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* 死神生活三年目&more *
第326話 死神ちゃんとトルバドゥール④
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死神ちゃんは絶賛戦闘中の〈担当のパーティー〉と思しき二人組のうちの若いほうの眼前に、逆さまで急降下し額を突いた。彼はのけぞりながら盛大に悲鳴を上げると、激しくむせ返った。
彼の上げた金切り声に驚いて、戦闘中のモンスターたちは逃げていった。死神ちゃんはモンスターと役目を終えたステータス妖精さんを見送ったあと、思わず眉根を寄せた。
「お前、毎度毎度、そんな喉に負担がかかるような悲鳴を上げるなよ。歌い手は喉が命なんだから」
「だったら……そんな登場のしかた……ゲホッ……しないでくれるかな……ウェッホゥッ……」
勇猛そうな見た目とは裏腹に情けない青年が涙目で苦情を言う横では、太っちょの男がにっこりと笑顔を浮かべていた。太っちょは「久しぶり」と言って死神ちゃんの頭を撫でると、ひとまず休憩をとることを提案した。
彼らはトルバドゥールという〈歌を専門とする吟遊詩人〉である。死神ちゃんと彼らは年に一回、春の時期に遭遇するのが恒例となっていた。
このダンジョン内に出没するセイレーンの歌唱曲は、裏世界で毎年秋ごろに行われる歌謡コンテストを参考にしている。どういうことかというと、セイレーンさんがコンテストで披露する〈今年のマイブーム曲〉を新年度に入れ替え実装するのだ。そしてそれはどの曲もこの世界にはないものばかりのため、彼らトルバドゥールは〈歌唱法を盗み取り、音楽の幅を広げる〉という目的で〈春のセイレーン詣で〉を行っており、そのときに死神ちゃんと遭遇するというわけである。
しかしながら、今はまだ春の気配が感じられはしない。それ以前に、新しい年にすらなっていなかった。死神ちゃんは太っちょから頂いたお菓子を頬張りながら「一体どうして」と彼らに尋ねた。すると、青年が照れくさそうに笑いながら頭を掻いた。
「実は僕、年明けにある新春音楽祭に出演することが決まったんだ」
「おお、そいつはめでたいな。おめでとさん」
死神ちゃんはきょとんとした顔を浮かべると、素直に祝辞を述べた。嬉しそうに相好を崩すと、青年は感謝を表すように何度も小さくうなずいた。そして一転して、彼は表情を曇らせた。何でも、音楽祭で歌う予定の曲でどうしても〈越えなくてはならない壁〉があるのだという。
「移動ドと固定ドって知っているかい?」
「ああ、あれだろう? 固定ドはCがドで、移動ドはドの位置が調によって変わるんだよな?」
「よく知っているね! 聞いておいてアレだけど『幼女がそんな難しい話、知ってるわけがない』と思っていたのに!」
青年が目を丸くすると、死神ちゃんは得意気に胸を張った。
固定ドというのは何も調号のついていない〈ハ長調〉という長調音階の、起点の音であるC音がドである。音が〈固定ド〉で聞こえる者は、たとえどんなに調号が増えて調が変わろうとも、長調だろうが単調だろうが、C音がドと聞こえる。なので、ハ長調で言うところのソ・G音が起点となるト長調(調号は、シャープがひとつ)の音階奏でた場合、〈固定ド〉の者にはソ・ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ♯・ソと聞こえる。
対して、音が〈移動ド〉で聞こえる者は、調の起点となる音がドと聞こえる。なので、ト長調だろうが他の調だろうが、どんな調でも、音階を奏でるとド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドと聞こえるのだ。
