聖女を呼ぶ世界から

菜花

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覚めない夢

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 鈴木可奈はいつも死にたいと思っていた。
 親からはネグレクト。学校では登校拒否になるほど苛められ、担任もそれを黙認している状況だ。
 今朝も昼食代百円を母親から投げつけられ、父親からは「金のかかる女だ、高校までは義理で行かせてやるが、それからは自分で生きていけ」 と言われ、その日の昼は校庭の隅で安いパンをかじっていた。

 教室に戻ると自分の机と椅子だけが教室から出ていたりするのはいつものこと。先生に訴えても「そんなことしたくなるようなアンタが悪い」 と言われた。
 訳が分からない。小さい頃からやたら皆に嫌われて、とにかく少しでも好かれるように、嫌われないようにと息を殺して縮こまって生きてきた。それが良いことだったのかは分からないままだ。

 可奈の癒しは図書室で読むファンタジー小説だ。ある日ヒロインは自分が異世界のお姫様だと知り、異世界の危機を助けに元の世界へ帰っていく……。自分も本当はこうだったらなと何度思っただろう。何度も何度もそう思いながら寝て……何度絶望の朝を迎えただろう。それでもこの小説を読むのはやめられない。この世界に浸る時だけが心満たされる時間なのだ。

 そうだったのに、ある日また借りに行こうとしたら中身がずたずたに引き裂かれていた。クラスメートの苛めっ子達の仕業だろうとは容易に予想がついた。よく私物がこんな風に切り刻まれるから。
 先生に伝えに行くと「貴方がやったんじゃないの? 何かそういう顔してるのよ」 と言われた。さすがにやってもないことを疑われるのは堪えた。
 

 帰り道、ひと気のないところまで来て気が抜けたのか、可奈の目からポロポロと涙が零れた。だが拭く気力もなく、ただ流れるままにしておいた。

 死にたい。死にたいなあ。生きてて良いことなんて一つもないんだもの。誰か優しく殺してくれないかな。そうでなければ……。


 永遠に覚めない夢の中に行きたい。


 その瞬間、可奈の足元に魔法陣が浮かんだ。そして可奈はそのまま異世界に連れていかれた。




「聖女様、どうかこの世界をお助けください」

 きっと夢を見てるんだなと可奈は思った。だって大勢の人が自分に頭を下げる光景なんて生まれた初めて。有り得ない。それに読んでたファンタジー小説と出だしが同じで笑える。私本当にあの小説好きだったんだなあ。話もだけど、ヒロインの高潔さも好きだったんだよね。縋る神官達を目の前に……。

「私のような人間に何ができましょうか。けれど困っていると仰るなら、私に出来ることを致しましょう」
「おおっ、まさしく聖女様だ!」

 小説を同じ台詞を言って同じように感激されてる。これは本当に夢だな。……じゃあ本物の私はどうしているんだろう? 確か下校途中で意識が途絶えて……。車にでも轢かれたのかな。運転手さんに悪い事したな。

「さあ聖女様、今宵はこちらで俗世の疲れを癒してください」

 神官っぽい人達が案内してくれたのは、王様が使うような大浴場だった。さらに侍女が何人も控えていて綺麗にしくれる。気持ちいい……これも夢なんだろか? ……明晰夢とか割と見る方だし、きっと夢なんだろうな。こんな素晴らしい体験が現実であるはずがないもの。

 
 朝になると詳しい経緯が説明された。女神が眠る時期が来て世界が困っている。どうかその身に溢れる魔力をこの世界に馴染ませて、そして女神を起こしてほしいと。

 小説とは展開がちょっと違うけど、そもそも自分もあの小説と違ってお姫様なんかじゃないし、設定のすり合わせなんだろうな。人間の脳って凄い。

 そして旅に出る。護衛にと年配の騎士達とお世話係の老婆がついてきた。華やかなパーティー、とは言い難いけど、経験豊富で多少のことでは動じないという堅実さを優先してのことらしい。
 その甲斐あってか、精霊達に会う旅は問題なく終了。でもお世話係のお婆さんが終始しんどそうだったのが気にかかる。世界を救う聖女の世話なんて恐れ多いとずっと卑屈気味で、更に体力もそうないことから彼女を気遣って移動にかなり時間がかかったのは事実。次はもうちょい若い子にしたらいいんじゃないかな……。

