看板が軒並み右読みになっていた。
普段見知っているはずの店や建物が皆いつもと逆向きに文字が並んでいるというのは不気味な事この上ない。

そのうち私が読む本や、雑誌の類も全て右読みのものとなりその内容も戦前のものに近づいているように感じられた。

何よりも私の心を惑わせたのは、街中に日本の軍隊の駐屯地があったことだ。私の記憶ならばそこはGHQの支部があったところなのだが、それが綺麗に入れ替わっているのだ。

そして極めつけは、私の手元に入る紙幣の中に例のアドルフ・ヒトラーのものが現れたのだ。

こうなっては認める他ない。

今、私は日本が戦争に勝った世界にいるのだ。

私が最初に読んだあの本がトリガーとなって、別の世界が私の住んでいる世界へと少しずつ侵食していったのだと思った。

ああ、あんな本を手に取らなければ、私の手元に大日本帝国のプロパガンダ雑誌が届くこともなかっただろうに、私の持つ紙幣の肖像画が軍人で埋め尽くされることもなかっただろうに、私の生活からアメリカ製の電化製品が消えることも、私の愛読書から欧米文学が、カタカナ語が消えることもなかったであろうに。

生活の全ては戦前的なものへと綺麗に変貌していった。

戻りたい、そう切に願った。

自由と平等が保障されているかつての日本に。

私が住んでいた美しき日本に。



気づけば、私は本に囲まれて横たわっていた。

鼻には埃と煤の匂いがこべりついており、手首の腕時計は午後6時を指していた。

周囲の本は私に向かって倒れんばかりの勢いで傾いている。

これは書庫の中だと私は気づく。
そして全て夢にすぎなかったのだと安心する。

なんと恐ろしい、きっとこの本を読んでいるうちに眠りについてしまったのだろう。

だからあんな恐ろしい夢になったのだろう。

私は自身の財布を手に取り中の紙幣を確認する。

そこにはしっかりとスターリンとルーズベルトの肖像が描かれた紙幣があった。

私はそっと胸をなでおろし、現実に帰れた安心感に包まれた。







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