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五日目
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「まだ口の中が甘い……」
「甘いものが苦手な人ってホントにいるんだねぇ」
口に残る強い甘さに悶える側で、ナデシコは黙々と私が残したソフトクリームを食べていく。私にはどうして平気でいられるのか分からない。
見ているだけで胃がもたれそうだ。
「そういえば、ナデシコの方はどう?上手くいってる?」
「可もなく不可もなくだね。幼稚園の頃からの付き合いだから苦労も特にないし」
「いいね。次はいつ会えるの?」
「来週帰ってくるって言ってたかなぁ。ドタキャンも有り得るけどね」
ナデシコは絶賛遠距離恋愛中だ。月に一、二度会えるかどうかくらいの頻度らしい。それでも電話や連絡は頻繁にとっているし、当の本人もあまり寂しさは感じていないそうだ。
私には、無理だな。そう素直に思う。
「彼ならきっとどんな事があっても時間を作りそうだね」
「だろうね。厄介な男だよ」
などとぼやきはするものの、横顔は笑っていた。
きっと何も言わずとも、二人は繋がっているんだろう。
「私とナギサとでは恋愛の仕方も価値観も違うからね~。私はナギサみたいにずっと傍に居られないかな。気疲れしちゃう」
「えぇ……私が過剰なのかな」
「ナギサはまぁ……」
「沈黙は怖いなぁ」
「気にしなさんな。それよりずっと気になってたんだけどさぁ……ナギサ、タバコ吸った?」
突然だったということもあって、反応がワンテンポ遅れる。吸う時には必ず換気扇をつけていたし、家から出るのにもつけなれない香水まで使って誤魔化したつもりだったのだ。
「珍しく香水なんてつけてるとは思ってたけど。やめたんじゃなかった~?」
「……どうしても耐えられなくなっちゃって。さすがに一本が限界だったよ」
「なにしれっと一本吸ってるのかなこの子は。だいたいねぇナギサは溜め込みすぎなんだよね~。この前だってさ、……」
どこかで糸が切れたように、ナデシコから文句が雪崩てくる。まぁ私もまともに聞きはせずに、時折相槌を打ちながら一方向に受け流している。
大学を出てから大通りまで歩いて、ちょうど音楽店の前を通り過ぎた辺りだったろうか。私は嗅ぎ慣れた香水の匂いに振り返った。
「……カナタ?」
「え、あ、ナギサさん!……と、ナデシコさん?」
「やっほー。久しぶりだね」
「お久しぶりです」
「……」
思いがけない再会に戸惑いが隠せず、私は黙り込む。今までの恋ではこんな緊張も、不安もなかったな。強ばって固く握られた手には汗が滲む。
「ナギサさん。今日この後時間ありますか?」
「今日は、これからバイトだから。遅くなるし、明日なら……」
「どうしても今日はダメですか?」
「ッ……ごめんね」
「そうですか。わかりました」
もの寂しげに人波に消えていくその背中を見つめながら、内心安堵する。ダメだ、やっぱりまだ怖い。
「良かったの、行かせちゃって」
「良くは、ないね。私のわがままであの子を振り回してるわけだから」
これを逃せばあるいはもう話し合う機会はないだろう。でもどうしても、この綱を引くことが出来ない。
ついに見えなくなって、ぽっかりと胸に穴が残る。
何も残っていないはずなのに、苦しい。
「はあぁ……ごめん、今度飲みに付き合って欲しい」
「いくらでも付き合ったげるよ。なんなら今日行ってもいいよ~」
「うん、お願い」
「りょーかい。終わったら連絡ちょーだい」
バイトの後に約束を取り付けて、駅前でナデシコと別れる。店の裏口に回って無機質な扉を開くと、微かに深い香りが漂う。
「お疲れ様です」
「ナギサ、いらっしゃい。この間よりは顔色もマシそうだね」
「おかげさまで。まだ気持ちの整理はついてませんけどね」
「あまり焦るものでもないよ。テンプレじゃないけど、そういったことはきっと時間が解決してくれる」
物腰柔らかなこのハンサムな男性はここの店長のゲンジさん。印象こそ優しいが、その体格と顎髭、短く切りそろえられた茶髪が相まって初めて見る人からすれば少し威圧感を覚えるかもしれない。
