33 / 34
歩む死の孤兵
信長とイサクァ
しおりを挟む聖徳寺の本堂に金の屏風を立てまわし、道三はその真ん中で待った。
道服の姿のままなのは、急ぎのため着替えの余裕がなかったからであるが、道三自身の矜持が影響していた。
会見の場において、舅が婿の後から入ってくるというのは、どうしても我慢ならなかったのである。
先に入って相手を待ち構えていたかったのだ。
ただし、結果としてそれは失敗だった。
後から本堂にゆっくりとやってきた信長は、髪を結いあげて折髷とし、褐色の長袖と長袴、帯には小刀を隙なく差した、気品に満ち満ちた見紛うことなき貴公子姿であった。
街道で見掛けた婆娑羅の欠片もない。
一分の隙もない、まさに水もしたたる若殿ぶりであった。
約定によれば織田方は小姓一人を伴うことは許されていたにも関わらず、誰も連れてこず、たった一人で大胆不敵に美濃の蝮の口中に飛び込む肝の強さに、道三の家臣たちは唖然とした。
座り込んだ道三よりもやや上に眼差しを向け、意図はしていないが道三を見下ろしているかのように視線が絡み合う。
待ち構えていた道三の前へするすると歩み、縁の柱にもたれて座る。ここだけはいかにもうつけものの評判通りという横柄さであった。
呆気にとられた道三が黙ったままなので、警護に当たる氏家直元の代わりに会見を仕切るように任されていた堀田道空が言う。
「上総介さまでござりましょうか」
「そうだ」
「こちらにわたらせられるのが、山城入道道三殿でございまする」
「であるか。おれが上総介信長である」
と、そっけなく信長は応えた。
そして、道三に深く礼をしてそのまま座敷にきちんと座った。
ここには道服姿の老人がいるが、それが会見相手の斎藤道三でないのならば意地でも礼儀は尽くさぬが、丁寧に名乗られた以上、貴種として振る舞おうという態度が如実に表れていた。
逆に惨めな気分にならざるをえない道三と信長の前に、湯付けの膳が運ばれてくる。
二人は無言で箸をとった。
わずかに膳を口にしてから、真っ先に交わされたのは嫁いだ娘のことであった。
蝮といえど人の親なのである。
「―――帰蝶は息災か」
「蝮殿が真っ先に気にしておったのが、そなたのことだと妻に伝えておきまする。きっと喜ぶことでしょう」
「それは助かる。婿殿に会うことよりも、娘が達者であるかどうかが心配であった」
「妻になにがあっても、おれが助けまする。例え、曲者に攫われようと、刺客に狙われようと」
「なんじゃ、それは?」
道三は首をひねった。
初めて出会った信長は無駄なことをしそうにない若者だ。
選ぶ言葉も意味があるものばかりだろう。
込められた意図を読み取って返事をしなければならない。
だが、信長は道三の疑問に答えてくれず、
「……おれはおれの国に争いと死を撒き散らすものを容赦せん。目指すのは偃武の世だ。いくさのない日ノ本だ。例え、敵が身内であったとしても。――舅殿にはそれだけをわかっておいてもらいたいのだ」
このときまで、信長は一度たりとも領土的野心を抱えたことがなかった。
参戦したいくさもすべて尾張を護るためのものばかりであり、イサクァとともにかかわった事件も平和を求めてのものだ。
何百挺もの鉄砲を集めながら何を言うか、と道三は思わなかった。
大うつけの双眸に秘められた哀しみを読み取ってしまったからだ。
この若者はこれから極端な愛憎の狭間で生き続けていくことになるだろう。
おそらく尋常ではない生涯を送る。
かつて、同じ感想を抱いたものがいることを道三は知らない。
それでもわかってしまうことはあるのだ。
妻として夫の生き死に同伴することになる帰蝶の人生を思うと、父親として胸が苦しくなる。
だが、この戦乱の世は力のみがすべてだ。弱いという罪を負えば、死によって罰せられる地獄の世界だ。
三千世界に広がる魔界において、この若者がどう抗うのか、想像するだけで何故か道三は楽しくなってきた。
蝮は初めて自分の忌まわしい毒を継がせてみたい男に出会ってしまった。
「―――あいわかった。婿殿の志、わしは腹にいれたぞ」
愛娘を嫁にやっただけで稼いだ数年間の伽藍洞なだけの平和ではなく、心から美濃と尾張の平穏を望むことを道三は決めた。
この若者の門前に馬を繋ごう。
我が民に、ひいては日ノ本に偃武がなされることを仏に祈ろう。
(鷺山城に戻り次第、十兵衛を追放しよう。それを婿殿は所望しておるのだ)
道三は二度と尾張にちょっかいを出さないと心の底で誓った。
それが態度に現れているのを見抜いて、信長は、
「かたじけない」
と、生涯ただ一度だけのことであったが、舅殿に向けて深々と頭を下げたのである。
◇◆◇
天海十兵衛は、愛刀を腰溜めに構えた。
前に対峙したとき、手にしている手斧を投擲された記憶があった。
あの間合いの短い武器は、懐に潜り込んでの一撃だけでなく、素早く投げつけての奇襲もできるのである。
日ノ本には投擲武器というものが数少ない。最も多用されるのは石投げ―――いわゆる印字打ちであり、次いで手裏剣術であり、斧や鎌を投げるという戦法はほとんど皆無であった。
手裏剣をよく使うのが大陸から渡ってきた忍びということもあって、この国では暗殺術の類いという捉え方をされていたのだろう。
方々を流離い歩いた十兵衛は、多くの忍びとも交流があるため、飛び道具の恐ろしさを熟知していた。
ふっとイサクァの手が消えたように見え、顔面目掛けて手斧が飛んでくる。
冷静に刀の峰で払うが、手斧はそのままイサクァの手に戻っていく。
柄についた革紐による素早い回収である。
攻撃を防がれたら即手元に引き戻すため、完全に間合いは制され、歩法をもって詰めることが困難である。
異形ではあるが、鍛え抜かれた使い手であった。
どろりとした恐ろしいまでの殺気を放ち、異相の蛮人が十兵衛を殺さんと迫ってくる。
「……そこまでして拙者を殺したいのか、異人よ」
『〈悪霊〉を狩る。それが、おれの役目』
「まったく言葉が通じんなぁ」
十兵衛は右にずれて、ブナの木の影に半身を隠そうとした。
それを阻止するために再び手斧が飛んでくるが、今度は払わずに躱しきる。
イサクァが内心で舌を巻くほど確実に手斧の軌跡を見切られていた。
(動きが読まれているのか……?)
かつて、精霊についてショショーニ族の長老に教えを乞うたときに、心を読んでくる〈悪霊〉の存在を聞いたことがある。
精霊も〈悪霊〉も父母たる大自然の化身であり、ヒトもまた同じ大地の腹から生まれたものだ。ゆえに、強い化身はヒトの考えを読み取ることができるものがいるという。
この日ノ本の戦士にもそれが可能なのだろう。
明らかにイサクァにとっては不利な状況であった。
しかも、打開のため囮に仕えそうな相棒の〈歩む死〉は別のところにいて、ここにはやってこられない。
ここでは彼一人で立ち向かわなければならぬということだ。
『フッ』
思わず不意に口角が上がる。
(相棒……くだらない。ショショーニが他の部族にそんなくだらない想いを抱くなど……そうはないことだ)
あの〈歩む死〉は〈悪霊〉対策のための手札の一つでしかない。
まさかの気持ちだ。
『まあ、あいつは初めて会ったときからおれのキモサベだったな』
イサクァは手斧を両手に構え、眼前に構えた。
投げて仕留めることはできそうにない。
先ほどの様子では、次には皮紐を切断されてもおかしくなかった。
得物を失う危険があるうえ、心が読まれているならトマホークを投げる戦法は対応されやすい。
そうであるのならば、敵の優位性を奪うためにも最も有効な手段は――
『顔を突き合わせる位置での一撃だ』
イサクァは助走をつけて跳んだ。
二つの手斧を上から振り下ろす。
例え心を読んでいたとしてもこれは受けるしかない。
十兵衛は全体重の乗った一撃を刀で受けた。
二歩分だけたたらを踏む。
わかっていてもこれだけの衝撃だ。
両手でなければ支えきれない。
「ちぃ!」
膝を撓めて力を流し、右腕の力を抑え、イサクァの体勢を崩し、強引な前蹴りで吹き飛ばす。
吹き飛ばされつつも、縦に回転して十兵衛の顎を狙う。
回転で体が隠されたため、刃のでてくる位置が読めなかったが、培った勘でギリギリ躱しきった。
腰の乗っていない一刀両断。
手斧の皮紐で咄嗟に防御し、ほんの一瞬の時間稼ぎが成功する。
