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山下映子は死んでも報われない
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山下映子はどこにでもいる普通の三十代女性だった。
老境に差し掛かった父親を支え、仕事は無遅刻無欠勤。帰宅すれば親の分まで家事をする。
母は早くに亡くなり、一人いた姉は結婚してさっさと家を出て行った。
生まれ育った家を継ぐのは自分しかいないという自負が彼女にはあった。だから全てを完璧にこなすようにしていた。
だからだろう、浮いた話は全くなかった。そんな余裕がないからだ。
その映子も年とともに仕事と家事の両立に加え親の介護までのしかかり、それが多大な負担になっていたのだろう。ある朝、呆気なく死んだ。
気が付けば映子は布団で半透明の身体になっていた。どうなっているのかと慌てているうちに、布団の中にもう一人の自分がいることに気づいた。それは息をしていない。少しばかり苦しそうな顔で亡くなっていた。
ああ、最近父がいびきがうるさいって言ってたし、睡眠障害でもあったのかなと映子は納得した。まったく苦しんだ記憶がないため、あっさりしたものだった。
それはそうとして、映子にはしなければならないことがあった。
今日は出勤日だった。死んだら仕事なんか出来ない。
文字通り映子は飛んで会社に向かった。幽霊だから空を飛べるのだ。
そして常に誰かが待機している事務室に入り、事の次第を説明しようとした。
その場で一番偉い人は映子の半透明になった姿に驚いていたようだが「まさか死んだの?」とすぐ思い至ったようだ。
説明が早くて助かる、と映子は「そうなんです。私、自分でも気づかないうちに死んだみたいで。そういう訳で今日から出勤できません。引継ぎもできませんが、あとのことはどうかよろしくお願いします」
幽霊になってまずしたことが職場へ出勤できないことへのお詫び。これだけだと映子は生真面目人間のように見えるだろうが、事実は違った。
真面目しか取り柄がない映子は褒められたかった。
『最近の子ときたら一言も言わずにバックレる子も多いのに! 死んでまで周りに迷惑をかけないようにする貴方は素晴らしい!』
今までだって無遅刻無欠勤で頑張ってきた。迷惑かけないように幽霊になってまで時間前に連絡しに来た。それくらい褒められてもいいだろうと思っていた。
しかし、会社の人間の返事は冷めたものだった。
「貴方は何があっても休まないキャラだと思ってたのに……裏切られた気分だわ。あーあ、これから貴方の代わりを見つけなきゃいけないとか面倒すぎ。死ぬって人に迷惑かける行為だよね、何があとのことはどうかよろしくお願いしますなんだか全く。あ、幽霊が出る店とか評判立ったら厄介だから早く消えてくんない?」
生真面目だった映子はその上司の言葉に「あ、ごめんなさい……」と言って消えた。幽霊だからもう涙も出ない。
会社から出た映子はこれからどうしようかと思って、姉のことを思い出した。
お世辞にも仲の良い姉妹ではなかったけれど、たった一人の妹が死んだと分かったら流石に労わりの言葉をくれるはず。甥っ子や姪っ子にもお年玉やらハロウィンやらで色々あげて優しくしてきたし。
そうして姉のところに向かった映子だが、そこでも望む言葉は得られなかった。
「映子ったら死んだの? ラッキー! あんた結婚もしないし要領も悪い子じゃん? 絶対うちの子たちにとって不良債権になると思ってたのよね。さっさと死んでくれて有り難いわ。ところで用はそれだけ? 子供達が怖がるといけないから早くここから消えてくんない?」
甥っ子と姪っ子は可愛い。唯一映子を無邪気に慕ってくれた存在だった。最も、物やカネで釣っていたのだから彼らの目当てもそっちだと言われればそれまでだが。それでも、この期に及んで甥姪に見苦しい姿は見せたくなかったので姉の言うことを聞いた。
映子は最後に自宅に戻った。
