新日本書紀《異世界転移後の日本と、通訳担当自衛官が往く》

橘末

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第一章 小笠原事変

第十六話 静かな混乱と過激派の増加

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    (一睡も出来なかったな)

    沢村は、そんな事を思いながら、欠伸を噛み殺した。
本来なら一国の総理として、目の下の隈を放置しながら記者会見に臨むのは、少しばかり問題のある話だ。
しかし、今回ばかりは仕方の無い事だろう。

    (必死さのアピールにもなるだろうからな。
この際、今日はこのままで出るべきか……)

    もちろん、そんな打算的な考えも無くは無い。
だが、それは一種の自己暗示であった。
そうやって、無理矢理に前向きな考えに持って行かなければ、精神的にも肉体的にも持たない程、沢村は疲弊しているのだ。

    (いっその事、疲労している様に見える特殊メイクでも……
いや、止めておこう。
バレたら非難の嵐だ。
今辞任したら、冗談では無く国が傾くだろう。
洒落にならんな)

    沢村は、やけになる寸前の様だ。
そうなるのも無理は無いだろう。

    今回の事態は、政権の失策では無い。
明らかな天災である。
たしかに、宮内庁辺りでは怪しげな報告もあったが、それにしても事前に防ぎ様の無い、どうしようも無い出来事だったろう。
仮に過去に戻ったとしても、やはりどうする事も出来無い筈だ。
しかし、それでも責め立てるのが、野党という存在である。
マスコミも含めて、どうしようもない事態を、あたかも人災の様に非難する。
反対の為の反対や、非難の為の非難。
沢村は彼等を、そういう存在として観ていた。
もちろん政権へのブレーキ、という意味での存在価値もある。
それは民主主義国家に、必要不可欠な存在なのだ。
しかし、残念な事に政治家の質が落ちてしまうと、彼等は反対を手段から目的へと変換して、「批判マシーン」と化してしまう。
沢村は、そんな者達に足を引っ張られる事を、非常に恐れていた。
ちなみに彼自身も、野党時代にそう振る舞った経験があるのだが、それは棚上げしている。
政権交代が起こると棚上げも含めて、お互い様になるなのだろう。

    だからこそ、滅多な発言は出来なかった。
平時ならば、それでも構わないのだ。
足を引っ張られても、それなりに国の運営が可能である。
だが、野党に揚げ足を取られて、時間を無意味に浪費する余裕等、今の日本には無かった。
そういった余裕のある、色々な意味で平和な時代が、唐突に終わりを告げたのだ。
これからは、未知とそれに伴う困難が、日本を襲うであろう。
沢村は、それを確信しつつあった。
内閣総理大臣という、日本で最も正確な情報を、大量かつ早期に知る立場なのだ。
それぐらいの事を、確信出来るだけの情報は、既に揃っている。

    問題は、それを野党やマスコミが、納得するかという点だった。
おそらく理解はするだろう。
彼等も子供では無いのだ。
その点については、沢村も心配はしていない。
しかし、納得してくれるかどうかは、また別の話である。
ある程度落ち着けば、不満が噴出する事も充分に考えられるだろう。
むしろ確実にあると言ってもいい。

    (まあ、これは先の話だろうな。
今は小笠原の状況を、どう告げるべきかだ)

    今現在、沢村が直面している問題は小笠原諸島の事態とその対策を、どう穏便に告げるかという点だった。

    合囲状態と言う言葉がある。
近世ヨーロッパにて、城塞都市が包囲された際に、平時とは異なる法律で、治安を維持した事を語源とする言葉だ。
もちろん、明治の偉人達の誰かが訳した言葉である。
現代では戦争や、非常事態宣言が必要な状況、国によっては天災の直後と、様々なケースが考えられるが、非常事態と言う点では昔から変わらない。
日本国内では、あまり議論されない言葉でもある。

    (どう考えても合囲状態ではあるな。
問題は、それについての対処法への反発だ)

