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七日目
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「お邪魔します」
薄暗く狭い玄関で二人靴を脱いで、廊下を進む。
お邪魔します、か。間違いでも無いかもしれないな。
「風呂沸かしておくから、カナタはリビングで座ってて」
私は脱衣所の給湯器をつける。体も冷えているだろうし、沸くまでの間ココアでも作ってあげよう。
でもリビングに戻るとカナタの姿はなくて、彼女はキッチンで立ち尽くしていた。
「これ、ナギサさんじゃないですよね……?」
心底小さな声で、シンク横に置かれた灰皿を指す。確か中には吸い殻が一つ入っていた。
片付けを怠ったことを後悔する。
「……私が吸ったんだ」
「うそ、誰かいたんですよね……せめてそう言ってくださいよ……!」
「ううん。家には誰も入れてないよ。気を紛らわせるのにね、一本吸ったんだ」
カナタは固まってしまっている。元は彼女の願いで始めた禁煙だったのだ。飾り気のないキッチンはそれだけ冷たく私たちを囲む。
「ココア淹れるから、リビングで待っていて」
何も発さずにキッチンを出ていってしまう。これだけ張りつめるのには、わけがあった。
「不味ったな。嘘でも吐けばよかったか……」
気に影が差して、頭を掻く。今となっては後の祭りだろう。カップを戸棚から二つ取り出して、片方にはココアを一杯入れる。私の分はコーヒーだ。
電気ポットで沸かしておいたお湯を注ぐ。
「カナタ、できた……うおぉあ!」
リビングに入るとカナタが飛び込んでくる。熱湯を淹れてあるので正直背筋が凍った。
「あ、危ないから離れて」
でも、五日ぶりのこの感じは悪くないな。
両手が塞がっていなかったらこのまま抱きしめていたかもしれない。
「どうして、吸ったんですか?」
「ただの昔の名残だよ。嫌なことがあった時に吸うように……」
そこまで言ってはっとした。これじゃまるで嫌味を言っているようなものだ。
「昔って、もしかして成人する前から吸ってたんですか?」
「えーっと、高校に入った時だったかな、吸い始めたのは。コーヒーもちょうどその時だね」
「こ、コーヒーはいいんですけど、そんなに早くから吸ってたんですか?!」
「吸うって言っても二、三日に一回くらいね。あんまり吸うとハヤトに叱られたから」
「でしょうね!ちょっとそこ座ってください!」
付き合ってきて一度も聞いた事のない腹の底からの怒号に気圧されて、急いで私はソファの上に正座する。
「どうして吸い始めたんですか」
言いかけて、ひゅっと息が風を切った。首筋を冷たさが伝う。あのころの話は、話すには残酷で鋭利過ぎる。
「……あまり、思い出したくない」
必死に声を振り絞って、私は震えるように首を振ることしか叶わなかった。
「ナギサさん」
「お願い、思い出させないで……」
息がしづらい。指先が凍ってゆく。そんな私のただならぬ雰囲気を汲み取ってか、カナタはそれ以上問い詰めることも無く隣に腰かけた。
「カナタが怒るのはよく分かるよ。その理由もね。出来れば私ももう打ち明けてしまいたいんだけど、ほら……」
そう言って右手を差し出す。先程まで程よく温まっていた指は冷えきり、震えさえ出始めている。これは恐れだ。
「情けない話だね。こんなザマだ」
差し出した手を握ると、カナタはみるみる表情を変える。
「っ…すみませんでした。不躾に聞いてしまって」
「いいよ。これはどうしようもなかった」
手を繋いでいる間に少しずつ気も整ってくる。体温が戻ると冷や汗がまた体を冷やし始める。
「もう戻らないと思ってたからね」
「落ち着いたら連絡するって、そう言ったじゃないですか」
「別れ話には違いなかったでしょ?」
「そんなわけ……!」
カナタは余裕のなさそうな顔をする。
思えばハヤトに突き放された時は手を出すこともなかったのに、気づけばカナタに振られたその日からタバコは手に握られていた。別れる事なんて念頭になかっただけに、失った時の恐怖は計り知れなかった。
「……本気で好きになるってすごいな」
「え、急にどうしました?」
「いいや?ただ自分が思ってる以上に私はカナタが大好きみたいだから」
