遅咲き鬱金香(チューリップ)の花咲く日

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新たな関係はあたたかく④

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「まぁ。おめでとう」
 金香の前で珠子はぱっと顔を輝かせた。
 九月のすっかり暑さも引いた頃である。まだ暑い日はあるのだが、真夏とは比べ物にならない。
 先日添削を受けにやってきた珠子と「今度またお茶を飲みに行きましょう」と約束していて寺子屋の仕事も屋敷の用事もない日に例の喫茶店を訪れた。
 その日、金香は思い切って珠子に「源清先生と交際することになりました」と告白した。下を向いてはしまったが。
 目の前には珠子の勧めてくれた紅茶があった。
 牛乳の入って飲みやすい、みるく紅茶。砂糖が入っているようで、ほのかに甘い。
「金香さんが幸せになって嬉しいわ」
 珠子とは名前で呼び合う仲になっていた。
 姉弟子ではあるものの、歳が近いためか友達同士のような関係である。
 女友達が、それも同じ文を書く存在ができたことを嬉しく思う。
 そしてこのような話もできるくらいに親しくなれたことも嬉しい。昔からの女友達には、もう話していたが。
「お付き合いをはじめてまだあまり経っていないのでしょう。とても愉しい時期ね」
「はい」
 珠子は結縁して数年経つので、お相手とはときには喧嘩もするのだと聞いている。
 いつか麓乎と喧嘩などするのか、とは今のところ想像できない。
 麓乎は常に穏やかで、まずい文を提出したときも叱りつけることなど絶対にしないひとであるので。
 でも、恋人関係になったら違うのかしら。
 金香は思ったが、今のところそれはわからない領域である。
 みるく紅茶をひとくち飲んで珠子は言った。
「でもお付き合いされるのに、随分かかったのね」
「おかしいですか?」
 金香はきょとんとしてしまう。
 金香のその反応と言葉にはむしろ珠子のほうが驚いたようだ。手にしていたティーカップをそっとソーサーに戻す。
「え、だって、内弟子でしょう」
「そうですけど」
 金香にはその意味はわからなかった。
 が、珠子が言ったことに仰天してしまう。
「先生に好意があったから、内弟子に入ったと思いましたわ」
 そんなわけはない。
 確かにうっすら好意は抱いていたが、当時の金香にはそれはただの『憧れ』であったのだ。
 無意識の領域で惹かれていたということはあるかもしれないが。
「え、そんな、そんな図々しくは」
 あわあわと言い繕った金香であったが、珠子にばっさりと切り捨てられる。
「図々しいものですか。女性が男性のもとへ、住み込みの弟子入りをするということはそういうことでしょう? 先生だって、そのつもりでお誘いしたでしょうに」
「え、……」
 そういうもの?
 確かに麓乎は志樹に『行動が遅すぎる』と言われたと。
 金香はそれを単純に受け取ってしまったが、『遅すぎる』がすでにそこであったとは思いもしなかったのだ。
「つまり、そんなことは思いもせずに弟子入りした、と……」
 珠子の声は、呆れた、という響きを帯びていたし、事実、そのとおりのことを言った。
「呆れたわ……金香さんが恋に疎いことはわかっていたけれど、まさかそこまでとは」
 やれやれ、という具合で言った珠子は完全に『姉』の顔であった。
 金香はなにも言い返せやしない。言い返せる言葉などありはしなかった。
「私が内弟子に入らなかったのも、そこよ。おうちのこともあるけれど。先生もそういうお気持ちはなかったでしょうし、元々から『内弟子に取ることもできるけれど、おうちが忙しいだろう』と、……多分、乗り気ではいらっしゃらなかったと思いますわ」
 次々に言われて頬が熱くなっていった。
 自分は特別であったのだ。
 少なくとも自分で思っていたよりも麓乎にとって特別であったのだ。胸も熱くなって焼けてしまいそうだ。
「でも、まぁ」
 呆れた、という理由を次々にあげられて金香はなにも反論できなかったわけだが。
 一通り言ったあと珠子は言ってくれた。
「きっとそういうところがかわいらしいのでしょうね」
 その言葉には違う意味で、ぽっと顔が熱くなった。
「……ありがとうございます」
 嬉しさからお礼を言った金香にまた珠子はひとつ笑う。
「でも、これからはそのつもりでいたほうがいいわ。先生も落ち込んでしまうわよ?」
「そ、そうします」
 それはそうだろう。
 まるで考えていなかったなど。
 麓乎にとってはがっくりすることに決まっている。
 そして、ふと思いついた。『まるで気付かなかった』ゆえに抱いた気持ちに。
「あの、……珠子さんに謝らなければいけないことがあります」
「あら。なにも思い当たらないけれど」
 珠子はきょとんとした。そんな顔をされては言いづらいけれど。
「その、……珠子さんが、先生と好い仲なのではないかと思っておりました」
 思い切って言った金香を数秒見つめて、珠子は『思い当たった』という顔をした。
「ごめんなさい」
 謝った金香に珠子は笑みを戻す。
「いいえ、その連想は当たり前よ。でも初めてお逢いしたときに訊かれると思ったの」
「それは……お訊きしたかったですけど。勇気が出なかったというか」
 金香の返答には、今度はころころと笑われた。
「やっぱり金香さんはかわいらしいわ」
 まるで鈴の鳴るような笑い方にほっとする。同時にやはり恥ずかしい。
 自分は自覚していたよりずっと初心(うぶ)だったのだ。
 先生に子供のように扱われても仕方がないくらいに。
 姉弟子とのお茶会は、みるく紅茶のように甘くやさしく、あたたかい時間だった。
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