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第4話 底から覗く『女の手』。教室に漂う、湿ったドブの臭い
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蛇みたいな目の青年は、こちらをじっと見下ろしていた。
黒いパーカーに、無造作な髪。
七分丈のパンツに、サンダル姿。
だけど、その輪郭は、夕立のあとの空みたいに揺らいでいる。
そこに「いる」のに、焦点が合うような、合わないような。
「……龍蛇の、神様?」
自分の声が、思ったより嗄れていた。
「そう、これ。このちっこい祠の主だ」
青年――オロチは、石祠をコツコツと指の関節で叩く。
そこにあるのは、膝くらいの高さの小さな石の祠。
子どもの頃から、そこにあるのが当たり前過ぎて、逆に意識して見たことがなかった場所だった。
「え、ちょっと待って。えっと……」
頭の中で、言葉がころんだ。
龍蛇。神様。祠。さっきの黒い水。鈴。
ついでに、これが全部夢だったらいいのに、という願望。
「夢じゃないぞ。頬つねってやろうか?」
「人の頭の中、読むのやめてくれる?」
「読むまでもない。顔に全部書いてある」
オロチは、めんどくさそうに、はぁ、とため息をついた。
「さっきの黒い手、見えたんだろ」
「……見えたけど。あれ、なに」
「水底の気配。忘れられた水神の腐りかけた息ってとこだな」
さらっと物騒な単語を並べてくる。
「昔はちゃんと祀られてたんだろうが、長いこと放っておかれると、ああやって『掴むこと』ばっかり覚える。
さっき、お前の足首に手ぇ伸ばしてただろ。
あれ、あのまま掴まれてたら、肺の中まで水でいっぱいにされて――」
「やめて!」
思わず遮っていた。
喉の奥に、さっき感じた冷たさが蘇る。
「……なんで、私、見えちゃってるの」
「それは簡単だ。お前が『それに足る器』だからだよ。
――てか、お前さ。
もっと小さい頃は、なんか色々感じること多かったのに『気のせい』って言葉で、無いことにしてきたろ?」
ドキッとした。
うしろめたい思いを言い当てられた様な感覚を覚えた。
「なんで知ってるの?」
「一応、神様枠に入ってるから」
オロチは、飄々とした口ぶりで言った。
「――で、光徳神社はでかい。
合祀で神様がぎゅうぎゅう詰めだ。その真ん中に立てる『神と人を繋ぐ器』が必要になる。宮司だけじゃ足りない」
「ちょっと待って。その『ぎゅうぎゅう詰め』って表現やめなよ。
うちの神様たちに失礼だから」
「くくっ、俺もその一人だが?――というか事実だろ。
上から順に偉い顔して鎮座して、下っ端は端っこに押し込まれる」
そう言って、笑いながら、自分の石祠を足でつつく。
「で、時々いるんだよ。
全部の『気配』に触れても壊れない奴。
人間のくせに、こっち側に足突っ込んでも戻ってこられる、妙なやつが」
オロチは、私を指さした。
「――お前がまさに、それ」
「……そんな、ゲームの適性検査みたいに言われても困るんだけど」
「俺も困ってるさ。面倒事に巻き込まれるのは嫌いなんだが、俺も上からのオーダーを断れるほどの立場にないもんでね」
オロチは頭をガシガシと掻いた。
その仕草は、どこか人間臭くて、逆に現実感が増していく。
「さっきの鈴、よく鳴らしたな。
あれで境内一帯の結界が一瞬だけ起きて、黒い水の手を弾き飛ばした」
「……じゃあ、あれは、正解だったってこと?」
「ん~、合格点だ。まあ、七十点くらい」
「辛口ぃ」
「神社の娘が、社の仕組みも知らずに育ってどうする」
口調は偉そうなのに、言葉の中身は妙に具体的だ。
私は、ようやく少しだけ呼吸を整えた。
「ねえ。その『水底』っていうのは、なに? 水神って言ってたけど」
「全部話すと長くなる。俺の喉が渇く」
「神様も喉が渇くの?」
「渇くぞ。供物の酒も最近は減ったしな」
オロチは拝殿のほうをちらりと見上げて、肩をすくめる。
「ざっくり言う。
この街のどこかに水に関わる祠がある、またはあった。
そこで『底』になった女が一人いる。
沈んで、守って、忘れられて、捨てられた。
そいつが自分の代わりを掴みに来てる」
胸の奥が、ゾワッとした。
さっき、石段の下から伸びてきた、冷たい手。
あれが、誰かの――。
「お前の神社が、そいつをちゃんと迎えに行かなかった」
「えっ」
思わず、オロチを見上げる。
光徳神社が? 迎えに行かなかった?