その刹那を利用して、イサクァは懐に潜り込んだ。
下から跳ね上がる肘が鳩尾を撃つ。
「おおおっ!」
呼吸が止まるが、肘撃入った分だけ動きの止まったイサクァは無防備になり、十兵衛の頭突きが鷲鼻を潰した。
夥しい鼻血が吹き散る。
最悪なことに左目に入り、命取りになりかねない死角が発生してしまう。
こうなると一時的にでも距離をとるしかない。
イサクァは盲目的に飛び退るが、それを見逃す十兵衛ではない。
息はできないままだったが、両手持ちにして突いた。
またも血が飛び出る。
肩を抉られたのだ。
それでも致命傷にはいたらない。
背中から地面に倒れ込んだ。
仰向けのイサクァ目掛けて十兵衛は刀を逆手に持ち替え、一気に突き立てた。
鋭い切っ先が腹に刺さる。
『グォォォォ!』
反射的に叫んだ。
「死ね、蛮人!」
十兵衛がさらに刃を押し込もうとした瞬間、
『飛べ!』
イサクァの頭に乗っていた烏のはく製が羽ばたく。
まさか、飾りものが動き出すとは思っていなかった十兵衛は慌てた。
読み取った思考の中にこのカラスのことは入っていなかった。
イサクァとしてはわざわざ考える必要のない当たり前のことであったからだ。
生きている烏が顔面にまとわりつき、視界がふさがれ、集中が緩んだためか思考も読み取れなくなった。感覚が麻痺したかのような数瞬。
十兵衛にとってそれは最悪の隙が生まれたことを意味する。
ドンと手斧がわき腹に突き立つ。
「貴様……」
よろめいて倒れそうになりながら、近くの木に捕まって辛うじてこらえた。
手から刀が落ちそうになるのをなんとか耐える。
しかし、受けたのはかなりの深手。
これ以上は命にかかわる。
十兵衛は傷を庇いながら逃げ出した。
ただ、イサクァも追跡ができない。
彼もそれほどの重傷を受けてしまっていたからだ。
徐々にゆっくりと距離が開いていく宿敵たち。
「――覚えておれ、蛮人! 覚えておれ、信長! いつか、この世に貴様らの血で天に真っ赤な雨を降らせてやるわ!」
それに対して、イサクァも叫ぶ。
『忘れるな、〈悪霊〉よ! おまえの頭の皮を、金柑のように剥ぐのはショショーニのイサクァだ! 〈歩む死〉のキモサベだ!』
酷い重傷を負いつつも、互いに睨み合う宿敵。
だが、長くは続かない。
十兵衛は呪詛を吐き捨てるように。
「――この明智光秀。貴様ら如きには決して殺せぬ」
と、呪いのように名乗りをあげて林の奥へと消えていく。
イサクァは腹の傷に石ですりつぶした薬草をひたすら塗って、生きようともがき続けるのであった……
10
あなたにおすすめの小説
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
【拡散希望】これが息子の命を奪った悪魔たちです。
水井伸輔(Mizui Shinsuke)
SF
息子の死の真相は、AIだけが知っていた――。
16歳で急死した最愛の一人息子。仕事にかまけて彼を孤独にさせていた父親は、深い後悔から息子のスマホデータを元に「故人AIアバター」を制作する。
毎晩モニター越しの息子と語り合い、罪悪感を埋め合わせる日々。しかしある夜、AIの息子が信じられない言葉を口にする……。
狂気に満ちた暴走を始める父親。
現代社会の闇と、人間の心の歪みを抉る衝撃のショートショート。
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
おめでとう。社会貢献指数が上がりました。
水井伸輔(Mizui Shinsuke)
SF
「正しく」生きれば、どこまでも優しいこの国。
17歳のシュウは、社会貢献指数を高め、平穏な未来を手に入れようとしていた。しかし、システムに疑問を抱く父のランクは最低の「D」。
国家機能維持条項が発令された夜、シュウの端末に現れたのは、父の全権利を支配するための「同意」ボタンだった。
支配か、追放か。指先ひとつで決まる、親子の、そして人間の尊厳の行方。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる