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私のなかの、なにか 終章
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REMロックフェスでのメジャーデビューライブはSNSで拡散され、澤さんや秋山さん、そしてレコード会社の関係者の想像をはるかに覆すほどバズった。連動してファーストEPは音楽配信サイトで売れに売れた。
にもかかわらず、修くんと私のAFEWはそれから主だった活動をすることなく、六月半ばに解散してしまう。突然、修くんが脱退したからだ。理由について訊ねてみたけど、なかなか答えようとしない修くん。納得のいかない私は、電話やメールで再三詰問を繰り返した。それでも彼は答えようとしなかった。これまでとはまるで逆転の構図といえた。
そんなある日、澤さんに呼ばれてREMレコードへ打ち合わせに行くと、ミーティングルームに修くんも姿を見せていた。私がなにか言おうとする前、彼は控えめに口を開く。
「あのさ、咲南ちゃんがね、先月のステージに立ってやっぱ自分には音楽しかないって気づいたんだって」
驚きを隠せない私に、修くんは頭を下げる。その表情は清々しさを感じさせた。
「じゃ、彼女と組むの?」
「そうなるかな。あ、でも、誘ってくれたのは咲南ちゃんじゃなくて、秋山さんなんだ」
「――あ、秋山さんが?」
今度は目が点になる。彼と修くんはかつて殴り合いの喧嘩をしたほど仲が悪かったはず。
「そう。僕がピアノで弾く楽曲と咲南ちゃんの歌を合わせて、それを秋山さんがコンピュータアレンジして、アコースティックをメインにしたジャンルレスなZ世代のサウンドを目指してみないかって」
横で聞いていた澤さんが、首を縦に振りながら納得する。
「うん。SNSに精通した秋山が、TwitterやTikTokを駆使してオンラインプラットフォームを有効活用していけば面白いかもしれません。倉澄さんと朝生さんのサウンドエッセンスは真逆のスタイルですし。うまくミクスチャーすれば斬新な曲調になると思いますよ」
「でも、修くんがいなくなったら、AFEWは、私は、どうなるのよ?」
「莉子ちゃんは大丈夫に決まってるじゃん。もう君はいくつもの壁を乗り越えたんだ。けど、咲南ちゃんはそうじゃない。まだ彼女には誰かがそばにいるべきなんだ。そういう意味で秋山さんは、音楽に対する自己愛領域がハンパなくて頼りないからさ。適任は僕しかいない。いいや、もっと言うなら〝わずかだけど存在するものたち〟のため、音楽を演るのが、今の僕の役目なんだ」
話を聞きながら、修くんは本当に大人になったと私は感心する。
「澤さん、莉子ちゃんのこと、どうかよろしくお願いします」
「ち、ちょっと、勝手に話を進めないでよ。澤さんも澤さんです。引きとめないんですか?」
「まあ、こういうことは音楽業界のつねですし。それに解散しても、また気が向けば再結成すればいいだけの話ですから。これもまた、音楽業界のつねですしね。倉澄さんがそう心に決めたのなら、思う存分やってみればいいと思います。ネットでバズって数字の目途が立ちそうだったら、三人の新ユニットを担当するのは僕ですし」
「そ、そうなんですか?」私が訊くと、申し合わせたように二人が微笑む。
「秋山とは腐れ縁ですし、僕らはもうファミリーみたいなものです。形が変わろうとも」
「これで終わりじゃなくて、これからまたはじまるんだ、莉子ちゃん。リスタートだよ」
澤さんと修くんが大きく肯く。そういうことなんだと理解する。
新しい家族がいつの間にか、ここにも築かれようとしているんだ、と。
ふたたび私は大学に通いはじめ、忙しい日々を送りはじめた。『o'clock』と『くるみベーカリー』のバイトは正式にやめたけど、少しでも時間があれば訪れるようにしている。