 そして女神が復活なされた。
 その際に可奈は自分の素性を説明された。
 いわく、その魂は元々こちらの世界のものであること。そのせいで地球で迫害されたのだということも。

 可奈はそれを聞いてもどうも思わなかった。
 だって夢でしょ? こうだったらいいなが詰まった妄想。起きたらきっとまた迫害されるだけ。でも、夢の中でくらい本当はちゃんとした理由があったんだって思っても許されるよね。……本当にそうだったらいいのに。

 女神は自分がそうなるように仕向けた張本人だが、可奈が話半分で聞いているのを見てさすがに心を痛めた。自分が本当は選ばれた存在と言われても何も感じないほどに心が死んでいるのだ。
 せめてこれからの人生は幸せに、と王家に命じて彼女にとことん尽くすように言う。



 可奈は今度の夢は随分長い夢だな、と思っていた。
 ある日異世界に来て聖女だと言われて、女神様直々におほめ頂いて、王様よりも上の扱いされて……。
 死ぬ前に永遠に覚めない夢の中にいたい、っていうのが叶ったのかな。神様も優しいな。
 そういえばここがあの小説に似た世界なら、結末もあの小説と同じなんだろうか。
 ヒロインは王子様に見初められて結婚し、幸せに暮らしたのでした、っていう。
 ……充分チヤホヤされたし、それはいいかな。だって自分と結婚する男の人なんて、夢の中でも可哀想。


 そんな可奈の様子を遠くから眺める男がいた。
 この世界唯一の王家の第一王子。

 彼は生まれた時から父である王からはこんこんと言い聞かせられてきたことがある。

「女神様が仰るには、破滅する世界を救うために異世界から少女を召喚するとのこと。世界を守るために現れるのだからもはや聖女であるといえよう。大恩ある存在ゆえ、聖女が望むなら我らは何でも差し出さねばならぬ。それが自身であっても、だ。息子よ、お前は特に血筋にも容姿にも恵まれておる。もしも聖女ないし女神が人類から一人差し出せと言われたら……分かるな?」


 つまるところ生贄なんだろうな、と王子は思った。聖女がどんな性格であっても、どんな容姿であっても選択権は向こうにある。そのことに何も感じなかったといえば嘘になるけれど……。まあ、世界が滅ぶよりマシだ。

 内心反発しながら迎えた聖女召喚。王宮に現れた聖女とやらは、随分普通で、控えめで、儚げな少女だった。
 そして問題なく旅をこなし、女神を起こし、世界を救った。

 女神がこの功績に相応しい望みは何だと聞いても「静かな暮らしを」 としか言わなかったらしい。離宮と侍女を与えられて、そこで望み通りの生活をしているようだった。……世界を救った聖女なのになんという地味な。

 王子には謎の怒りがあった。こっちは覚悟していたのに。召喚された時も彼女なら悪くないかもと思ったのに。女神を起こした時だってプロポーズの台詞も二人で住む城も用意していたのに。
 彼女は一度もこちらを見なかった。そして何もないまま数年。

 その頃女神はというと、可奈の現状に大いに不満だった。
 せっかく魔力豊富な身体なんだから、子供を作って魔力不足の世界を助けてほしいのに。いや子供に魔力が受け継がれるか分からないけど、だからこそ一回でも試してみてほしいというか……。受け継がれないと分かったら今後の聖女にも無理強いはしない。受け継がれると分かったら、少しでもその気があるなら協力してほしい。そうしたらわざわざ不幸な少女作って呼び戻しなんて手間をかけないで済むかもしれないのだから。
 そうもやもやしていると、第一王子が可奈の離宮の辺りを鷹狩りだなんだ言ってうろうろしているのが目についた。後押ししない理由がなかった。


