女の首を所望いたす

陸 理明

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「若! 起きてくだされ!」

 部屋の仕切り戸を叩きながら、自分の名を呼ぶ声に氏重は目を覚ました。

「何、どうしたの?」

 声をかけると、外には家臣の鈴木がいた。

「お城の東側を多数の兵が進んでおります。旗を巻き、松明もつけておりませんが、完全ないくさ装束で武装しておるようです。人馬の足音がこちらまでわずかに聞こえてきております」
「合点がいかない行軍だね。徳川さまの兵かい?」
「わかりませぬ。ただ、行く先は南でございまする」
「味方ならこちらに挨拶があるはず…… もしかしてこの城を攻める気なのかな?」
「見たところ戦意らしきものは感じませぬが、まず若のお目で確認してくだされ。物見櫓で様子を見ておられる景常さまがすぐに参られます」
「わかった」

 氏重は隣の部屋に詰めていた侍女たちに着替えを求めた。
 ほとんどの女子供は妙仙寺へと逃がしていたが、氏重の身の回りの世話ができる侍女だけは必要なため、三人だけ留めおいていた。
 侍女は寝間着を脱がせ、六具をとって、甲冑を着せ始める。氏重の武具はまだ体の出来ていない彼のために比較的軽いものであるため、女だけでも短時間で用意できる。
 景常がやってきたときには、隙のない美しい若武者ができあがっていた。

「おお、やる気だな、氏重どの」
「もちろんです、叔父上。それで、南へ向かう兵とはいずれの手のものでございますか」

 景常は実際に見たものと、ぎりぎりまで件の兵たちに近づいて観察してきた物見の言い分を整理して説明した。

「数はわからぬ。隊が南北に伸びているのでな。おかげで頭と尻が見えない。相当な数であることは疑う余地はないが」
「徳川さまと羽柴のどちらかでもわかればいいのですが……」
「ならば、断言できる」
「なんと?」
「南へ向かっているということは、先にあるのは岡崎城だ。岡崎城に帰る徳川方があれほど黙んまりを決め込む必要はない。となれば、あれは奇襲強襲のための部隊に違いない。――氏重どの、おぬしは中入りという策を知っておるか?」
「かつて織田さまが桶狭間で使って以来好んで用いていた策のことですね」
「ああ。おそらく、あの兵どもはその中入りで岡崎城を狙うつもりだろう。……秀吉の傘下にはいった武将のうち、中入りができる胆力の持ち主といえば、おそらくは池田か森といったところ。どちらかだな」

 景常は冷静に敵勢力を見ていた。
 これがたった一つとはいえ城を任された戦国の男のしたたかさであった。
 群を抜いた戦闘経験の豊富さが導き出した答えである。

「こちらを無視して押し通ろうとしているのは、そういう理由があるからですか……」
「だろうな。放っておけば、やつらはこちらに何もせずに素通りするだろう。岡崎まではまだ遠い。ここで大切な時を潰す愚行はしまい」

 ここで景常は口を閉ざした。
 告げるべきは告げた。
 あとはこの若者の思うがままにするしかない。

「櫓に昇ってみます。それで、まずは様子を見てみないと」
「時間はないぞ、決断は急げ」
「はい」

 残っていた侍女たちを妙仙寺へと続く抜け穴から逃がすと、鎧をまとった氏重は城の中心にある櫓にまで行き、須賀六蔵と四郎右衛門の兄弟の手を貸りて上へと登った。
 そこには今井七右衛門が青地に金で画いた百足の旗指物であった布を巻いて、城外の様子をうかがっていた。
 元武田信玄の使番十二人の一人で、氏次に拾われて仕えることになった老人だった。
 その目が輝いている。

「若、あれは織田の兵ですぞ」
「どうしてわかるの?」
「我ら甲斐の兵にとって織田の軍は宿敵。宿敵のもつ用兵の癖は、戦ったことのある我らが一番わかっております」
「なるほどね。指揮を執っているのは誰かわかる?」
「先頭を行くのは池田の隊でしょうな。規律が隅まで行き届いておる。ああまで行軍の音を消せるのは、歴戦の池田隊ならではの仕業でしょう」

 景常と今井、二人の経験のある武士の意見が一致したことで氏重は確信した。
 あの息をひそめて進む部隊は秀吉のもとについた池田恒興のものだと。
 そして、目的は十中八九、岡崎城。
 本拠である岡崎を落とされたら、徳川軍は腰砕けになる。
 ただでさえ、兵力に差があるという話だ。
 いくさの趨勢が決まってしまうといってもいい。
 氏重にとって、家康と秀吉のどちらが勝とうとあまり違いはない。
 しかし、徳川陣営には兄の氏次がいる。
 槍をとっては無双の兄といえども、本拠を失って浮足立った味方の軍に囲まれれば無事では済まないだろう。
 この目の前の行軍を無視すればその先は目に見えている。
 だが……
 氏重は櫓の下を見た。
 狭くて小ぶりな岩崎城に三百人の兵たちが集っていた。
 士分・雑兵を合わせてもたったの三百余人。
 兵力についての情報は当然池田隊も把握しているはずである。こちらが手を出さず静観すれば、無視してこのまま立ち去ってくれることだろう。無駄な流血と時間の浪費は避けたいではずであるから。
 それでも城から手を出せば、苛烈な反撃と城攻めが待っている。
 三百余人すべからく皆殺しにされるのは確実であった。
 命が惜しければ、ここでじっとしているに限る。
 城代として城を預かる氏重にとっては、重大な決断であった。景常が櫓の下からこちらを見ていることを氏重は知らない。すべてを、景常が見守っていてくれていることを。
 氏重の視線がふと厩舎に落ちた。
 月毛の愛馬「萩」がそこで主を待っていた。
 わざわざ家中で忌み嫌われている月毛を選んだのは何故か。
 それは必ず訪れる禍を飼いならしてやろうという意地ではなかったのか。
 武士である以上、討ち死にするのは当たり前のことであり、こそこそと目立たないようにして敵を見過ごして生き残るのは恥以外の何物でもないはずだ。
 敵に挑戦されたら、誇りのある限り乗らなければならない。
 あの挑発的な行軍を見過ごすことは、氏重を殺すことである。
 丹羽氏重の目指す武士の生きざまに真っ向から反する。
 疱瘡であると偽り、氏重を守っていてくれた父と兄のためにもあの敵は撃たねばならぬ。

「みなのもの、いくさを始めるぞ!」

 大きく叫ぶと、櫓から滑るように降りる。
 着地を須賀兄弟に支えられ、そのまま城門前までいき、南の坂口に鉄砲衆と弓組を集めた。
 鉄砲の数はそれほど多くないが、氏重の狙いは鉄砲の音をだすことで隣の小幡城に異変を知らせるためである。
 うまく伝われば、援軍が来るかもしれないし、最悪でも敵の中入り策を晒すことができる。

「城門開け!」

 ギギギと戦端を開くための導線が引かれる。
 鉄砲の射程距離ではないので、敵の行軍にあたりはしないが、長弓ならば命中は可能である。
 そして、敵は長く伸びているとはいえ固まって進軍中だ。当てるのは容易い。

「撃て!」

 氏重の号令が飛んだ。

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