幼いころから音楽を嗜んでいる、いわゆる〈絶対音感〉というものを持っている者は音が〈固定ド〉で聞こえやすく、ある程度成長してから音楽に触れたものは〈移動ド〉で音を把握することが多い。世間ではよく〈幼いころから音楽をやっていた者のほうが有利である〉と言われ絶対音感がもてはやされ、そういうこともあって子供の物心つくかどうかのころからピアノを習わせるご家庭も多いのだが、こと歌に関しては、実はそうでもないのだそうだ。
「調号が多かったり、コロコロと転調したり、さらにそこに臨時記号がいっぱい出てくるなんてことがあると、移動ドの人のほうが有利なんだ。〈今、どの調の曲を歌っている〉というのを、調の起点音をきちんと把握できれば、音が狂うことなく歌い続けられるからね。脳内パズルも簡単にパチッとはまりこんで、正確に歌い続けることができるってわけさ。――対して固定ドさんは〈その調におけるド〉がドじゃあないからね。複雑なパズルの組み換えが必要になってくる。そして半音が増えれば増えるほど、処理が追いつかなくなってきて頭がこんがらかってくるんだよ。……そして、僕は固定ドなんだ」
「あー……つまり、今の話の流れから察するに、お前がぶち当たった問題っていうのは〈転調や臨時記号がいっぱいの曲を歌わなくてはいけないのに、歌っている最中に半音に惑わされて音が分からなくなってくる〉ということか?」
死神ちゃんが難しい顔を浮かべて腕を組み首をひねると、青年は両手で顔を覆いワッと泣き真似をした。
彼は先輩であり、現在は冒険者業よりも講師業のほうがメインとなっている太っちょに助けを求めた。しかしながら、太っちょは移動ドさんだった。そのため、太っちょは青年の苦しみを分かってやることができず『正確に音が取れるよう、訓練をするほかない』というアドバイスをすることしかできなかった。
しかし、音楽祭の本番は刻一刻と近づいてくる。何か突破口は無いものかと後輩のために情報収集を行っていた太っちょは、教え子冒険者から有益な情報を得たのだとか。
「何でも、歌を歌いながらダンジョン内のゴミ拾いを行うモンスターがいるそうなんだ。その歌というのが、半音を目まぐるしく行ったり来たりするらしいんだよ」
死神ちゃんは表情もなく「駅構内を掃除しながら走行するお掃除カーみたいだな」と心中で呟いた。
ダンジョン内を探索する冒険者たちの全てがお行儀が良いとはもちろん言えず、ダンジョン内は至るところにゴミが放置されている。〈戦闘で入手したものの、持ち帰らずに放置したアイテム〉や不要となった武具だけではなく、使用済みの薬瓶や食べかけの食べ物やその包み紙、死んだ仲間の死体などだ。それら全て――ただし、死体以外――を修復課が仕事の合間に拾い集めるというのは無理があるため、ダンジョン掃除用にと徘徊型レプリカが実装されていた。――彼らが探しているモンスターというのはまさにそのモンスターであり、死神ちゃんも度々目撃したことのあるモノだった。しかしながら、死神ちゃんはそのモンスターがしっかりと歌っているところを見たことがなかった。
太っちょが、無表情で静かにしている死神ちゃんを不思議そうに眺めてきた。死神ちゃんが何事もないかのように続きを促すと、彼は心なしか慌てて続きを話し始めた。
「正確に声を出すということは、結局は声帯の筋肉運動が正しく行われるということだから、筋トレのごとく体に覚え込ませるという地味な作業が一番確実なんだ。脳が処理しきれずに半音の上がり下がりができきらないのだから、一旦落ち着いて整理して、クリアな状態でゆっくりと体に覚え込ませるんだよ」
「でも、僕にはそんな悠長なことを言っていられる時間がもう無いから。だから先輩にお願いして、その〈半音を目まぐるしく歌うモンスター〉を探しに来たのさ。その歌唱法が、もしかしたらこの状況を打破してくれるかもしれないからさ」
なお、死神ちゃんが突如出現したときに戦っていたモンスターがまさに目的のお相手だったそうだ。そのモンスターは〈闇落ちしてモンスターと化した者〉と同じくらい遭遇率が低いそうで、先の戦闘でようやく対面することができたところだったのだという。青年は拗ねた調子で口を尖らせると、死神ちゃんを非難がましく見つめた。死神ちゃんは苦笑いを浮かべると、まだ近くにいるのではと励まし、探索を再開するよう促した。
