ミニチュアレンカ

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!

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なくしものはどこにある?

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 学校に着いて、友達と会って、そして授業がはじまっても美雪はどこか集中しきれなかった。
 『一握の砂』の装丁ばかりが頭に浮かんで。
 それがスマホにくっついているところ。スマホを扱うと、ふらっと揺れるところ。
 もうすっかり身近な存在になっていたのだ、と思い知る。
 それは同じように身近な存在、司。
 その存在すら不確かになってしまうように錯覚してしまい、残暑の折だというのに、美雪の心の奥が少し冷たくなった。
 なにを、ただ落とし物をしたくらいでこんな気落ちするなんて情けない。そんなことあるはずないだろう、弱気になっているだけだ。
 自分にそう言い聞かせて、頭の中から本のことは一旦置いておいて、黒板を見てノートに次々に書き写していった。
 一時限目は数学の授業。苦手な科目ではあるけれど、夏休みの勉強でかなり自信を持つことができた。今まで習ってきたところならば、そう苦労もしないくらいに。
 夏休み終わってすぐのテストでは高評価をもらうことができた。
 あれだけ毎週勉強していたのだ。しっかり身についていて、成果として発揮することができたようだ。それはとても喜ばしいこと。
 廊下に出される学年高順位者の掲示にまで、下のほうではあるけれど入ることができて、美雪自身、大変驚いたし、あゆや友人たちにも「すごいじゃん!」「この優等生~!」と褒められるやからかわれるやらだった。
 そんなふうに、夏休みで得たもの。たくさんある。
 勉強も、遊びも、そして司との恋も。
 それに恋に関しては、単に司との関係が近しくなっただけではない。
 見かけるひと、知り合い、友達……そこから、恋人。関係はどんどん変わっていった。意味も毎回変化していった。その変化を経て、今がある。
 だからこそ、それを繋いでくれた、媒介ともいえる『本』。
 それが無くなってしまったことは、美雪にとってはショックだったのだ。
 ノートに数字をひたすら書き写して計算して……としているうちに、授業は終わっていた。
 鐘が鳴って、立ち上がって先生に「ありがとうございました」の挨拶をして、ひとまず一時限目は終わり。
 休憩を挟んで次は国語……。
 美雪が思ったときだった。
「どーしたの? なんか元気なくない?」
 ぽん、と背中を叩かれた。振り返るとあゆがにこにこ笑っている。
 夏休みの間、彼氏や友達とあちこち遊びに行っていたあゆはちょっと日に焼けていて、より活発そうな印象になっていた。本人は「日焼け止め塗ってたのに!」とがっくりしていたけれど。
 そんなあゆ。いつも美雪のことを気にしてくれて、学校では一番近くにいてくれる存在。
「……うん。ちょっと」
「なになに? 喧嘩でもしたの?」
 美雪が「そんなことないよ」と言うと思ったのだろう、素直に肯定されたことで、あゆの笑顔もちょっと曇る。心配そうな顔になった。
 喧嘩、とは勿論司とのことを示しているのだろう。すぐに司関係のことだと思われてしまうのは恥ずかしいけれど、夏休みを経て、だいぶ慣れた。
 それはともかく。
「そうじゃないよ。なくしもの、しただけ」
「なくしもの……?」
 あゆは首を傾げた。長い髪がさらっと揺れる。
「前に買い物行ったじゃん? あのときブラインドボックスで買った初版本のシリーズのなんだけど……」
「……ああ、あれ。落としちゃったの?」
 話は次々に繋がっていったけれど、肝心なところへ辿り着かないままに休み時間は終わってしまった。予鈴が鳴る。
「あ、次はじまっちゃう。良かったらお昼のときに話、聞くよ」
 鐘の音にちょっと顔を上げて、あゆは言った。次に美雪を見て、にこっと笑ってくれる。
「大丈夫だって。なんとかなるよ!」
 それは前向き、猪突猛進ともいえる性格のあゆらしい、あっけらかんとした見解だったけれど、今は美雪の心を大いに励ましてくれた。
 そうだ、大丈夫。なんとかなる。
 ほかのひとから、それも近しい親友から言ってもらえば本当にそうなる気がして。
 美雪は「ありがとう。じゃ、お昼に」と言っていた。
 休み時間のあゆとの短いそのやりとり。でも美雪の心はだいぶ救われた。そのあとは授業に集中して取り組めるくらいに。
 スマホはちゃんと電源を切ってバッグに入れていた。ストラップのなくなってしまった、スマホ。
 でもその中には電子書籍で何冊も本が入っている。空っぽなのでも、すべてなくしてしまったわけでもない。
 大丈夫。
 美雪は黒板を見つめて、教科書を見つめて、そして指示された通りにワークのマスを埋めていく。一時間はあっという間に経ってしまった。
 なんなら、午前中の授業もあっという間に過ぎてしまったくらいだ。


 お昼ご飯はあゆと二人になった。普段なら何人かの友達とも一緒なのだけど。
 別に個人的な話題ではないけれど、なんとなく、だ。
 日常のおしゃべりにまぎれるようなことではないと思ったのも手伝って。
 空き教室、持ってきていたお弁当を広げて、ゆっくり食べながら美雪は事情を話した。
 初版本を模した『本』をストラップにしていたこと。
 司が『本』をストラップとして使っていたのを見たからなのだということ。
 なくしたその『本』は、例のブラインドボックスのシリーズのもののひとつで、司がくれたものだということ。
 そして。
 これはちょっと恥ずかしかったのだけど、思い切って言った。
 ……司からの告白の気持ちを込めて、美雪に渡してくれたものなのだと。
 あゆはそれを全部聞いてくれた。
 時々相づちを打ちながら、お弁当を食べながら。
「……大切なものなんだね」
 ひと段落したとき、あゆが言ったのは大したことではなかったかもしれない。
 でもその言葉はとても優しい言葉だった。
 同意するだけではない。
 『大切』と表してくれたのは『本』のことだけではない。
 美雪の心にとって大切なもの。
 そういう意味だ。
 それは美雪の心に寄り添ってくれるような言葉で、冷たかった胸がちょっとだけあたたかくなった。
 おまけにあゆは言わなかった。「大切なもの『だった』んだね」とは。
 まるで『もう見つからない、戻ってこないもの』というかのような表現は。
 無意識にそういう表現をしてくれるあゆはとても優しい。
「うん。だから出来れば見つけたくて……」
 話し終わる頃にはお弁当もなくなっていた。ごちそうさま、と小さく言って、蓋を閉じて元通りハンカチで包む。
 あゆも同じく食べ終わった模様で、でもお弁当箱は蓋を閉めただけで、あー、と座っていた椅子から背中を逸らした。
「そうだねぇ……やっぱりその図書館にまた行ってみて聞いてみるのが良さそうだけど」
「そうだよね」
 あゆの言ったのは一般的なもので、でもそれが一番可能性が高いもので。
 美雪は単純に肯定した。
 けれどそれでは終わらなかった。
「にんにく、やってみたら?」
 不意に、がばっと体を戻してあゆは言った。
 しかし言われたことはわからない。
 にんにく?
 それをやる、とは?
「にんにく?」
 意味がまったくわからなくて、ぽかんとしてしまった。
 そんな美雪にあゆはにこにこと笑みを浮かべる。
「知らないの? にんにく、にんにくって唱えながら探すと見つかるんだってよ」
 言われたことは随分突飛だった。
 ものの名前を唱えながら探すというだけでもよくわからないし現実的ではないのに、それが『にんにく』である。うっかり笑いだしてしまいそうではないか。
「え、そんなの初めて聞いたよ」
 でもあゆは美雪をからかっているわけではなさそうだった。
「えー、そうなの? ウチでは定番だけどなぁ。おばあちゃんがやってたんだよね」
 なるほど、昔からの知恵。
 ああいうものは起源が謎だったり、結局わからなかったりするものも多い。そのたぐいというわけだ。
「なんでにんにく?」
「さぁ? ……そういえばなんでだろ?」
 二人顔を見合わせて、しばし考えてしまう。
 考えてもわかるわけがないので、なんとなく、ふっと笑ってしまったけれど。
「おいしいからじゃない?」
「えー? それならにんにくの臭いがするからそれで見つかる、とかじゃない?」
 続いていく言葉はそんなどうでもいいものになっていたし、話題もどんどん逸れていった。
 でもこういうもののほうがいい、と美雪は思った。
 落ち込んでいるよりも、焦ってあちこちばたばた行き来するよりも。
 このくらいに考えて、げん担ぎなどをして、にんにくを唱えて探すほうが、心に余裕ができた状態で探すことができるだろう。
 そして心に余裕があったほうが、気付かないことにも気付けるだろう。
 あゆの『にんにく』はそう感じさせてくれて、美雪は「とりあえず今日の帰りにやってみるね!」と笑みを浮かべていた。
 「口には出さないほうがいいかもだけどね」とあゆもくすくすと笑ったのだった。
「でも、やっぱり初めてのプレゼント、っていうのは特別だもんね。見つけたいよね」
 一通り笑って、落ちついたあと。昼休みも残り少なかったけれど、あゆは言った。廊下の自販機で買ってきたいちごミルクを飲みながら。
 美雪も自分の買ってきたカフェオレを飲みながら、ちょっと照れくさい気はしたけれど頷く。
「うん。大事だから落とさないように、しまっといたらよかったのかな」
 言った言葉はちょっと悲しそうになってしまった。つけなければ、落とすこともなかったのだから。
 でもあゆはそれに、即座に首を振った。
「そんなことないよ。だって、プレゼントでしょ。しまっておいてもらうのもそりゃ嬉しくなくはないけど、使ってくれるところを見られたらもっと嬉しくない?」
 美雪は視線をあげた。いちごミルクのパックのストローを口から離したところのあゆは、にこっと笑う。
「私だったらそう思うな」
 そのあとに話されたのは、ちょっと前の時間の話であった。
「去年ね、クリスマスプレゼントに彼氏にマフラーあげたの。手編みなんてできないから買ったやつだけど。そしたら冬、学校の行き帰りでずっとつけててくれて。すっごい嬉しかったよ」
 マフラー。
 きっと私の見たことあるやつだ、と美雪は思った。
 あゆの彼氏には何度も会ったことがある。冬にだって当然会ったことがある。まだ一年生だった頃のことだ。
 緑の平織のマフラーはオシャレで、でもあたたかそうで。とても似合っていた。
 放課後などに顔を合わせることになれば、彼はいつも確かにそれを付けていた、と思い出す。
 そしてもうひとつのことにも思い至った。
 自分が、つまりそれほど近しくない人間が見ても「いつも使ってるんだな」とわかるようなこと。
 毎日のように身近に置いて、使ってくれていること。
 それはつまり。
「彼氏さんも嬉しいと思うけどね。なくなっちゃったのは美雪と同じくらい悲しいと思ってるだろうけどさ、でもそれ以上にあると思うな。美雪がなくしちゃうくらい、ずっと手元に置いて、一緒に過ごしてくれてたこと、とか」
 きっとそこは私より近くで見てたんだろうし。
 あゆは付け加えて、微笑む。
 それは美雪の思っていたこととは少し違ったことだった。
 なくなった、という事実にばかり気をとられていて、どうしてなくす事態になったのかということ、そしてそれが意味することは考えなかった。
 でもそういう取り方もある。
 使っていけば、くたびれたり汚れたりもするだろう。
 今回のように落としてしまったりすることもあるだろう。
 でもそれは、それだけそのモノが、傍にいてくれたからだ。
 示していたのだ。
 美雪が『本』を。司のくれた『一握の砂』を。どんなに大切にしていたか、ということを。
 かっと胸が熱くなった。
 恥ずかしさにではなく、嬉しさに。
 なくしてしまったということはマイナスだ。
 けれど、そこに至る経緯は、悪いばかりではなかった。
「そう、だね。夏の間、ずっと一緒だった」
 美雪の言葉は噛みしめるようなものになる。
 図書館で勉強して、文学館や小江戸に行くようなデートもして、ほかにも待ち合わせやお出掛け、それから。
 家で過ごすときも。電話をするときもメッセージアプリで会話をするときも、ずっと一緒だった。
 司にもそれはわかってもらえていたのだ。
「だから大丈夫だよ。きっと出てくるし、万一見つからなくても大丈夫。消えちゃったりはしないんだから」
 ふわっとあゆは笑った。
 あたたかなマフラーを大切なひとに贈るような、優しいひとにふさわしいようなやわらかな笑みで。
「……うん! ありがとう」
 美雪の今度の笑みは、心からになった。
 探して見つかればそりゃあ一番理想的だろう。
 でも、『一握の砂』が繋いでくれて、生んでくれたものは消えやしない。
 司に話してみよう、と思う。
 諦めるなんてことは言わない。自分の出来る限りで探すつもりだ。
 でも朝は随分落ち込んだところを見せてしまったから。
 司も心配しただろうし、困ってしまっただろう。
 だからもうそんな必要ないのだと伝えなければ。
 明日の朝、通学の電車で。
 司からもらったものは、なくならずに美雪の中にちゃんとあるのだ、と。
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