    沢村内閣は、既に行動を起こした。
そこまでは良いのだ。
過去はどうあれ、現状では合法である。
しかし、転移という非常事態と、小笠原諸島での戦闘という初動について、国民に伝えるとなると、話は別であろう。
野党やマスコミも、理解するであろうが、最初は何時も通りに、足を引っ張ろうとする筈だ。
そして、状況の見極めが出来ない、左寄りの市民団体等は、ここぞとばかりに抗議デモを行うだろう。
それでは、困るのだ。

    今の日本に必要なのは、巧遅よりも拙速だった。
議論する時間が惜しいのだ。
何せ、対応が間に合わなければ、餓死者が出る。
かと言って、拙速に過ぎても問題なのだ。
そこが沢村の悩みどころでもある。
既に、飢えと言う名の日本の危機に気付いた里山防衛大臣からは、『パクス・ニッポニカ』とでも言う様な、無茶苦茶な構想まで出ていた。
沢村としては、この余りに拙速に過ぎる構想に、反対するつもりである。
しかし、一部の閣僚はそれに賛同していると言う、信じられない状況なのだ。

    (誰も彼も、食料危機に気付いていないか、気付いて発狂しているかのどちらかだ)

    沢村は、一時的な混乱からの動きと判断しているが、それにしてもこの様な状況下で、閣僚が一枚岩でないというのは、それはそれで不味いだろう。
元から胃痛持ちである沢村の胃は、破裂寸前であった。

    「総理、そろそろ時間です」

    沢村が朝一番の胃薬を飲んだ直後、部屋に入って来た個人秘書の村田が、そう言った。
記者会見の時間になったのだ。
月が二つ出てしまった以上、隠せるものではない。
多少の混乱があったとしても、記者会見は仕方の無い事だろう。
いつまでも逃げれる様な事ではないのだ。
しかし、沢村は何も応えない。
数秒程、眼を閉じたままだ。

    (覚悟を決めよう。
決めるしかない。

大丈夫。

大丈夫。

大丈夫)

    そして、沢村は自らを奮い起たせつつ、椅子から立ち上がった。
唯でさえ重い政治生命や、日本の未来等といった様々なものが、これからはさらに重くのし掛かるのだ。
その第一歩としての、記者会見である。
非常識な現状を、国家が公式に認めた上で詳しい状況と、諸問題の対策を発表するのだ。
自己暗示に自己暗示を重ねて、何としてでもやり遂げなければならない。

    「良し、行こうか!」

    そう言ってから、率先して執務室を出る。
普段とは何処か違う沢村の態度に、戸惑いながらも、村田や参事官等が後に続く。

    沢村は、足早に会見場へと向かう。

    「総理、続報です」

    途中の廊下で官房長官が、合流する。

    「ああ、ありがとう」

    沢村はそう言って、差し出された書類に目を通す。
内容は、『いずも』貴賓室の盗聴記録だった。
記録された内容は『いずも』のCICで編集され、防衛省を経由して政府に届いたのであろう。
貴賓室を使用するという事には、そういう意味合いもあるのだ。

    都合の良い事に、万屋は山田に気を使ったのだろう。
如何に山田が優秀とは言っても、限度があると判断したのか、ベアトリクスや伯爵の話を、いちいち通訳をしていた。
それ故に、翻訳作業といった面倒な作業も無く、収集された情報は速やかに、内閣まで届けられたのである。

    「厄介だな……」

    沢村は、報告書をザッと読み終えると、そう呟いた。
そう思うのも無理は無い。
特に伯爵等は、明らかに参戦を望んでいる様子だ。
沢村は、記者会見直前という事もあってか、表情には出さないが胃の辺りを押さえている。

    「発表の内容を変更なさいますか?」

    官房長官がそう訊ねた。
沢村は、胃の辺りから手を離して、首を横に振る。

    「最悪、彼等が無理矢理巻き込んだとしても、早期解決を目指そう。
そうなったらやるしか無いだろう」

    二人が気にしている点は唯一つ、食料供給を楯に参戦を求められる可能性だ。
万屋の失態は、現場レベルでの不具合で済むものでは無かったのである。
食料自給率という、最大の弱みを知られた以上、そういう可能性は充分にあるだろう。
最悪、食料と引き換えに、日本が参戦せざるを得なくなる。
そういう失態であった。