少しばかり辺りを見て回ってみると、案の定、例のモンスターはまだダンジョン内の美化活動を行っていた。ファルセットと地声を行ったり来たりさせながら軽妙に歌うモンスターをじっとりと眺めると、死神ちゃんは口早に「ここはアルプスか」と言った。
「アルプス? 何だい、それは。地名か何かなのかい?」
きょとんとした顔で首を傾げる青年に、死神ちゃんはとりあえず「アレは牧童が山で仲間と合図を交わすときに生まれた音楽だ」とだけ教えてやった。トルバドゥールたちは興味深げにうなずくと、目を輝かせながらゴミ拾い中のモンスターを見つめた。
「あの高音と地声のコントラスト、凄いよなあ。どうやって声を出しているんだろうか」
「脳みそどころか、喉が追いつかないよな、アレは。本当に凄いよ!」
「……あー、うん。そもそも、アレは声帯を使っているわけではないから、喉が追いつく追いつかない以前の問題な気がするんだが」
そう言って死神ちゃんは頬を引きつらせたのだが、彼らの耳には届いてはいなかった。彼らは喉の調子を整えると、こぞってゴミ拾いモンスターの真似をし始めた。しかし、中々上手く真似することができず、彼らは〈違う、そうじゃねえ!〉と言いたげな表情を浮かべたモンスターから何度もゴミを投げつけられた。
下手な歌声で仕事の邪魔をされたモンスターは、ご立腹のようだった。足もとに転がっていたゴミをトングで掴みひと通り投げ終えると、今度は背負っていた籠の中身を投げつけ始めた。トルバドゥールたちは投げつけられるゴミが段々と危険物にグレードアップしていることに冷や汗を浮かべると、練習を止めて渋々モンスターを討伐した。そしてちゃっかり、ぶちまけられたゴミの中から金になりそうなものは〈冒険資金〉として失敬した。
その後も、彼らはヨーとホーを繰り返しながらダンジョン内を彷徨い歩いた。大分コツが掴めてきてさまになってくると、彼らは〈今習得したばかりのこの技術が、どこまで通用するのか〉を試してみたくなった。二人は「あのモンスターのもとを訪ねよう」と言いうなずきあうと、どこかへと向かって行った。
彼らは以前、五階に出没する風の精霊が課してくる歌の試練を受けていた。今回もそれを受けるのかと死神ちゃんが尋ねると、彼らは「また別のものだ」と答えた。辿り着いた先には先ほどの〈お掃除モンスター〉とは別のモンスターがおり、モンスターはトルバドゥールたちに気がつくと似非爽やかな笑顔で魔法を唱えた。
トルバドゥールたちが身構えたので、死神ちゃんはモンスターの唱えた魔法が攻撃魔法だと思った。しかし、現れたのは火の玉でも風の鎌でもなく、チューブラーベルという打楽器だった。モンスターがハンマーを振りカンと鐘を打ち鳴らすと、青年が唾をゴクリと飲んで一歩前に進み出た。そして先ほど習得したヨーデルを歌い始めたのだが、十秒もしないうちに〈失格〉の鐘を鳴らされた。思わず、死神ちゃんは顔をしかめた。
「のど自慢かよ」
失格の鐘を受けた青年の頭上には、黒い雲が集まってきた。一塊となったそれが青年に雷を落とすと、彼は悲鳴を残して現世から退場した。死神ちゃんは眉間のしわをさらに深めると、苦々しげに呻いた。
「うわ、審査厳しいな。ていうか、えげつなさすぎやしないか?」
死神ちゃんがそう言っている間に、次の鐘が鳴った。太っちょはビクリと見を跳ね上げると、青年と同じくヨーデルを歌いだした。死神ちゃんはその場に残り、ドキドキとしながらその様子を見守っていた。そしてとうとう、太っちょはやり遂げた。それどころか、彼の歌声に導かれ、何故か鶏が出現した。
「何で、鶏……」
誰も、死神ちゃんの疑問に答えてはくれなかった。そのすぐ隣では、〈合格〉の鐘の音に包まれて歓喜で頬を染める太っちょが鶏の羽だらけになっていた。そして突如現れた鶏に追い掛け回されて手負いとなったモンスターは、太っちょに何やらを授けて逃げるようにスウと姿を消した。何をもらったのかと彼の手の内を覗き込んだ死神ちゃんは、怪訝な表情で首をひねった。
