新日本書紀《異世界転移後の日本と、通訳担当自衛官が往く》

橘末

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第二章 西端半島戦役

第四十三話 荒ぶる医務室の美女

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「姫様に何をするか~!!!」

    医務室の前で待機していた万屋は、その声を聞くや否や、全てを察した。

ガチャーン

パリーン

    さらにガラスの割れる音を聞いて、事態の重大さを感じる。
    そして、責任を取る為に慌てて部屋の中へ飛び込んだ。

(何処で間違えた?
    遠慮した事か?
    それとも注意し忘れた事か?)

    万屋は医官の無事を祈った。

「大丈夫ですか!?」

    幸いな事に鍵は掛かっておらず、医務室の扉は簡単に開く。

「この男が、姫様の腕に針を!」

「ヒィ~」

    同時に二つの声が答える。

(やっぱりか…………)

    医官を組み敷いたアンジェリカは、興奮で真っ赤な顔だった。
    恐怖のあまり真っ青になっている医官とは、対照的だ。

「ア、アン、落ち着きなさい」

「落ち着いてなどおれません!
    やはり、何かの罠だったのです!」

    ベアトリクスが荒ぶる女騎士を宥めようとするものの、効果は無かった。
    全くと言っていい程、聞く耳を持れていない。
    ベアトリクスに心酔しているアンジェリカにしては珍しい事だ。

(珍しがってる余裕は無いけど…………)

    万屋はいつも通りに現実逃避気味の思考だった。

「こちらの落ち度です。
    申し訳御座いません」

    だが、ちゃんと逃避を続ける様な真似はせず、しっかりと頭を下げる事を忘れない。

    この謝罪は、医官とエルフ女性達の両方に対するものだった。
    拉致被害者ばかりに気を配っていた為に、検査内容の説明不足という失態をやらかしたのだから、両者に謝罪するのは当然だろう。
    医官に対しては、連絡不足というミスもある。
    万屋は、現地人がこういう人々(エルフエルフ?)である事を、予め伝えるべきだったのだ。

「万屋さん。
    側にいて、検査内容を説明してはくださいませんか?」

    ベアトリクスが慈愛に満ちた笑顔でそう言った。
    何も気にしていないかの様な、その穏やかな表情を見て、万屋は思わず拝みたくなる衝動に駆られる。

(いやいや、下心があるんだぞ。
    しっかりしないと)

    万屋は気を引き締める為、自身の頰を両手でペチペチと叩いた。
    公務員としては、下心のある相手に靡く訳にもいかないのだ。

「それは問題がありますので」

    万屋は両手を前に突き出して、分かり易く明白に固辞する。

(耐えろ、耐えるんだ)

    万屋としても、検査に立ち会って手取り足取り説明したい気持ちは、非常に大きかった。
    様々な検査内容を考えれば、当然であろう。
    断る際に、血涙を流しかねなかった程だ。
    心は揺れていたものの、どうにか断ったのだから立派なものなのだろう。
    男としては断腸の想いであった。

「今のうちに全て説明しますので、御容赦ください」

    万屋は欲望を押し殺して無難な事を言う。

「でも、言葉が通じないと不安です」

    ベアトリクスは露骨に沈んでみせる。

(敵もさる者)

    万屋は心を揺らされるが、同じ手には乗らない。
    協力してくれそうな者に、然りげ無く目配せを送る。

「姫様、御安心を!
    私が居ます!」

    アンジェリカは、万屋の目配せなど見てはいなかったが、万屋の意図した通りに行動した。

「アン、静かにしていてくださいね」

「「ピャッ」」

    ベアトリクスの前に居た万屋とアンジェリカは、二人同時に悲鳴を上げた。
    一瞬ではあったが、背筋が凍り付くかの様な恐ろしい冷気を感じたのだ。

「???」

    アンジェリカはそれが何なのか分からず、キョロキョロと辺りを見回して首を傾げている。

(これってやっぱり…………)