「店長に言われると説得力ありますね」
「伊達に四十年生きてないからね。さ、今日はホールを頼むよ」
「わかりました」
いつもは厨房を担当する私も、今日は人手不足でホールに出る。一人は体調不良で、もう一人は自転車で事故ったらしい。
「今日は応援が来てくれるまでの間でいいからね。六時には上がれるはずだよ」
「え、でもそれじゃ……」
「従業員の健康管理も俺の仕事のうちだよ。甘えられるときに素直に甘えなさい」
「……ありがとう、ございます」
触れ慣れない優しさに心がむず痒くなる。思えばこうやって大人に甘えさせてもらえた事は少なかったな。
ここに来てよかった。
「バッシング、行ってきます」
ホールへ出ると来客のピークも過ぎていて、残っているのはしかめっ面で液晶と睨み合うサラリーマンや、終わらない課題に四苦八苦する大学生。かなり煮詰まっているようで注文の気配もない。
その日私が取った注文も数える程で、初めて接客に回った私は内心ほっとしたものの、本当にこれだけでいいんだろうかと不安になる。
「うん、そろそろ時間だ。応援も来てくれたことだし、ナギサはここで上がっていいよ」
「わかりました。でも大丈夫ですか?今からが一番忙しいはずですよね」
「あの二人がいれば回せるはずだ。ここで一番歴が長いからね」
「頼もしいですね」
「全くだ。さぁ、今日は任せて帰るといい」
店長の厚意に甘えて今日は早く上がらせてもらおう。来週、また埋め合わせをしないとな。
更衣室に入って、ロッカーを開く。かけておいた私服と取り変えるようにして、着替え終わった制服をハンガーにかけてロッカーへしまう。
店長に挨拶をして、裏口から店を出る。
まだ六時とはいえもう十月、日は落ちきって空には星さえ浮かんでいた。
「そういえば最近は上を見ることもなかったな」
気づけばまた、またカナタのことを考えてる。早くナデシコと合流しよう。そして吐くまで飲んでしまおう。
「もしもし、ナデシコ。バイト終わったから今から向かうね……」
バッシング・・・飲食店などで皿やコップをテーブルから下げる作業。
「甘いものが苦手な人ってホントにいるんだねぇ」
口に残る強い甘さに悶える側で、ナデシコは黙々と私が残したソフトクリームを食べていく。私にはどうして平気でいられるのか分からない。
見ているだけで胃がもたれそうだ。
「そういえば、ナデシコの方はどう?上手くいってる?」
「可もなく不可もなくだね。幼稚園の頃からの付き合いだから苦労も特にないし」
「いいね。次はいつ会えるの?」
「来週帰ってくるって言ってたかなぁ。ドタキャンも有り得るけどね」
ナデシコは絶賛遠距離恋愛中だ。月に一、二度会えるかどうかくらいの頻度らしい。それでも電話や連絡は頻繁にとっているし、当の本人もあまり寂しさは感じていないそうだ。
私には、無理だな。そう素直に思う。
「彼ならきっとどんな事があっても時間を作りそうだね」
「だろうね。厄介な男だよ」
などとぼやきはするものの、横顔は笑っていた。
きっと何も言わずとも、二人は繋がっているんだろう。
「私とナギサとでは恋愛の仕方も価値観も違うからね~。私はナギサみたいにずっと傍に居られないかな。気疲れしちゃう」
「えぇ……私が過剰なのかな」
「ナギサはまぁ……」
「沈黙は怖いなぁ」
「気にしなさんな。それよりずっと気になってたんだけどさぁ……ナギサ、タバコ吸った?」
突然だったということもあって、反応がワンテンポ遅れる。吸う時には必ず換気扇をつけていたし、家から出るのにもつけなれない香水まで使って誤魔化したつもりだったのだ。
「珍しく香水なんてつけてるとは思ってたけど。やめたんじゃなかった~?」
「……どうしても耐えられなくなっちゃって。さすがに一本が限界だったよ」
「なにしれっと一本吸ってるのかなこの子は。だいたいねぇナギサは溜め込みすぎなんだよね~。この前だってさ、……」
どこかで糸が切れたように、ナデシコから文句が雪崩てくる。まぁ私もまともに聞きはせずに、時折相槌を打ちながら一方向に受け流している。
