35 / 246
【第2話】焼き立てパンは仲直りの味
【2-21】
しおりを挟む
◆◆◆
──翌朝。
ジルが起きる前にこっそりと旅立ちたいと、キカさんは夜明けと共に城を出発さることになった。
見送りたかった僕は早起きし、カミュも当然のように付き合ってくれている。城門まで見送りに出て並んでいる僕たちの姿に、出発準備を終えたキカさんは苦笑していた。
「もー……、あんたたちも寝ててくれて良かったのに」
「誰も見送らないなんて寂しいでしょ?」
「そうですよ。お見送りくらい、させてください」
「ほんと、空気読んでるんだか読んでないんだか分かんない人たちね。ま、一応はお礼を言っとく。ありがとね」
サバサバとした口調で言って笑うキカさんに、尋ねようかどうか迷っていた質問をそっと投げかけてみる。
「……キカさん。どうして、ジルの見送りはいらなかったの?」
もしかしたら怒られるかもと思ったけれど、キカさんは柔らかな微笑で答えてくれた。
「泣いちゃいそうだったからよ」
「……えっ?」
「ここから旅立つとき、あたしはいつも、『今度来るときこそ嫁だって認めさせてやる!』って意気込みながら帰ってたの。恋していたわけじゃないけど、ジルが大好きなのは本当よ。ジルの嫁になれるなら、喜んでなってたわ。……でも、今回は違うでしょ。次に会うとき、あたしはもう、違う人のお嫁さんだからさ」
そう言った彼女が、白み始めた空をおもむろに見上げたのは、涙腺が緩みそうなのを堪えるためかもしれない。けれど、キカさんは気丈に笑ったまま、先を続けた。
「あたしが結婚するって言ったとき、ジルはおめでとうって言ってくれた。ほっとしたし、嬉しかったわ。それは本当。……でも、ちょっと寂しかったのも本当」
「キカさん……」
「ちっちゃいときからずっと、定期的にジルを見てたわ。あたしが成長して大人になっていっても、おばあちゃんが亡くなってあたし一人で来るようになっても、ジルもカミュも何も変わらない。ここに来るとね、時間が止まっているような、巻き戻っているような、そんな気持ちになっていたの。お嫁さんになりたがるあたしも、文句ばっかり言いながら相手をしてくれるジルも、見守ってくれるカミュも、みんなおんなじ。──マリオも、そうだった。いつもあったかい笑顔で迎えてくれて……、でも、マリオが亡くなって、ジルは寝込んで、カミュもどこか疲れてて……ちょっとずつこの城での時間は止まらなくなって……、あたしももう進まなくちゃって、そんなこと考えながら出発するときにジルの顔見ちゃったら、きっと泣いちゃうもん」
今もきっと、キカさんは涙をこらえている。それは、彼女自身について何かを悲しんでいるわけじゃなくて、ジルを想ってのものなんだろう。
魔王に助けられた小さな女の子は、大人の女性になり、可愛らしい夢ではなく現実と向き合うようになった。それだけ時間が流れても、魔王は何も変わらない。
ジルが魔王になってからどれだけの年月が過ぎたのか、僕は詳細をまだ知らないけれど、僕が彼にとって三代目の食事係だということ、出会った当時は幼かったキカさんが大人になったということを考えてみれば、相当の時間が流れたと予想できる。
周囲の人たちが変化し、生死に触れても、魔王であるジルは何も変わらない。カミュはもともとそういう種族だけれど、ジルは元は普通の人間だったんだ。
そのあたりを改めて深々と考えて、キカさんは泣きたくなっているんだろう。彼女は、本当にジルのことを想っているんだ。
「──新たな道を歩み出したのは、キカさんだけではありませんよ」
黙って様子を見ていたカミュが、穏やかに言葉を紡ぐ。
「この城には、新たな食事係としてミカさんがいらっしゃいました。それに伴い、私にも、そしてジル様にも、心境の変化がありました。……変わらないものも、変わっていくものも、色々とあります」
「……そっか。あたしだけが進んでいくわけでも、ジルたちだけが取り残されているわけでもないのよね」
「ええ。確かに此処は時間の流れが緩やかですが、ジル様もたくさん成長されていますから。キカさんだけがお姉さんになったわけではないのですよ」
「もう、その言い方じゃあ、ジルもちっちゃい子だったみたいじゃない!」
冗談めかしたカミュの言葉につられたように、キカさんは声を上げて笑った。──カミュはすごいな。普段は静かに見守っていてくれて、ここぞというときにスッと助け船を出して、場の空気を優しく柔らかくしてくれる。彼がいることで、僕も、きっと歴代の食事係たちも、それ以上にジルも、救われているんだ。
カミュのように誰かに寄り添うことは、まだ、僕には出来ないけれど。でも、相手への思いやりを形にしていけたら、と願っている。その第一歩として、僕はキカさんへ、大きめのハンカチで包んでいる「あるもの」を差し出した。
「キカさん、これ……、よかったら。色々とお世話になったお礼も込めて。帰り道でおなかが空いたら食べて」
「えっ? なになに?」
「喜んでもらえるか分からないけど、僕なりのお弁当を作ってみたんだよ」
キカさんの翠色の目が大きく見開かれ、みるみる輝いていった。
──翌朝。
ジルが起きる前にこっそりと旅立ちたいと、キカさんは夜明けと共に城を出発さることになった。