「合祀ってのはな、『この土地の神様をここにまとめて祀りますよ』っていう約束事だ。
本来なら、あの水神の祠も、この森のどこかに移されるはずだった」
オロチの目が、ほんの少しだけ細くなる。
「でも、現実には、祠は壊され、紙の上だけ「合祀済み」になった。
残ったのは、底に沈んだままの魂と、『守ったのに』って記憶だけ」
そこまで話したオロチが、口調を少し軽くして続けた。
「――ま、とはいえ、これは俺の、かなり真実に近いであろう推測だ」
「推測?」
「そう、確証は無ェ。――でも長い事、神様やってるから間違いないと思うぜ」
喉の奥が、きゅっと詰まる。
そんな話、聞いたことがない。
父からも、由緒書きにも、そんなことは一度も。
「知らないのも無理はない。お前は最近の子だしな。知らない大人も多い」
「お父さんも……?」
「さあな。あいつの心の内までは読まん。俺はただ、ここに座って流れてくる“気配”を眺めてるだけだ」
オロチは、石祠に腰を下ろした。
さっきまで冗談半分だった目つきが、少しだけ真面目になる。
「一つだけ言っておく。
さっきの『手』は、これからもっと強くなる。
雨が降れば、なおさらだ。
お前の友達も、お前の家も、町も、全部、掴む相手候補になる」
「……それ、なんか脅してる?」
「警告だ。俺はお前のサポーターだからな。
それに、この神社と、この森のバランスが崩れるのも嫌なんだわ。
居心地いいからな、ここ」
オロチは両手をわざとらしいくらいに広げて、空を見上げた。
風が、ようやく少しだけ吹いた。
樹々がざわりと揺れる。
でも、さっきのような貼りつく冷たさはなかった。
「で、もう一個の質問、『祓い士とはなんぞや』も概要だけ教えてやるよ」
オロチは、にやりと笑った。
「概要?何で全部じゃないの?」
「だからさ、言ったじゃん。喉が乾くって」
「……神様イメージ崩れそう」
オロチは立ち上がり拝殿のほうに進むと、階段にドカッと座り込んだ。
「んじゃ、教えてやるよ、この世界のもう半分の顔をさ」
オロチの蛇の眼の瞳孔が少し開いた気がした。
黒いパーカーに、無造作な髪。
七分丈のパンツに、サンダル姿。
だけど、その輪郭は、夕立のあとの空みたいに揺らいでいる。
そこに「いる」のに、焦点が合うような、合わないような。
「……龍蛇の、神様?」
自分の声が、思ったより嗄れていた。
「そう、これ。このちっこい祠の主だ」
青年――オロチは、石祠をコツコツと指の関節で叩く。
そこにあるのは、膝くらいの高さの小さな石の祠。
子どもの頃から、そこにあるのが当たり前過ぎて、逆に意識して見たことがなかった場所だった。
「え、ちょっと待って。えっと……」
頭の中で、言葉がころんだ。
龍蛇。神様。祠。さっきの黒い水。鈴。
ついでに、これが全部夢だったらいいのに、という願望。
「夢じゃないぞ。頬つねってやろうか?」
「人の頭の中、読むのやめてくれる?」
「読むまでもない。顔に全部書いてある」
オロチは、めんどくさそうに、はぁ、とため息をついた。
「さっきの黒い手、見えたんだろ」
「……見えたけど。あれ、なに」
「水底の気配。忘れられた水神の腐りかけた息ってとこだな」
さらっと物騒な単語を並べてくる。
「昔はちゃんと祀られてたんだろうが、長いこと放っておかれると、ああやって『掴むこと』ばっかり覚える。
さっき、お前の足首に手ぇ伸ばしてただろ。
あれ、あのまま掴まれてたら、肺の中まで水でいっぱいにされて――」
「やめて!」
思わず遮っていた。
喉の奥に、さっき感じた冷たさが蘇る。
「……なんで、私、見えちゃってるの」
「それは簡単だ。お前が『それに足る器』だからだよ。
――てか、お前さ。
もっと小さい頃は、なんか色々感じること多かったのに『気のせい』って言葉で、無いことにしてきたろ?」
ドキッとした。
うしろめたい思いを言い当てられた様な感覚を覚えた。
「なんで知ってるの?」
「一応、神様枠に入ってるから」
オロチは、飄々とした口ぶりで言った。
「――で、光徳神社はでかい。
