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厳しい兄と優しい弟
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車田凛は普通の女子高生だった。ある日異世界に飛ばされるまでは……。
いつものように学校から帰る時、急にまばゆい光に包まれた。目を開けていられず立ち止まってしまう。そして耳に囁くような声が聞こえた。
「私の世界を守って」
鈴を振るような綺麗な声。一瞬でこの世の者ではないと思った。この世の者でない何か呼ばれたというなら――私は何処へ行くのだろう。
そして気がついたら鬱蒼とした森の中にいた。明らかに地球ではないと分かる歌う植物や、しゅるしゅると音を立てて近づくならば飲み込もうというような巨大触手がいて、しばらく放心状態になった。
地球でないから正確なことは何も分からないけれど、辺りがどんどん暗くなっているのが分かった。どうしよう。野宿は危険だ。でもどこへ行けばいい? どちらの方向へ歩けばいい? そもそもこういう場合は動かないほうがいいんだろうか。でもそれは助けが来ると解っている場合だったような。じゃあ今はどうするのが正解? ……何も分からないよ。
不安と心細さと恐怖からついに凛はわんわん泣き出した。泣いて何かが解決する訳でもないのに。
しかし結果的それは良い方向に転がった。泣き声を聞きつけた何者かが凛に話しかけてくる。
「誰だお前……こんな危険区域に」
その少年を見た時、凛は一瞬見惚れてしまった。いかにも狩人といった風貌だが、その容姿はイケメンの部類。この世界は皆顔がいいのだろうか。
「おい、返事しろよ。人が聞いてるのに失礼だぞ」
それを聞いて慌てて凛は答える。
「私は車田凛。ここはどこ? あなたは誰?」
「ここはシードの森だ。俺はアルビン。お前は一体なんでこんなところにいるんだ?」
「分からないの。いきなり辺りが明るくなったかと思ったら、次の瞬間にはここにいたの」
「はぁ? お前それ、まるで召喚の儀で呼ばれた聖女みたいだな」
ドキリとする。あの綺麗な声といい、あの異様な状況といい、もしかしなくても私がその聖女なのでは? と思うのは自意識過剰だろうか。
「召喚の儀って?」
「この世界に危機が訪れた時、女神が異世界から聖なる少女を呼ぶ、と太古から伝えられている。……子供でも知ってることだぞ」
異世界の人間だから知りません、と言いたいところだけれど、じゃあそれを証明してみせろと言われても困ってしまう。そんな貴重な人なら危険区域とやらに飛ばすはずがないだろうし……。じゃあ私は一体なに?
凛が途方にくれていると、アルビンが溜息をついて凛を家に誘う。
「……放っておきたいところだが、そうしたら本当に死にかねないしそれは後味が悪い。おい、俺におぶされ。この辺の歩き方も知らないだろう。ひとまず俺の家に来い」
断る選択肢がない。凛はアルビンにおんぶしてもらった。
アルビンはアルビンで、見た目より子供っぽい女だなと思ったら思いのほか柔らかい身体なのを背中で感じ取ってドギマギしてしまった。そのまま家まで無口で歩く。
アルビンの両親は先年、魔獣の害で死亡し、今は弟のレイフと二人で暮らしている。アルビンが狩りで食料を取ってくる間、家の雑事をするのはレイフの仕事だ。
「帰ったぞ」
「兄さんお帰り……って、背中の方はどちら様ですか?」
兄弟ともによく似ているが、兄が精悍な顔つきなら弟は柔和な顔つきだ。そしてどちらも美形。
「知らん。危険区域にいるようなアホだ。見殺しにも出来ないから拾って来た」
「危険区域って……あそこは一人で行けるようなところではないでしょう。誰かに置き去りにされたんじゃ……」
「ああ、こいつすっとろい感じだからな。食い扶持減らしか」
「兄さん! ああごめんなさい。僕の名前はレイフといいます。何のもてなしもできませんが、せめて温かい飲み物でも飲んで休んで行かれてください。兄といるのは大変だったでしょう。兄は他人への気遣いが出来ない性質だから」
「失礼なやつだな。俺は狩りだけ出来ればいいんだよ」
そのまま凛をおろすと、レイフが近寄ってきてあれこれと世話を焼いてくれた。靴を脱がせ足を洗う水を裏の井戸から取ってくる。綺麗な椅子を凛に譲ると自分はボロボロで今にも壊れそうな椅子に座る。その待遇の良さに異世界に来てから不安だった凛は思わずポーっとなった。
「こんなものしか無くて申し訳ないのですが……」
そう言ってレイフが出したのは僅かな豆と野菜の浮いたスープ。レイフは謝るが、そもそも知らない場所でよもや飢え死にかと覚悟した凛にはこれも立派な贅沢品だ。
「ううん。本当なら私のぶんなんて用意する必要もなかったのに……ありがとう、レイフくん」
お礼を言う凛にアルビンが嫌味をちくりと言う。
「本当だよ。今日は運悪く獲物も見つからずにろくな食料がないっつーのに、お前のぶんまで用意して家の主の俺らがひもじい思いするとか。明日には出てけよ」
「兄さん! 聖女かもしれないのに失礼じゃないか!」
その言葉に凛はびくりとする。
「聖女? こいつが?」
「そうだよ、古より聖女は黒目黒髪って決まってるだろう? 彼女、条件にぴったりじゃないか」
「黒目のやつが染めてるだけなんじゃないのか。王都でもそういう詐欺多いっていうぞ」
「あんなところに居るような人間に染める余裕があるとでも?」
「じゃあなんだよ、聖女ならなんであんな場所にいたんだよ。聖女は王宮の星の間に呼ばれるんだろうが」
「それは……分からないけど、大昔政情が不安定だった時には王都の別の場所に来たという事例もあるし……」
「はんっ。本ばっかり読んでるやつは物知りだが、金にもならないロマンチストだな。よく見ろよ。こいつ聖女って言えるほど美人か? 頭良さそうか? 威厳があるか? 現実見ろ!」
アルビンはそう言うと、乱暴に食器を置いて去っていった。もう話をするのはごめんとばかりに。
嵐のような人だなあと凛が思っていると、レイフが凛に話を振る。
「兄のこと、ごめんなさい。兄は狩猟しか知らないような人で……」
「あ、ううん。でも私のこと助けてくれたし」
「そんなの当たり前ですよ。貴方は聖女かもしれない人なのですから」
「あの、聖女ってなに? 私なんにも知らなくて……」
凛がそう言うとレイフはうっとりとした。
「ああ、物を知らないといってもその様子は地上に落ちた天使のようだ。天使が下界を知らないのは当然ですよね。分かりました。僭越ながら僕が教えましょう。聖女とはこの世界に危機が訪れると女神が異世界より少女を召喚するのです。その少女こそ聖女です。聖女は稀なる力でこの世界を救うとされています。具体的には……そうですね。分かりやすい例だと二代前の聖女でしょうか。王の側近に悪人がいて、そいつは自分が王になろうとしました。女神の聖なる力とは正反対の闇の魔術を使って。これは女神にも浄化出来ないものであり、異世界の聖女にしか祓えないとされています。当時呼ばれた少女は王宮のそこかしこに呪具として置かれた魔術具を全て浄化、犯人を見つけ出し処刑、王位は無事守られたそうです」
「へえ……すごいね」
「はい。……この話をしたのも、実は王都のほうで現在似たようなことになっているという噂があったから……。そして似たような事例があるなら、自分だけは同じ轍を踏むまいとして召喚少女を追いやることも悪人なら考えるでしょう」
「私がその事例だってこと?」
「はい」
レイフが真剣な目で見つめてくる。彼はどういう訳か凛を聖女と信じて疑わないようだ。
「私もそうだったらいいなって思うけど……自分でも分からないの、ごめんなさい」
「いいんです。ただならぬ事態だというならそういうこともあるでしょう。いつか必ず迎えがくるはず。それまで僕が貴方をお守りします」
「レイフくん……」
兄のアルビンは聖女どころか普通の人間以下みたいな言い草をしたというのにこのレイフの紳士然とした対応。凛の胸がときめくのも無理はなかった。
だがレイフは迎えがくるとはいったが、それからひと月、それらしい話はなく、凛は山奥のアルビンの家で雑用をして暮らしていた。
慣れない薪割りをすれば手に血豆をつくり、洗濯をすれば洗濯機がないので手で直接こすると、加減を知らずにこすりすぎで手の皮まで剥け、料理は料理でこの世界の調味料が分からないから食べられたものでない味になる。アルビンはそうなる度に凛を怒鳴った。
「この役立たず! 恥を知っているなら出ていったらどうなんだ! お前のせいでうちの家計はめちゃくちゃだ!」
アルビンといると聖女どころか人間としての自信を喪失していく。凛は隠れて泣くことが多くなった。それをレイフが目ざとく見つけて慰める。
「兄がごめなさい。でも今だけです。いつかきっと……」
しだいにレイフは優しいから希望を与えるようなことを言っているだけなんじゃないかとか、後ろ向きなことを考えてしまう凛。
「レイフくんはどうして私にそんなに優しいの?」
「それは、その、僕は一目貴方を見た時から……」
レイフがその続きを言うことはなかった。
突然森の向こうから馬が駆けてきて、乗っている騎士が凛を見つけると下馬して礼をとった。
「聖女様! 遅くなりまして申し訳ありません!」
凛は正真正銘の聖女だった。
今まで保護してくれた仲間が傍にいるほうが落ち着くだろうとアルビン、レイフ兄弟も王都に呼ばれ、そこで女王と謁見した。
「遅くなって申し訳ありません。全ては側近の企みでした。本人は現在牢におりますが、彼の放った魔具はいまだ王宮にあるのです。聖女様、どうか見つけ出して浄化してくださいませ」
女王が言うまでもなく、何か嫌なものがそこかしこにあると凛は肌で感じ取っていた。そう思ったもの全てに触れていくと、光が凛の手の平に集まり最後は霧散して浄化される。そうして浄化が終わると、女王は涙ぐんでお礼を言った。
「……もう少し早く貴方の居所が分かれば、兄も助かったのでしょう。貴方がこの世界に降り立った時は、まだ王は兄でした。けれどこのひと月でみるみるうちに衰弱していき……。側近は私を与しやすい女と見ていたようですが、思い違いであったとこれで証明できましたわ。それでももう少し早く我々が貴方の居場所を察知できれば、貴方も余計な苦労をすることも無かったのでしょう」
女王は貧乏暮らしですっかり荒れた凛の手を見て言った。凛もどうしてこうまで苦労するのだろうと思っていたが、これで全て報われた。あとは……。
「あの、女王様。元の世界に戻るにはどうしたら……」
凛の疑問を女王はすまなそうに、だけれど女王としての威厳は失わないように答えた。
「元の世界に戻る方法はありません。ただ凛様が魂だけでも戻りたいと仰るのであれば別です」
「どういうことですか?」
「生物は一度しか次元を越えられないのです。過去にどうしても戻りたいと言った聖女がいましたが、魔術をかけた瞬間、四肢が飛散したそうです。あとには肉塊だけが残っていました。衣服や宝飾品などは消えていたそうですから、そちらは戻ったのでしょうね。それでも元の世界に戻りたいと仰せならば……」
「い、いえ……諦めます」
「でしょうね」
女王は話題を変える。こちらの世界に残ることを決定したならこれからのことについて話さなければならない。
「凛様、貴方を貴族の養女に迎えましょう。どうかせめてこれからは成し遂げたことのぶん安らかな生活を送ってくださいませ。そして聖女を保護してくださったお二方には貴族の身分を授けましょう。……実際どうであれ、貴方達がいたから聖女は死なずに済んだようですから」
女王の目はアルビンを冷たく射貫いていた。
凛の生活は一変した。高位貴族の養女として、また王権を守った救世主たる聖女として、どこにいっても崇められた。
そしてアルビンとレイフの二人の生活も一変した。
レイフは貧乏ながらも突然現れた少女を出来る範囲で保護していたことを地元の住民が証言したのだ。
反対にアルビンは……。
どこに行っても蔑みの視線を与えられた。
必要に以上に聖女につらくあたっていたとこれも地元の住民が証言した。しかしそういう地元の住民は、アルビンのように家で保護することも凛のために食料を狩ってくるようなこともしなかったが、それでも世間は地元住民以上の大罪人とアルビンをみなした。
ある日アルビンが街を歩くと、後ろから常にクスクス、と笑い声が聞こえてきた。
「よく平気でいられるわね」
「酷いものだよ。本来なら下にも置かぬ扱いをされる聖女様を」
アルビンは走った。走りながら言い訳していた。
そんなこといってもパッと見分からないじゃないか。一般人には魔力の有無なんて判別不可能だ。まして容姿は本当に普通なのに、世間に出回る新聞記事にはまるで絶世の美女のように描かれている。この齟齬はなんなんだ。
「聖女をサンドバッグにしていたんだってね。ただの女の子としてみても屑の所業だよ」
「モラハラ男ってサイテー」
「恥を知ってるなら身分を返上して田舎に帰ればいいのに。俺なら情けなくてそうするね」
どうしてここまで言われなきゃならないんだと思う反面、いつもいつも言われてやっぱり自分が悪かったのかもと思い始める自分がいた。
一方、レイフのほうはどこへいっても「証拠が無くとも聖女だと見抜いた賢者のような少年」 としてチヤホヤされていた。
「素敵だわ、一人ぼっちの聖女様を我が身を顧みず助けるなんて」
「物語なら聖女様はレイフ様と結婚するわね」
「当然よ、レイフ様は恩人ですもの」
その声を真に受けてか、レイフはどんどん凛に強引になっていった。
「凛様、お友達の選別は僕がいたします」
「凛様、僕以外の人間と気安く話してはいけません。あいつらは有名になってから近づいてきた人間です」
「凛様、凛様が一番おつらい時代に聖女と見抜いたのは僕だけですからね」
それを聞いた凛は私のために言ってくれてるのね、と感動するよりも萎えていた。
聖女となってからというもの、凛は名前で呼ばれることはなくなった。
突然貴族の養女になり、貴族ならそれ相応のマナーを、ということで睡眠時間以外は常に行儀作法の勉強をしていた。それでも生まれつき貴族だった人間の前では付け焼刃の作法はみっともなく映ったらしく、聖女様と表では誉めそやしながら裏で笑っている現場を凛は何度も見た。
レイフならあの頃みたいに接してくれる、とレイフに会ってみたら上記のようなことを言われ、誰よりも彼が恩着せがましく鼻持ちならない性格の悪い貴族のようなことを言うようになっていた。
ふと、元の世界で読んだ本に書かれていたことを思い出す。
『熱狂的なファンというのは、応援されてる本人からすると案外腫れ物扱いだったりする』
初めて読んだ時はどうしてそんなことがあるんだろう。好きになってくれただけでなく自分のために色々してくれるなんて感謝しかないではないかと反感を覚えていた。