見送りたかった僕は早起きし、カミュも当然のように付き合ってくれている。城門まで見送りに出て並んでいる僕たちの姿に、出発準備を終えたキカさんは苦笑していた。
「もー……、あんたたちも寝ててくれて良かったのに」
「誰も見送らないなんて寂しいでしょ?」
「そうですよ。お見送りくらい、させてください」
「ほんと、空気読んでるんだか読んでないんだか分かんない人たちね。ま、一応はお礼を言っとく。ありがとね」
サバサバとした口調で言って笑うキカさんに、尋ねようかどうか迷っていた質問をそっと投げかけてみる。
「……キカさん。どうして、ジルの見送りはいらなかったの?」
もしかしたら怒られるかもと思ったけれど、キカさんは柔らかな微笑で答えてくれた。
「泣いちゃいそうだったからよ」
「……えっ?」
「ここから旅立つとき、あたしはいつも、『今度来るときこそ嫁だって認めさせてやる!』って意気込みながら帰ってたの。恋していたわけじゃないけど、ジルが大好きなのは本当よ。ジルの嫁になれるなら、喜んでなってたわ。……でも、今回は違うでしょ。次に会うとき、あたしはもう、違う人のお嫁さんだからさ」
そう言った彼女が、白み始めた空をおもむろに見上げたのは、涙腺が緩みそうなのを堪えるためかもしれない。けれど、キカさんは気丈に笑ったまま、先を続けた。
「あたしが結婚するって言ったとき、ジルはおめでとうって言ってくれた。ほっとしたし、嬉しかったわ。それは本当。……でも、ちょっと寂しかったのも本当」
「キカさん……」
「ちっちゃいときからずっと、定期的にジルを見てたわ。あたしが成長して大人になっていっても、おばあちゃんが亡くなってあたし一人で来るようになっても、ジルもカミュも何も変わらない。ここに来るとね、時間が止まっているような、巻き戻っているような、そんな気持ちになっていたの。お嫁さんになりたがるあたしも、文句ばっかり言いながら相手をしてくれるジルも、見守ってくれるカミュも、みんなおんなじ。──マリオも、そうだった。いつもあったかい笑顔で迎えてくれて……、でも、マリオが亡くなって、ジルは寝込んで、カミュもどこか疲れてて……ちょっとずつこの城での時間は止まらなくなって……、あたしももう進まなくちゃって、そんなこと考えながら出発するときにジルの顔見ちゃったら、きっと泣いちゃうもん」
今もきっと、キカさんは涙をこらえている。それは、彼女自身について何かを悲しんでいるわけじゃなくて、ジルを想ってのものなんだろう。
魔王に助けられた小さな女の子は、大人の女性になり、可愛らしい夢ではなく現実と向き合うようになった。それだけ時間が流れても、魔王は何も変わらない。
ジルが魔王になってからどれだけの年月が過ぎたのか、僕は詳細をまだ知らないけれど、僕が彼にとって三代目の食事係だということ、出会った当時は幼かったキカさんが大人になったということを考えてみれば、相当の時間が流れたと予想できる。
周囲の人たちが変化し、生死に触れても、魔王であるジルは何も変わらない。カミュはもともとそういう種族だけれど、ジルは元は普通の人間だったんだ。
そのあたりを改めて深々と考えて、キカさんは泣きたくなっているんだろう。彼女は、本当にジルのことを想っているんだ。
「──新たな道を歩み出したのは、キカさんだけではありませんよ」
黙って様子を見ていたカミュが、穏やかに言葉を紡ぐ。
「この城には、新たな食事係としてミカさんがいらっしゃいました。それに伴い、私にも、そしてジル様にも、心境の変化がありました。……変わらないものも、変わっていくものも、色々とあります」
「……そっか。あたしだけが進んでいくわけでも、ジルたちだけが取り残されているわけでもないのよね」
「ええ。確かに此処は時間の流れが緩やかですが、ジル様もたくさん成長されていますから。キカさんだけがお姉さんになったわけではないのですよ」
「もう、その言い方じゃあ、ジルもちっちゃい子だったみたいじゃない!」
冗談めかしたカミュの言葉につられたように、キカさんは声を上げて笑った。──カミュはすごいな。普段は静かに見守っていてくれて、ここぞというときにスッと助け船を出して、場の空気を優しく柔らかくしてくれる。彼がいることで、僕も、きっと歴代の食事係たちも、それ以上にジルも、救われているんだ。
カミュのように誰かに寄り添うことは、まだ、僕には出来ないけれど。でも、相手への思いやりを形にしていけたら、と願っている。その第一歩として、僕はキカさんへ、大きめのハンカチで包んでいる「あるもの」を差し出した。
「キカさん、これ……、よかったら。色々とお世話になったお礼も込めて。帰り道でおなかが空いたら食べて」
「えっ? なになに?」
「喜んでもらえるか分からないけど、僕なりのお弁当を作ってみたんだよ」
キカさんの翠色の目が大きく見開かれ、みるみる輝いていった。
2
あなたにおすすめの小説
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました
雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。