合祀で神様がぎゅうぎゅう詰めだ。その真ん中に立てる『神と人を繋ぐ器』が必要になる。宮司だけじゃ足りない」
「ちょっと待って。その『ぎゅうぎゅう詰め』って表現やめなよ。
うちの神様たちに失礼だから」
「くくっ、俺もその一人だが?――というか事実だろ。
上から順に偉い顔して鎮座して、下っ端は端っこに押し込まれる」
そう言って、笑いながら、自分の石祠を足でつつく。
「で、時々いるんだよ。
全部の『気配』に触れても壊れない奴。
人間のくせに、こっち側に足突っ込んでも戻ってこられる、妙なやつが」
オロチは、私を指さした。
「――お前がまさに、それ」
「……そんな、ゲームの適性検査みたいに言われても困るんだけど」
「俺も困ってるさ。面倒事に巻き込まれるのは嫌いなんだが、俺も上からのオーダーを断れるほどの立場にないもんでね」
オロチは頭をガシガシと掻いた。
その仕草は、どこか人間臭くて、逆に現実感が増していく。
「さっきの鈴、よく鳴らしたな。
あれで境内一帯の結界が一瞬だけ起きて、黒い水の手を弾き飛ばした」
「……じゃあ、あれは、正解だったってこと?」
「ん~、合格点だ。まあ、七十点くらい」
「辛口ぃ」
「神社の娘が、社の仕組みも知らずに育ってどうする」
口調は偉そうなのに、言葉の中身は妙に具体的だ。
私は、ようやく少しだけ呼吸を整えた。
「ねえ。その『水底』っていうのは、なに? 水神って言ってたけど」
「全部話すと長くなる。俺の喉が渇く」
「神様も喉が渇くの?」
「渇くぞ。供物の酒も最近は減ったしな」
オロチは拝殿のほうをちらりと見上げて、肩をすくめる。
「ざっくり言う。
この街のどこかに水に関わる祠がある、またはあった。
そこで『底』になった女が一人いる。
沈んで、守って、忘れられて、捨てられた。
そいつが自分の代わりを掴みに来てる」
胸の奥が、ゾワッとした。
さっき、石段の下から伸びてきた、冷たい手。
あれが、誰かの――。
「お前の神社が、そいつをちゃんと迎えに行かなかった」
「えっ」
思わず、オロチを見上げる。
光徳神社が? 迎えに行かなかった?
「合祀ってのはな、『この土地の神様をここにまとめて祀りますよ』っていう約束事だ。
本来なら、あの水神の祠も、この森のどこかに移されるはずだった」
オロチの目が、ほんの少しだけ細くなる。
「でも、現実には、祠は壊され、紙の上だけ「合祀済み」になった。
残ったのは、底に沈んだままの魂と、『守ったのに』って記憶だけ」
そこまで話したオロチが、口調を少し軽くして続けた。
「――ま、とはいえ、これは俺の、かなり真実に近いであろう推測だ」
「推測?」
「そう、確証は無ェ。――でも長い事、神様やってるから間違いないと思うぜ」
喉の奥が、きゅっと詰まる。
そんな話、聞いたことがない。
父からも、由緒書きにも、そんなことは一度も。
「知らないのも無理はない。お前は最近の子だしな。知らない大人も多い」
「お父さんも……?」
「さあな。あいつの心の内までは読まん。俺はただ、ここに座って流れてくる“気配”を眺めてるだけだ」
オロチは、石祠に腰を下ろした。
さっきまで冗談半分だった目つきが、少しだけ真面目になる。
「一つだけ言っておく。
さっきの『手』は、これからもっと強くなる。
雨が降れば、なおさらだ。
お前の友達も、お前の家も、町も、全部、掴む相手候補になる」
「……それ、なんか脅してる?」
「警告だ。俺はお前のサポーターだからな。
それに、この神社と、この森のバランスが崩れるのも嫌なんだわ。
居心地いいからな、ここ」
オロチは両手をわざとらしいくらいに広げて、空を見上げた。
風が、ようやく少しだけ吹いた。
樹々がざわりと揺れる。
でも、さっきのような貼りつく冷たさはなかった。
「で、もう一個の質問、『祓い士とはなんぞや』も概要だけ教えてやるよ」
オロチは、にやりと笑った。
「概要?何で全部じゃないの?」
「だからさ、言ったじゃん。喉が乾くって」
「……神様イメージ崩れそう」
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