だが今なら分かる。
まさしく腫れ物だ。切り離せない所にいてそれでいて迷惑でしかない。今彼を追いやるようなことをすれば、聖女と認定された瞬間に恩を忘れた薄情聖女として陰口を叩かれるだろう。貴族社会は狭い。そんなことになったら今以上に肩身の狭い思いを強いられる。けれど本人の言っていることは正しいか正しくないかで言えば正しいから始末におえない。ただこちらの気持ちを一切考えてくれないだけ。
あの頃は、あの田舎の家に居た頃は一人の人間として見てくれてたのに。……いや、環境だから偉そうにしなかっただけで、よく考えればあの頃から聖女という生き物を彼から求められていたのだろうか。こうなってから思うのは、常に冷たかったアルビンのこと。厳しいといえば聞こえは悪いけど、常に本音で接してくれてたんだなと今更ながらそれがどれだけ得難いことか解った。
たまに貴族達が「あのアルビンという男に丁重に聖女様を保護してくださったことの礼を言いましたの」 と自慢げに言ってくるけれど、これは貴族特有の婉曲な表現で「聖女様を無下にした男に嫌味と皮肉三昧してきたよ! 偉いでしょ褒めてもいいのよ」 という意味だ。さすがに彼に同情してしまう。自分も遠回しにマナーがなってないことを度々こういう風に言われるのだから。
それなのに肉親のレイフがそれを聞いて「それは素晴らしいことをなさいましたね」 と笑っていてぞっとした。彼からすれば聖女を邪険にした人間がざまぁされてメシウマ、的な思いなのだろうか。
レイフの言動に疑問を持つことが増えるのに、世間は何故かレイフと自分が遠からず婚姻するだろうと思っているのが堪えた。一生あの山奥の家にいたらそうだったかもしれない。けれど今は……。
「凛様」
レイフは今や婚約者気取りで平気で凛の夜の部屋に入り込んでくる。だから凛は寝る時すら侍女を傍に置かなければならない。やめてほしいと一つ伝えたら発作的に「本当はあれもこれも嫌だった」 といくつもの不満が飛び出そうだ。
「も、もう遅い時間だから……」
「そうですね。でも一人寝は寒くありませんか?」
「……大丈夫です」
「強がる姿も可愛いものですが、たまには素直になっても良いのですよ? では本日はこれで失礼しましょう」
そう言うとレイフは頬にキスをして去っていった。若い侍女がその様子を「お二人の出会いから聖女と認められるまでは文学のようですが、先程の姿は絵画のようですわね」 と興奮した様子で言ってくる。……これでは近いうちに手引きするのではないだろうか。
もう耐えられない。気がついたら早朝に屋敷を飛び出してアルビンのところに走っていた。
出迎えた彼は相変わらず「聖女様が共も連れずに出歩くなんて行儀が悪いだろ。しかも俺のところとか」 ときつい言葉を投げて来た。
懐かしさと、貴族社会で久しぶりに聞けた裏表のない言葉に涙が溢れた。
女王は偉業を成し遂げた礼に貴族にしたと言ったが、実際は外に放逐する訳にもいかないのでここで飼い殺しにするつもりだったのだろうと凛もこの頃には気づいていた。
「……泣くほど俺が嫌なら早く帰れよ」
「違うの、私が馬鹿だった。皆、皆変わった。変わらないのは貴方だけだった……。今なら分かる。貴方の言葉は乱暴でも、間違ったことは何一つ言ってなかった」
「買いかぶりすぎだ。……あの時の俺は急に家族が増えてかかる金も増えて苛々していて、それをお前にぶつけていた」
「アルビンくんの立場なら当然だよ。私、それでもあの頃に戻りたい。戻りたいよ……」
そう言って抱き付いてきた凛を、アルビンは肩を掴んで引き離したそうとはしたが、どうしてもそうできない。貴族になってからというもの一見綺麗な女達の底意地の悪さばかり見せつけられてきた。あの時は凛のことなど苛々するほどとろくさい女だと思っていたけど、純朴で素直、経験が少ないというだけだった。ここで過ごせば過ごすほど凛の良さを再確認した。そうして自分が今まで彼女に投げつけた言葉がブーメランとなって返ってきた。彼女がこんな自分を選ぶはずがない。
そう思っていたのに、今は彼女から抱き付いてきている。
「今なら無かったことに出来るぞ」
「やめて、無かったことにしないで。私は貴方と生きたい」
「……離してやらないからな」
諦めていたものが向こうからやってきた。これが最初で最後のチャンスなのだろうか。ならば死んでもこの手を離さない。
聖女が冷遇してきた兄のほうと結婚すると決まった時、世間は騒然とした。弟の間違いじゃないのかと。
だが兄と仲睦まじい様子を何度も見せられ聞かされ……段々そういうこともあるだろうと噂にも上らなくなった。
そしてそうなった頃に――レイフは行方不明になった。
数年後、今代の聖女が最初に出現した家をどうするかという話が出て、現地に学者が向かった時、首を吊ったらしい腐乱死体がそこにあった。それが誰だったのか、今はもう判別できない。