自分の死体をまじまじと見る。顔に痣のようなものが少しずつ浮かび上がっており、これが死相かと自分の死体で感心した。そして楽しそうに笑った。自分、死に方だけは穏やかでSSRだったんだなと。
そして一階に飛び、父に自分が死んだことを伝えた。父は早期退職して家で気ままな生活を送っている。
父が過ごしやすいようにと父の分まで家事を頑張ってきた。少しくらい自分の死に悲しんでくれたり……。
しかし映子の父は心底面倒くさそうに言った。
「明日から俺が掃除洗濯ゴミ出しすんのかよ、何親より先に死んでんだよ、親に後始末させるとか最低だぞお前」
映子は耐えきれずに叫んだ。
「死ぬほど病んでいたんだ疲れていたんだって労わってくれないのか、死んだあとまでそんな風に言われるほど私は不出来な娘だったのか」
映子の父は「そうだけど? お前自分が上等な人間とか思ってたの? ナルシストにも程がある」と笑った。
映子は茫然としながらも最後に「二階のベッドに私の死体があるから片付けておいて。今は冬だけど虫が湧いたら面倒でしょう」と言ったが父親は「一週間後くらいには片付ける。面倒なんだよ」とそっぽを向いた。
そんなことしたら警察に「事件性がある」って判断されるだけじゃないかな、と思ったがもう注意する気力も無かった。
すべてに諦めがついた映子はさあ、成仏しようと思った。もう心残りはない。何一つ。いや、心残りだと思ってたものは最初から幻想だったのかもしれない。何か一つくらい報われたと思いたかったけれど、私という人間にそんな価値はなかったようだ。
それにしても、親より先に死んだから私は地獄行き確定だな。
そう思いながら映子は、テレビ番組の前で笑う父親を見ながらゆっくりと消えていった。
老境に差し掛かった父親を支え、仕事は無遅刻無欠勤。帰宅すれば親の分まで家事をする。
母は早くに亡くなり、一人いた姉は結婚してさっさと家を出て行った。
生まれ育った家を継ぐのは自分しかいないという自負が彼女にはあった。だから全てを完璧にこなすようにしていた。
だからだろう、浮いた話は全くなかった。そんな余裕がないからだ。
その映子も年とともに仕事と家事の両立に加え親の介護までのしかかり、それが多大な負担になっていたのだろう。ある朝、呆気なく死んだ。
気が付けば映子は布団で半透明の身体になっていた。どうなっているのかと慌てているうちに、布団の中にもう一人の自分がいることに気づいた。それは息をしていない。少しばかり苦しそうな顔で亡くなっていた。
ああ、最近父がいびきがうるさいって言ってたし、睡眠障害でもあったのかなと映子は納得した。まったく苦しんだ記憶がないため、あっさりしたものだった。
それはそうとして、映子にはしなければならないことがあった。
今日は出勤日だった。死んだら仕事なんか出来ない。
文字通り映子は飛んで会社に向かった。幽霊だから空を飛べるのだ。
そして常に誰かが待機している事務室に入り、事の次第を説明しようとした。
その場で一番偉い人は映子の半透明になった姿に驚いていたようだが「まさか死んだの?」とすぐ思い至ったようだ。
説明が早くて助かる、と映子は「そうなんです。私、自分でも気づかないうちに死んだみたいで。そういう訳で今日から出勤できません。引継ぎもできませんが、あとのことはどうかよろしくお願いします」
幽霊になってまずしたことが職場へ出勤できないことへのお詫び。これだけだと映子は生真面目人間のように見えるだろうが、事実は違った。
真面目しか取り柄がない映子は褒められたかった。
『最近の子ときたら一言も言わずにバックレる子も多いのに! 死んでまで周りに迷惑をかけないようにする貴方は素晴らしい!』
今までだって無遅刻無欠勤で頑張ってきた。迷惑かけないように幽霊になってまで時間前に連絡しに来た。それくらい褒められてもいいだろうと思っていた。
しかし、会社の人間の返事は冷めたものだった。
「貴方は何があっても休まないキャラだと思ってたのに……裏切られた気分だわ。あーあ、これから貴方の代わりを見つけなきゃいけないとか面倒すぎ。死ぬって人に迷惑かける行為だよね、何があとのことはどうかよろしくお願いしますなんだか全く。あ、幽霊が出る店とか評判立ったら厄介だから早く消えてくんない?」
生真面目だった映子はその上司の言葉に「あ、ごめんなさい……」と言って消えた。幽霊だからもう涙も出ない。
会社から出た映子はこれからどうしようかと思って、姉のことを思い出した。
お世辞にも仲の良い姉妹ではなかったけれど、たった一人の妹が死んだと分かったら流石に労わりの言葉をくれるはず。甥っ子や姪っ子にもお年玉やらハロウィンやらで色々あげて優しくしてきたし。
そうして姉のところに向かった映子だが、そこでも望む言葉は得られなかった。
「映子ったら死んだの? ラッキー! あんた結婚もしないし要領も悪い子じゃん? 絶対うちの子たちにとって不良債権になると思ってたのよね。さっさと死んでくれて有り難いわ。ところで用はそれだけ? 子供達が怖がるといけないから早くここから消えてくんない?」
甥っ子と姪っ子は可愛い。唯一映子を無邪気に慕ってくれた存在だった。最も、物やカネで釣っていたのだから彼らの目当てもそっちだと言われればそれまでだが。それでも、この期に及んで甥姪に見苦しい姿は見せたくなかったので姉の言うことを聞いた。
映子は最後に自宅に戻った。
自分の死体をまじまじと見る。顔に痣のようなものが少しずつ浮かび上がっており、これが死相かと自分の死体で感心した。そして楽しそうに笑った。自分、死に方だけは穏やかでSSRだったんだなと。
そして一階に飛び、父に自分が死んだことを伝えた。父は早期退職して家で気ままな生活を送っている。
父が過ごしやすいようにと父の分まで家事を頑張ってきた。少しくらい自分の死に悲しんでくれたり……。
しかし映子の父は心底面倒くさそうに言った。
「明日から俺が掃除洗濯ゴミ出しすんのかよ、何親より先に死んでんだよ、親に後始末させるとか最低だぞお前」
映子は耐えきれずに叫んだ。
「死ぬほど病んでいたんだ疲れていたんだって労わってくれないのか、死んだあとまでそんな風に言われるほど私は不出来な娘だったのか」
映子の父は「そうだけど? お前自分が上等な人間とか思ってたの? ナルシストにも程がある」と笑った。
映子は茫然としながらも最後に「二階のベッドに私の死体があるから片付けておいて。今は冬だけど虫が湧いたら面倒でしょう」と言ったが父親は「一週間後くらいには片付ける。面倒なんだよ」とそっぽを向いた。
そんなことしたら警察に「事件性がある」って判断されるだけじゃないかな、と思ったがもう注意する気力も無かった。
すべてに諦めがついた映子はさあ、成仏しようと思った。もう心残りはない。何一つ。いや、心残りだと思ってたものは最初から幻想だったのかもしれない。何か一つくらい報われたと思いたかったけれど、私という人間にそんな価値はなかったようだ。
それにしても、親より先に死んだから私は地獄行き確定だな。
そう思いながら映子は、テレビ番組の前で笑う父親を見ながらゆっくりと消えていった。
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初めまして、タグのドアマットヒロインに惹かれて此方を見つけ読みました。
わたしが今まで読んだドアマットヒロイン物で、最も報われ無くてとても悲しいし心苦しいです😭💦
普通のお話だと何だかんだで報われるけど、このお話は現実的なだけに何だか遣る瀬無い…せめて来世で幸せになって貰いたいです。✨
映子さんは地獄行きって言ってましたが、あれだけ人の為に頑張っていたので極楽行きだと思います。地獄行きは寧ろ他の人々だと思います。
此れから他の物語を読んで行きたいと思います、このお話を紡いで頂いてありがとうございましたm(_ _)m
感想ありがとうございます!
こんな風に言ってくれる人がいるならきっと閻魔様も「同情してくれる人がいるから無罪!」と判決を出してくれることでしょう。
パンを踏んだ娘に同情する娘さんとかお釈迦様の蜘蛛の糸みたいなコメント感謝です。