    冷気の正体を察した万屋の方も、何かを言う事はなかった。
    言ったところで危害を加えられる可能性は皆無だが、それでも恐ろしいものは恐ろしい。

「では、ベッドカーテンの内側から、医官の言葉を通訳するという事で」

    万屋は妥協案を出す。
    少し顔がニヤけ気味なのは御愛嬌だ。
    血涙を流しそうだったのだから、仕方の無い事だろう。

(音だけならセーフ。
    音だけならセーフ)

    万屋は自分に言い聞かせる。
    冷静さを保ちつつ、言い訳をしているのだ。

「そ、そうですか。
    では、そうしてください」

    ベアトリクスは若干引き気味になりつつも、その妥協案に乗った。
    万屋のニヤけ具合は、表情を作る事に長けている筈の貴人女性の仮面を一時的にとは言え、明らかに分かる様に崩す程酷いものだったのだ。

(あれ?)

    ベアトリクスの引き気味な様子には、万屋も気付いた。
    そして、『もしかしたら自分が好かれているのでは』という、僅かな期待を失い落ち込む。

(結局は精霊様かぁ…………)

    分かっていても期待してしまうのも、落ち込んでしまうのも男の性だ。
    万屋もそこは例外では無かった。

「しっかしまぁ、派手に荒らしたなぁ。
    どうしましょうか………」

    幸いにも医官は無傷だったが、検査器具はそうもいかない。
    少なくとも、採血用の注射器は割れて使い物にならなさそうだった。
    それどころか、壊れ物はほとんど壊れている。

(派手な音はこれか)

    万屋は怪我人が出なかった事に安堵しつつも、被害の大きさにウンザリする。
    責任を自覚しているからだ。

「とと、取り敢えず、片付けましょう」

    気の弱そうな医官は、アンジェリカをチラ見しつつ、ビクビクしながら言う。
    自衛隊に勤務するには向かない人材に見える。
    出血しているのを見ただけで、自分が貧血を起こしそうだ。

(海自だと怪我人は少ないのか?)

    万屋は呆れ気味にそう思ったが、苦情を言われそうにないという、自分に都合の良い点にも気付いた為、それを顔には出さなかった。

「アン!
    少しは悪びれなさい。
    皆さんにお詫びするのです。
    伯爵に言い付けますよ」

    一方では、ベアトリクスがアンジェリカを叱っている。
    アンジェリカが不貞腐れているのが原因だ。

「謝りなさい!」

「…………」

    アンジェリカはそっぽを向く。
    二人のやり取りは、まるで反抗期の親娘の様だった。

「ア、アン?」

    アンジェリカの珍しい態度に、ベアトリクスが困惑する。

(どうしたんだコイツ?)

    アンジェリカの事は既にコイツ呼ばわりしている万屋だが、困惑する気持ちはベアトリクスと同じだった。
    もっとも、『天地がひっくり返ってもあり得ない』とまで言う程、深く付き合ってはいないので、意外に思っているだけだ。
    何せ、ここ数日の付き合いである。
    理解出来る方がおかしい。

    だが、ベアトリクスは違う。
    アンジェリカとの関係は相当深く、長いものだ。

(伯爵でも呼ぶか…………)

    ベアトリクスが困惑しているという事は、アンジェリカの態度がかなり珍しいという事なのだろう。
    万屋にもそれは理解出来た。
    故に、頼れる人物を呼ぼうと考えたのだ。
    決して、逃げる口実を考えた訳では無い。