    「八百万組への貸しと見ても、大丈夫だろうな」

    もちろん、沢村も無料では転ばない。
部外者からは、八百万組の関係者と目される、万屋の失態なのだ。
この失態の結果、与党選挙で不利になるのなら、責任を取って八百万組から支援させる、という手もある。
政治家故に、そんな事は簡単に思い付いた。

    そんな話をしているうちに、一行は会見場の扉の前へと、到着する。

    「結局どうなさるのでしょう?」

    官房長官が再度問い掛ける。
彼は顔面蒼白で、不安を隠せている様には思えない。

    「落ち着きたまえよ。
発表内容に変更は無い。
参戦云々は、正式な国交を樹立した後の話だ。
今から動じる話では無いよ」

    「しかし、既に自衛隊が交戦しています。
それならばいっその事、本格的に介入するべきでは?
早ければ早い程、有利な交渉も可能でしょう」

    官房長官は、里山の構想に乗せられているのであろう。
過激な事を言い出した。

    (こいつもか……
どいつもこいつも、無茶苦茶ばかり言う。
抑圧されていたのが、ふっ切れたみたいに、過激派ばかり増える)

    沢村とて、無能では無い。
食料入手の為の最終手段として、合囲状態を楯に憲法を停止し、本格的な軍事介入
というプランも、考えてはいるのだ。
いや、そもそも自国民から多数の餓死者が出かねない、と言う状況下である。
食料入手を目的とした軍事行動は、自衛権の範疇と強弁出来る可能性もあった。
とにかく、一概に否定はしない。
ただ、現段階で閣僚が浮き足立っている、と言う点を問題視しているのである。

    (とは言うものの、巧遅よりはましか……
拙速に過ぎても、動けるだけマシなのかもしれん。
今回の様に、時間の無い状況下では、里山構想が魅力的に映るのだろう。
インフラの輸出に武器の売却と、カードは幾らでもあるのだがな)

    沢村はそんな事を思った。
実際、参戦よりは武器の輸出の方が、随分とまともな考えであろう。
旧式化した余剰の銃火器でも、一度売れさえすれば、暫くは銃弾も売れるのだ。
さらには、朝鮮戦争特需とは違い、戦後も売れるだろう。
銃火器を知って、弓や槍に戻るバカは居ない。

    「まるで、『ゴルディアスの結び目』の様だな。
だが、それを断つのは、あくまで最終手段だ。
戦争は外交の延長、つまり外交問題の最終的解決方法なのだから。
時間が無くとも、最初からそれを選択するべきでは無い。
私は、限界まで粘るつもりだ」

    沢村は確かに焦っていたが、同時に冷静さを保ってもいた。
閣僚達に流されない様にと、心掛けている。

    (冷静な様でその実、集団パニックを起こしている、と言ったところか。
里山さんよりも、気象庁長官のせいだろうな。
あれはインパクトがあった。
迷惑な話だ)

    閣僚達が冷静さを失っている中で、気象庁長官への八つ当たり程度で抑えているのは、大したものであろう。
もっとも、閣僚のレベルが低い、という可能性もあるのだが……

    「総理は自衛隊の報告を、画像と一緒にご覧になったのですか?」

    官房長官は、いきなり話題を変えた。
さらに、訝しげな表情を浮かべる沢村に対して、一言こう言った。

    「ご自分の決断で一方的な、虐殺にも等しい戦闘が行われた事を、後悔なさってらっしゃるのでは?」

    沢村は、官房長官の意外な言葉に驚いた。

    (虐殺に後悔?
義務を果たしただけで、どうしてそうなる?
的外れもいいところだ)

    実際、沢村は戦闘について思うところ等、全くと言っていい程無かった。
平時の職務と同様に、淡々と指示を出しただけである。
結果を知った今でも、何かを感じる事は無い。
沢村にとっては、紙の上や画面の中での出来事なのだ。
実感が無いのであろう。
為政者として、正しい冷静さとも言える。

    「後悔する様な事では無いだろう。
ああなる事は、想定の範囲内だ」

    沢村は、呆れた様にそう言う。
そして、まだ不満そうにしている官房長官を振り切る様に、会見場の中へと進むのだった。
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