花日和

赤田作

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三日目

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微かな雨音の伝える静寂さが私の悲愴に重なって、玄関の前で泣き続けた。それからひとしきり泣いて、泣き疲れた私は子供のように眠ってしまった。

「……ん…」

目が覚めた頃には雨が止んでいて、フローリングで眠っていたせいで全身が痛む。

「……これから、どうしようかな」

酷い喪失そうしつ感で何もする気が起きない。今まで何度も振られてきたし、もう慣れっこだった。ハヤトと別れた時はそれなりにくるものがあったけど、今はその比じゃない。

「甘えすぎだったんだな、私。もう独りなんて、考えられないや」

その時、スマホが鳴り始める。電話はカナタからのものだった。

「はい…もしもし」

[もしもし、カナタです……少し気持ちの整理がしたいので、しばらくは実家の方から通おうと思います]

「そっ、か……」

[落ち着いたら連絡するので、その時に話を聞かせてください]

「わかった。それまで待ってる」

待てる自信はないけど、今私たちに必要なのは時間だ。ここで引き止めても、カナタを困らせるだけだから。通話が切れたあと、また静寂が込み上げる。

「次はいつだろうな……早く逢いたいよ」

これからまた一人暮らし再開だ。まぁとは言っても家事は基本私担当だったし、一日の流れはほぼ変わらない。それにもう、一人になるのは慣れっこだ。
またすぐに会える、だから。

「大丈夫……きっと…」

気を抜くと涙が滲む。
ワガママなんて言えない。寂しくなんてない。無理にでも気持ちを抑えなきゃ。こんな調子じゃ、一日も待てないよ。

「しっかりしろ私!まだ別れるって決まったわけじゃない」

こんなに切ないのは初めてだな。まだ私も本気になれたんだ。レースカーテンが日に照らされて、漏れた光がリビングに広がる。

「よし、まずは腹ごしらえかな。それから洗濯して……」

忙しくしていればきっと寂しさも紛れるはず。
そんな甘いことを考えてる時期が、私にもあった。

「あ"ぁ"ーー……寝れない…」

腰痛が治ってからは三日連続の不眠に悩まされて、強いだるさが私を布団にはりつけにする。
薬局で買ってきた睡眠薬も効かない。気持ちが悪いし、体が重い。
果てには見る夢はいつもカナタが出てきて、冷たい目で私を見つめてくる。これだけでもかなりきついのに、そこから罵詈雑言ばりぞうごんの嵐ときた。この悪夢はいつまで続くんだろう。

「夢だとしても結構クるなぁ……」

コップになみなみに注がれた溢れんばかりの水のように、今の私はまさに紙一重の状態。
まぶたが鉛のように重い。けれどまたうなされるのが怖くて、どうしても我慢してしまう。
またあの喫茶店へ行こう。あそこなら家よりも空気が軽いし、気も紛れる。
ネオンサインや点々と灯る街灯に照らされた街は幻想的だ。今じゃなければ綺麗だったのにな。
喫茶店は私の住むアパートから歩いて二、三分程度。常連の客が大半のようで、面子メンツはいつも変わらない。

「やっぱりここは落ち着くな……マスター、コーヒー一杯もらえるかな」

「かしこまりました。豆はマンデリンでよろしかったですか」

いつもは程よい苦味と重厚なコクのあるマンデリンを頼む。マスターが聞いたのもそれをを知ってのことだろう。でも今は、少し気持ちの切り替えがしたい。

「いや、今日はモカマタリにしようかな」

「左様ですか」

ここはマスターとその一人娘のミカさんの二人で切り盛りしている。コーヒー豆の種類も色々揃っていて、注文が入ると豆をくところから始まる。この待ち時間が、私は結構好きだ。

「ナギサ顔色悪いよ?どうしたの」

カウンターの向こうから声をかけられる。声の主はミカさんだ。

「実は…彼女が出ていってしまって」

「へぇ、ナギサでも失敗するのね」

「どういう意味ですかそれ。しますよ、こと恋愛に関しては長続きした試しがなくて」

「それでもハヤトくんの時はそんなに沈んでなかったわよ。よっぽど大切なのね、今の子のこと」

「とてもその一言じゃ言い表せません…」

カナタは私の唯一で全てだったのだ。失うことなんて考えていなかった。考えたくなかった。だから思い出の詰まったあの部屋から一刻も早く、少しでも長い間離れていたくてここに来た。

「お待たせしました」

深く綺麗な色がカップの中を優雅に揺れる。
いつも飲むマンデリンより爽やかな香り。モカマタリも久しぶりだな。最初に飲んだのはカナタを連れてこの喫茶店に来た時だ。

「ありがとうございます……今日は煎りが浅めなんですね」

「モカマタリ特有の酸味と後に続く穏やかな甘さがナギサさんに合うと思いまして、今日はミディアムローストでお出しさせて頂きました」

「良いですね、とても美味しいです」

いつもとはガラリと違ったテイストが、思考をクリアにさせてくれる。ジャズの流れる落ち着いた空間の中で、多少眠気の飛んだ頭を働かせる。でもあと何日独りなのかも、またあの生活に戻れるのかも、考えたって目処めどは立たない。

「ミカさん、少し、話を聞いて貰ってもいいですか」

「えぇ、話してみなさい」

そこから私は未だ気持ちを整理しきれていない三日前の出来事を、その時の私の気持ちも混じえて全て話した。自分に負けてハヤトを家に入れてしまったことも、それを見たカナタが出ていってしまったことも。

「カナタがいなくなって初めて、自分があの子に甘えきっていたことに気づいたんです。忘れる努力もしないで」

「ふーん……突然来たハヤトくんや何も聞かずに飛び出していったカナちゃんのせいにはしないのね」

「人のせいにするのは、逃げているみたいで嫌なんです。それに今回は私に非がありますから」

私がそう言うと、ミカさんはおもむろに腕をのばし、私の眉間に痛烈なデコピンをお見舞いした。

「いったぁ……!」

「一人で抱えすぎ。クマができるまで辛いならもっと早く話しに来なさい。それに、わざわざハヤトくんとの思い出を忘れる必要なんてないんじゃない?」

「今はカナタがいるんですよ?」

「そうねぇ……じゃあ聞くけど、ハヤトくんと付き合ってた時は、全く楽しくなかった?」

「……いえ。楽しい事の方が多かったです」

振り返ってみれば一緒に笑いあった日々は数え切れない。でも忘れる他の未練の断ち切り方は、知らないのだ。まだ少し香りの立つコーヒーを見つめながら、逡巡しゅんじゅんする。

「どうすればいいんですかね……」

「不器用ね。今の恋は今の恋、これまでの恋はこれまでの恋。それを一緒くたに考えるから行き詰まるのよ」

「じゃあ、どうすれば……」

「……少しヒントを出しすぎたと思ったんだけど、こういう時は鈍いのよねぇ。ここから先は自分で考えなさい」

そこから先は何も言って貰えず、半ばミカさんに追い出されるように喫茶店を出る。また煌々こうこうと光に照らされた街を目の前にして、なぜだか少しほっとしている。

「ミカさんが言ってた話、どういうことなんだろう」

濁った夜の空を眺めながら、ついさっき言われたことを反芻する。漠然とはしないものの、何か大きな手がかりが貰えた事は確実だな。

「明日は講義もバイトもあるし、帰って早く寝ようかな……寝れるといいけど」


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