驚いたことに真紀さんは竹中店長とクリスマスイヴに結婚する。いわゆる年の差婚だ。
外園さん夫妻には待望の第一子が生まれる。佳乃さんから聞いて、すごくうれしかった。
知らないうちに誰もが誰かとつながって、新しい家族が増えようとしていた。
一方であのライブ後、両親から連絡はない。私に会いにくることもなかった。娘に危険が伴うような、軽はずみな行動に出るはずがないことはわかっていた。寂しくもあり、心配であることに変わりないけど、私の心持ちは以前とはまるで違う。
絶対にお父さんもお母さんも会場にいた。そして私は二人に歌を届けることができた。
想いもメッセージも、すべてを歌に託せた。そういう確信がある。それだけじゃない。五年ものときを経ても両親は生きててくれた。絶対に近いうち、時間が解決してくれるに違いない。そう信じている。ライブ直後、曜子ちゃんにそういう想いを話したとき、
「莉子ちゃんの願いも祈りも届いたんだよ。もう大丈夫。だって、フェス会場に来られるくらい二人はしっかり生きてるんだもん。新しい未来はすぐ近くにあるよ」
そう言って、そっと優しくハグしてくれた。あの真冬の朝と同じように。
それから十ヶ月が経過した。四月のその日、渋谷の外れの音楽スタジオでリハーサルを終え、澤さんと二人してビルを出る。今、私は川奈莉子の本名でソロ活動をつづけている。澤さんはあのステージを最後にして、金髪から黒髪に戻り、まだらの無精髭は消え、服装もナチュラルな感じになって、若返ったというか、本来の自然な彼に戻ろうとしている。きっと澤さんのなかでも、いろんな過去に踏ん切りがついたんだと私は思う。
外はすっかり日が暮れかけていた。
初のソロツアーを控えて、今日も朝からずっと音合わせだった。
車道側に顔を向け、すぐにタクシーを拾おうと手を上げる澤さんに、私は言う。
「あの、このところずっとスタジオに缶詰だから、少し外を歩いてもいいですか?」
「あ、はい」澤さんは私の気持ちを推し量るように柔らかな笑みを向ける。
「そうですね。でしたらNHK前を抜けて、代々木公園にでも行ってみましょう。花は散っても、葉桜が美しい季節かもしれません」
「私、スクランブル交差点を歩いてみたいんです」
すぐに彼の顔が少し曇るのは、人出が多い場所に対する心配と不安から。ネットの影響力はすごい。デビューから一年足らずで、もう私の顔と名前は全国区になろうとしていた。
「あまり、お勧めできませんね」
「ちょっとでいいんです。信号を渡れば、車に乗ります」
普段、めったに私からお願いごとはしない。眉根を寄せながらも、彼は渋々肯いた。
「約束です。おかしな人が近寄ってきたら、すぐに走って駅前の交番まで避難しますから」
冗談とも本気ともつかないことを、澤さんは真顔で言う。この人はいつまで経っても敬語のままで、年下の私にもすごくていねいな態度を崩さない。どんなことがあっても怒らない。逆に私は、彼のそういう部分に物足りなさを感じてしまうときがある。
「うわ、やっぱりすごい人です」
交差点の手前、渋谷最大級のCDショップの正面まで来たところで、澤さんは声を固くする。
「それに見てください」見上げた彼の視線の先には、ツアーに合わせて発売される、私のニューアルバムCDの特大ポスターが何枚も連ねて貼ってある。
ちょうどその真下に、澤さんと私は立っていた。
「単刀直入に申し上げますが、非常にまずい状況です」
私はくすっと笑う。
口ではそんなことを言いながらも、自身が初プロデュースしたニューアルバムのポスターを、眩しいものでも見るように目を細めている彼の顔は、どこかうれしそうだ。パッケージが売れないネット時代でありながら、予約販売は絶好調だという話は私も聞いていた。
