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文学館と広がる世界

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 たどり着いた文学館はそれほど大きくなかったけれど、展示はとても充実していた。
 今回のものは常設展示ではなく、借りてきた資料がほとんどらしい。よって、司は真剣な目でひとつひとつを見つめていた。
 いつでも見られるものではないのだ。電車で一時間以上かかるとはいえ、都内から行ける距離にあるのは珍しいこと。司がじっくり見たいという気持ちはよく理解できた。
 それに、美雪のほうも展示にはしっかり見入ってしまったし。
 太宰について、事前に少しネットで調べたくらいの知識はあったけれど、実物を見るのはまた違う。それに知らないエピソードばかりでその解説パネルを読んでいるだけでも興味を惹かれた。
 芥川賞が欲しいあまりに、佐藤春夫に四メートルにも及ぶ手紙を送りつけて嘆願したとか。
 しかしそれが叶わず落選となったときに、審査員の川端康成に「刺す」などと物騒な発言をしたとか。
 両方、太宰にとっては真剣な出来事であり、面白くない出来事であったはずであるが、現代から過去を見るという視点ではちょっとおかしくなってしまうことで。ご本人には悪いと思いつつ、興味深く読んでしまった。
 これもまた、文豪同士の繋がり。ひとつだけではない、『太宰治』という人物から、幾つも枝が伸びていくように繋がっていくものなのだ。
 美雪は迷ってしまうくらいだった。その『繋がり』のどこからたぐろうかと。
 新しい本を選んで読んだり、関係を調べたり……そういうことをどこからはじめるかも悩んでしまうほど多い。
 あとで司くんに、どこから手をつけるのがおすすめか訊こうかな。
 思いつつ、資料をゆっくりと見進めていった。
 文学館の資料室では、ひとことも会話をしなかった。
 そもそも静かに見て回る場所であるし、騒ぐのはいけない。
 でもそれ以上に、司が真剣だったから。
 集中して見たいとわかっていたから。
 邪魔をしたくない、という気持ちもあった。
 ただ、気づかうばかりではなかった。
 会話は今、なくてもいいと思った。
 同じ資料を見ていること。
 そこから知識を得ていくこと。
 世界を広げていくこと。
 それが嬉しい。
 でも感じたことや感想といえるものは、それぞれ違うだろう。
 それはこのあと、どこかで休むときになどで話し合えばいい。楽しいに決まっている。
 文学館というのは、ただ資料が並んでいる退屈なところだと思っていた。
 けれど、一度『本』『文学』『作家』というものに、小さなとっかかりを得たなら、まったくそんなことはない。美雪の中で印象は真反対のものになっていた。
 たっぷり二時間近くは見ていただろう。
 部屋の端っこまで見て(それは数度目に到達した端っこだったのだが)、司がため息をつくのが見えた。
 勿論、感嘆と満足のため息だ。
 そして美雪に視線をやる。
 美雪が資料室にある長椅子に腰かけて、そこからにこっと笑ってみせたのを見て。
 司は、ちょっと気まずそうな顔をした。
「悪い、待たせちゃったかな」
 自分ばかりが夢中になってしまったのか、と心配になったらしい。
 近付いてきて、小声で言った。美雪は勿論首を振る。
「ううん。さっきまで見てたの」
 それは本当だ。
 でも、ここにいた理由。
 それを話すのはちょっと恥ずかしい。何故なら。
 ……資料を真剣な目で見つめている司の背中が魅力的だったから、つい見入ってしまった、なんて理由だったのだから。
 流石に口には出せない。だから「さっきまで見ていた」という、嘘ではないことだけにしておいてしまった。
「そう? ……出ようか?」
「うん」
 しっかり話をするなら外、ロビーなどがいいだろう。司に出口を指差されて、美雪は頷いて立ち上がった。
 出口へ向かう。ロビーに入る前に、美雪はちょっとだけ資料室の中を振り返った。
 資料室の中はやっぱり静かで、展示品が並んでいるだけの、地味で素っ気ないともいえるものだった。
 けれど美雪に、そして司にもたくさんのことをくれた。
 それは資料で見られる知識だけではないことを。


「いやぁ、楽しかった。つい夢中になっちゃって」
 ロビーにある自販機で飲み物を買った。ひんやりとしたお茶がお腹に心地いい。
 司はもう一度、ため息をついた。満足そうなため息を。
「うん、とっても楽しかった」
「ほんとに? そりゃ嬉しいや」
 美雪が同意したことで、その顔が、ぱっと明るくなる。
 提案したときに『付き合わせる形になるのではないか』と心配していたのだから、今度こそ完全に払しょくされたからだろう。
「初めて知ることも多かったし、なんていうか……本、作品からじゃ知り切れない、太宰治ってひとを肌で感じられるような気がしたよ」
 美雪の感想には、ちょっと目を丸くされた。あれ、おかしいことを言ったかな、と美雪は思いかけたのだけど、直後、その思考はなくなった。
 司が満面の笑みになったのだから。
「俺も同じように思ったんだよ。人となりがよく見えた。文豪って呼ばれる、すごい才能を持ったひとなんだけどさ、確かに生きていた一人の人間なんだな、って」
 感嘆を込めて言われたこと。
 まるっきり同じことではない。
 でもごくごく近い意味の感想を抱けたのだ。
 まるで自分と司の心が近付いたようだ、と感じてしまう。
 不思議だ、文学館でこんな感覚を感じられるなど。
 このまま、見たものについてあれこれしゃべりたいところだったけれど、あまりロビーを陣取るのも悪い。
 それに、オープン時間に入ったとはいえ、長居をしたのでもうお昼近い。お腹もすいていた。
 感想や談義はお昼を食べながら、がふさわしいだろう。
「お腹空いたか? 飯に行こうか」
「そうだね。なんか急にお腹が減っちゃったかも」
 言い合いながら長椅子を立って、空になったペットボトルをきちんとゴミ箱に入れて、文学館を出る。
 強い日差しが一気に照りつけてきた。まるで二人を現実へ引き戻すような、日差しと気温。
 夢を見ていたようだ、と思う。
 涼しい場所で、過去に触れるという夢だ。
 そんな時間を過ごせたことを嬉しく思いながら、ぎらぎらと光る太陽の中へ出て、次の目的地へ向かったのだった。
 今日のデートのもうひとつ。
 純粋に遊びとしての、目的地へ。


 川越は、埼玉文学館から更に電車に乗ったところにある。決して近くはない。都内からはもう、三時間近くも遠ざかってしまっただろう。
 なので帰りは少し早めに帰路につかないといけないのだけど、今日は「友達とちょっと遠出をする」とあらかじめ言っておいたので、そう怒られることはないだろう。
 電車に長時間乗るので、さすがにその間空腹を我慢するのはつらい。よって、文学館のある駅前のファミレスで適当に食べていた。
 ファミレスなんて特別でもなんでもないところなのに、前の席に向かい合っているのが司であり、おまけにさっき見てきた展示やそこから感じたことを語り合えるだけで、最高の場所のように美雪は感じてしまった。
 川越で過ごす時間が減ってしまうのでさっさと済ませた。話の続きは電車でできるのだから。
 真昼間なので余計に空いた電車の中、座って目的地へ運ばれるまでもやはり話は盛り上がってしまった。
 美雪の思い付いたことも訊いた。
 すなわち、太宰治から枝を広げていくにはどれが触れやすいかという点である。
「そうだなぁ、交友が深くて小説家っていうひとたちだったら、無頼派っていう仲間たちがいるよ。同じ傾向の文学なんだけどね……」
 調べ物をスマホでして、そのページを二人で覗き込みつつ。
「もしくは、美雪さんは詩が結構気に入ったのかなって思ったから、詩人を追ってみるのもいいんじゃないかな。中原中也は太宰治と交流があったみたいだから、そっちとか」
 また違う観点から勧めてくれて、違うページを見つつ。
 電車は進んでいく。
「中原は太宰を気に入ってたみたいだけど、太宰は喜びきれてなかったのかな……ヘンな時間に押しかけられて、布団をかぶって震えてた、なんて話もあってさ」
「なにそれ」
 司が美雪を笑わせようとしてだろう、ちょっとおかしなエピソードを出したことで、美雪は思惑通りに、くすっと笑ってしまった。
 本当に、今日の展示で太宰治を見たことで、彼を単に『本を書いたひと』であるだけでなく『生きた一人の人間』と感じられたことが良かった、と思わされる。
 それがあるからこういうエピソードも身近に感じられるのだろうし。
「じゃあ、次は中原中也にしてみようかな。詩が好きみたい。すぐに読める文字数なのに、そこに作者の言いたいことや世界が詰まっていて、それを解釈……ってほどたいそうなものじゃないけど、考えたりそこにひたったりするのが楽しくて」
 美雪の言葉に、隣で司が目を細めた。
「美雪さんも、自分の楽しみ方を見つけてくれたんだな」
 美雪がそちらを見ると、司はとても優しい笑みを浮かべていた。
「今日の文学館もそうだよ。美雪さんなりに楽しんでくれたんだなぁ、って思えて、資料を見られたのとは違う意味で嬉しかった」
 言われた言葉はくすぐったい。けれど嫌な気持ちではなかった。
 同じ場所、時間で過ごしていても、別の思考の中にいて。
 でもそれはあとから口に出して、出し合って繋げていけるものなのだ。
 美雪は嬉しさのままに頷いて、「うん、とっても楽しかった」と言ったのだけど、そのあとのことにちょっと驚いた。
「ああ、いや、でも嬉しかったのはそれだけじゃなくて……いくつもあるんだ。一緒に出掛けられたのもそのひとつだし、ほかにだって……」
 司の表情はまた変わる。照れを少し含んだものに。
 それはこれをデートだと思ってくれているからにほかならなく。
 胸がじわじわと熱くなっていった。
「……うん。これから行くところもそのひとつ、だよね」
 美雪が司の顔をしっかり見て、言ったこと。
 司の表情はあまり変わらなかったけれど、確かに「ああ。楽しい場所にしような」と言ってくれたのだった。
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