「何で、シャープ……」
「きっと、半音を極めし者の証なんでしょう」
太っちょは純金製の小さな♯型ペンダントトップを感慨深げに見つめながら、目尻をしっとりと濡らした。教える立場に回ったが、まだまだ現役でいけるかもしれないと興奮する彼に祝辞を述べると、死神ちゃんは鶏のけたたましい鳴き声と純金シャープに頭を悩ませながら姿を消した。
**********
待機室に戻ってきた死神ちゃんは、マッコイと目が合うなり「何でシャープ?」と首を傾げた。マッコイはニッコリと微笑んで言った。
「あれね、現在ダンジョンで産出されるアイテムの中で一番高価なものなのよ」
「は!? ダイヤモンドリングよりも高いのかよ!? タダの純金だろう!?」
死神ちゃんの脳内はより一層混乱を来たした。しかしながら、素っ頓狂な声を上げる死神ちゃんに、マッコイは当然とばかりに小首を傾げて返した。
「だって、英雄の証ですもの。そりゃあ高価に決まっているでしょう」
死神ちゃんの頭は、通常よりも斜めに上がったんだか下がったんだか分からない珍解答に対して処理が追いつかなかった。
「で、何で鶏」
「英雄に与えられし特別な力なんだけれど……。薫ちゃん、知らないの? 忍者も銀行強盗も、アレで一発撃退できるくらいには強い力なのよ」
「え……? 知らないのは、俺だけ……? え……?」
死神ちゃんは愕然とすると、しばらくそのまま、背中を丸めて固まっていた。しかし一転してスッと背筋を伸ばすと、晴れやかな笑顔を浮かべた。そしてソファーに腰掛けると、ポーチの中から〈新春コンサート〉のセットリストを取り出した。
「さあて、俺も曲のおさらいでもするかな」
死神ちゃんは考えるのをやめると、理解の追い付かない現実から逃げ出したのだった。そして、社内のアイドルを極めるべく曲や〈可愛いポーズの練習〉を始めたかと思いきや出動要請に颯爽と対応する死神ちゃんの〈死神課のエースという、やはり社内のアイドルと呼べる姿〉を眺めながら、死神課メンバーはニヤニヤと笑みを浮かべたのだった。
――――冒険者も演奏家も、そして社内のアイドルも。技巧を極め熟練の域に達すれば、その業界筋の英雄となれるはずなのDEATH。
彼の上げた金切り声に驚いて、戦闘中のモンスターたちは逃げていった。死神ちゃんはモンスターと役目を終えたステータス妖精さんを見送ったあと、思わず眉根を寄せた。
「お前、毎度毎度、そんな喉に負担がかかるような悲鳴を上げるなよ。歌い手は喉が命なんだから」
「だったら……そんな登場のしかた……ゲホッ……しないでくれるかな……ウェッホゥッ……」
勇猛そうな見た目とは裏腹に情けない青年が涙目で苦情を言う横では、太っちょの男がにっこりと笑顔を浮かべていた。太っちょは「久しぶり」と言って死神ちゃんの頭を撫でると、ひとまず休憩をとることを提案した。
彼らはトルバドゥールという〈歌を専門とする吟遊詩人〉である。死神ちゃんと彼らは年に一回、春の時期に遭遇するのが恒例となっていた。
このダンジョン内に出没するセイレーンの歌唱曲は、裏世界で毎年秋ごろに行われる歌謡コンテストを参考にしている。どういうことかというと、セイレーンさんがコンテストで披露する〈今年のマイブーム曲〉を新年度に入れ替え実装するのだ。そしてそれはどの曲もこの世界にはないものばかりのため、彼らトルバドゥールは〈歌唱法を盗み取り、音楽の幅を広げる〉という目的で〈春のセイレーン詣で〉を行っており、そのときに死神ちゃんと遭遇するというわけである。
しかしながら、今はまだ春の気配が感じられはしない。それ以前に、新しい年にすらなっていなかった。死神ちゃんは太っちょから頂いたお菓子を頬張りながら「一体どうして」と彼らに尋ねた。すると、青年が照れくさそうに笑いながら頭を掻いた。
「実は僕、年明けにある新春音楽祭に出演することが決まったんだ」
「おお、そいつはめでたいな。おめでとさん」
死神ちゃんはきょとんとした顔を浮かべると、素直に祝辞を述べた。嬉しそうに相好を崩すと、青年は感謝を表すように何度も小さくうなずいた。そして一転して、彼は表情を曇らせた。何でも、音楽祭で歌う予定の曲でどうしても〈越えなくてはならない壁〉があるのだという。
「移動ドと固定ドって知っているかい?」
「ああ、あれだろう? 固定ドはCがドで、移動ドはドの位置が調によって変わるんだよな?」
「よく知っているね! 聞いておいてアレだけど『幼女がそんな難しい話、知ってるわけがない』と思っていたのに!」
青年が目を丸くすると、死神ちゃんは得意気に胸を張った。
固定ドというのは何も調号のついていない〈ハ長調〉という長調音階の、起点の音であるC音がドである。音が〈固定ド〉で聞こえる者は、たとえどんなに調号が増えて調が変わろうとも、長調だろうが単調だろうが、C音がドと聞こえる。なので、ハ長調で言うところのソ・G音が起点となるト長調(調号は、シャープがひとつ)の音階奏でた場合、〈固定ド〉の者にはソ・ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ♯・ソと聞こえる。
対して、音が〈移動ド〉で聞こえる者は、調の起点となる音がドと聞こえる。なので、ト長調だろうが他の調だろうが、どんな調でも、音階を奏でるとド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドと聞こえるのだ。
幼いころから音楽を嗜んでいる、いわゆる〈絶対音感〉というものを持っている者は音が〈固定ド〉で聞こえやすく、ある程度成長してから音楽に触れたものは〈移動ド〉で音を把握することが多い。世間ではよく〈幼いころから音楽をやっていた者のほうが有利である〉と言われ絶対音感がもてはやされ、そういうこともあって子供の物心つくかどうかのころからピアノを習わせるご家庭も多いのだが、こと歌に関しては、実はそうでもないのだそうだ。
「調号が多かったり、コロコロと転調したり、さらにそこに臨時記号がいっぱい出てくるなんてことがあると、移動ドの人のほうが有利なんだ。〈今、どの調の曲を歌っている〉というのを、調の起点音をきちんと把握できれば、音が狂うことなく歌い続けられるからね。脳内パズルも簡単にパチッとはまりこんで、正確に歌い続けることができるってわけさ。――対して固定ドさんは〈その調におけるド〉がドじゃあないからね。複雑なパズルの組み換えが必要になってくる。そして半音が増えれば増えるほど、処理が追いつかなくなってきて頭がこんがらかってくるんだよ。……そして、僕は固定ドなんだ」
「あー……つまり、今の話の流れから察するに、お前がぶち当たった問題っていうのは〈転調や臨時記号がいっぱいの曲を歌わなくてはいけないのに、歌っている最中に半音に惑わされて音が分からなくなってくる〉ということか?」
死神ちゃんが難しい顔を浮かべて腕を組み首をひねると、青年は両手で顔を覆いワッと泣き真似をした。
彼は先輩であり、現在は冒険者業よりも講師業のほうがメインとなっている太っちょに助けを求めた。しかしながら、太っちょは移動ドさんだった。そのため、太っちょは青年の苦しみを分かってやることができず『正確に音が取れるよう、訓練をするほかない』というアドバイスをすることしかできなかった。
しかし、音楽祭の本番は刻一刻と近づいてくる。何か突破口は無いものかと後輩のために情報収集を行っていた太っちょは、教え子冒険者から有益な情報を得たのだとか。
「何でも、歌を歌いながらダンジョン内のゴミ拾いを行うモンスターがいるそうなんだ。その歌というのが、半音を目まぐるしく行ったり来たりするらしいんだよ」
死神ちゃんは表情もなく「駅構内を掃除しながら走行するお掃除カーみたいだな」と心中で呟いた。
ダンジョン内を探索する冒険者たちの全てがお行儀が良いとはもちろん言えず、ダンジョン内は至るところにゴミが放置されている。〈戦闘で入手したものの、持ち帰らずに放置したアイテム〉や不要となった武具だけではなく、使用済みの薬瓶や食べかけの食べ物やその包み紙、死んだ仲間の死体などだ。それら全て――ただし、死体以外――を修復課が仕事の合間に拾い集めるというのは無理があるため、ダンジョン掃除用にと徘徊型レプリカが実装されていた。――彼らが探しているモンスターというのはまさにそのモンスターであり、死神ちゃんも度々目撃したことのあるモノだった。しかしながら、死神ちゃんはそのモンスターがしっかりと歌っているところを見たことがなかった。
太っちょが、無表情で静かにしている死神ちゃんを不思議そうに眺めてきた。死神ちゃんが何事もないかのように続きを促すと、彼は心なしか慌てて続きを話し始めた。
「正確に声を出すということは、結局は声帯の筋肉運動が正しく行われるということだから、筋トレのごとく体に覚え込ませるという地味な作業が一番確実なんだ。脳が処理しきれずに半音の上がり下がりができきらないのだから、一旦落ち着いて整理して、クリアな状態でゆっくりと体に覚え込ませるんだよ」
「でも、僕にはそんな悠長なことを言っていられる時間がもう無いから。だから先輩にお願いして、その〈半音を目まぐるしく歌うモンスター〉を探しに来たのさ。その歌唱法が、もしかしたらこの状況を打破してくれるかもしれないからさ」
なお、死神ちゃんが突如出現したときに戦っていたモンスターがまさに目的のお相手だったそうだ。そのモンスターは〈闇落ちしてモンスターと化した者〉と同じくらい遭遇率が低いそうで、先の戦闘でようやく対面することができたところだったのだという。青年は拗ねた調子で口を尖らせると、死神ちゃんを非難がましく見つめた。死神ちゃんは苦笑いを浮かべると、まだ近くにいるのではと励まし、探索を再開するよう促した。
少しばかり辺りを見て回ってみると、案の定、例のモンスターはまだダンジョン内の美化活動を行っていた。ファルセットと地声を行ったり来たりさせながら軽妙に歌うモンスターをじっとりと眺めると、死神ちゃんは口早に「ここはアルプスか」と言った。
「アルプス? 何だい、それは。地名か何かなのかい?」
きょとんとした顔で首を傾げる青年に、死神ちゃんはとりあえず「アレは牧童が山で仲間と合図を交わすときに生まれた音楽だ」とだけ教えてやった。トルバドゥールたちは興味深げにうなずくと、目を輝かせながらゴミ拾い中のモンスターを見つめた。
「あの高音と地声のコントラスト、凄いよなあ。どうやって声を出しているんだろうか」
「脳みそどころか、喉が追いつかないよな、アレは。本当に凄いよ!」
「……あー、うん。そもそも、アレは声帯を使っているわけではないから、喉が追いつく追いつかない以前の問題な気がするんだが」
そう言って死神ちゃんは頬を引きつらせたのだが、彼らの耳には届いてはいなかった。彼らは喉の調子を整えると、こぞってゴミ拾いモンスターの真似をし始めた。しかし、中々上手く真似することができず、彼らは〈違う、そうじゃねえ!〉と言いたげな表情を浮かべたモンスターから何度もゴミを投げつけられた。
下手な歌声で仕事の邪魔をされたモンスターは、ご立腹のようだった。足もとに転がっていたゴミをトングで掴みひと通り投げ終えると、今度は背負っていた籠の中身を投げつけ始めた。トルバドゥールたちは投げつけられるゴミが段々と危険物にグレードアップしていることに冷や汗を浮かべると、練習を止めて渋々モンスターを討伐した。そしてちゃっかり、ぶちまけられたゴミの中から金になりそうなものは〈冒険資金〉として失敬した。
その後も、彼らはヨーとホーを繰り返しながらダンジョン内を彷徨い歩いた。大分コツが掴めてきてさまになってくると、彼らは〈今習得したばかりのこの技術が、どこまで通用するのか〉を試してみたくなった。二人は「あのモンスターのもとを訪ねよう」と言いうなずきあうと、どこかへと向かって行った。
彼らは以前、五階に出没する風の精霊が課してくる歌の試練を受けていた。今回もそれを受けるのかと死神ちゃんが尋ねると、彼らは「また別のものだ」と答えた。辿り着いた先には先ほどの〈お掃除モンスター〉とは別のモンスターがおり、モンスターはトルバドゥールたちに気がつくと似非爽やかな笑顔で魔法を唱えた。
トルバドゥールたちが身構えたので、死神ちゃんはモンスターの唱えた魔法が攻撃魔法だと思った。しかし、現れたのは火の玉でも風の鎌でもなく、チューブラーベルという打楽器だった。モンスターがハンマーを振りカンと鐘を打ち鳴らすと、青年が唾をゴクリと飲んで一歩前に進み出た。そして先ほど習得したヨーデルを歌い始めたのだが、十秒もしないうちに〈失格〉の鐘を鳴らされた。思わず、死神ちゃんは顔をしかめた。
「のど自慢かよ」
失格の鐘を受けた青年の頭上には、黒い雲が集まってきた。一塊となったそれが青年に雷を落とすと、彼は悲鳴を残して現世から退場した。死神ちゃんは眉間のしわをさらに深めると、苦々しげに呻いた。
「うわ、審査厳しいな。ていうか、えげつなさすぎやしないか?」
死神ちゃんがそう言っている間に、次の鐘が鳴った。太っちょはビクリと見を跳ね上げると、青年と同じくヨーデルを歌いだした。死神ちゃんはその場に残り、ドキドキとしながらその様子を見守っていた。そしてとうとう、太っちょはやり遂げた。それどころか、彼の歌声に導かれ、何故か鶏が出現した。
「何で、鶏……」
誰も、死神ちゃんの疑問に答えてはくれなかった。そのすぐ隣では、〈合格〉の鐘の音に包まれて歓喜で頬を染める太っちょが鶏の羽だらけになっていた。そして突如現れた鶏に追い掛け回されて手負いとなったモンスターは、太っちょに何やらを授けて逃げるようにスウと姿を消した。何をもらったのかと彼の手の内を覗き込んだ死神ちゃんは、怪訝な表情で首をひねった。
「何で、シャープ……」
「きっと、半音を極めし者の証なんでしょう」
太っちょは純金製の小さな♯型ペンダントトップを感慨深げに見つめながら、目尻をしっとりと濡らした。教える立場に回ったが、まだまだ現役でいけるかもしれないと興奮する彼に祝辞を述べると、死神ちゃんは鶏のけたたましい鳴き声と純金シャープに頭を悩ませながら姿を消した。
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待機室に戻ってきた死神ちゃんは、マッコイと目が合うなり「何でシャープ?」と首を傾げた。マッコイはニッコリと微笑んで言った。
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死神ちゃんの脳内はより一層混乱を来たした。しかしながら、素っ頓狂な声を上げる死神ちゃんに、マッコイは当然とばかりに小首を傾げて返した。
「だって、英雄の証ですもの。そりゃあ高価に決まっているでしょう」
死神ちゃんの頭は、通常よりも斜めに上がったんだか下がったんだか分からない珍解答に対して処理が追いつかなかった。
「で、何で鶏」
「英雄に与えられし特別な力なんだけれど……。薫ちゃん、知らないの? 忍者も銀行強盗も、アレで一発撃退できるくらいには強い力なのよ」
「え……? 知らないのは、俺だけ……? え……?」
死神ちゃんは愕然とすると、しばらくそのまま、背中を丸めて固まっていた。しかし一転してスッと背筋を伸ばすと、晴れやかな笑顔を浮かべた。そしてソファーに腰掛けると、ポーチの中から〈新春コンサート〉のセットリストを取り出した。
「さあて、俺も曲のおさらいでもするかな」
死神ちゃんは考えるのをやめると、理解の追い付かない現実から逃げ出したのだった。そして、社内のアイドルを極めるべく曲や〈可愛いポーズの練習〉を始めたかと思いきや出動要請に颯爽と対応する死神ちゃんの〈死神課のエースという、やはり社内のアイドルと呼べる姿〉を眺めながら、死神課メンバーはニヤニヤと笑みを浮かべたのだった。
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