10 / 34
濃姫誘拐
美濃の蝮
しおりを挟む美濃の国には大蝮が棲むという。
戦国のものたちがこぞって噂した悪評がこれである。
美濃の稲葉山にある城の主は、この時代に相応しい梟雄として君臨していた。
名を斎藤山城入道道三。
安っぽい一介の油売りから、美濃の守護職土岐家の家老に仕え、その主人を弑逆して家老の地位を奪い取っただけでなく、最後には土岐氏までも追放して国を手に入れた男であった。
破天荒な蛮人でありつつ、見事なまでの教養も兼ね備え、武勇にも長けた強力な武将である。
槍の名人でもあり、自身の戦いの経験を活かして優秀な槍隊を組織し、紀伊根来寺の僧兵たちが鉄砲なる異国の武器を手に入れたことを知ると素早くこれを取り寄せて採用するという先見の明も持ち合わせた異才の持ち主。
そして、この美濃の怪物の手足となって働く家臣団は、敵に一切の容赦呵責のない「猛蛇の美濃衆」として四隣のものどもを震え上がらせていた……
「直元」
名前を呼ばれた氏家直元は顔をあげて、もう慣れきってしまった蝮の探るような視線を受けた。
「なんでござりましょう」
「吉法師。―――見立ては?」
「うつけというのは、ちと大袈裟かと。織田殿の継室である土田御前の周りのものどもが、弟の信勝をたてるために吹聴している噂に過ぎないと存じまする」
「釣り合いは?」
「わかりませぬ。姫様を嫁がせる相手として相応しいかというと。ただし、うつけ者の嫁が斎藤家の娘ということであれば、織田の家中の水面に大きな石を投げ入れられるものとは申せましょう」
「平手政秀だ」
「かしこまりました」
ほとんど言葉を発しない、短文の羅列のような主君の問いに直元は平然と答える。
道行くものに油を売り歩く行商をしていた経歴から口が達者と思われがちであるが、斎藤道三という男は普段は貝のように口を閉ざした男であった。
無論、必要な時は弁舌鮮やかにまくしたてることもできる。
しかし、それは油を売るために覚えた芸の一つであって、道三自体はむしろ一文銭の小さな穴からすっとまっすぐ売り手の壺に注いで見せて、一滴たりとも零したことがないのが自慢という並外れた集中力を売りにしていた。
その集中力は得意とする槍を学んだときに身に着けたもので、本来、こちらの技で立身出世を狙うというのが道三の野望であったのだ。
実際、土岐家の家老長井長弘に雇われたのも槍の腕前を買われてのことであった。
もっとも、構えたときに腰を異常なまでに落とし、低い位置からすり上げるように突いてくる道三の槍の術は評価されてはいたが、四六時中下から睨み上げるような眼つきとあわさって、蝮と呼ばれ蔑まれ続ける原因となるという計算違いはあったのだが。
僧侶として育ち、顕密二教に親しんだ教養をみせる豪放磊落な表向きの態度と、馴染んだ家臣や身内にしか見せない抜け目のない策士の二つの側面を持つのが、この道三であった。
直元をはじめ、稲葉良通や安藤守就といった西美濃三人衆は、このような主人の狷介な性格をよく理解していたので今更驚くことはない。
直元は道三のもとから離れると、殿様つきの若い武士に命じた。
「今すぐに尾張の那古野城に使いを出す用意をしろ。相手は、付家老の平手政秀だ」
「はっ」
その武士が急ぎ足でいなくなったあと、この場から去ろうとする直元の前に立ちはだかったものがいた。
加賀染めの小袖を着て、黒く長い髪を垂らした少女であった。
下女には出せない気品と、美濃一国では並ぶものがないと謳われた美貌が少女の素性を物語っている。
「これは濃姫さま。相変わらず美濃の宝のような美しさで」
「帰蝶でよい、直元。あと、他国に比肩無き美濃の姫という言われようはさすがに恥ずかしいぞ」
「いえ、そのようなことは。――すべてまことでございましょう」
「世辞はよい。……ところで、先ほど尾張に使いを出すと申しておったの。なんのためじゃ? 私の勘がここでおまえから聞き出しておけと告げておるから、聞く」
直元は苦笑いをした。
さすがは蝮の娘、勘が鋭い。
なまじ自分の未来がかかっているだけに鋭さに磨きがかかっているようだ。
彼の口から告げるのは越権かも知れないが、もしかしたら最後まで道三の口から直接告げられることはないかもしれない。
謀があったのならば誰にも告げずに根回しをし、いきなり実行に移すのが道三のやり方であるし、身内に対しても妙に口下手なところがある男だ。
だったら、彼の口から話してしまってもたいした問題はあるまい。
「用向きは縁談でございまする」
「そなたが口にしたのが尾張で間違いないとすると……私のお相手は尾張のうつけの若殿ということかしら」
「よくご存じで」
「ふふ、私を嫁がせるに相応しい相手となったらそうはいません。そろそろ、私も嫁に出される頃合いだと覚悟しておりましたし」
「本来ならば、殿から直接伝えられるべきことですが」
「なに、身内に対しての父上の口下手は死ぬまで治らないでしょう。私を嫁がせるとなったら、涙の一つぐらい零してくださるかもしれませんが、親の腹を食い破って産まれる蝮に例えられる男には期待はできません。……ところで、直元。輿入れがあるとしていつ頃になるのかしら」
「相手の返事もありましょうが、十一月あたりになるかと」
「すぐね。では、放っておくと私の腰元は各務野だけということになりそう。――尾張の水に馴染めるといいのだけれど」
それだけ言うと、濃姫こと道三の娘帰蝶は侍女を連れて奥へと向かった。
手っ取り早く父から直に話を聞くつもりなのだろう。
あの道三と会話が弾むはずはないが、父に劣らぬ度胸と頭の回転を持つ娘ならば意図をよりよくくみ取ってみせることだろう。
帰蝶がいなくなると、直元は首をひねった。
「しかしこれから苦労するのは、どうやって織田に姫の輿入れを認めさせるかだ。婚礼の日取りなども決めねばならぬし、さてさて厄介なことよ。―――稲葉や安藤たちにも知恵を絞り出してもらうとするか」
そう呟くと、直元は同僚たちのもとへと歩き出した。
彼と帰蝶との会話に、じっと聞き耳を立てていた影が潜んでいて、彼がいなくなるまで身動き一つしていなかったことなど気が付きもしなかったのである……
1
あなたにおすすめの小説
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
【拡散希望】これが息子の命を奪った悪魔たちです。
水井伸輔(Mizui Shinsuke)
SF
息子の死の真相は、AIだけが知っていた――。
16歳で急死した最愛の一人息子。仕事にかまけて彼を孤独にさせていた父親は、深い後悔から息子のスマホデータを元に「故人AIアバター」を制作する。
毎晩モニター越しの息子と語り合い、罪悪感を埋め合わせる日々。しかしある夜、AIの息子が信じられない言葉を口にする……。
狂気に満ちた暴走を始める父親。
現代社会の闇と、人間の心の歪みを抉る衝撃のショートショート。
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
おめでとう。社会貢献指数が上がりました。
水井伸輔(Mizui Shinsuke)
SF
「正しく」生きれば、どこまでも優しいこの国。
17歳のシュウは、社会貢献指数を高め、平穏な未来を手に入れようとしていた。しかし、システムに疑問を抱く父のランクは最低の「D」。
国家機能維持条項が発令された夜、シュウの端末に現れたのは、父の全権利を支配するための「同意」ボタンだった。
支配か、追放か。指先ひとつで決まる、親子の、そして人間の尊厳の行方。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる