新日本書紀《異世界転移後の日本と、通訳担当自衛官が往く》

橘末

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第二章 西端半島戦役

第四十七話 二股者達

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「伯父上!
    どうなさるおつもりか!?」

    暗がりで若い男が叫んだ。
    二十は越えているだろうか。
    伯父と呼ばれた男は老人だった。
    威厳に満ちており『伯父上』と呼ばれるものの、扱いは随分と悪い。
    胸ぐらを掴まれている。
    余程の事があったのだろう。

    二人は頭にターバンを巻いている。
    だが、アラビア風の服装ではない。
    全身真っ黒な装いは、ターバンを除いて洋風だった。
    この世界の者であっても、中途半端な知識を持っていれば訝しむだろう。
    だが、正しい知識を持っていれば納得の出来る格好だ。
つまり、彼等の格好には理由がある。
    それは地政学的なものであり、同時に政治的な理由でもあった。

    彼等は、古くから西端半島に勢力を持っているのだ。
    豪族や国人と呼び方は様々だが、とにかく地元土着の有力者である。
    そして、その立場故にちぐはぐな格好をしていた。
    民族衣装であるターバンを巻き付けつつも、西方大陸風の服を着る事で、恭順の意を示しているのだ。
    悪く言えば、主人に媚びていると言ってもいい。

「まだ、どうなるかは分からん。
    我等の働き次第で、戦況は一変するだろう」

    彼等が密談しているこの町は、ダッカと言いガザより東に数キロ進んだ位置にあった。
    戦略上の要衝であり、同時に古くから(連盟どころか神聖軍が来るより以前)地元民の信仰するアル・ハザル大神殿もある。
    複数の意味で重要な町だ。
    アル・ハザル大神殿の荘厳さは、神聖軍ですら破壊を躊躇した程である。
    その結果として、西端半島は土着宗教の残る地となったのだ。
    ただの伝説ではない。
    当時の交渉担当者が狡猾であったという事実もあるが、教会が唯一土着宗教を容認(異教税という妥協案を呑んだ)した理由は、真実アル・ハザル大神殿の荘厳さにあったのだ。
    当然ながら、この周辺におけるダッカの権威は高い。
    それは、連盟軍が来た後でも変わらなかった。

    ダッカが動けば、西端半島全体が揺れる。
    西端半島という狭い地域に限定された権威だが、ダッカにはそれだけの力があるのだ。
    そして、そのダッカで実権を握っている有力者こそが、ここにいる老人であった。

「そもそも、儂を責めるのはおかしな話よ。
    寝返りの話を持って来たのは、其方であろう」

    胸ぐらを掴まれていても、老人は冷静なままだ。

「私は渡りを付けただけです!」

    そして、歳若い甥の方は随分と興奮しているらしい。
    ここが厳かな神殿である事も、今の話が密談である事も忘れて、見苦しく大声を出した。

「声が大きい」

    これは流石に参ったのか、老人が嗜めた。
    その顔には、明らかな失望の色が見える。

「渡りを付けた以上、同心したと取られるのは当然であろう。
    神聖軍が失敗したとなれば………」

    老人の言葉に青年は顔を青くした。
    信じ難い事だが、自らの危うい状況に本気で気付かなかった様だ。

「わ、わ、私は、か、金を受け取ったのですよ。
    ただの取引でしょう!?」

    悲鳴の様な声を出す青年を、老人は冷めた目で見る。
    既に失望の段階は過ぎたのだろう。
    老人は身内であっても、見限る事に躊躇をしないタチだった。

「当家の権勢もこれで終わりか…………」

    老人は状況を見定めた上で、場合によっては不出来な甥を差し出す事を決意する。
    どう転ぶかは分からなくとも、甥が不良債権である事は確実であった。
それはつまり、切り捨てるべき存在という事だ。
    そして、甥の首を差し出したとしても一族の権威に傷が付く事は避けられないだろう。
    処罰を免れるかどうかも微妙なところだ。
    ダッカにおける権門としての一族は終わる。
    老人の呟きは、その感傷から来る言葉だ。

「何故です、伯父上!?」

    未だに大声を出す青年は、何も理解していなかった。
    ここまで来ると無邪気に近い。

(気楽な事よ………)

    老人は呆れ以上に、羨ましさすら感じた。

    事実、この青年はかなりの幸せ者だったのだろう。
    父親を失っても、頼れる伯父に支えられて当主の座を維持して来たのだ。
    胡散臭い自称親族に財産を奪われる事も、伯父の完全な傀儡となる事も無かった。
    これだけ愚かな者だ。
    一門によって、町から追い出されてもおかしくはない。
    それでも伯父である老人とは対立せずに、相談役と傅役の中間程度という、ちょうど良い関係を保てた。
    それは幸運であろう。
    殺さずに生きている事が奇跡なのだ。
    全てはこの老人のおかげだった。
    それに気付いていないという状況こそが、青年が幸せである事の証しだろう。

「神聖軍は如何なったのだろうな。
    海の藻屑となったか、タルターニャに打ち破られたか………。
    それとも、遅れているだけか………」

    老人は甥の言葉には答えなかった。

「そ、そうだ!
    伯父上の仰る通りで、まだ分かりません。
    遅れているだけかも」

    青年は伯父の言葉を繰り返す。

「兵を偵察に出しましょう」

    人の考えを繰り返すだけの甥であったが、自ら考え出した策は酷かった。

「名目はあるのか?」

    老人は静かに問う。
    先程までは諦めとは縁の無い、強気の落ち着き方だったが、当主たる甥の底を見た今では違う落ち着き方だ。
    これは、既に色々と諦めた上での冷静さである。

「どういう意味です?」

    青年は伯父の変化を見抜けない。
    彼に分かるのは、落ち着いているという表面上の様子だけだった。

「斥候が神聖軍と遭遇した時の事を考えるのだ。
    上手い口実でもあるのか?
    奇襲を事前に察する様な状況では、寝返りを疑われて当然であろう。
    兵の口止めは出来るのか?」

「…………」

    青年に出来る筈もない。
    老人ですら、ダッカの兵を上手く扱う事は難しいのだ。
    それには、この周辺の事情があった。

    老人、ダマスカス男爵イブン・アッラシードとその一族は、ダッカの領主の様に振舞っているだけで、ダッカの領主そのものではない。
    甥、アンカラ侯爵スレイマン・アッラシードにしても同じである。
    二人は血縁を除くと、ダマスカス男爵とアンカラ侯爵という関係であり、当然ながらその領土はダマスカス男爵領とアンカラ侯爵領だ。

    そもそもダッカには領主そのものが存在しない。
    とは言え、本土から代官が送られている訳でもない。
    たしかに、西端半島には西天津国の直轄領も存在する。
    何せ、本土から遠い為に孤立しがちであり、同時に最前線だ。
    そうしなければ維持する事が難しい。
    だが、現地土着領主の治める様な地域で、わざわざ宗教的権威のある都市を治める必要性は無い。
    もちろん、それなりに価値はある。
    地域の中心となる規模であり、精神的支柱でもあるダッカは、交易拠点として栄えているのだ。
    その繁栄は西端半島でガザに次ぐ勢いである。
    つまり、西天津国でも有数の都市なのだ。
    だが、精神的支柱を抑えられたとなれば周辺地域住民の反発が起こる。
    それも、内心の反感程度では済まないだろう。
    大規模な暴動だけに止まらず、反乱が起こる可能性すらある。
    それは連盟と西天津国の望むところに反する状況だ。
    西端半島、正確にはシドンとティルスを維持する為に、ガザとダッカの安定は必要不可欠だった。
    故に、この地域における自治権は尊重されており、ダッカの管理も土着領主に任されたのである。

    そういった経緯もあって、ダッカの町は周辺の領主によってアル・ハザル大神殿の承諾の元、持ち回りで統治されていた。
    当然ながらその全員が、アル・ハザル大神殿を信奉する土着領主である。
    そして、地域限定とはいえその強大な宗教的権威から、『ダッカの守護者』という称号は大変な名誉とされた。
    そこには宗教的権威だけでは無く、実利も存在する。
    『ダッカの守護者』とは周辺地域の寄親と同意義なのだ。
    地球で言うところの大アミールに近いものがある。
    当然ながら実利も大きい。

    もちろん、その地位を得るには基準がある。
    『ダッカの守護者』となるには、強大な武力と公平さを持ち、人徳のある者。
    その上で、領地を空けていられるだけの余裕がある者に限られる。
    つまり、土豪程度の者では話にならないのだ。
    必然的に、それなりの規模の大身者に限られてしまう。
    だからこそ、その座を長期間独占しているアッラシード一族には、敵が多かった。
    当然だろう。
    ただでさえ複数の領地と爵位を持っているのだから、妬まれない訳がない。

    面倒な事に、敵は西端半島以外にも存在した。
    土着領主という点は、本土の貴族から見ると目障りなのだ。
    さらに、侯爵ともなれば並みの本土貴族よりも格が高い。
    こうなると話は余計に拗れる。
    目障りな新参者(恭順して四百年程であり、本土貴族との差は僅か数年程度であるが)が格式まで上となれば、より一層目障りな存在として見られてしまうものだ。
    侯爵位を得て以来、アッラシード家の敵は増える一方だった。

(引き摺り下ろされるやもしれぬというのに、この阿保は気付かぬのか………。
    ある意味では大物であろうが、時代が悪かった)

    イブンは甥を憐れんだ。
    兄の忘れ形見であるこの甥を、イブンは見捨てるのだ。
    家の為とはいえ、長い間見守って来た甥である。
    家の内紛を避けねばと、自身の欲を抑えて支えて来た甥だ。
    可愛くもあり、同時に憎たらしいと思った事もある。
    今回の軽率な振る舞いでは、大いに失望もした。
    それでも此の期に及んで感じたのは、たしかに憐れみだったのだ。

(不思議なものよな)

    イブンは自身の感情を訝しむ。
    憐れみを抱く事は意外であったが、それだけだ。
    だが、そう感じつつも結局は甥の首を差し出す事に躊躇しない事については、意外なだけでなく不思議に思えた。

(罪悪感は無い。
    やはり、不思議なものだ)

    人間の感情が複雑である事は、イブンも知っている。
    それを利用して、政敵を陥れた事も数多くあった。
    それでも、理解と納得は違うという事なのだろう。
    イブンは自身の中の矛盾に驚いた。

「覚悟は決めて置くのだぞ」

    イブンは激励する様に、甥の肩を叩くと屋敷へと帰って行く。
    状況が分からず、陰謀が発覚するかどうかも不明な以上、下手に動くのは悪手である。
    密談は終わったのだ。

「……………」

    後には無言で崩れ落ちた青年が残された。
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