「ウ………」

    万屋が解決方法を探っているうちに、アンジェリカが呻き声を上げた。

「「「ウ?」」」

    三人が揃って首を傾げる。

「ウゥ………」

「(彼女はどうしたんでしょう)」

    万屋はベアトリクスに囁き掛けた。

    その様子を興味深そうに医官が見詰めている。
    医者としては、やはり仕組みが気になるのだろう。

「(分かりません。
    こんなアンは初めてです)」

    気付いているのかいないのか、ベアトリクスは医官の視線を全く気にしない。
    珍しい事態に、気にしている余裕が無いのだろうか。

「ウェ~ン!!!」

    アンジェリカはダムが決壊するかの様に泣き出した。

「もう、やだ~!!!
    おうち帰る~!!!」

「「「え、えぇ~………?」」」

    三人は困惑する。
    医官は状況が分からずに、万屋とベアトリクスは完全に予想外の事態が起きた為に、戸惑う他無かった。

「ア、アン?
    どうしたの?
    貴女らしくないわよ」

    古い付き合いなだけあって、ベアトリクスが真っ先に気を取り直す。
    ただし、動転しているままだ。

(本当に伯爵を呼んだ方が良いか?
    でも、ここで放置するのも怖いなぁ)

    ベアトリクスが動揺を抑えられないという事は、アンジェリカの状態はかなり珍しいのだろう。
    つまり、ベアトリクスだけでは状況を収められない可能性もある。
    むしろ、動揺っぷりを見ていると一緒になって泣き出すかもしれなかった。

「ア、アン?
    その様に泣いたままでは、何も分かりませんよ。
    落ち着いて説明して?、ね?」

     ベアトリクスが再度問い掛ける。
    やり方を変えたのか、今度は子供を宥める様な口振りだった。

    ヒッ…ヒッフ………グスン

    宥められた方のアンジェリカは、徐々に息を整えていく。
    かなり盛大に泣きじゃくった為に、過呼吸気味だったのだろう。

「姫様は………、異人と………、伯父上ばかり頼られる…………、から………、私なんか…………」

    それでも、少しずつ説明を始める。

「捕まった時だって………、人質になって………足を、足を~」

    ヴァ~ァ~ァ~ンンン!!!

「だいたい分かりました」

    アンジェリカは、途中で感極まったのか再び号泣するものの、ベアトリクスには通じたらしい。

(分かるのか……………)

    万屋は感心と呆れの入り混じった感想を抱く。

「……………」

    一方で、事情も言葉も全く分からない医官の方はドン引きだった。

    実際問題、万屋達と遭遇する少し前から、アンジェリカの失態は続いてた。
    特に、捕虜となり自害も出来ず、あまつさえベアトリクスに対する人質となった事は大きい。
    これだけ大きな失態となると、自信を喪失するのも当然だろう。
    面倒な事に周囲の気遣う様な態度も、アンジェリカに対しては逆効果だったらしい。
    また、普段から口煩い伯爵ですら、この件についての小言は少なかったという事もあって、脳筋気味な彼女としても不安を覚えていた。

    そして、自衛隊との遭遇である。
    アンジェリカは数ヶ国語を操る事が出来た。
    その数はベアトリクスよりも多く、交渉事において彼女を支えるのには、充分な能力だ。
    自衛隊との遭遇は、アンジェリカに取って汚名返上の機会だった。
    当然ながら、張り切って交渉に臨もうとする。
    しかし、その願いも叶わなかった。
    いくら優秀であっても、日本語という異世界言語までカバー出来る筈もない。
    そこでアンジェリカは落ち込んだ。

    さらには、万屋というチートの存在出現である。
    アンジェリカにしてみれば、目障りな事この上ない。
    耐え切れずに噛み付いては伯爵に叱られを繰り返し、汚名返上どころではなくなった。
    そして、それを自覚している為に益々自信を失っていくという、一種の悪循環が生まれる。

    それが、アンジェリカにとって初めての自信喪失、挫折だった。
    神聖軍より脱出してから、随分と時間が空いているが、それも不思議な事では無い。
    悔しさやら申し訳なさが、今になって溢れ出たのだろう。

「アン………」

    ベアトリクスは、本当にアンジェリカの気持ちを理解したのか。
    それとも、全く分かっていないのか。
    どちらかは分からないが、とにかくアンジェリカを強く抱き締めた。

(え、解決したっぽい?
    良い話で終わった?、のか?)

    まるでエンディングの様な光景に、置いて行かれた万屋と医官は困惑を隠せなかった。
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