気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。
剣も魔法も使えないユウにできるのは、
子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。
……のはずが、なぜか料理や家事といった
日常のことだけが、やたらとうまくいく。
無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。
個性豊かな子供たちに囲まれて、
ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。
やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、
孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。
戦わない、争わない。
ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。
ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、
やさしい異世界孤児院ファンタジー。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
神々の愛し子って何したらいいの?とりあえずのんびり過ごします
夜明シスカ
ファンタジー
アリュールという世界の中にある一国。
アール国で国の端っこの海に面した田舎領地に神々の寵愛を受けし者として生を受けた子。
いわゆる"神々の愛し子"というもの。
神々の寵愛を受けているというからには、大事にしましょうね。
そういうことだ。
そう、大事にしていれば国も繁栄するだけ。
簡単でしょう?
えぇ、なんなら周りも巻き込んでみーんな幸せになりませんか??
−−−−−−
新連載始まりました。
私としては初の挑戦になる内容のため、至らぬところもあると思いますが、温めで見守って下さいませ。
会話の「」前に人物の名称入れてみることにしました。
余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。
会話がわからない!となるよりは・・
試みですね。
誤字・脱字・文章修正 随時行います。
短編タグが長編に変更になることがございます。
*タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。
五十一歳、森の中で家族を作る ~異世界で始める職人ライフ~
よっしぃ
ファンタジー
【ホットランキング1位達成!皆さまのおかげです】
多くの応援、本当にありがとうございます!
職人一筋、五十一歳――現場に出て働き続けた工務店の親方・昭雄(アキオ)は、作業中の地震に巻き込まれ、目覚めたらそこは見知らぬ森の中だった。
持ち物は、現場仕事で鍛えた知恵と経験、そして人や自然を不思議と「調和」させる力だけ。
偶然助けたのは、戦火に追われた五人の子供たち。
「この子たちを見捨てられるか」――そうして始まった、ゼロからの異世界スローライフ。
草木で屋根を組み、石でかまどを作り、土器を焼く。やがて薬師のエルフや、獣人の少女、訳ありの元王女たちも仲間に加わり、アキオの暮らしは「町」と呼べるほどに広がっていく。
頼れる父であり、愛される夫であり、誰かのために動ける男――
年齢なんて関係ない。
五十路の職人が“家族”と共に未来を切り拓く、愛と癒しの異世界共同体ファンタジー!
異世界転生~チート魔法でスローライフ
玲央
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。
43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。
その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」
大型連休を利用して、
穴場スポットへやってきた!
テントを建て、BBQコンロに
テーブル等用意して……。
近くの川まで散歩しに来たら、
何やら動物か?の気配が……
木の影からこっそり覗くとそこには……
キラキラと光注ぐように発光した
「え!オオカミ!」
3メートルはありそうな巨大なオオカミが!!
急いでテントまで戻ってくると
「え!ここどこだ??」
都会の生活に疲れた主人公が、
異世界へ転生して 冒険者になって
魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。
恋愛は多分ありません。
基本スローライフを目指してます(笑)
※挿絵有りますが、自作です。
無断転載はしてません。
イラストは、あくまで私のイメージです
※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが
少し趣向を変えて、
若干ですが恋愛有りになります。
※カクヨム、なろうでも公開しています
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる