ウエスタン信長公記

陸 理明

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歩む死の孤兵

信長とイサクァ

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 聖徳寺の本堂に金の屏風を立てまわし、道三はその真ん中で待った。
 道服の姿のままなのは、急ぎのため着替えの余裕がなかったからであるが、道三自身の矜持が影響していた。
 会見の場において、舅が婿の後から入ってくるというのは、どうしても我慢ならなかったのである。
 先に入って相手を待ち構えていたかったのだ。
 ただし、結果としてそれは失敗だった。
 後から本堂にゆっくりとやってきた信長は、髪を結いあげて折髷とし、褐色の長袖と長袴、帯には小刀を隙なく差した、気品に満ち満ちた見紛うことなき貴公子姿であった。
 街道で見掛けた婆娑羅の欠片もない。
 一分の隙もない、まさに水もしたたる若殿ぶりであった。
 約定によれば織田方は小姓一人を伴うことは許されていたにも関わらず、誰も連れてこず、たった一人で大胆不敵に美濃の蝮の口中に飛び込む肝の強さに、道三の家臣たちは唖然とした。
 座り込んだ道三よりもやや上に眼差しを向け、意図はしていないが道三を見下ろしているかのように視線が絡み合う。
 待ち構えていた道三の前へするすると歩み、縁の柱にもたれて座る。ここだけはいかにもうつけものの評判通りという横柄さであった。
 呆気にとられた道三が黙ったままなので、警護に当たる氏家直元の代わりに会見を仕切るように任されていた堀田道空が言う。

「上総介さまでござりましょうか」
「そうだ」
「こちらにわたらせられるのが、山城入道道三殿でございまする」
「であるか。おれが上総介信長である」

 と、そっけなく信長は応えた。
 そして、道三に深く礼をしてそのまま座敷にきちんと座った。
 ここには道服姿の老人がいるが、それが会見相手の斎藤道三でないのならば意地でも礼儀は尽くさぬが、丁寧に名乗られた以上、貴種として振る舞おうという態度が如実に表れていた。
 逆に惨めな気分にならざるをえない道三と信長の前に、湯付けの膳が運ばれてくる。
 二人は無言で箸をとった。
 わずかに膳を口にしてから、真っ先に交わされたのは嫁いだ娘のことであった。
 蝮といえど人の親なのである。

「―――帰蝶は息災か」
「蝮殿が真っ先に気にしておったのが、そなたのことだと妻に伝えておきまする。きっと喜ぶことでしょう」
「それは助かる。婿殿に会うことよりも、娘が達者であるかどうかが心配であった」
「妻になにがあっても、おれが助けまする。例え、曲者に攫われようと、刺客に狙われようと」
「なんじゃ、それは?」

 道三は首をひねった。
 初めて出会った信長は無駄なことをしそうにない若者だ。
 選ぶ言葉も意味があるものばかりだろう。
 込められた意図を読み取って返事をしなければならない。
 だが、信長は道三の疑問に答えてくれず、

「……おれはおれの国に争いと死を撒き散らすものを容赦せん。目指すのは偃武の世だ。いくさのない日ノ本だ。例え、敵が身内であったとしても。――舅殿にはそれだけをわかっておいてもらいたいのだ」

 このときまで、信長は一度たりとも領土的野心を抱えたことがなかった。
 参戦したいくさもすべて尾張を護るためのものばかりであり、イサクァとともにかかわった事件も平和を求めてのものだ。
 何百挺もの鉄砲を集めながら何を言うか、と道三は思わなかった。
 大うつけの双眸に秘められた哀しみを読み取ってしまったからだ。
 この若者はこれから極端な愛憎の狭間で生き続けていくことになるだろう。
 おそらく尋常ではない生涯を送る。
 かつて、同じ感想を抱いたものがいることを道三は知らない。
 それでもわかってしまうことはあるのだ。
 妻として夫の生き死に同伴することになる帰蝶の人生を思うと、父親として胸が苦しくなる。
 だが、この戦乱の世は力のみがすべてだ。弱いという罪を負えば、死によって罰せられる地獄の世界だ。
 三千世界に広がる魔界において、この若者がどう抗うのか、想像するだけで何故か道三は楽しくなってきた。
 蝮は初めて自分の忌まわしい毒を継がせてみたい男に出会ってしまった。

