新日本書紀《異世界転移後の日本と、通訳担当自衛官が往く》

橘末

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第二章 西端半島戦役

第五十四話 王女らしい姿

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「アッラシード卿、出迎え大儀」

    正門を越え政庁の敷地内に入ると、そこには老人が片膝を付いて伏せていた。
    自衛官達は戸惑うが、ベアトリクスの態度は堂々としている。

(王族だねぇ……)

    万屋はベアトリクスとの育ちの違いを実感した。
    そこには、確かに衝撃があった。

    万屋とて健全な成人男性である。
    自身とは、微妙に方向がズレているとはいえ、美女からの熱い視線を継続的に浴びていれば、それなりに期待もするだろう。
    しない方がおかしい。
    普段モテないともなれば尚更である。
    根本的に免疫力が低いのだ。

(適当に接待してればいいかぁ…)

    身分差を実感し、冷や水を浴びせ掛けられた様な心境になったのだろう。
    万屋は衝撃を受けつつも、どこか冷静なままだった。
    驚きつつも、頭が冷めたというところか。

「ベアトリクス姫殿下、御健勝の様で。
    私共も、御身を案じておりましたぞ」

    老人は顔を伏せたままであるが、心底安心した様な声を出した。

「いろいろあったのですよ」

    ベアトリクスは溜息を吐いて、首を左右に振る。

「いろいろ、で御座いますか?」

    老人は訝しげに少しだけ顔を上げた。

「(我等の神々は、現世でもいろいろなさいます)」

    ベアトリクスは気を使って小声になりつつも、正直に話す。
    ダマスカス男爵イブン・アッラシードは、一代でアッラシード家を大きくした男である。
    宗教絡みで揉める可能性は低い。
    少なくともその理性は、信用に足るものと判断したのだ。

「私共の想像も及ばぬ事態の様で」

    イブンは再び腰を下げる。
    詮索無用と解釈したのだ。

    イブンの解釈は微妙に間違っていた。
    ベアトリクスとしては、説明が複雑に過ぎる上に荒唐無稽な話を避けたかっただけだ。
    自身が理解していない事が多過ぎるという問題もあった。
    まずは、日本人達を紹介した上で、面倒な説明の類いを押し付けてしまおうという魂胆だ。

「ダマスカス男爵、姪共々お世話になりますぞ」

    伯爵が声をかける。
    身分制度下では、挨拶一つにも順番というものがあるのだ。

「これは、ウェセックス伯爵。
    貴殿の様な方ならば、必ず生きておいでだと信じておりましたぞ」

    イブンは腰をかなり上げる。
    外国の王族と貴族では同じ客であっても、礼儀作法すら異なるのだ。
    側から見ている万屋としては、呆れ以前に信じられない思いだった。

「姪御殿は、アンジェリカ殿でしたな。
    以前、姫殿下が立ち寄られた際にもお会いした」

「男爵閣下に覚えていただけるとは光栄で御座います」

    今度は逆にアンジェリカが深々と礼をする。
    これが身分差というものだ。

「アンジェリカを覚えているとは…。
    アッラシード卿は、耄碌しそうにありませんね。
    貴国も安泰でしょう」

    ベアトリクスは適当に話を繋げる。
    そこそこに済ませるとはいえ、挨拶が終わったタイミングは、自衛官達への突っ込みが入りかねない。
    自衛官達から気を逸らす為だ。
    イブンはかなりの老齢である。
    並みの老人ならば、それで誤魔化されたのだろう。
    だが、イブンはただの老人では無かった。
    なにせアッラシード一族に、二つ目の爵位をもたらした者だ。

    西端半島という、西方大陸本土とは若干異なる統治体制の敷かれた地域であっても、それは異例である。
    並みの才覚ではない。
    誤魔化される筈もなかった。

(怪しげな装束だが、汚い訳でもない。
    わざと汚らしく見せ掛けているのだろうか……。
    賊の類いにしては、統率され過ぎている。
    斥候だのスラッパだのにしては、人数が多過ぎるな)

    アンジェリカも誤魔化せるとは思っていない。
    無理を承知で誤魔化しているのだ。
    その目的は、詮索無用と伝える事にあった。

    だが、詮索無用と言われれば気になるのが人情というもの。
    貴族という知識人であるからこそ、好奇心を抑えられない事もある。

「側から見ればそう見える様ですな。
    しかし、私も老いました。
    いつまで国に尽くせるものか……」
    

    イブンにも、探られたくないものがある為、薮蛇にならない様に探る真似はしない。
    内心で推測するのみだ。
    一瞬、目をやるだけで後は視線をあからさまに逸らす。
    アンジェリカの意向を理解したという意味だ。
    貴族同士ならそれで通じる。

「まあ!?
    謙遜せずとも、アッラシード卿はまだお若いでしょう?
    後程お話したい事もあります。
    その様な事を仰らずに」

    これは、事情を話すので場所を用意して欲しいという意味だ。
    この場では話せない重要な案件であるという意味もある。

「ところで甥御殿はどちらに?
    甥御殿にも居てもらいたいのですが」

    ベアトリクスがそう言うと、一瞬で空気が張り詰めた。

「………………、あれはどうしようもなく不出来な甥で御座います。
    畏れ多くもベアトリクス姫殿下の御前に出す訳には参りませぬ。
    御用は、私めがお伺い致しましょう」

    イブンは肩を落として見せる。
    これでは不祥事を起こした様にしか見えないだろう。

    イブンとしても、自身の後ろ暗い企てが露見しているとは思っていない。
    露見しているのであれば、ベアトリクスがこの人数でのこのことやって来る筈が無いのだ。
    ベアトリクスには、イブンを罠に嵌める必要が無い。
    他国の事でもあり、首を突っ込まずとも西天津国へ通知すれば済むのだ。
    危険を冒す意味も意義も無い。

    だが、この話題が偶然とも言い切れない為、この様な対応となった。

「不出来などどとんでもない。
    アンカラ侯爵スレイマン殿は狩の名人であるとか。
    我が国まで聞こえる程に有名ですぞ。
    謙遜なさらずに」

    伯爵の言葉はただの社交辞令である。
    スレイマン・アッラシードに対する興味は薄かった。
    イブンの言う通りであっても、酒色に溺れて出迎える気すら無い様な、話以上の愚物であっても、実は病に伏せており後継者争いで揉めていても、どうでもよかったのだ。
    発言の背景を探るつもりは、皆無であった。

「………」

    だが言われたイブンには、探られたくない事情がある。
    切れ者と評判である伯爵の言葉を、単純に社交辞令と捉える余裕は無かった。
    深読みし過ぎたのだ。

    イブンが悪い訳ではない。
    誰だって、後ろ暗い事がある時に鋭いと評判の相手から、それに関わる件に突っ込まれれば慌てる。
    例えるのであれば、某眠りの名探偵やら名探偵三世やらが、発覚を未然に防いだ筈の事件現場に来た時の犯人の心境だろう。
    過敏にならない方がおかしいのだ。

「……、な、何かご事情がお有りの様ですな。
    某で宜しければ、力になりますぞ」

    いくら気が緩んでいるとは言っても、伯爵も空気すら読めない訳ではない。
    一瞬表情を変え、沈黙したイブンを見ると、慌てて助力を申し出る。
    イブンの不自然さには気付いていているものの、その裏にまで気付いている様子は無い。

    それがまた、猜疑心を強くさせる材料となる。
    悪循環だが、問題はイブンの内心にある為、それに気付ける者は居ない。

「………、恥ずかしながら甥は放蕩者でして………。
    とても、姫殿下の御前に出せる状態とは思えませぬ。
    御容赦あれ」

    イブンは深々と頭を下げる。
    申し訳なさそうにしつつ、表情を隠す為だ。
    伯爵が何かに気付いたのだと、完全に思い込んでいるらしい。

    イブンにしてみると、この返答は賭けだった。
    誤魔化した事への言い訳としては妥当であったが、同時に穴も大きい。
    スレイマンには、『一行が立ち去るまでは隠れている様に』と、使いを遣っていた。
    だが、不肖の甥という評価そのものには嘘偽りが無い。
    イブンには、スレイマンが隠れ続けていられるとは思えなかった。
    そう考えると見付かった場合に、誤魔化し切れなくなったとも言える。
    背水の陣だ。

(酒と女を与えておくしかあるまい)

    イブンが散々に言い聞かせてようやく止めさせたものを、他ならぬイブン自身が与えざるを得ない。
    そんな腹わたの煮え繰り返りそうな状況であっても、イブンは申し訳無さそうな顔を崩さなかった。

「少しばかり踏み込み過ぎた様ですな。
    こちらこそ、失礼致した。
    御気を悪くされるな」

    ベアトリクスは尚も何かを言おうとするものの、伯爵がそれを遮る。

(無礼を承知で言っているのです。
    これ以上は、ダマスカス男爵に恥をかかす事になりましょう)

    伯爵はイブンの態度に不信感を感じてはいない。
    外国の王族が来ても挨拶に出さない方がマシとは、本当に不出来な甥なのだと呆れただけだ。

(以前にダッカを訪れた際は不在であったな。
    あれも隠そうとしたのだろう)

    だが、同時に後継者問題に頭を悩ませる様子のイブンに対して、同情もしていた。
    自分の姪と重ね合わせたのだ。

(成長しつつはあるが、やはり他人事ではないな。
    しばらくは見てやらねば)

    伯爵はアンジェリカをチラリと見てから、一人決意を固めた。
    伯爵には子がいない為、その財産は全て彼女の物となるのだ。
    爵位こそ返上となるものの、アンジェリカが事実上の後継者と言えよう。
    不出来であっても、それを理由に疎んだ事はない。
    今さらではあるが、奮起しない方がおかしい。
    そもそも、彼女の父親である実兄に遠慮し過ぎていたからこそ、口を最小限に出していたのだ。
    改善策はあった。
    その配慮を止めるだけだ。
    身内だからこそ、それに踏み切れなかったのだろうが、今なら本人の意識が変わりつつある。
    切っ掛けがあるのだ。
    好機を見逃す伯爵ではなかった。

「ではアッラシード卿。
    後程、お話の場を設けてください。
    頼みましたよ」

    妙な気迫に居心地の悪そうなイブンを見て、ベアトリクスが助け船を出す。
    伯爵の気迫は、アンジェリカに厳しくしようという決意の現れである。

(これは………)

    親しい者にはそれが分かるのだが、付き合いの浅いイブンにはそれが分からない。
    誤解の連鎖は続き、ベアトリクスのフォローでさえも釘を刺されたかの様に聞こえる。

「かしこまりました。
    晩餐の席は、その様に用意させましょう」

    イブンは動揺を隠す為に、深々と頭を下げた。

「では、寝所までの案内は任せたぞ。
    失礼致します」

    そして、側に控えていた執事に後を任せ、自身は踵を返す。

(やむを得ぬのか………)

    顔を見られない様にと、細心の注意を払いつつ急ぎ足で退出しながら、イブンは静かに覚悟を決めていた。

(あの爺さん、なんか追い詰められてるんじゃ?)

    以外にも、状況を察しつつあったのは万屋であった。
    気が緩んでいるとはいえ、ベアトリクスや伯爵ですら気付かない状況を、なんとなく察せるのには理由がある。
    何も特殊能力に目覚めた訳ではない。

    単純に、異世界転移事件直前まで読んでいた小説が、小豪族を主人公とした戦記物だったからだ。
    大国の間で翻弄される人々の話を読んでいたからこそ、イブンの態度に違和感を持てたのだろう。
    偶然である。
    ただ、山田ですら語学力の問題から、万屋程には分かっていないのだから、やはり大したものだろう。
    イブンは訛りが強かったのだ。
    万屋には、平凡な実力と大した運があった。

    そもそも、王に取り立てられたとはいえ、元が名家の次男である伯爵や、王族であるベアトリクスには、『味方を裏切らざるを得ない』という状況や心情を知らない。
    伯爵の場合、家の存続だのは二の次であり、ベアトリクスの場合は国の敗北が家の滅亡だ。
    汚い事でも、家を保つ為には何でもやる。
    そういった事情を理解できない立場なのだ。
    そこに、気の緩みが加われば気付けないのは当然であろう。

    万屋は山田の肩を掴むと、端の方へ引き寄せた。
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