「あ、澤さん、信号、青になりましたよ」
話を逸らすよう告げ、私は一歩を踏み出す。慌てて彼も歩き出す。
人、人、人、人、本当にすごい人だ――。ちょうど一年前も私はここを歩き、そんなふうに感じた。たったひとりで。音楽も仲間も断ち切って絶望の淵に立たされた状態、孤独だけを抱え、未来を見失いかけていた。私は誰ともつながらない。誰にも頼らない。誰かと関わったところで、傷つくだけだから。そう心を閉ざしていた。
せわしなく行き来する人たちを眺めながら、ふと思う。
そういえば、あのとき私が見た両親の姿は本物だったのだろうか? それとも――。
そんなことを考えるうち、自然に足が止まりかけた瞬間だった。
ドゥッ。突然、右肩をうしろから弾かれるように激しく突かれた。
「い、痛いっ!」短く叫ぶと同時、つんのめるようにして左足が前へ出る。
あ――――バランスを失って、うろたえたときは手遅れだった。私は前のめりで黒いアスファルトに突っ伏すようにして崩れていく。直後だ。ぎゅっと抱きしめるように、倒れかけた私を支えてくれる二本の腕に上体が包みこまれる。大切に覆ってくれる、その温かさと優しさと頼もしさと力強さに、はっとする。
「大丈夫ですか? 怪我はないですか?」
すぐ間近で澤さんの声が響く。
それで気づく。倒れかけたぎりぎりのところで彼に助けられ、今なお四方の人だかりから私を守るよう、自分の身体でガードしてくれていることを。
とくんと心臓が高鳴る。頬が火照る。照れ隠しのように、ぷいと私は顔を背けてしまう。
数秒後、無事をたしかめた澤さんはわずかに微笑む。
「ほら、だから僕はお勧めできないって言ったんですよ」
そんな素の表情を初めて見た気がした。そればかりか、この人の体温を初めて感じる。
「立てますか? あっ、もう信号が点滅しはじめました」
言いながら彼は壊れ物でも扱うように、私をそうっと起き上がらせてくれると、周囲に目配せして遠慮がちに体を離す。
「あ、ありがとうございます――」
どぎまぎする気持ちをひた隠し、なんとかお礼を口にする。胸の鼓動は速まる一方だ。
歩行者用の青信号が点滅するにつれ、潮が引くように大勢の人たちが左右へ動いていく。
春を迎えた薄暮のなか、行き交う人々を見やる。
あの真冬の朝、私のなかから消滅してしまった〝なにか〟がどんどん膨らんでいく。これだけの人間がいる大都会で、何百人もの人波のなか、今の私はもう孤独じゃない。仲間がいる。家族がいる。そして、この人がそばにいてくれる。
スクランブル交差点の真ん中で立ち止まったままの私に、すっと彼は片手を差し伸ばす。少し照れながらも、まるで少年のように顔をほころばせて。
お互いが、たしかな〝なにか〟をはっきり感じた。通じ合う。それがわかる。この人はずっと前から私の〝なにか〟を見守ってくれていた。初めて会ったときから。それだけじゃない。最後の最後まで私を信じ、理解しようとしてくれた。
あなたの存在が、どれほどの勇気を与えてくれることだろう。この先の未来に。
鼓膜の奥から、言葉で表せない素敵な『Somethings』が聴こえてくる。
『まだ莉子には早いわよ。そのうち誰かを好きになって恋をすればわかるわ。ここがほんわりと切ないけど温かくなって、〝なにか〟を感じるようになるから』
キッチンにいた母が笑いながら、自分の胸元にそっと手を触れたことを思い出す。
私もまた同じように、そっと胸元に手を当ててみる。
そうしてもう片方の手で彼の手をぎゅっと握る。すぐに、ぎゅっと握り返してくれる。
澤さんはまっすぐに私を見つめて言う。その顔に迷いなどない。
「さあ、行こう、僕と一緒に」
(了)
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