「―――あいわかった。婿殿の志、わしは腹にいれたぞ」

 愛娘を嫁にやっただけで稼いだ数年間の伽藍洞なだけの平和ではなく、心から美濃と尾張の平穏を望むことを道三は決めた。
 この若者の門前に馬を繋ごう。
 我が民に、ひいては日ノ本に偃武がなされることを仏に祈ろう。

(鷺山城に戻り次第、十兵衛を追放しよう。それを婿殿は所望しておるのだ)

 道三は二度と尾張にちょっかいを出さないと心の底で誓った。
 それが態度に現れているのを見抜いて、信長は、

「かたじけない」

 と、生涯ただ一度だけのことであったが、舅殿に向けて深々と頭を下げたのである。

   ◇◆◇

 天海十兵衛は、愛刀を腰溜めに構えた。
 前に対峙したとき、手にしている手斧を投擲された記憶があった。
 あの間合いの短い武器は、懐に潜り込んでの一撃だけでなく、素早く投げつけての奇襲もできるのである。
 日ノ本には投擲武器というものが数少ない。最も多用されるのは石投げ―――いわゆる印字打ちであり、次いで手裏剣術であり、斧や鎌を投げるという戦法はほとんど皆無であった。
 手裏剣をよく使うのが大陸から渡ってきた忍びということもあって、この国では暗殺術の類いという捉え方をされていたのだろう。
 方々を流離い歩いた十兵衛は、多くの忍びとも交流があるため、飛び道具の恐ろしさを熟知していた。
 ふっとイサクァの手が消えたように見え、顔面目掛けて手斧が飛んでくる。
 冷静に刀の峰で払うが、手斧はそのままイサクァの手に戻っていく。
 柄についた革紐による素早い回収である。
 攻撃を防がれたら即手元に引き戻すため、完全に間合いは制され、歩法をもって詰めることが困難である。
 異形ではあるが、鍛え抜かれた使い手であった。
 どろりとした恐ろしいまでの殺気を放ち、異相の蛮人が十兵衛を殺さんと迫ってくる。

「……そこまでして拙者を殺したいのか、異人よ」
『〈悪霊〉を狩る。それが、おれの役目』
「まったく言葉が通じんなぁ」

 十兵衛は右にずれて、ブナの木の影に半身を隠そうとした。
 それを阻止するために再び手斧が飛んでくるが、今度は払わずに躱しきる。
 イサクァが内心で舌を巻くほど確実に手斧の軌跡を見切られていた。

(動きが読まれているのか……?)

 かつて、精霊についてショショーニ族の長老に教えを乞うたときに、心を読んでくる〈悪霊〉の存在を聞いたことがある。
 精霊も〈悪霊〉も父母たる大自然の化身であり、ヒトもまた同じ大地の腹から生まれたものだ。ゆえに、強い化身はヒトの考えを読み取ることができるものがいるという。
 この日ノ本の戦士にもそれが可能なのだろう。
 明らかにイサクァにとっては不利な状況であった。
 しかも、打開のため囮に仕えそうな相棒の〈歩む死〉は別のところにいて、ここにはやってこられない。
 ここでは彼一人で立ち向かわなければならぬということだ。

『フッ』

 思わず不意に口角が上がる。
(相棒……くだらない。ショショーニが他の部族にそんなくだらない想いを抱くなど……そうはないことだ)

 あの〈歩む死〉は〈悪霊〉対策のための手札の一つでしかない。
 まさかの気持ちだ。

『まあ、あいつは初めて会ったときからおれのキモサベだったな』

 イサクァは手斧を両手に構え、眼前に構えた。
 投げて仕留めることはできそうにない。
 先ほどの様子では、次には皮紐を切断されてもおかしくなかった。
 得物を失う危険があるうえ、心が読まれているならトマホークを投げる戦法は対応されやすい。
 そうであるのならば、敵の優位性を奪うためにも最も有効な手段は――

