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【第2話】焼き立てパンは仲直りの味
【2-13】
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「ジル、辛いね」
自分ではどうにもならない境遇下に置かれたときの無力感と絶望を、僕はよく知っている。僕は幼い頃からずっと、すぐに諦めて「そういうものだから仕方ない」と受け入れることに慣れきってしまった。
でも、ジルは違う。彼はどうにもならない理不尽に怒りを感じ、受け入れ難いともがいている。その一方で、自分がその立場から逃れられないことも理解しているんだ。とても苦しいだろう。
「……ジルは、魔王になりたかったわけじゃないんだよね。魔王に選ばれてしまった理由はあるの?」
問いかけながら、彼のベッドの端に座る。ジルはそれを咎めることも、顔を上げることもなく、小さく首を振った。
「……思い当たることは、何も無い」
「そうなんだ……」
「魔王の魂が宿りやすい者の傾向として、何らかの憎悪や破壊衝動を抱えていることが多いという話は聞いたことがある。……だが、俺はそういう人間ではなかった……と、思う。実際、家族も、故郷の者たちも、どうしてお前が、と驚いていた」
「……」
「ある日突然、髪が黒くなり、目も黒くなり、角が生えた。──魔王化の証だ。何の前触れもなく、朝起きたら今のような姿になっていた。俺はすぐに身柄を拘束され、この城へ送り込まれ、当時の国王から長々とした文書で通告を受け、カミュから長々とした説明を聞かされ、わけがわからないまま魔王になった。……両親にきちんとした別れの言葉を伝えることすら、そんなわずかな時間さえ許されなかった。両親は泣き叫びながら、俺が乗せられた馬車を追いかけて走っていた。限界まで、完全に振り切られるまで、縋り付くように駆けていた。……私の子よ、私の息子を連れて行かないで、と、あの悲鳴が今でも耳にこびりついて離れない。俺の名を何度も叫ぶ、両親のあの声が。あれが最後の記憶だなんて、……っ、」
ヒュッ、と不自然な呼吸音をジルが発した。──泣いているのだろうか。もしくは、それを堪えているのだろうか。黒ずくめの姿がいつになく小さく見えて、痛々しい。
「俺は、知っているんだ。全く見知らぬ環境へ無理やり押し込められる恐怖も、理不尽さも、やるせなさも。……それなのに、同じことを、異世界からの転生者に強いている。そんなこと、したくないのに。……俺は田舎で両親と共に宿屋を営む普通の男だった。……もう誰も、そんなジルベールの姿など覚えていない」
彼の黒い髪も、黒い瞳も、とても美しいと思う。けれど、彼にとってはその容姿すらも忌むべき対象なんだろう。
少し悩んだ末、僕はジルの傍へにじり寄り、そっと手を伸ばして黒い頭を撫でた。角の部分は避けて、静かに優しく。ジルは驚いたのか少しだけ身を震わせたものの、されるがままだ。
「何色だったの?」
「……は?」
「ジルの髪と目。元々は何色だったの?」
「……金色の髪と、緑の目だった。どちらも、マレシスカよりもう少し濃い色味の」
目を閉じて、金髪翠眼のジルを想像してみる。きっと、彼の美貌が更に華やかに引き立てられていたんだろう。魔王になった今も、なる前の昔も、色彩は違えども同じく温厚な姿であるはずだ。
「覚えておくね」
「覚えておく……? 何をだ?」
「ジルが昔は金髪で緑の瞳だったこと。ご両親を大事に思っていたこと、魔王になりたくなかったこと、辛い思いをしていること、僕のような立場の人間を本当に心配してくれていること。ジルから聞いたこと、ちゃんと覚えておくよ。……だから、ジルも覚えておいて。僕は異世界に転生することになるなんて全く予想していなかったけれど、君やカミュとの生活はちっとも嫌じゃない。怖くもないし、理不尽だって怒りもおぼえていない。キカさんが言っていたようにね、此処に転生してきて良かったって思い始めているんだよ」
ジルは弾かれたように顔を上げて、こちらを凝視してきた。少し光が戻ってきている漆黒の瞳を、僕もまっすぐに見つめる。
「今はまだ、確定じゃないけど。でも、少なくとも嫌だとは思ってないし、優しく接してくれる君たちに感謝してる。変な言い方かもしれないけど、やっと人並みの人間になれたような、そんな気さえしているんだ。だからきっと、此処に転生して良かったって思えるときが来ると思ってる。……それを、覚えておいてね」
「ああ、覚えておく」
魔王は、力強く頷いた。
「お前が逝くのが先か、俺が逝くのが先かは分からないが、決して忘れない。ミカ、お前の全てを覚えておきたい。だから、もっと色々な話をしてくれ」
「うん、お互いにね。……あと、キカさんともちゃんと仲直りしてほしいな」
まさかの話題転換だったのか、ジルはギョッとしたように眉根を微かに寄せる。だけど、気を悪くした様子は無い。少し気まずいだけなんだろう。
「僕、これからキカさんと一緒に夜ごはんを作るから。頑張って美味しいものを作るから、みんなで一緒に食べようね」
まだキカさんには何も相談していないけれど、まぁ、カミュも後押ししてくれるだろうし、なんとかなるだろう。
ね? と念押しすると、ジルは片手で顔を覆いながらも、観念したように頷くのだった。
自分ではどうにもならない境遇下に置かれたときの無力感と絶望を、僕はよく知っている。僕は幼い頃からずっと、すぐに諦めて「そういうものだから仕方ない」と受け入れることに慣れきってしまった。
でも、ジルは違う。彼はどうにもならない理不尽に怒りを感じ、受け入れ難いともがいている。その一方で、自分がその立場から逃れられないことも理解しているんだ。とても苦しいだろう。
「……ジルは、魔王になりたかったわけじゃないんだよね。魔王に選ばれてしまった理由はあるの?」
問いかけながら、彼のベッドの端に座る。ジルはそれを咎めることも、顔を上げることもなく、小さく首を振った。
「……思い当たることは、何も無い」
「そうなんだ……」
「魔王の魂が宿りやすい者の傾向として、何らかの憎悪や破壊衝動を抱えていることが多いという話は聞いたことがある。……だが、俺はそういう人間ではなかった……と、思う。実際、家族も、故郷の者たちも、どうしてお前が、と驚いていた」
「……」
「ある日突然、髪が黒くなり、目も黒くなり、角が生えた。──魔王化の証だ。何の前触れもなく、朝起きたら今のような姿になっていた。俺はすぐに身柄を拘束され、この城へ送り込まれ、当時の国王から長々とした文書で通告を受け、カミュから長々とした説明を聞かされ、わけがわからないまま魔王になった。……両親にきちんとした別れの言葉を伝えることすら、そんなわずかな時間さえ許されなかった。両親は泣き叫びながら、俺が乗せられた馬車を追いかけて走っていた。限界まで、完全に振り切られるまで、縋り付くように駆けていた。……私の子よ、私の息子を連れて行かないで、と、あの悲鳴が今でも耳にこびりついて離れない。俺の名を何度も叫ぶ、両親のあの声が。あれが最後の記憶だなんて、……っ、」
ヒュッ、と不自然な呼吸音をジルが発した。──泣いているのだろうか。もしくは、それを堪えているのだろうか。黒ずくめの姿がいつになく小さく見えて、痛々しい。
「俺は、知っているんだ。全く見知らぬ環境へ無理やり押し込められる恐怖も、理不尽さも、やるせなさも。……それなのに、同じことを、異世界からの転生者に強いている。そんなこと、したくないのに。……俺は田舎で両親と共に宿屋を営む普通の男だった。……もう誰も、そんなジルベールの姿など覚えていない」
彼の黒い髪も、黒い瞳も、とても美しいと思う。けれど、彼にとってはその容姿すらも忌むべき対象なんだろう。
少し悩んだ末、僕はジルの傍へにじり寄り、そっと手を伸ばして黒い頭を撫でた。角の部分は避けて、静かに優しく。ジルは驚いたのか少しだけ身を震わせたものの、されるがままだ。
「何色だったの?」
「……は?」
「ジルの髪と目。元々は何色だったの?」
「……金色の髪と、緑の目だった。どちらも、マレシスカよりもう少し濃い色味の」
目を閉じて、金髪翠眼のジルを想像してみる。きっと、彼の美貌が更に華やかに引き立てられていたんだろう。魔王になった今も、なる前の昔も、色彩は違えども同じく温厚な姿であるはずだ。
「覚えておくね」
「覚えておく……? 何をだ?」
「ジルが昔は金髪で緑の瞳だったこと。ご両親を大事に思っていたこと、魔王になりたくなかったこと、辛い思いをしていること、僕のような立場の人間を本当に心配してくれていること。ジルから聞いたこと、ちゃんと覚えておくよ。……だから、ジルも覚えておいて。僕は異世界に転生することになるなんて全く予想していなかったけれど、君やカミュとの生活はちっとも嫌じゃない。怖くもないし、理不尽だって怒りもおぼえていない。キカさんが言っていたようにね、此処に転生してきて良かったって思い始めているんだよ」
ジルは弾かれたように顔を上げて、こちらを凝視してきた。少し光が戻ってきている漆黒の瞳を、僕もまっすぐに見つめる。
「今はまだ、確定じゃないけど。でも、少なくとも嫌だとは思ってないし、優しく接してくれる君たちに感謝してる。変な言い方かもしれないけど、やっと人並みの人間になれたような、そんな気さえしているんだ。だからきっと、此処に転生して良かったって思えるときが来ると思ってる。……それを、覚えておいてね」
「ああ、覚えておく」
魔王は、力強く頷いた。
「お前が逝くのが先か、俺が逝くのが先かは分からないが、決して忘れない。ミカ、お前の全てを覚えておきたい。だから、もっと色々な話をしてくれ」
「うん、お互いにね。……あと、キカさんともちゃんと仲直りしてほしいな」
まさかの話題転換だったのか、ジルはギョッとしたように眉根を微かに寄せる。だけど、気を悪くした様子は無い。少し気まずいだけなんだろう。
「僕、これからキカさんと一緒に夜ごはんを作るから。頑張って美味しいものを作るから、みんなで一緒に食べようね」
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