 王子は女神の援護もあり、堂々と可奈にプロポーズした。

「……あの、王子様。私、家族とか家庭とか、向いてないと思うんです」
「王族の家庭も大概普通ではないから安心してほしい。それに貴方が何かしてもサポートする人間がいくらでもいる」
「何故私なんですか? 他に綺麗な方はたくさんいますよね?」
「この世界を救ったのは貴方ではないか」
「責任感じてのことなら、別にいいんですよ。気持ちがないのに付き合うなんて悲しいじゃないですか」
「貴方は私を何とも思わないと?」
「そんな! 素敵な方だと思っています。けれど……」
「恋愛感情とまではいかないと? 貴方には無くても、私にはある。初めて見た時からずっと貴方を愛している。この気持ちがあっても駄目か? 私の気持ちだけでは駄目なのか? 断るなら、一人の男を一生不幸にするつもりでいてくれ」

 生まれて初めて、可奈は人から好意を寄せられた。それだけでも心がぐらぐらと揺れたのに、最後に自虐的な脅しのようなことまで言われて、断れなかった。



 可奈と王子の間に子供が生まれた。真っ先に確認した女神だったが、そういう性質なのか生まれた子供は父親のクローンかと思うほど父親に似ていた。だが、僅かばかりとはいえ母親の魔力も受け継いでいる。第二子や第三子も確認したが、性別に限らず全て父親似で、魔力はほんの少しだけ受け継いでいた。
 何世代かかるか分からないが、このまま聖女が子供を作っていけば、世界は魔力で満たされて召喚なんてしなくて済むかも……。
 女神がそう考えている頃、可奈はふとした風邪で寝込んでそのまま起き上がれなくなった。甲斐甲斐しく面倒を見るのは、夫である王。


「ここに来てからのことは、長い夢だったと思ってるの」
「……悲しいことを言うんだな」
「今寝たくないな。寝たらあの世界に戻りそうで」
「戻らない。貴方は元々この世界の人間だ。それにもうあの世界よりこちらの世界のほうがずっと長く暮らしてるのに。まだあの世界のことを思い出すのか?」
「一番多感な時期を過ごしたから、多少はね?」
「手を握っている。少しは落ち着くだろう?」
「……ありがとう」

 可奈は夫に手を握られながら目を閉じた。
 心配する夫に「幸せすぎるから、夢にしか思えないの」 とは言えなかった。
 苛められっ子が異世界に来て聖女になって王子様と結婚して……やっぱり妄想乙って言われる設定だよね。
 あの時覚めない夢の中にいたいって願ったけど、夢の中でも普通に年を取るものなのね。じゃあいつかは覚めるの?



 浅い呼吸の中、可奈は夢を見た。
 記憶の奥底に封じたはずの教室、クラスメート、先生。彼らが一斉に可奈を指さして笑う。怯えて縮こまる可奈に更に物まで投げつける。
 苦しい、つらい。やっぱり夢だったんだ。こっちの惨めな自分が本物なんだ。
「可奈!」
 するとどこからか聞きなれた声がした。この声は……夫?
 いつの間にか周りに誰もいなくなって、それどころか昔住んでいた、二人がよく会っていたあの離宮になっていた。
 夫も自分も若い頃の姿で、ガゼボに並んで座っている。

「あれ? 私、今まで……」
 事態がうまく呑み込めないままの可奈を見て夫は笑った。
「どうしたの? 私とのおしゃべりはつまらない?」
「まさか!」
 愛する夫との会話がつまらないはずがない。けど、正式に結婚したのはもう少し後だったような気がするけど、目の前の夫はその頃より若い。あれ?
「ごめんなさい。疲れているのか、何を話していたのか思い出せなくて」
「いいんだよ。話したいことは沢山あるんだから。……死んでからも」
「?」
「さあ何を話そうか? お茶? 歴史? 女神のこと? 焦らなくても時間はたっぷりあるから」
 笑う夫につられて可奈も笑った。何だかとても楽しい。とても――幸せだ。




 女神はほぼ同時に亡くなった可奈と王を見て安堵した。とても愛し合っていた二人だったから。先立たれて長く寂しい思いをする片方を見るのは心が痛んだだろう。
 可奈は結局最後までこの世界を夢のように思っていた。それならそれでいい。貴方は立派なに役目を果たした。願わくば、亡くなってからも楽しい夢の中にいますように。
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