大学を出てから大通りまで歩いて、ちょうど音楽店の前を通り過ぎた辺りだったろうか。私は嗅ぎ慣れた香水の匂いに振り返った。
「……カナタ?」
「え、あ、ナギサさん!……と、ナデシコさん?」
「やっほー。久しぶりだね」
「お久しぶりです」
「……」
思いがけない再会に戸惑いが隠せず、私は黙り込む。今までの恋ではこんな緊張も、不安もなかったな。強ばって固く握られた手には汗が滲む。
「ナギサさん。今日この後時間ありますか?」
「今日は、これからバイトだから。遅くなるし、明日なら……」
「どうしても今日はダメですか?」
「ッ……ごめんね」
「そうですか。わかりました」
もの寂しげに人波に消えていくその背中を見つめながら、内心安堵する。ダメだ、やっぱりまだ怖い。
「良かったの、行かせちゃって」
「良くは、ないね。私のわがままであの子を振り回してるわけだから」
これを逃せばあるいはもう話し合う機会はないだろう。でもどうしても、この綱を引くことが出来ない。
ついに見えなくなって、ぽっかりと胸に穴が残る。
何も残っていないはずなのに、苦しい。
「はあぁ……ごめん、今度飲みに付き合って欲しい」
「いくらでも付き合ったげるよ。なんなら今日行ってもいいよ~」
「うん、お願い」
「りょーかい。終わったら連絡ちょーだい」
バイトの後に約束を取り付けて、駅前でナデシコと別れる。店の裏口に回って無機質な扉を開くと、微かに深い香りが漂う。
「お疲れ様です」
「ナギサ、いらっしゃい。この間よりは顔色もマシそうだね」
「おかげさまで。まだ気持ちの整理はついてませんけどね」
「あまり焦るものでもないよ。テンプレじゃないけど、そういったことはきっと時間が解決してくれる」
物腰柔らかなこのハンサムな男性はここの店長のゲンジさん。印象こそ優しいが、その体格と顎髭、短く切りそろえられた茶髪が相まって初めて見る人からすれば少し威圧感を覚えるかもしれない。
「店長に言われると説得力ありますね」
「伊達に四十年生きてないからね。さ、今日はホールを頼むよ」
「わかりました」
いつもは厨房を担当する私も、今日は人手不足でホールに出る。一人は体調不良で、もう一人は自転車で事故ったらしい。
「今日は応援が来てくれるまでの間でいいからね。六時には上がれるはずだよ」
「え、でもそれじゃ……」
「従業員の健康管理も俺の仕事のうちだよ。甘えられるときに素直に甘えなさい」
「……ありがとう、ございます」
触れ慣れない優しさに心がむず痒くなる。思えばこうやって大人に甘えさせてもらえた事は少なかったな。
ここに来てよかった。
「バッシング、行ってきます」
ホールへ出ると来客のピークも過ぎていて、残っているのはしかめっ面で液晶と睨み合うサラリーマンや、終わらない課題に四苦八苦する大学生。かなり煮詰まっているようで注文の気配もない。
その日私が取った注文も数える程で、初めて接客に回った私は内心ほっとしたものの、本当にこれだけでいいんだろうかと不安になる。
「うん、そろそろ時間だ。応援も来てくれたことだし、ナギサはここで上がっていいよ」
「わかりました。でも大丈夫ですか?今からが一番忙しいはずですよね」
「あの二人がいれば回せるはずだ。ここで一番歴が長いからね」
「頼もしいですね」
「全くだ。さぁ、今日は任せて帰るといい」
店長の厚意に甘えて今日は早く上がらせてもらおう。来週、また埋め合わせをしないとな。
更衣室に入って、ロッカーを開く。かけておいた私服と取り変えるようにして、着替え終わった制服をハンガーにかけてロッカーへしまう。
店長に挨拶をして、裏口から店を出る。
まだ六時とはいえもう十月、日は落ちきって空には星さえ浮かんでいた。
「そういえば最近は上を見ることもなかったな」
気づけばまた、またカナタのことを考えてる。早くナデシコと合流しよう。そして吐くまで飲んでしまおう。
「もしもし、ナデシコ。バイト終わったから今から向かうね……」
バッシング・・・飲食店などで皿やコップをテーブルから下げる作業。
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