「ほんとにどうしたんですか?」
甘い恋なんて画面の先の世界だと思っていたのに、これじゃ甘ったるくて胸焼けしそうだ。
私はカナの手を取って向き直る。そして意を決して、口を切る。
「カナタ、好きだよ。たまらなく好きなんだ。だからまた一緒に暮らしたい」
なんだろう、告白ってこんな気持ちなのかな。思えば私から告白なんてしたことも無かった。
少し遅い青春を噛み締めながら、緊張の中カナを見つめる。
「本当に私でいいんですか?」
「うん、カナタがいい。カナタは私にたくさん初めてをくれた。毎日好きを貰った。いつまでもうじうじしてる私を待っててくれた。それに恋をする苦しさと、楽しさも教えてくれたんだ」
思い出すと彼女からは貰ってばかりだった。特に最初はカナタの気持ちに無頓着で、ただ来るものを受け入れるだけだった。
「えー……改めて、カナタ。あなたのことが好きです。私にカナタの人生の半分をください」
「……半分なんて言わずに、全部持って行ってください」
おずおずと顔を上げる。カナタはその目に涙をたたえて、差し込む淡い光で濡れた顔には笑みが浮かんでいた。
「今人生一幸せです。ナギサさんを好きになれて良かった」
「私もだよ。これからまたよろしくね、カナタ」
「はいっ!」
満面の笑顔に心を奪われて、なりふり構わず彼女を押し倒していた。
「ナギサさん?」
「あ、あぁごめん!すぐにどくから」
慌てて体を起こそうとすると、カナタは私の首に手を回す。心做しか表情は恍惚としている。
嗅ぎなれたはずの香水が、私の中の何かを解いていく。
「ダメだよ……今日はちゃんと寝ないと」
「いつも乗り気なのに珍しいですねぇ…沸く前に一回だけで、いいですから」
「ちょ、ま……んぅ……は…ダメだって…」
「誘ったのはナギサさんなんですから、責任とってください」
五日ぶりに触れ合った柔肌に私の理性は砕かれて、体が求め始めている。疼きを抑えようにも身動ぎも満足に出来ない。
「私とするのは嫌ですか……?」
その一言でついに快楽に堕ちようとした時、ちょうど給湯器が歌い始める。
「ほ、ほら!沸いたから入っておいで」
「え、ちょ」
音につられて力が緩んだ隙に抜け出して、脱衣所に押し込む。そそくさと扉を閉じてしまえばさっきまでの緊張の糸も切れてその場でへたり込む。
「……心臓うるさ」
薄暗く狭い玄関で二人靴を脱いで、廊下を進む。
お邪魔します、か。間違いでも無いかもしれないな。
「風呂沸かしておくから、カナタはリビングで座ってて」
私は脱衣所の給湯器をつける。体も冷えているだろうし、沸くまでの間ココアでも作ってあげよう。
でもリビングに戻るとカナタの姿はなくて、彼女はキッチンで立ち尽くしていた。
「これ、ナギサさんじゃないですよね……?」
心底小さな声で、シンク横に置かれた灰皿を指す。確か中には吸い殻が一つ入っていた。
片付けを怠ったことを後悔する。
「……私が吸ったんだ」
「うそ、誰かいたんですよね……せめてそう言ってくださいよ……!」
「ううん。家には誰も入れてないよ。気を紛らわせるのにね、一本吸ったんだ」
カナタは固まってしまっている。元は彼女の願いで始めた禁煙だったのだ。飾り気のないキッチンはそれだけ冷たく私たちを囲む。
「ココア淹れるから、リビングで待っていて」
何も発さずにキッチンを出ていってしまう。これだけ張りつめるのには、わけがあった。
「不味ったな。嘘でも吐けばよかったか……」
気に影が差して、頭を掻く。今となっては後の祭りだろう。カップを戸棚から二つ取り出して、片方にはココアを一杯入れる。私の分はコーヒーだ。
電気ポットで沸かしておいたお湯を注ぐ。
「カナタ、できた……うおぉあ!」
リビングに入るとカナタが飛び込んでくる。熱湯を淹れてあるので正直背筋が凍った。
「あ、危ないから離れて」
でも、五日ぶりのこの感じは悪くないな。
両手が塞がっていなかったらこのまま抱きしめていたかもしれない。
「どうして、吸ったんですか?」
「ただの昔の名残だよ。嫌なことがあった時に吸うように……」
そこまで言ってはっとした。これじゃまるで嫌味を言っているようなものだ。
「昔って、もしかして成人する前から吸ってたんですか?」
「えーっと、高校に入った時だったかな、吸い始めたのは。コーヒーもちょうどその時だね」
「こ、コーヒーはいいんですけど、そんなに早くから吸ってたんですか?!」
「吸うって言っても二、三日に一回くらいね。あんまり吸うとハヤトに叱られたから」
「でしょうね!ちょっとそこ座ってください!」
付き合ってきて一度も聞いた事のない腹の底からの怒号に気圧されて、急いで私はソファの上に正座する。
「どうして吸い始めたんですか」
言いかけて、ひゅっと息が風を切った。首筋を冷たさが伝う。あのころの話は、話すには残酷で鋭利過ぎる。
「……あまり、思い出したくない」
必死に声を振り絞って、私は震えるように首を振ることしか叶わなかった。
「ナギサさん」
「お願い、思い出させないで……」
息がしづらい。指先が凍ってゆく。そんな私のただならぬ雰囲気を汲み取ってか、カナタはそれ以上問い詰めることも無く隣に腰かけた。
「カナタが怒るのはよく分かるよ。その理由もね。出来れば私ももう打ち明けてしまいたいんだけど、ほら……」
そう言って右手を差し出す。先程まで程よく温まっていた指は冷えきり、震えさえ出始めている。これは恐れだ。
「情けない話だね。こんなザマだ」
差し出した手を握ると、カナタはみるみる表情を変える。
「っ…すみませんでした。不躾に聞いてしまって」
「いいよ。これはどうしようもなかった」
手を繋いでいる間に少しずつ気も整ってくる。体温が戻ると冷や汗がまた体を冷やし始める。
「もう戻らないと思ってたからね」
「落ち着いたら連絡するって、そう言ったじゃないですか」
「別れ話には違いなかったでしょ?」
「そんなわけ……!」
カナタは余裕のなさそうな顔をする。
思えばハヤトに突き放された時は手を出すこともなかったのに、気づけばカナタに振られたその日からタバコは手に握られていた。別れる事なんて念頭になかっただけに、失った時の恐怖は計り知れなかった。
「……本気で好きになるってすごいな」
「え、急にどうしました?」
「いいや?ただ自分が思ってる以上に私はカナタが大好きみたいだから」
「ほんとにどうしたんですか?」
甘い恋なんて画面の先の世界だと思っていたのに、これじゃ甘ったるくて胸焼けしそうだ。
私はカナの手を取って向き直る。そして意を決して、口を切る。
「カナタ、好きだよ。たまらなく好きなんだ。だからまた一緒に暮らしたい」
なんだろう、告白ってこんな気持ちなのかな。思えば私から告白なんてしたことも無かった。
少し遅い青春を噛み締めながら、緊張の中カナを見つめる。
「本当に私でいいんですか?」
「うん、カナタがいい。カナタは私にたくさん初めてをくれた。毎日好きを貰った。いつまでもうじうじしてる私を待っててくれた。それに恋をする苦しさと、楽しさも教えてくれたんだ」
思い出すと彼女からは貰ってばかりだった。特に最初はカナタの気持ちに無頓着で、ただ来るものを受け入れるだけだった。
「えー……改めて、カナタ。あなたのことが好きです。私にカナタの人生の半分をください」
「……半分なんて言わずに、全部持って行ってください」
おずおずと顔を上げる。カナタはその目に涙をたたえて、差し込む淡い光で濡れた顔には笑みが浮かんでいた。
「今人生一幸せです。ナギサさんを好きになれて良かった」
「私もだよ。これからまたよろしくね、カナタ」
「はいっ!」
満面の笑顔に心を奪われて、なりふり構わず彼女を押し倒していた。
「ナギサさん?」
「あ、あぁごめん!すぐにどくから」
慌てて体を起こそうとすると、カナタは私の首に手を回す。心做しか表情は恍惚としている。
嗅ぎなれたはずの香水が、私の中の何かを解いていく。
「ダメだよ……今日はちゃんと寝ないと」
「いつも乗り気なのに珍しいですねぇ…沸く前に一回だけで、いいですから」
「ちょ、ま……んぅ……は…ダメだって…」
「誘ったのはナギサさんなんですから、責任とってください」
五日ぶりに触れ合った柔肌に私の理性は砕かれて、体が求め始めている。疼きを抑えようにも身動ぎも満足に出来ない。
「私とするのは嫌ですか……?」
その一言でついに快楽に堕ちようとした時、ちょうど給湯器が歌い始める。
「ほ、ほら!沸いたから入っておいで」
「え、ちょ」
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