『顔を突き合わせる位置での一撃だ』

 イサクァは助走をつけて跳んだ。
 二つの手斧を上から振り下ろす。
 例え心を読んでいたとしてもこれは受けるしかない。
 十兵衛は全体重の乗った一撃を刀で受けた。
 二歩分だけたたらを踏む。
 わかっていてもこれだけの衝撃だ。
 両手でなければ支えきれない。

「ちぃ!」

 膝を撓めて力を流し、右腕の力を抑え、イサクァの体勢を崩し、強引な前蹴りで吹き飛ばす。
 吹き飛ばされつつも、縦に回転して十兵衛の顎を狙う。
 回転で体が隠されたため、刃のでてくる位置が読めなかったが、培った勘でギリギリ躱しきった。
 腰の乗っていない一刀両断。
 手斧の皮紐で咄嗟に防御し、ほんの一瞬の時間稼ぎが成功する。
 その刹那を利用して、イサクァは懐に潜り込んだ。
 下から跳ね上がる肘が鳩尾を撃つ。

「おおおっ!」

 呼吸が止まるが、肘撃入った分だけ動きの止まったイサクァは無防備になり、十兵衛の頭突きが鷲鼻を潰した。
 夥しい鼻血が吹き散る。
 最悪なことに左目に入り、命取りになりかねない死角が発生してしまう。
 こうなると一時的にでも距離をとるしかない。
 イサクァは盲目的に飛び退るが、それを見逃す十兵衛ではない。
 息はできないままだったが、両手持ちにして突いた。
 またも血が飛び出る。
 肩を抉られたのだ。
 それでも致命傷にはいたらない。
 背中から地面に倒れ込んだ。
 仰向けのイサクァ目掛けて十兵衛は刀を逆手に持ち替え、一気に突き立てた。
 鋭い切っ先が腹に刺さる。

『グォォォォ!』

 反射的に叫んだ。

「死ね、蛮人!」
 十兵衛がさらに刃を押し込もうとした瞬間、

『飛べ!』

 イサクァの頭に乗っていた烏のはく製が羽ばたく。
 まさか、飾りものが動き出すとは思っていなかった十兵衛は慌てた。
 読み取った思考の中にこのカラスのことは入っていなかった。
 イサクァとしてはわざわざ考える必要のない当たり前のことであったからだ。
 生きている烏が顔面にまとわりつき、視界がふさがれ、集中が緩んだためか思考も読み取れなくなった。感覚が麻痺したかのような数瞬。
 十兵衛にとってそれは最悪の隙が生まれたことを意味する。
 ドンと手斧がわき腹に突き立つ。

「貴様……」

 よろめいて倒れそうになりながら、近くの木に捕まって辛うじてこらえた。
 手から刀が落ちそうになるのをなんとか耐える。
 しかし、受けたのはかなりの深手。
 これ以上は命にかかわる。
 十兵衛は傷を庇いながら逃げ出した。
 ただ、イサクァも追跡ができない。
 彼もそれほどの重傷を受けてしまっていたからだ。
 徐々にゆっくりと距離が開いていく宿敵たち。

「――覚えておれ、蛮人! 覚えておれ、信長! いつか、この世に貴様らの血で天に真っ赤な雨を降らせてやるわ!」

 それに対して、イサクァも叫ぶ。

『忘れるな、〈悪霊〉よ! おまえの頭の皮を、金柑のように剥ぐのはショショーニのイサクァだ! 〈歩む死〉のキモサベだ!』

 酷い重傷を負いつつも、互いに睨み合う宿敵。
 だが、長くは続かない。
 十兵衛は呪詛を吐き捨てるように。

「――この。貴様ら如きには決して殺せぬ」

 と、呪いのように名乗りをあげて林の奥へと消えていく。
 イサクァは腹の傷に石ですりつぶした薬草をひたすら塗って、生きようともがき続けるのであった……

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