いつものように学校から帰る時、急にまばゆい光に包まれた。目を開けていられず立ち止まってしまう。そして耳に囁くような声が聞こえた。
「私の世界を守って」
鈴を振るような綺麗な声。一瞬でこの世の者ではないと思った。この世の者でない何か呼ばれたというなら――私は何処へ行くのだろう。
そして気がついたら鬱蒼とした森の中にいた。明らかに地球ではないと分かる歌う植物や、しゅるしゅると音を立てて近づくならば飲み込もうというような巨大触手がいて、しばらく放心状態になった。
地球でないから正確なことは何も分からないけれど、辺りがどんどん暗くなっているのが分かった。どうしよう。野宿は危険だ。でもどこへ行けばいい? どちらの方向へ歩けばいい? そもそもこういう場合は動かないほうがいいんだろうか。でもそれは助けが来ると解っている場合だったような。じゃあ今はどうするのが正解? ……何も分からないよ。
不安と心細さと恐怖からついに凛はわんわん泣き出した。泣いて何かが解決する訳でもないのに。
しかし結果的それは良い方向に転がった。泣き声を聞きつけた何者かが凛に話しかけてくる。
「誰だお前……こんな危険区域に」
その少年を見た時、凛は一瞬見惚れてしまった。いかにも狩人といった風貌だが、その容姿はイケメンの部類。この世界は皆顔がいいのだろうか。
「おい、返事しろよ。人が聞いてるのに失礼だぞ」
それを聞いて慌てて凛は答える。
「私は車田凛。ここはどこ? あなたは誰?」
「ここはシードの森だ。俺はアルビン。お前は一体なんでこんなところにいるんだ?」
「分からないの。いきなり辺りが明るくなったかと思ったら、次の瞬間にはここにいたの」
「はぁ? お前それ、まるで召喚の儀で呼ばれた聖女みたいだな」
ドキリとする。あの綺麗な声といい、あの異様な状況といい、もしかしなくても私がその聖女なのでは? と思うのは自意識過剰だろうか。
「召喚の儀って?」
「この世界に危機が訪れた時、女神が異世界から聖なる少女を呼ぶ、と太古から伝えられている。……子供でも知ってることだぞ」
異世界の人間だから知りません、と言いたいところだけれど、じゃあそれを証明してみせろと言われても困ってしまう。そんな貴重な人なら危険区域とやらに飛ばすはずがないだろうし……。じゃあ私は一体なに?
凛が途方にくれていると、アルビンが溜息をついて凛を家に誘う。
「……放っておきたいところだが、そうしたら本当に死にかねないしそれは後味が悪い。おい、俺におぶされ。この辺の歩き方も知らないだろう。ひとまず俺の家に来い」
断る選択肢がない。凛はアルビンにおんぶしてもらった。
アルビンはアルビンで、見た目より子供っぽい女だなと思ったら思いのほか柔らかい身体なのを背中で感じ取ってドギマギしてしまった。そのまま家まで無口で歩く。
アルビンの両親は先年、魔獣の害で死亡し、今は弟のレイフと二人で暮らしている。アルビンが狩りで食料を取ってくる間、家の雑事をするのはレイフの仕事だ。
「帰ったぞ」
「兄さんお帰り……って、背中の方はどちら様ですか?」
兄弟ともによく似ているが、兄が精悍な顔つきなら弟は柔和な顔つきだ。そしてどちらも美形。
「知らん。危険区域にいるようなアホだ。見殺しにも出来ないから拾って来た」
「危険区域って……あそこは一人で行けるようなところではないでしょう。誰かに置き去りにされたんじゃ……」
「ああ、こいつすっとろい感じだからな。食い扶持減らしか」
「兄さん! ああごめんなさい。僕の名前はレイフといいます。何のもてなしもできませんが、せめて温かい飲み物でも飲んで休んで行かれてください。兄といるのは大変だったでしょう。兄は他人への気遣いが出来ない性質だから」
「失礼なやつだな。俺は狩りだけ出来ればいいんだよ」
そのまま凛をおろすと、レイフが近寄ってきてあれこれと世話を焼いてくれた。靴を脱がせ足を洗う水を裏の井戸から取ってくる。綺麗な椅子を凛に譲ると自分はボロボロで今にも壊れそうな椅子に座る。その待遇の良さに異世界に来てから不安だった凛は思わずポーっとなった。
「こんなものしか無くて申し訳ないのですが……」
そう言ってレイフが出したのは僅かな豆と野菜の浮いたスープ。レイフは謝るが、そもそも知らない場所でよもや飢え死にかと覚悟した凛にはこれも立派な贅沢品だ。
「ううん。本当なら私のぶんなんて用意する必要もなかったのに……ありがとう、レイフくん」
お礼を言う凛にアルビンが嫌味をちくりと言う。
「本当だよ。今日は運悪く獲物も見つからずにろくな食料がないっつーのに、お前のぶんまで用意して家の主の俺らがひもじい思いするとか。明日には出てけよ」
「兄さん! 聖女かもしれないのに失礼じゃないか!」
その言葉に凛はびくりとする。
「聖女? こいつが?」
「そうだよ、古より聖女は黒目黒髪って決まってるだろう? 彼女、条件にぴったりじゃないか」
「黒目のやつが染めてるだけなんじゃないのか。王都でもそういう詐欺多いっていうぞ」
「あんなところに居るような人間に染める余裕があるとでも?」
「じゃあなんだよ、聖女ならなんであんな場所にいたんだよ。聖女は王宮の星の間に呼ばれるんだろうが」
「それは……分からないけど、大昔政情が不安定だった時には王都の別の場所に来たという事例もあるし……」
「はんっ。本ばっかり読んでるやつは物知りだが、金にもならないロマンチストだな。よく見ろよ。こいつ聖女って言えるほど美人か? 頭良さそうか? 威厳があるか? 現実見ろ!」
アルビンはそう言うと、乱暴に食器を置いて去っていった。もう話をするのはごめんとばかりに。
嵐のような人だなあと凛が思っていると、レイフが凛に話を振る。
「兄のこと、ごめんなさい。兄は狩猟しか知らないような人で……」
「あ、ううん。でも私のこと助けてくれたし」
「そんなの当たり前ですよ。貴方は聖女かもしれない人なのですから」
「あの、聖女ってなに? 私なんにも知らなくて……」
凛がそう言うとレイフはうっとりとした。
「ああ、物を知らないといってもその様子は地上に落ちた天使のようだ。天使が下界を知らないのは当然ですよね。分かりました。僭越ながら僕が教えましょう。聖女とはこの世界に危機が訪れると女神が異世界より少女を召喚するのです。その少女こそ聖女です。聖女は稀なる力でこの世界を救うとされています。具体的には……そうですね。分かりやすい例だと二代前の聖女でしょうか。王の側近に悪人がいて、そいつは自分が王になろうとしました。女神の聖なる力とは正反対の闇の魔術を使って。これは女神にも浄化出来ないものであり、異世界の聖女にしか祓えないとされています。当時呼ばれた少女は王宮のそこかしこに呪具として置かれた魔術具を全て浄化、犯人を見つけ出し処刑、王位は無事守られたそうです」
「へえ……すごいね」
「はい。……この話をしたのも、実は王都のほうで現在似たようなことになっているという噂があったから……。そして似たような事例があるなら、自分だけは同じ轍を踏むまいとして召喚少女を追いやることも悪人なら考えるでしょう」
「私がその事例だってこと?」
「はい」
レイフが真剣な目で見つめてくる。彼はどういう訳か凛を聖女と信じて疑わないようだ。
「私もそうだったらいいなって思うけど……自分でも分からないの、ごめんなさい」
「いいんです。ただならぬ事態だというならそういうこともあるでしょう。いつか必ず迎えがくるはず。それまで僕が貴方をお守りします」
「レイフくん……」
兄のアルビンは聖女どころか普通の人間以下みたいな言い草をしたというのにこのレイフの紳士然とした対応。凛の胸がときめくのも無理はなかった。
だがレイフは迎えがくるとはいったが、それからひと月、それらしい話はなく、凛は山奥のアルビンの家で雑用をして暮らしていた。
慣れない薪割りをすれば手に血豆をつくり、洗濯をすれば洗濯機がないので手で直接こすると、加減を知らずにこすりすぎで手の皮まで剥け、料理は料理でこの世界の調味料が分からないから食べられたものでない味になる。アルビンはそうなる度に凛を怒鳴った。
「この役立たず! 恥を知っているなら出ていったらどうなんだ! お前のせいでうちの家計はめちゃくちゃだ!」
アルビンといると聖女どころか人間としての自信を喪失していく。凛は隠れて泣くことが多くなった。それをレイフが目ざとく見つけて慰める。
「兄がごめなさい。でも今だけです。いつかきっと……」
しだいにレイフは優しいから希望を与えるようなことを言っているだけなんじゃないかとか、後ろ向きなことを考えてしまう凛。
「レイフくんはどうして私にそんなに優しいの?」
「それは、その、僕は一目貴方を見た時から……」
レイフがその続きを言うことはなかった。
突然森の向こうから馬が駆けてきて、乗っている騎士が凛を見つけると下馬して礼をとった。
「聖女様! 遅くなりまして申し訳ありません!」
凛は正真正銘の聖女だった。
今まで保護してくれた仲間が傍にいるほうが落ち着くだろうとアルビン、レイフ兄弟も王都に呼ばれ、そこで女王と謁見した。
「遅くなって申し訳ありません。全ては側近の企みでした。本人は現在牢におりますが、彼の放った魔具はいまだ王宮にあるのです。聖女様、どうか見つけ出して浄化してくださいませ」
女王が言うまでもなく、何か嫌なものがそこかしこにあると凛は肌で感じ取っていた。そう思ったもの全てに触れていくと、光が凛の手の平に集まり最後は霧散して浄化される。そうして浄化が終わると、女王は涙ぐんでお礼を言った。
「……もう少し早く貴方の居所が分かれば、兄も助かったのでしょう。貴方がこの世界に降り立った時は、まだ王は兄でした。けれどこのひと月でみるみるうちに衰弱していき……。側近は私を与しやすい女と見ていたようですが、思い違いであったとこれで証明できましたわ。それでももう少し早く我々が貴方の居場所を察知できれば、貴方も余計な苦労をすることも無かったのでしょう」
女王は貧乏暮らしですっかり荒れた凛の手を見て言った。凛もどうしてこうまで苦労するのだろうと思っていたが、これで全て報われた。あとは……。
「あの、女王様。元の世界に戻るにはどうしたら……」
凛の疑問を女王はすまなそうに、だけれど女王としての威厳は失わないように答えた。
「元の世界に戻る方法はありません。ただ凛様が魂だけでも戻りたいと仰るのであれば別です」
「どういうことですか?」
「生物は一度しか次元を越えられないのです。過去にどうしても戻りたいと言った聖女がいましたが、魔術をかけた瞬間、四肢が飛散したそうです。あとには肉塊だけが残っていました。衣服や宝飾品などは消えていたそうですから、そちらは戻ったのでしょうね。それでも元の世界に戻りたいと仰せならば……」
「い、いえ……諦めます」
「でしょうね」
女王は話題を変える。こちらの世界に残ることを決定したならこれからのことについて話さなければならない。
「凛様、貴方を貴族の養女に迎えましょう。どうかせめてこれからは成し遂げたことのぶん安らかな生活を送ってくださいませ。そして聖女を保護してくださったお二方には貴族の身分を授けましょう。……実際どうであれ、貴方達がいたから聖女は死なずに済んだようですから」
女王の目はアルビンを冷たく射貫いていた。
凛の生活は一変した。高位貴族の養女として、また王権を守った救世主たる聖女として、どこにいっても崇められた。
そしてアルビンとレイフの二人の生活も一変した。
レイフは貧乏ながらも突然現れた少女を出来る範囲で保護していたことを地元の住民が証言したのだ。
反対にアルビンは……。
どこに行っても蔑みの視線を与えられた。
必要に以上に聖女につらくあたっていたとこれも地元の住民が証言した。しかしそういう地元の住民は、アルビンのように家で保護することも凛のために食料を狩ってくるようなこともしなかったが、それでも世間は地元住民以上の大罪人とアルビンをみなした。
ある日アルビンが街を歩くと、後ろから常にクスクス、と笑い声が聞こえてきた。
「よく平気でいられるわね」
「酷いものだよ。本来なら下にも置かぬ扱いをされる聖女様を」
アルビンは走った。走りながら言い訳していた。
そんなこといってもパッと見分からないじゃないか。一般人には魔力の有無なんて判別不可能だ。まして容姿は本当に普通なのに、世間に出回る新聞記事にはまるで絶世の美女のように描かれている。この齟齬はなんなんだ。
「聖女をサンドバッグにしていたんだってね。ただの女の子としてみても屑の所業だよ」
「モラハラ男ってサイテー」
「恥を知ってるなら身分を返上して田舎に帰ればいいのに。俺なら情けなくてそうするね」
どうしてここまで言われなきゃならないんだと思う反面、いつもいつも言われてやっぱり自分が悪かったのかもと思い始める自分がいた。
一方、レイフのほうはどこへいっても「証拠が無くとも聖女だと見抜いた賢者のような少年」 としてチヤホヤされていた。
「素敵だわ、一人ぼっちの聖女様を我が身を顧みず助けるなんて」
「物語なら聖女様はレイフ様と結婚するわね」
「当然よ、レイフ様は恩人ですもの」
その声を真に受けてか、レイフはどんどん凛に強引になっていった。
「凛様、お友達の選別は僕がいたします」
「凛様、僕以外の人間と気安く話してはいけません。あいつらは有名になってから近づいてきた人間です」
「凛様、凛様が一番おつらい時代に聖女と見抜いたのは僕だけですからね」
それを聞いた凛は私のために言ってくれてるのね、と感動するよりも萎えていた。
聖女となってからというもの、凛は名前で呼ばれることはなくなった。
突然貴族の養女になり、貴族ならそれ相応のマナーを、ということで睡眠時間以外は常に行儀作法の勉強をしていた。それでも生まれつき貴族だった人間の前では付け焼刃の作法はみっともなく映ったらしく、聖女様と表では誉めそやしながら裏で笑っている現場を凛は何度も見た。
レイフならあの頃みたいに接してくれる、とレイフに会ってみたら上記のようなことを言われ、誰よりも彼が恩着せがましく鼻持ちならない性格の悪い貴族のようなことを言うようになっていた。
ふと、元の世界で読んだ本に書かれていたことを思い出す。
『熱狂的なファンというのは、応援されてる本人からすると案外腫れ物扱いだったりする』
初めて読んだ時はどうしてそんなことがあるんだろう。好きになってくれただけでなく自分のために色々してくれるなんて感謝しかないではないかと反感を覚えていた。
だが今なら分かる。
まさしく腫れ物だ。切り離せない所にいてそれでいて迷惑でしかない。今彼を追いやるようなことをすれば、聖女と認定された瞬間に恩を忘れた薄情聖女として陰口を叩かれるだろう。貴族社会は狭い。そんなことになったら今以上に肩身の狭い思いを強いられる。けれど本人の言っていることは正しいか正しくないかで言えば正しいから始末におえない。ただこちらの気持ちを一切考えてくれないだけ。
あの頃は、あの田舎の家に居た頃は一人の人間として見てくれてたのに。……いや、環境だから偉そうにしなかっただけで、よく考えればあの頃から聖女という生き物を彼から求められていたのだろうか。こうなってから思うのは、常に冷たかったアルビンのこと。厳しいといえば聞こえは悪いけど、常に本音で接してくれてたんだなと今更ながらそれがどれだけ得難いことか解った。
たまに貴族達が「あのアルビンという男に丁重に聖女様を保護してくださったことの礼を言いましたの」 と自慢げに言ってくるけれど、これは貴族特有の婉曲な表現で「聖女様を無下にした男に嫌味と皮肉三昧してきたよ! 偉いでしょ褒めてもいいのよ」 という意味だ。さすがに彼に同情してしまう。自分も遠回しにマナーがなってないことを度々こういう風に言われるのだから。
それなのに肉親のレイフがそれを聞いて「それは素晴らしいことをなさいましたね」 と笑っていてぞっとした。彼からすれば聖女を邪険にした人間がざまぁされてメシウマ、的な思いなのだろうか。
レイフの言動に疑問を持つことが増えるのに、世間は何故かレイフと自分が遠からず婚姻するだろうと思っているのが堪えた。一生あの山奥の家にいたらそうだったかもしれない。けれど今は……。
「凛様」
レイフは今や婚約者気取りで平気で凛の夜の部屋に入り込んでくる。だから凛は寝る時すら侍女を傍に置かなければならない。やめてほしいと一つ伝えたら発作的に「本当はあれもこれも嫌だった」 といくつもの不満が飛び出そうだ。
「も、もう遅い時間だから……」
「そうですね。でも一人寝は寒くありませんか?」
「……大丈夫です」
「強がる姿も可愛いものですが、たまには素直になっても良いのですよ? では本日はこれで失礼しましょう」
そう言うとレイフは頬にキスをして去っていった。若い侍女がその様子を「お二人の出会いから聖女と認められるまでは文学のようですが、先程の姿は絵画のようですわね」 と興奮した様子で言ってくる。……これでは近いうちに手引きするのではないだろうか。
もう耐えられない。気がついたら早朝に屋敷を飛び出してアルビンのところに走っていた。
出迎えた彼は相変わらず「聖女様が共も連れずに出歩くなんて行儀が悪いだろ。しかも俺のところとか」 ときつい言葉を投げて来た。
懐かしさと、貴族社会で久しぶりに聞けた裏表のない言葉に涙が溢れた。
女王は偉業を成し遂げた礼に貴族にしたと言ったが、実際は外に放逐する訳にもいかないのでここで飼い殺しにするつもりだったのだろうと凛もこの頃には気づいていた。
「……泣くほど俺が嫌なら早く帰れよ」
「違うの、私が馬鹿だった。皆、皆変わった。変わらないのは貴方だけだった……。今なら分かる。貴方の言葉は乱暴でも、間違ったことは何一つ言ってなかった」
「買いかぶりすぎだ。……あの時の俺は急に家族が増えてかかる金も増えて苛々していて、それをお前にぶつけていた」
「アルビンくんの立場なら当然だよ。私、それでもあの頃に戻りたい。戻りたいよ……」
そう言って抱き付いてきた凛を、アルビンは肩を掴んで引き離したそうとはしたが、どうしてもそうできない。貴族になってからというもの一見綺麗な女達の底意地の悪さばかり見せつけられてきた。あの時は凛のことなど苛々するほどとろくさい女だと思っていたけど、純朴で素直、経験が少ないというだけだった。ここで過ごせば過ごすほど凛の良さを再確認した。そうして自分が今まで彼女に投げつけた言葉がブーメランとなって返ってきた。彼女がこんな自分を選ぶはずがない。
そう思っていたのに、今は彼女から抱き付いてきている。
「今なら無かったことに出来るぞ」
「やめて、無かったことにしないで。私は貴方と生きたい」
「……離してやらないからな」
諦めていたものが向こうからやってきた。これが最初で最後のチャンスなのだろうか。ならば死んでもこの手を離さない。
聖女が冷遇してきた兄のほうと結婚すると決まった時、世間は騒然とした。弟の間違いじゃないのかと。
だが兄と仲睦まじい様子を何度も見せられ聞かされ……段々そういうこともあるだろうと噂にも上らなくなった。
そしてそうなった頃に――レイフは行方不明になった。
数年後、今代の聖女が最初に出現した家をどうするかという話が出て、現地に学者が向かった時、首を吊ったらしい腐乱死体がそこにあった。それが誰だったのか、今はもう判別できない。
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感想ありがとうございます!
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